幸せの捜索願






 父に貰った紅紫苑を携えて、私は早速高専に向かった。懸念材料となっていた途中入学の少女が亡くなり、問題が無くなったため、高専に通う許可が降りたのである。
 以前は武器を持つのは拙いと考えていたが、呪術師が呪具を持つのは呪術界のルールでは無罪なのだ。父も飼い慣らしている呪霊の中にたくさんの呪具を隠し持っているという。なので私も「銃刀法違反など知ったことか、バレなければ良いんだろう」という心持ちでいることにした。
 ちなみに今日は仕事の話があるとかで、父も一緒に高専に来ている。ついでに体術の訓練も付けてくれるそうだ。良いことが重なって、今日の私の生得領域にも、きっと桜が舞い散っていることだろう。


「やぁ、久しぶりだね」
「こんにちは、夏油さん」
「よぉ」
「…………どうも」


 今日の監視役は夏油である。彼は私には優しい笑みを向け、父には険しい表情を向けていた。それでも返事を返すのは、幼い私がいるからだろう。
 父とは明確な敵対関係にあったようだから、この対応は頷ける。むしろ、律儀に返事を返すだけ、彼はよほど譲歩している方だろう。


「あれ? それは?」
「父さんに貰ったんです。紅紫苑という刀です」
「そうなんだ。でも、今の君には少し大きくないかい? それに刀は重いだろう?」
「今は身の丈に合わないかもしれませんが、必ず扱えるようにするので大丈夫です」
「そう。君は頑張り屋だね」


 紅紫苑に気付いた夏油に、竹刀袋から取り出した刀を見せる。鮮やかな紅色に包まれた刀身は、今の私には大きすぎる。重さだって、両手で抱えないと持ち運ぶのもきついくらいだ。
 けれど、これは私の守り刀だ。時が来れば、必ずどんな武器よりも私に沿うものとなる。


「今日は何をするんだい?」
「今日は斬撃の習得に向けて訓練をしようと思います。あと、父さんが体術を教えてくれるというので、体術も」
「……それが正解だね」


 渋い顔で深く頷く夏油に、私は首をかしげる。そう言えば、訓練内容は話しているけれど、腕を吹き飛ばしたことは話していなかったことを思い出す。知られたら拙いかもしれないと気付いた私は、人差し指を口元に当てて、「内密に」と口の動きだけで伝えた。
 夏油は更に苦虫を噛み潰したような顔をしながらも頷いてくれた。彼は真面目な人だから、彼の口から私の“失敗談”が語られることはないだろう。


「おう、一丁前に隠し事か?」
「かっこ悪いところを隠したい気持ちは父さんにもあるだろう?」
「はっ、生意気だな」
「それより、先に仕事の話をしてきて欲しい。それまで術式の練習をしているから」
「へぇへぇ。気を付けてやれよ」
「うん」


 校舎内に入っていく父を見送って、いつものように的を並べる。宿儺に出てきて貰って、手本として、一度斬撃を飛ばして貰う。
 改めて宿儺の斬撃―――――「解」の確認作業をこなし、私も的の前に立つ。紅紫苑の鯉口を切る。そして刀身を引き抜こうとして、腕の長さが足りないことに気付く。
 紅紫苑は太刀だ。当時180程の身長の“私”が打った刀である。子供の私に抜けないのは道理だった。
 私が途方に暮れているのを見かねてか、宿儺が代わりに刀を引き抜いてくれる。


「お前にはまだ早いな」
「すぐに伸びるよ」
「まずは手元で斬った方が良いのではないか?」
「そうなんだけど、一度でいいからやってみたいんだ」


 きっとまともに振れないこともお見通しだったのだろう。刀を構えようとする手に宿儺の手が重ねられる。手助けをありがたく受け止めて、刀を構える。
 深く息を吸い込んで、呼吸を整える。呪力を刀に纏わせて、真っ直ぐに的を見つめて、私は刀を振り下ろした。

 ―――――バゴン!

 的にしていたペットボトルが、くの字に曲がって吹き飛んだ。


「―――――飛んだ」


 斬撃というには程遠い。けれど初めて呪力が飛んだ。


「宿儺! 見たか? 飛んだぞ! 初めて呪力を飛ばせた!」
「ほう。剣の軌跡を斬撃に見立てたのか。お前にしては考えたのではないか?」


 はしゃぐ私に宿儺が満足げな表情を浮かべる。ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられ、頬が緩むのを止められない。


「宿儺、もう一回やりたい。今の感覚を忘れる前に」
「分かった、分かった。そうはしゃぐな」


 呪力を飛ばす感覚を見失わないように、何度も何度も繰り返す。もう一回もう一回と何度も強請って、何十回と呪力を飛ばす。


「椿ちゃん、そろそろ休憩にしよう。お父さんも戻ってくる頃だろうし」
「あ、はい」


 夏油に声を掛けられ、宿儺に手伝って貰って刀を納める。
 丁寧に竹刀袋にしまって、夏油の元に駈けていく。
 今日の成果としては、時折失敗することもあったけれど、概ね的に当てることが出来た。
 また、最後の数回はほんの少しだけ、呪力が鋭さを持っていた。上手く行けば、数日のうちにきちんとした斬撃が飛ばせそうだった。
 才能があるとは言いがたい私にしては、なかなかの結果だった。


「すごいね、椿ちゃん。呪力を飛ばせたね」
「ありがとうございます。でも、まだ最初の一歩です」
「その一歩が大事なんだよ」


 座って休むように促され、夏油の隣に座る。少し呪力を使いすぎたようで、疲れを感じ始めていたのでありがたく従った。
 いつもならすぐに生得領域に引っ込む宿儺も、今日は機嫌が良かったらしく、私の隣に座った。


「刀を使って斬撃が飛ばせるようになったら、刀無しでも飛ばせるようになりたいんです」
「おや、それはどうして?」
「刀を奪われたら戦えなくなるじゃないですか」
「なるほどね」
「それに、ブラフにも使えると思うんです。ずっと刀を使って攻撃していたら、それが攻撃手段だと思ってくれると思うんですよ。そうすると、相手は刀を奪おうとするでしょう? そして、刀が手元から離れた瞬間を隙だと思ってくれるんじゃないかと」
「…………君、本当に6歳?」


 夏油が苦笑する。私は咄嗟に口を閉じた。
 確かに6歳の子供の言葉ではなかった。いや、そのように装ってはいないけれど、危うい立場で疑われるのは拙い。
 けれど、呪術師をしているからか、彼の感覚は普通とは違ったらしい。それ以上追求されるようなことはなく、「そういうことを考えるのはまだ早いよ」と優しい言葉を掛けられるだけだった。
 その時の彼の苦笑は酷く悲しげで、一瞬だけ張り詰めたような気配を感じるほどだった。


「夏油さん……?」
「それより、お父さん遅いね。探しに行くかい?」


 話の内容と共に、夏油の顔がにこっと明るい表情に切り替わる。何だか嫌な予感がしたけれど、よほど触れられたくない事であるようだった。
 けれど、何となく放っておいてはいけないような気がして、彼に質問を投げかけようとしたとき、暇そうに空を眺めていた宿儺の視線が動いた。


「いや、その必要は無さそうだぞ」


 宿儺の言葉に、父の姿が視界に入る。戻ってきた父の顔は真っ青で、誰かに私の話を聞いてしまったことを悟り、私は天を仰いだ。




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