審神者と呪いの世界






 五条悟はきっちりと着込んだ袴を捌きながら、盛大に舌打ちをした。五条自身が望んでもいないにも関わらず、実家が勝手に婚約者候補を見繕い、お見合いの場を設けたのだ。
 内容を伏せられ、一時帰宅の命を出されて帰ってみれば、縁談の場に向かうように告げられたのだ。実家で盛大に暴れ散らしてやろうかとも考えたが、目をぎらつかせた老人共と同じ空間に居るのが嫌で、素直な振りをして指定された場所に向かった。
 昼時に行われるからと食事も用意されているようだが、そんなもの食べる気も起きない。
 五条家にとっては大事な話でも、五条にとっては望まない縁談だ。相手がどのような家の出身で、どのような娘であれ、気に入らなければ反故にするという旨は伝えている。
 少し顔を見せて、所用があると言ってさっさと抜け出してしまえば良い。実際、数少ない特級呪術師である五条は多忙を極めているのだから。
 己の望まぬ事に時間を掛けることほど、無駄なことはない。そんな無駄なことをさせたのだから、清庭家の娘には悪態の一つや二つはつかせて貰おう。そんなことを考えながら、大きな音を立てて襖を開ける。
 清庭家から寄越された娘はすでに席に着いていた。縁側から見える枯山水を眺めていたようで、襖を開ける音に反応してゆっくりと五条を振り返った。


「俺、お前と結婚する気なんかないから」
「奇遇だな、私も君と結婚する気はないんだ」


 開幕、カウンターを喰らった気分に陥った。
 大幅に時間に遅れてきたことに対して何か言うでもなく、五条の発言に反論をするでもない。娘は五条に対して特に興味もないようだった。


「…………お前、ここに何しに来たの」
「料理を楽しむためだよ。あと、枯山水を見に来たんだ」


 お互い、望まない縁談だったというわけだ。清庭家の娘のあまりに淡泊な物言いに、五条は思わず脱力した。
 さっさと帰ってしまおうと思っていた五条だが、少しくらい休憩していってもいいだろうと、ドカリと座布団の上に座り込む。
 この娘は他の家の娘と違って、五条の顔に色めき立つこともなく、家柄や能力を褒めそやすこともしない。縁談の場でそういう相手は珍しく、同級生達を思い起こさせて、何となく落ち着いたのだ。


「…………お前、名前は?」
「清庭椿だ」
「ふぅん……」


 椿と名乗った少女は会話を続ける気がないのか、五条の質問に答えたきり、美しい庭を見つめる作業に戻った。
 確かに自分もこの縁談には乗り気で無かった。もちろん断るつもりでいた。何なら、見せしめとしてこっ酷く、盛大に振ってやるつもりですらいたのだ。
 けれどこの少女は、五条以上に婚姻に興味がないのだ。いっそ清々しいほどに。
 ここまで自分に興味がないと、逆に興味が沸いてくる。


「…………そう言えばさぁ」
「うん?」
「清庭家ってあんま聞かないんだけど。他の家を押しのけてここにいる理由って何?」


 清庭家は古くから続く呪術師の一族だ。しかし、ここ最近、呪術界でその名を聞くことはなくなってきている。一族全体の力が弱まっているのだ。そんな没落しつつある一族が、呪術界で幅を利かせている有力な他家を押しのけて、御三家との見合いの席にいるのか。
 椿に興味がある素振りを見せると、彼女は五条の目を真っ直ぐに見つめた。


「私の術式は、無限の呪力を生み出すことが出来るんだ」
「へぇ?」
「六眼で呪力のロスを無くせても、無限ではないだろう? 六眼と無下限に、無限の呪力を生み出せる術式の組み合わせだ。それが実現したら、君を超える呪術師の出来上がり。まぁ最も、私に子供を産む機能がないから、それは絶対に実現しないのだけれど」
「…………………は?」


 さらりと告げられた発言に、五条の思考が停止した。


「天与呪縛だよ。子供が産めない代わりに、無限の呪力を生み出すことができる。そうして生み出した呪力を他人に譲渡することも可能。それが私の力だ」


 椿の言うとおり、六眼で呪力のロスを無くせても、五条の呪力にだって底はある。その底すら無くなれば、五条悟以上の化け物が誕生することは間違いない。
 しかし、肝心の子供を作れないのならば意味が無い。この場は、五条の遺伝子を繋ぐに相応しいと認められた女性にしか与えられない。つまり清庭家は、その不都合な事実を隠したのだ。呪術界を牛耳る御三家の一角―――――五条家を相手に。
 サングラスを取り払い、椿の術式を読み取る。そして椿の言葉が真実であるとわかり、五条は呆れて溜息をついた。


「…………確かにうちの連中が好きそうな話だ。由緒正しい家柄の女より、お前を優先した理由が分かったよ」
「私にそんなつもりは無かったんだがな」
「でもお前の実家、馬鹿過ぎない? 五条家に隠し事して、それがバレたらどうなるかも考えてねぇの?」
「この席を設けたのは両親ではなく、過去の栄光にみっともなく縋り付いている遠縁だよ。この縁談に顔を出さなければ両親に危害を加える事を示唆されたから、ここに来ただけさ」
「…………そのご両親は何て言ってるわけ?」
「好きに生きたら良い、と。何よりも私の幸せを願っている、とも。だから、この件については普段温厚な両親もご立腹でな。多分、何人かは病院送りになっているんじゃないか? あの人たち、敵には容赦しないから」


 澄ました顔が、ほんの少しだけ緩む。自分を大事にしてくれている両親へ向けての笑みだ。
 それは子供を駒のように扱うのが当たり前と言っても過言ではない呪術界では珍しい表情だった。あたたかくて、やわらかくて、幸せを詰め込んだような笑みだった。
 普段見ないような表情を見た五条は、何だかソワソワと落ち着かない気分になる。


「容赦しない割に、病院送りで済ますんだ?」
「ふふ、優しい人たちなんだ」
「…………変な奴だな」


 ―――――まぁきっと、その親戚達は死んだ方がマシだと、殺してくれと願っていることだろうけれど。
 そう思ったことは決して口に出さず、椿はにこりと笑って見せた。



***



 五条の到着を合図に、用意されていた料理が運ばれてくる。
 配膳が終わり、再び個室は二人きりになった。
 所狭しと並べられた美しい料理に、椿が先程とは違う、ふわりとした笑みを浮かべる。心なしか、先程まで凪いでいた瞳が輝いて見える。
 そう言えば料理目的で来たって言ってたな、と五条が肩を竦めた。


「もう食べても良いかな? お腹が空いてしまっていて……」
「ああ、うん。好きにしたら?」
「そうか? では、いただきます」


 手を合わせて、頭を下げる。
 椿がまず手に取ったのは三つ葉の浮かんだ汁物で、温かいそれをすすり、ほぅと息をつく。
 さくさくの天ぷらを頬張り、次いで炊き込みご飯。
 食べることが好きなのだろうと分かる、幸せそうな笑みを浮かべた。


(こいつ、呪術界の女っていうより、一般家庭の女って感じだな)


 今までの見合い相手は食事よりも何よりも、五条に気に入られようと彼の興味のありそうな話題を振ったり、自分や自分の家がどれほど優秀であるかを語ることに必死だった。
 こういう場で自分をよく見せることよりも食事自体に目を向けるところが、彼に級友達を思い起こさせた。
 そんな五条の視線を感じたのか、椿が顔を上げる。五条が料理に手を付けていないのを見て、少し考えた素振りを見せてから、ゆっくりと口を開く。


「私はご飯を食べたら帰るから、君も好きにしていいよ。忙しいんだろう?」
「まぁね。俺ってば最強だからさ」
「五条家の人には「呪力だけの女に興味はないから追い払った」とでも言っておいてくれ」
「お前めちゃくちゃ自由だな?」
「事前に聞かされた君の言動よりはマシだと思うのだけれど」
「俺は良いんだよ。それだけ呪術界に貢献してるから」
「私はあまり噂を信じないようにしているのだけれど、君は噂通りだったなぁ」


 どんな話を聞いたんだ、と片眉を跳ね上げる。
 しかし椿は「あ、これ美味しい」と頬を緩ませながら、味の染み込んだ煮物を噛み締めている。もう既に、五条のことなど眼中にない。本当に、どこまでも五条に興味が無い様子だった。
 みんなこうだったらいいのに、と五条は嘆息する。
 椿は澄ました顔を崩して、満面の笑みで料理を口に運んでいる。何を食べても美味しくてたまらないと言う顔をするものだから、五条も食事に興味が沸いてくる。


「ねぇ、」
「うん? どうかしたか?」
「どれが美味い? 俺も少し食べてから帰る」
「私のおすすめでいいなら、天ぷらが美味しいよ。衣がサクサクで、ふっくらとした白身魚の口当たりが最高なんだ。茄子のとろけ具合も実に良い」
「お、おう」


 椿のおすすめ通り、天ぷらに箸を伸ばす。確かに衣のサクサクとした歯触りが最高だった。具材の茄子も、舌の上でとろけるようだった。
 炊き込みご飯も味がしっかりと沁みていて、これだけでも箸が進む。だし巻き卵も、中からじゅわりと出汁が溢れる仕上がりだ。


「…………だし巻きもいいぞ」
「分かる。この出汁が溢れてくるのがたまらないよな」
「ここ当たりだな」
「そうだな。全部美味しい」


 結局、五条は椿と一緒に料理を完食した。
 縁談の場で食事を口にしたのも、こういった場を悪くないと思ったのも、初めての経験だった。


「はぁ……美味しかった………」


 恍惚とした表情で、椿が満足げに呟く。
 確かに美味しかった。当たりの店だと思ったのも事実である。しかし、食事を美味だと感じた最大の理由は、食事を全力で楽しむ椿と食べたからだ。
 高専に入学して親友を得た五条は、誰かと食事を摂ることの楽しみを知った。まさかそれを、縁談の場で味わえるとは思わなかった。
 五条のネームバリューや身体に刻まれた術式にしか興味のない見合い相手では、こうはいかない。彼女らは、食事に興味すら示さない。
 ―――――椿となら、もう一度くらい食事の席についても良いかもしれない。そう思った五条は、椿に声を掛けた。


「なら、また来ようぜ」
「えっ?」
「お前との縁談を蹴って他の奴を寄越されるのも面倒だし、上手く行ってるフリしてくれたら楽なんだよね」
「いや、しかし……」
「俺は面倒事を避けられる。お前は美味いもんが食える。悪くない話だと思わねぇ?」
「いや、それは駄目だろう。君はいずれ五条家を継ぐんだろう? なら、血を繋げていかなければならないはずだ。面倒だからと、適当に流して良いことではない」
「俺の子だからって、必ず術式を持って生まれるか分かんねぇし、もっと見聞を広めてから相手を選んでも良いだろ」


 高専が初めての学校生活なんだぞ、と告げると、椿は少し考え込むような仕草を見せた。


「…………確かに、呪術界以外の世界に触れるのも大切だな。呪術師はマイノリティだし、呪術界なんて小さな世界だろう。君の考えも理解出来る」
「お、分かってんじゃん」
「しかし、あまり気乗りしないなぁ……」
「ふぅん……。とんかつが美味い店と、蕎麦が美味い店知ってるんだけど、気乗りしないならやめとくか」
「そうだな。学生のうちに婚約者を決めてしまうなんていくら何でも早過ぎる。しばらくの間は君に協力させて貰おう」
「よっし、交渉成立!」


 お互いの利害が一致した結果、二人は協力関係を築くことを決定した。
 しかし、まさかこの選択を後悔することになるとは、このときの椿には知る由もなかった。




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