かつて審神者だった少女






 担任の教師だと紹介されたのは、酷く美しい男だった。
 見上げるほどの長身。均衡の取れた体躯。指通りの良さそうな白い髪。わずかにずらされたアイマスクから覗くのは、宝石と見まごうブルーの瞳。隠されていても見て取れる日本人離れした顔立ち。
 五条悟という男は、神様の寵愛を受けて作られたと言っても過言ではないほどに完璧な見た目をした人間だった。


「五条先生!」
「おつかれサマンサー!」
「ったく、遅いわよ! 椿さんのこと、めちゃくちゃ待たせちゃったじゃない!」
「ごめんごめん。これでも急いで帰ってきたんだよ?」


 ―――――すごく既視感があるな。
 軽快に躱される生徒達とのやり取りに、胸に郷愁が過ぎる。
 五条は軽薄そうな口ぶりで儚さがかき消されてしまうタイプだ。前世で見た目詐欺の代表として名を挙げられることの多かった真白の刀を思い出す。彼とは系統が違うけれど、見た目詐欺という点では同じだった。もっとも、椿の元にいた彼は、見た目と言動が一致する、珍しいタイプの鶴丸国永だったけれど。
 つらつらと過去の思い出を振り返っていると、生徒達とじゃれていた五条が椿に笑いかけた。


「どうもー! 悠仁達の担任の五条悟でーす!」
「初めまして。清庭椿です。お忙しいところを、わざわざご足労頂いたようで申し訳ないです」
「椿ってばかったーい! もっと気楽に行こうよ」
「貴様が軽薄なだけだろう」
「―――――僕はお前に話しかけてないよ」


 宿儺の悪態に、五条が宿儺を睨め付ける。一触即発と言った雰囲気に、霜が降りたような寒気を覚えた。
 きっと相性が良くないのだろうな、と椿が宿儺に声を掛けた。


「宿儺、誰彼構わず喧嘩を仕掛けるのは良くない。普段の君はもっと落ち着いているだろう?」
「俺は事実を述べたまで。乗ってきたのは奴の方だ」


 ふん、と鼻を鳴らし、宿儺は煩わしそうに顔を顰めた。
 けれど、椿の声かけで五条への興味が失せたようだった。それ以上、五条について言及する素振りはなく、大人しく椅子に座っている。
 宿儺がこれ以上事を荒立てる気がないのを見て取ると、椿は改めて五条に向き直った。


「すいません。彼のことは気にしないでください」
「いーよ。君が謝ることじゃないし」
「それで、私の異能を調べたいんですよね?」
「そうだね。ちょっと見せてもらえれば大丈夫だから、すぐに済むよ」


 そう言って、五条がアイマスクを取り払う。青い瞳が、椿を覗き込んだ。
 宝石のように美しい瞳だ。けれど、それだけではない。“吸い込まれそう“というには空恐ろしい感覚に襲われる。“見透かされている“なんて、それすらもかわいらしい表現に感じる。深淵に引きずり込まれる。そんな表現がピタリと合致する。
 それは―――――。


「ひび割れた空か、底無しの海か」


 唐突に、ぽつりと落とされた呟きに、椿を見つめていた五条が首をかしげる。


「―――――ああ、すいません。あなたの瞳を見て、海か空だと思ったんです」
「…………ふぅん。椿にはそんな風に見えるんだ?」
「はい。綺麗だけど、恐ろしい。恐ろしいけれど、冷たくはない。そんな風に思います」


 五条の瞳は、よく宝石に例えられる。分かりやすく、価値があることを相手に伝えられるからだ。
 もちろん好意を持って言われることも多いが、下心や悪意が含まれていることも多い。
 けれど椿は五条の瞳をありふれた物に例えた。
 五条の気を引こうと、変わった物に例える相手も居たが、椿はそういう考えを持っているわけではないのだろう。椿には、悪意も邪気もない。裏も表もなく、ただ真っ直ぐに、自分の所感を告げているだけ。
 それは若さ故の無謀ではなく、椿自身の気質なのだろう。自分の心に、ひたすらに素直なのだ。


「それって褒めてるの?」


 けれど、少しばかり心外だ。初対面の相手に“恐ろしい”と表現するのはいかがなものか。最も、誰が相手でも不遜な物言いをする五条が言えたことではないが。


「はい。果てしない深さを持っているようで、どこまでも広がり続けているようで。でも、だからこそ、恐ろしい。自分の手には負えないものだと、はっきりと感じ取れてしまうから」
「………………なるほどね」


 心の中で「心外だ」と悪態をついたことを撤回する。この少女は、本質を覗くのが上手いのだ。暴いているのは自分であるはずなのに、こちらが暴かれているように感じてしまうくらいに。
 術式を持っているのに呪霊が見えないのも、そのせいなのではないだろうか。呪霊なんて、見えても良いことなんてない。そんなものの本質が見えてしまえば、深い傷を負うだけだ。彼女の本能とか、そう言った大切な部分が、自己防衛のために見なくて良いものに対して目隠しをしているのだろう。
 だからきっと、この少女の力は成長しない。
 呪術師としての才能については何とも言えない。仮にあったとしても、防衛本能がその開花を拒むだろう。


「…………うん、問題なさそうだね!」
「ホント!?」
「ホントホント! だってこの子、めちゃくちゃ弱いし!」


 呪術師として高専に迎え入れるとか、最悪の場合、処刑などの重い処罰が下されるのではないかと心配していた虎杖がほっと胸を撫で下ろす。後半の「弱い」は余計だが、心配性な幼馴染みの先輩をほの暗い世界に巻き込まなくてすむことには心底安堵した。
 そんな虎杖を安心させるように、五条が言葉を重ねる。


「椿の術式はすでに完結してるんだよ。物に宿る思念を励起させる。それが最高到達点。これ以上は成長しないんだ」
「受肉とは違うんですか? さっき、宿儺が食事をしていましたけど」
「違うね。椿が出来るのは“物との意思疎通”まで。食事が摂れているのは、励起させたのが宿儺だからだ。宿儺が椿の術式を底上げしてるって感じかな。ま、椿の方が雑魚過ぎて足を引っ張りまくってるおかげで、流石の宿儺でもそこまでが限界みたいだけど」


 椿に出来るのは思念体の形成。それを宿儺が押し上げる形で、ようやく他の物に干渉することが出来るようになるのだ。
 けれど、宿儺に出来るのはそこまでなのだ。干渉できるのは最低限。彼の望む受肉や鏖殺なんて夢のまた夢である。
 五条が「椿が弱くて良かったよね~」と茶化すような笑みを浮かべる。椿は五条の不快な物言いを、考えの読めない笑みで受け流した。


「だから放っておいても問題なし! というかむしろ、呪霊と関わらせない方が良い。こちら側に来るには、あまりにも平凡すぎるから」


 それはそうだ、と一同は納得する。
 一瞬の油断が命取りになるような戦場で、椿のような平和を愛する市民が生き残れるわけもない。仮に生き残れたとしても、先に心が死んでしまうだろう。そのような未来が、手に取るように分かった。


「…………つまり、私はこのまま、日常に戻っても問題ないということですか?」
「そういうこと! でも、もう宿儺とは関わらない方が良い。あいつと関わると、ろくなことがないよ」


 軽い口調で告げられた言葉に、椿は目を見開いた。
 また、失わなければいけないのかと、椿の目に絶望の色が乗る。それを見て取った五条が、うっすらと笑みを浮かべたまま首をかしげた。


「そんなに宿儺に会えないのがさみしいの? 普通、関わらなくて済むことを喜ぶんだけど」
「―――――いつか、別れのときが来ることは覚悟していました」


 椿は宿儺の正体を知らない。どのようなことを成したのかも。何故、虎杖や五条達に敵愾心を向けられているのかも。何も知らないのだ。
 だからきっと、彼との別れは死別だと思っていた。木箱の中身が壊れるのが先か、椿が寿命を迎えるのが先か。そんな風に考えていたから、もっと永いときを、友人として過ごせると思っていたのだ。


「私の一方的な想いであれ、私は彼を友人として慕っていました。だから―――――さみしいです」


 哀愁のこもった瞳だった。けれど、さみしいと口にした次の瞬間には、覚悟を決めているようだった。
 その顔を見て、認識を改めなければならないかもしれない、と五条は口元を引き結ぶ。
 人の心が折れる瞬間に何度も立ち会ってきた五条だからこそ、認識出来た椿の強さ。彼女は、何度もくじけてきた人間だ。その中で、何度も心を折ってきたことだろう。けれど彼女はそこから立ち直り、顔を上げることが出来る人間であるようだった。
 ほんの少しだけ、惜しくなる。彼女のような存在は、きっと誰かの光となるから。


「ふん、馬鹿馬鹿しい」


 宿儺が、いかにも面倒くさそうに吐き捨てる。
 虎杖たちはそんな宿儺に顔を顰めるが、椿は努めて冷静な表情を保っていた。
 ひた、と両者の視線が交わる。椿の力強い瞳の輝きを見て、宿儺が笑ったような気がした。


「それが宿命であるならば、また会えるであろうよ」
「―――――ああ、そうだな」


 宿儺の素っ気ない言葉に、椿が破顔する。それはきっと宿儺の示す、最大の親愛だった。
 きっと、彼と椿が交わることはないだろう。けれど、二人が共に過ごした時間は確かに存在していて、その記憶は両者の記憶にはっきりと刻まれている。
 それは絆と呼べるようなものではないかもしれないけれど、確かに結ばれた縁だった。
 そんな些細な幸福をかみしめて、椿は花のような笑みを浮かべた。




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