幸せの捜索願 番外編
星が瞬き、月明かりが世界を照らす時刻。眠りに落ちた子供達の顔を見ながら、甚爾は長女の中にいる存在に声を掛けた。
「宿儺、聞こえてんだろ。話がしたい」
甚爾の声に、椿の生得領域から宿儺が顕現した。
四本腕に二つの顔を持つ仮想の鬼神。呪いの王。今は椿の術式に組み込まれ、神として伏黒家の人間を守っている。
けだるげな様子で姿を現した宿儺が、冷めた瞳で甚爾を見下ろした。
「お前に聞きたいことがある」
「何だ」
「お前、何故大人しく椿の術式に収まっている?」
椿の術式である『神格付与』は、呪物や呪胎に対して最大の効果を発揮する。対象を神として崇めることで神格を付与し、その見返りを受けられるのがこの術式だ。
神として崇める行為で対象を縛り、『神』という格を与える事への対価を支払わせる。
椿は百日参りを行って宿儺に『神』の格を与え、自分自身と家族を守ることを約束させたのだ。その縛りに従い、宿儺は椿と甚爾達を守っている。
しかし、縛りがあるとは言え、かつて暴虐を尽くした呪いが一介の人間に下るとは思えない。神と成り、性質を反転させても、その本質は変わらない。
「お前なら、いくら大人びているとは言え、子供である椿を言いくるめるくらい訳無いはずだ。縛りを無効にさせるなんて簡単だろ」
宿儺ほどの呪いならば、子供を誑かすくらい訳は無い。いくら椿が年齢と釣り合わない成熟を見せていても、所詮はただの子供。縛りを介助させることなど容易なはずなのだ。
対価の支払い以外に、彼が椿の神様に収まっている理由は一体何なのか。神様に甘んじることで、彼に何の利益があるというのか。
「暇つぶしだ」
「は?」
「俺は『神格』など欲しておらん。この娘が勝手に祀り、勝手に神に仕立て上げたのだ。その上で見返りを寄越せと“伏黒家の守り神”にされたのだ。その分愉しませて貰わねば釣り合いが取れん」
「…………椿の何を持って、暇つぶしをしてるってんだ」
「今はまだ、その時ではない」
「…………?」
時を待っているということだろうか。何かをさせるために、成長を待っているのだろうか。
様々な思考を巡らせるが、納得できる考えは浮かばない。宿儺に続きを促すと、宿儺は椿の前に腰を下ろし、その寝顔を見下ろした。
「この娘が最も輝く瞬間はいつだと思う?」
「輝く瞬間……?」
宿儺の問いに、甚爾は眉を寄せる。けれど宿儺が無駄なやり取りをするとは思えず、椿の顔を見やる。
甚爾にとって椿は娘である。その存在が曇ることはない。弟妹と笑い合っているときが一番生き生きしているように見えるが、彼が聞きたいのはそういうことでは無いのだろう。
椿の一等輝く瞬間を探してみる。
「…………生き様、そのものだろ。親としては、勘弁して欲しいところだが」
「分からんでもない。だが、こいつのそれは完成され過ぎている。本来ならば生きながらに見つけるものを、生まれながらに身につけている」
椿の生き方は蓮の花を思わせる。泥の中から生まれて、天へ向かって咲き誇る。
幼いながらに自分に出来ることを知っている。己が誇れることを知っている。それら全てが、甚爾には眩しく映った。
けれど、宿儺はそれ“つまらないもの“だと一蹴した。
その態度が気に入らず、甚爾はムッとした表情で宿儺を睨み付けた。
「じゃあ、何だってんだ」
「死の瞬間だ」
その答えに目を見開いた。
死の瞬間なんて、無残なものだろう。特に呪術師は、死体さえ残らないことが殆どだ。残っていたとしても、五体満足な遺体が戻ってくることは無いだろう。
「こいつの在り方はすでに示されている。ならば、あとは“終わり”だけだろう」
だと言うのに、この神と成った呪いは、その瞬間にさえも輝きを見出した。それは甚爾にとって、天啓のように響いた。
呪術師は後悔の無い死を迎えることは出来ないと言われている。そんなものに成らざるを得ない椿に、甚爾はいつだって苦悩していた。
呪術師は家族に見守られて死ぬような、幸せな終わりを迎えることは出来ない。誰にも知られず、弔われるべき身体も残らず、何も入っていない棺桶を焼き、中身の無い墓石が用意される。それが多くの呪術師が迎える最期であった。
けれど、椿の最期は独りではない。そのような意図は無いだろうが、彼女の終わりに価値を見出し、見届ける者がいる。
甚爾はきっと、椿の最期を看取ることは出来ない。だから宿儺の言葉は、甚爾にとって救いとなるものだった。彼女が、独りで逝くことはない。それは椿にとっても、希望となり得るのではないか。
話は終わりだと言わんばかりに、宿儺が顕現を解く。甚爾に、そんな宿儺を引き留める言葉を持ち合わせていなかった。
「………………お前、男の趣味悪すぎだろ……」
今にも泣いてしまいそうな震えた声で、甚爾が苦笑する。椿の顔を覗き込んで、その頬を撫でる。
まさか、呪いの王に救われるとは思わなかった。神が居るとするのなら、彼の形をしているのだろうと思わせた。そんなこと、あるはずもないのに。けれどそのくらい、甚爾は宿儺の言葉に救われてしまったのだ。
「変なとこだけ、母親に似るんじゃねぇよ……」
思わず涙が零れそうになって、甚爾は天を仰いだ。