幸せの捜索願






 今日も高専での特訓を予定していた。けれど予期せぬ事態が起こって、結局は取りやめになった。
 断りの連絡を入れていないなとか、そろそろ帰らないといけないとか、いろいろしなければならないことはあるのに、身体が言うことを聞かない。動かなければならないのに、身体が動きたくないと訴えてくるのだ。
 私が何も言わないからか、宿儺は私の隣で腰を下ろしている。私も座り込んで、膝を抱える。
 心は晴れた。宿儺の気遣いが心に沁みたのだ。けれど、何だか身体が重くて、動きたくないような気がする。
 ぽすり、と宿儺の腕に頭を預ける。嫌がられるかとも思ったけれど、宿儺は何も言わなかった。

 ―――――強者の傍は、安心する。
 宿儺は圧倒的な強者だ。だから彼の傍は危険が少なくて、心穏やかに過ごせる。
 父の包容力とはまた違った、大いなるものによる庇護を感じる。樹齢何百年にもなる大木に身を預けているような気分になるのだ。
 このまま眠ってしまえたら、きっと夢も見ないほど深く眠ることが出来るだろう。そう思って目を閉じようとしたとき。


「椿―――――!」


 聞き覚えのある声が聞こえて、顔を上げる。白銀の髪を乱しながら五条が駆け寄ってくるのが目に入った。


「やっと見つけた! こんなところで何してんだよ、お前!!」
「五条さん……? 何で、ここに……?」
「何でって……。いつも来ないときは連絡あんのに、何の連絡もないから家に電話したんだよ。そしたら家に居ないっていうし……。傑が何かあったんじゃないかって言い出して、みんなで探してたんだよ」


 おっさんも探してんだからな! と五条が不満げに腕を組む。
 ああ、心配を掛けてしまったな、とぼんやりした頭で父達の顔を思い浮かべる。


「一体何があったわけ? もしかして宿儺になんかされた? ここまで結構距離あるし、宿儺が連れてこなきゃ来られないでしょ」
「はぁ? 仕掛けてきたのはそちらだろうが」
「あ゛ぁ? 俺らが何したって言うんだよ?」


 私が何か言う前に、宿儺が答えてしまう。二人の間に火花が散ったような気がした。


「貴様と同じ学び舎の女だ。この娘の心を抉ったのは」
「…………途中入学の女か」


 宿儺の言葉に五条が目を見開く。
 思い当たる節があったのか、五条が剣呑な表情を浮かべる。


「…………椿、ちょっとこっちおいで」
「……? なに、五条さん」


 五条の言葉にゆっくりと立ち上げる。少し頭が揺れたような気がしたが、気のせいだろう。五条の言うとおり、五条の前に立つと、彼は私と目線を合わせるために膝を折った。


「ホントに宿儺には何もされてない?」
「はい。宿儺はその人から逃げるのを手伝ってくれただけです」
「…………そう」


 躊躇いがちに、ぎゅっと抱きしめられる。背中に回った手が、宥めるようにぎこちなく背中を撫でた。
 らしくない、と思わせる行動だった。不遜な青年がするには優しすぎる抱擁だった。
 あんまり私を良く思っていない相手がする気遣いではない。それだけ心配を掛けてしまったのだろうかと、少し不安になる。


「……? 五条さん……?」
「宿儺の言う女に、何されたか教えてくれる?」


 五条の言葉に、思わず口ごもる。特に、何かをされたわけではないのだ。ただ、私の弱さを指摘されただけ。それに傷付いたのは、私の勝手だ。


「………ごめん、なさい」
「……何で謝るの」
「“ここ”に居るのは間違っていると言われて、疑って、しまったんだ。大切な人達の、私を想う言葉を」


 酷く、悔やんでいる声が出た。言葉も後悔が滲んでいた。
 もっと淡々と話すつもりだったのに。どうしても感情的になってしまう。


「あの人の言葉なんて、聞き流せれば良かったのに。もっと、信じたい人達がたくさん居るのに。なのに、私は、あの人の言葉が正しいって、そう思ってしまって……」


 聞き流したかった。世界を識っていると言っても、私を識っている訳ではないだろうと、聞き流したかったのだ。
 けれど、あまりにも核心を突いた言葉だったから。無視をしたり、受け流すことが出来なかったのだ。
 だって、私のせいで、恵が呪術師になろうとしている。私が不甲斐ないばかりに、家族に心配を掛けてしまっているのだ。


「……私のせいで、恵が呪術師になろうとしているんです」


 家族を守りたいと。家族みんなで一緒に過ごしたいと、そう思って生きることを選んだのに。なのに、私の選択が、あの子に茨の道を歩かせようとしている。
 だから、私の存在が間違っていると言われて、それを正しいと思ってしまったのだ。


「私が、私が弱いから。私が不甲斐ないから……!」


 改めて口にすると、何だか涙が溢れてきそうになって、たまらない気持ちになる。


「…………お前って、ガキだったんだなぁ……」
「…………そうです。だから、どうしていいか分からなくて、逃げてしまったんです。でも、もう大丈夫です」
「どうして?」
「宿儺が励ましてくれたので、その言葉を胸に頑張ってみようかと」
「………………あいつ、人を励ましたり出来んの?」


 五条が呆然とした表情で宿儺を見やる。宿儺は嫌そうに顔を歪めていた。

 そう。宿儺の言うとおり、私一人の存在で、世界を変えるなんて大それた事が出来るわけが無いのだ。
 私がきっかけになってしまったのは事実だけど、恵には力がある。私や父が教えなくても、いずれ呪術師について知ってしまうときは訪れただろう。私がいくら遠ざけようとしても、向こうから寄ってきただろう。それだけのものが、恵にはあるから。


「ま、大丈夫って言うなら信じるよ」


 もう一度背中を撫でられ、身体を離される。


「っていうか、お前なんか身体熱くね?」
「え?」
「え? もしかして熱ある?」


 ああ、なるほど。だから頭がぼーっとするのか。ふわふわしたこの感覚は、ここしばらく感じたことのないものだったから、全然気付かなかった。


「よく見たら顔真っ赤じゃん! ちょ、硝子~~~!」
「おい待て。高専にはあの女がいるだろうが」
「あ゛ああ、そうだった! なら病院!!」


 問答無用で抱えられ、物凄い早さで走って行く。景色が、後ろへと流れていく。
 父とは違うあたたかさに包まれて、私の意識は暗闇の中に落ちていった。




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