幸せの捜索願 番外編






「お前、ほんっとかわいくねぇな」


 それは息子の恵に対して告げた言葉であった。素直でない言葉の応酬をして、最終的に口から零れた一言だった。
当の恵はどこ吹く風。けれど本人ではなく、その姉がその言葉を拾い上げてしまって、朗らかな笑みを一瞬で消し去ってしまったのだ。
 何の感情も読み取れない顔を見て、これは拙いと甚爾は悟った。どぱりと冷や汗が吹き出し、何故そんなことを言う流れになったのかは、一瞬で忘れ去ってしまった。


「恵、悪いが少し席を外してくれないか?」
「え、あの、姉さん………?」


 基本的に負の感情を表に出すことの少ない姉の不穏な気配に、恵が困惑の表情を浮かべる。けれど、姉には素直な恵は、椿の言うとおりにその場を後にした。


「父さん。座ってくれ」


 言われた通り、示された床に膝をつく。言われるまでもなく正座で座った。


「で、恵が何だって?」
「いや、あの………」
「恵は世界一かわいいだろうが」


 普段は耳に心地良い澄んだ声が、地面を揺らす地鳴りのような声に変わる。
 ―――――ああ、お前は怒るとそんな風に詰めるのか。
 身体はすっかり萎縮してしまっているのに、意識だけが他人事のように思考を回す。


「恵が一番かわいい時期に、恵の子育てを放棄したのはあなただろう?」


 ドスリと、心臓に刃を突き立てられた気がした。
 ひやりとしたものが体中に広がって、口の中が乾いていく。部屋の酸素が少なくなったような気分になって、自然と呼吸も浅くなる。
 そんな甚爾を見下ろして、椿が小さく嘆息した。


「多分、あなたは家族というものがよく分かっていないんだと思う。だから、私達への接し方が分からない。けれど、だからと言って放棄するのは間違っている」


 糾弾であり、指摘だった。親に放棄されて苦労をしてきた子供からの、どこまでも真っ当な正論だった。
 幼い弟妹を守るため、自分も幼いくせに、大人のように苦労してきた伏黒家の長女。先行きの不透明さに不安になって。それでも弟妹にはそれを悟らせないように笑みを絶やさないで。その上で自分たちの状況を正しく認識して、親を探し出したのだ。そんな彼女からの言葉を、甚爾は父親として無視することは出来なかった。


「一度放棄したものと、もう一度向き合う選択をしてくれたのは嬉しいし、それはきっと稀有なことなんだろう」
「けれど、恵は環境に負けず、真面目で優しい子に育ってくれた。それがあなたが向き合う選択を取ってくれたからなのか、恵の生まれ持った心根なのかは分からないけれど、それでも、真っ当な精神を育んでくれた」
「でも、恵はまだ成長途中だ。心も体も、まだ子供で未成熟なんだ。親に反抗的になるのも、恵の心の成長には必要なものなのだろう」
「それは、"かわいくない"で済ませていいものじゃない」


 もちろん、いくら親とて愛情は無限ではないだろう。椿とて、それは理解している。
 けれど、愛情が枯渇してしまうような酷い態度を、恵が取ったことはない。故に、椿はそれを“成長に必要なもの”と捉えていた。だから今回は、甚爾に対して諭すことにしたのだ。


「さて、もう一度聞こうか。恵が、何だって?」
「………………クソ生意気だけど、かわいい、です……」
「津美紀は?」
「素直で、かわいい、です」
「よろしい」


 にこり、といつもの笑みが戻ってくる。ほっとすると同時に、本当に怒りを持続させるのが苦手な子供だな、と改めて認識する。
 椿はきっと、非術師であろうとも呪いを生み出すような人間にはなり得ないだろう。椿だって誰かを呪うこともあるだろうが、こういう気質を見てしまうと、そんな風に思ってしまうのだ。


「父さん。私は父さんを手放しに尊敬出来ないけれど、私はあなたが大好きだよ」
「…………お前のことも、ちゃんとかわいいよ」
「ありがとう。父さんは強くてかっこいいね」
「…………お前が、俺を父親にしてくれた気がするな」
「父さんは最初から父親だったよ。少し、遠回りしてしまっただけで」
「そうかよ……」
「うん、そうだよ。だから、自信を持ってくれ」
「……おう」


 自分とて反抗期を迎えていてしかるべきなのに。その年齢になっても変わらずに愛情を伝えてくれる娘に、甚爾は心の底から感謝した。
 何年経っても愛情を伝えるのは甚爾には難しいことであるけれど、もう少し素直になれるよう努力しよう。そう心に決めて、手始めに長女の頭をわしゃわしゃと撫でた。




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