幸せの捜索願
―――――正直、行き詰まった。高専の一角で、私は途方に暮れる。
図鑑を眺めたり、出来るだけ包丁に触れたり、いろいろと試してみたけれど、どうしても呪力の刃物の切れ味が上がらない。鈍器以上のものにならないのだ。
このままでは最終目標である「宿儺の術式の使用」なんて夢のまた夢だ。
人に見られたら拙いが、包丁を持ち出すしかないのだろうか。
少し考えて、宿儺を見上げる。
「……なぁ、宿儺。あなたは反転術式が使えるんだよな?」
「む、それがどうかしたか?」
「どの程度の回復が見込めるんだ? 肉が抉れたり、四肢を失ったりすると、復元は難しいか?」
「いや、その程度なら余裕だが。はて、何を考えている?」
どんなものが飛び出てくるのかと、胸を躍らせる凶悪な笑み。子供のようにはしゃいでいるが、彼の期待しているようなものは出てこない。
「そんな大層なことではない。一度あなたの斬撃を受けてみれば、術式の理解が進むのではないかと思って」
「ほう?」
「治せるなら腕くらいなら落としても……。いや、ショック死してしまう可能性もあるな。上手い具合に、死なない程度に斬撃を当ててくれないか?」
「「待て待て待て待て!!!!!」」
私と宿儺のやり取りに、今日の監視役である夏油と七海からストップが掛かる。
七海が私を抱えて宿儺から距離を取り、夏油が両手を広げて宿儺から私を隠す。その向こうで、宿儺が腹を抱えて笑っていた。
「何を言ってるんだ、君は!!?」
「宿儺の攻撃を受けるだなんて、命がいくつあっても足りませんよ!?」
「大丈夫です。彼が治してくれます」
「何を持って大丈夫だと言っているのかさっぱり分からないんだが!!?」
「もっと自分を大事にしなさい!!!」
二人が必死で私の説得を試みる。確かに危険な実験かもしれないが、宿儺は嘘を付かない。嘘を付く必要がないくらいに、実力と実績に裏打ちされた自信があるのだ。だから、彼が治せるというのなら、確実に治せるのだ。
何が面白かったのか。笑いに笑って、ようやく落ち着きを取り戻した宿儺が私の元にやってくる。
「お前を“呪術師に向いてない”と言った奴は見る目がないな」
「……ならあなたは、私が呪術師に向いていると思っているのか?」
「いや? だが才能がないわけでは無い。お前は道化の才能に溢れている」
「そうかな。私はそうでもないと術式の本質が見えないと思っただけなんだが」
「その考えが実に面白い。究極の阿呆だな。だが呪術師など、そのくらいの阿呆の方が長く勤まる」
宿儺の言葉は真理なのかもしれない。呪いは人間の「負」の感情から生まれるもので、それを間近で見続けるのは心を病みそうだ。思慮深い人や正義感の強い人には辛い仕事だろう。抱え込んでしまって、潰れてしまう人も多そうだ。
宿儺の言葉に不快感を抱いたらしい二人が顔を顰めながら、更に私を抱え込む。
心配はありがたいけれど、特訓を続けたい私としては少し困る。腕を外して欲しくて腕を叩くと、不安そうな顔が私を見つめた。
「他の技はないんですか? 行き詰まってしまったのなら、息抜きをしても良いと思いますよ」
「そうだね。自分の身体を痛めつけるのは良くない。もっと別のことに目を向けよう」
「そうですね。それなら、炎が使えると聞いています」
「炎……?」
「俺は炎も弓のように使っているが。まぁ、どうにかなるか」
「そっちも遠距離攻撃か……」
悉く苦手なものばかりで、私は思わず苦笑した。本当にどうにかするしかない。
「一度見せて貰っても?」
「構わんが、吹き飛ぶぞ?」
「……出来れば威力を抑えてくれ」
「面倒な……」
宿儺が手を重ねる。その重ねた手の中で、呪力が練り上げられる。一瞬、凄まじい熱気に襲われた。
けれど、その熱気はすぐに小さくなる。威力を殺すために、火力を抑えているのだ。
弦を引き絞るような動作を取り、炎の矢を構える。次の瞬間、的として置かれていたペットボトルがスコンという間抜けな音を立てたかと思えば、一気に燃え上がった。
「…………すごい」
美しい、と思った。火の鳥が、羽ばたいたようだった。
「本当に炎を……」
「一体何の術式なんだ……」
七海や夏油が、驚愕の中に警戒を混ぜたような声を上げる。
けれど、彼らの言葉は私の耳を素通りしてしまって、内容を理解してはいなかった。
「一度やってみろ。掌に呪力を集中させてみろ」
「分かった」
宿儺の隣に駆け寄り、掌に呪力を集める。
炎には、縁がある。刀は、炎の中で作られる。刀を打った経験もある。あのときの熱は、今なお色濃く記憶に残っているのだ。
記憶を呪力に流し込む。呪力を炎に変換させるイメージで、呪力を練り上げていく。
「…………あ、」
―――――拙い。あのときの、激情まで―――――……。
私の掌から、破裂音が響いた。炎が爆ぜたのだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」
掌が弾け飛び、腕が焼かれる。凄まじい痛みが脳を突き抜け、一瞬意識が飛んでいった。
そのまま、意識を失ってしまいたかった。けれど、あまりの痛みに、意識が朦朧としたかと思えば、次の瞬間には激痛で覚醒してしまうのだ。
慌てた様子の七海達が駆け寄ってきて、地面に転がった私を抱き起こす。
「ほう? 失敗はしたが、そこそこの威力だったな」
「っ! 宿儺! 治せるなら早く治せ!!」
「……はぁ、うるさ。邪魔だ。治せというならば退け」
宿儺の手が私の手に翳される。あたたかな呪力に包まれて、すぅと痛みが引いていく。
弾け飛んだはずの手首が元に戻って、焼け爛れた腕が綺麗な色を取り戻す。
もう大丈夫だという安心感を抱いて、ほぅと息をつく。
「ありがとう、宿儺………」
「早速道化の才能を見せつけた褒美だ。気にするな」
「はは。滑稽というか、無様だったろう?」
「そうさな。のたうち回る様は芋虫のようだったぞ?」
ニヤニヤと嗤いながら、宿儺が私を見下ろす。
私をこき下ろす宿儺に、夏油達が不快感を顕わにして、端正な顔を盛大に歪めた。
「おい! 今の爆発なんだ!?」
先程の爆発音が周囲にも響いていたのか、五条が血相を変えて駆け寄ってくる。
今日の彼は単独任務を任されていたはずなのだが、もう終わらせて帰ってきたのだろうか。
「悟!」
「おい、何があったんだ? 何で椿はぐったりしてんの」
「こんにちは、五条さん。ちょっと失敗してしまって、腕を吹き飛ばしてしまったんです」
「腕を吹き飛ばしてしまったんです!!?」
白銀の睫毛に縁取られた空色の瞳を、まん丸に丸めて、驚愕の表情を浮かべる。
腕を治して貰い、手を吹き飛ばした衝撃も引いた。身体を起こし、もう一度宿儺の隣に立つ。
七海の困惑の声と、夏油の制止の声、五条の混乱した声が私に掛けられるが、特訓を止めるつもりはない。
「続けるのか? また腕を吹き飛ばすかもしれんぞ?」
「たかが腕が吹き飛んだくらいで、立ち止まるわけにはいかないだろ……!」
きっと私は、酷い顔をしていた。
あんな痛み、二度と味わいたくない。けれど強くならなければ何も守れない。
重ねた手が震えている。もう一度腕を失うかもしれないという恐怖に怯えている。
けれど私は笑って見せた。誰が見ても虚勢だと分かるだろう、滑稽な笑みだったと思う。
「…………なかなかそそる顔をするではないか」
宿儺が目を細める。加害したくてたまらないというような、凶悪な顔だった。
少しばかり、怯んでしまった。足が震えたけれど、それでも、私は逃げるわけにはいかない。
私には、大切なものがあるのだ。
挑むような視線で、宿儺を睨み付ける。そんな無様な私を、彼は愉快でたまらないといった風情で見下ろしていた。
「ケヒッ、俺が何度でも治してやろう。お前の心が折れるまで、何度でも、な」
「……ははっ、」
私は思ったより負けず嫌いなのかもしれない。
私の屈服を望む宿儺に、絶対に折れてなるものかと、私の心に火が付いた。