幸せの捜索願 番外編






 今日の課題は恐怖の克服だ。
 前に怒りで我を忘れて呪霊を撲殺したことはあるが、依然として恐怖がない訳でない。
 けれど、呪霊に恐怖心を持っているようでは呪術師は務まらない。今日はその恐怖を取り除く訓練をするのだ。

 訓練の内容は簡単だ。呪霊の群れの中を走り抜けるだけである。口で言うだけなら、なんて事ない訓練である。


「………あれ、何級なんだ?」
「安心しろ、たかが二級だ」


 そう、口で言うだけなら。
 けれど、実際は違う。二級相当の呪霊で作られた百鬼夜行の中を駆け抜けるのだ。しかも飼い慣らされた呪霊ではなく、容赦無く襲ってくる呪霊の中を、である。

 呪術師は二級や準一級で頭打ちになる者も少なくはないと聞いている。それと同程度の呪霊を"たかが二級"などと言わないで欲しいものだ。
 無茶だろう、と言いたい。死ぬ以外の道が見えない、と。
 けれど、これはこの先起こり得る事態だ。これ以上の等級の呪霊と交戦しなければならない時だって出てくるのだろう。


「何を怖気付いている。お前はただ駆け抜ければ良いだけだと言っているだろう。あれらを祓えと言うには、お前はまだ弱過ぎる」


 いや、その駆け抜けることが問題だろう。宿儺から離れれば、私は一瞬で喰い殺されて終わりだ。恐らく、構える間もなく。
 実戦の中で命を落とすならまだしも、まだ一度も呪術師として戦ってもないのに、訓練で死にたいとは思わない。
 そんな考えが滲み出ていたのか、宿儺が口角を上げた。


「安心しろ。今はまだ、駆け抜けるだけでいい。お前には指一本触れさせん」
「本当に?」
「応とも。約束は違わん。死線を潜り抜けることに慣れろ。今はそれだけでいい」


 恐怖が、一瞬で霧散した。
 ただ走り抜けるだけならば簡単だ。戦えと言われた訳ではない。進むだけでいいのだから。
 しかも、宿儺が言うのだ。"王"を冠するほどの呪いが、指一本触れさせないと。それを確約してくれたのだ。ならば本当に、指先を掠める事なく、私は進んで行けるだろう。
 なら、怖い事など何も無いではないか。


「分かった。行こう」
「…………ほう?」


 定められたゴールは100メートル程先。宿儺から離れ、ゴールの一直線上に位置を取る。
 一度深く息を吸って、思い切り吐き出す。
 大丈夫。私は駆け抜けるだけでいいのだ。それが呪霊に阻まれた道であろうと、障害は宿儺が取り払ってくれる。ならば、心配する事はない。


「では、走れ!」


 宿儺の合図に、全力で走り出す。
 一斉に呪霊達が襲い掛かってくるけれど、それは宿儺が「解」と「開」を用いて祓ってくれる。
 呪霊の指が、私に掛かることはない。

 走って、走って、走り抜ける。
 ゴールまで一度も脚を止める事なく、私は呆気なくゴールに辿り着く。
 振り返れば、百鬼夜行は綺麗さっぱり消え失せて、スタート地点にいる宿儺が、つまらなさそうにしているのが辛うじて分かった。

 スタート地点に駆け戻り、宿儺に評価を促す。宿儺は期待していた反応とは違う私を、微妙な顔で見下ろした。


「………お前はそう言う奴だったな」
「どう言う意味だろうか?」
「お前は疑うよりも信頼を寄せる馬鹿だったと再認識しただけだ。いっそ阿呆を極めたらどうだ?」
「あなたの実力に疑いの余地はない。撃ち漏らす事はないと確信していた。だから、安心して駆け抜ける事が出来たんだ」
「そこでは無いわ! いや、そこもだが!」
「違うのか?」
「まずもって俺を信用しているところだわ、阿呆め! 俺の実力を持ってすればこの程度の虫ケラ供を一蹴するのは容易だ。だが、俺がわざと撃ち漏らす事があるとは考えなかったのか?」
「…………いや、そんな事は全く考えていなかったし、あなたが約束を破るような事をするとは思えない」
「………………………はぁ………」


 深い深い溜息だった。

 宿儺は約束を破らない。これは事実に裏打ちされた信頼だ。私に信頼されているのは、彼自身の行いなのだ。つまりは自分の行いが私に宿儺を信頼させたのだから、自業自得だと思うのだけれど。


「あなたは"呪い"というには誠実過ぎるんだ。だから信頼されてしまうんだよ」


 特に彼は、強さに対してはどこまでも誠実だ。だから彼を術式に組み込んだ私を、彼は決して無下にしない。
 宿儺はよく私に「そういうところだぞ」と文句を付けてくるけれど、私こそ彼に言いたいのだ。私があなたを信じているのは、あなたの「そういうところだぞ」と。
 にっこりと笑って宿儺を見上げると、彼は盛大に顔を顰めた。




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