かつて審神者だった少女






 椿達は呪術高専に向かうこととなった。宿儺を顕現させる椿の術式を放置することが出来なかったためである。
 本来なら部外者は立ち入り禁止であるのだが、この件に関しては呪いの王が関わっている。部外者云々と理屈を捏ねている場合ではないのだ。高専に連絡を取ると、任務が終わり次第、担任の五条悟が帰還するということだった。
 おそらく椿には、何かしらの処罰が下されるだろう。椿には、椿の異能について調べるためという理由で高専に招いたが、嘘をついた罪悪感と、この先に待ち受けているかもしれない残酷な未来が脳裏をよぎり、彼らの足取りは重い。
 五条が何とかしてくれる事を祈りながら、彼らは出来るだけ明るく振る舞った。和気藹々と、自己紹介と近況報告を行う。
 ちなみに宿儺の言った「小僧の中」発言はうやむやにしてある。この件を善良な一般人に話すのは憚られたためである。


「へぇ、悠仁は高専に通っているんだな。編入するの、大変だったんじゃないか?」
「ちょっと特殊な学校でさ、そんな大変じゃなかったよ」
「特殊?」
「宗教色が強いんです。それで入学者自体が少なくて、編入生に対して寛容なんです」
「そうなのか」


 嘘だろうな、と椿は気付いていた。
 特殊な学校であることは確かだろう。普通の人間には目視できない宿儺の姿をその目に写している時点で、彼らは“普通”から逸脱している。おそらく彼らの学校は、そういう“特殊”な人間が集まっているのだ。
 彼らの通う学校に向かう理由も、椿の異能について調べるためと伝えられている。
 けれどきっと、それだけが理由ではないだろう。彼らはその異能を“術式”という名称で呼んでいた。だからおそらく、彼らは椿の能力についてのおよその見当はついているのだ。

 ―――――彼らはきっと自分以上に、たくさんのものが見えている。

 虎杖の転校も、これが関わっているのではないかと考えている。
 一般人には持ち得ない超常的な能力。普通の人間には見えない物が見える特殊な視界。
 それらを持つことが幸福なことなのか、そうでないのかは椿には分からない。けれど、こうして友人に恵まれているのだから、ただ不幸なわけではないだろう。
 ただ、一つ気がかりなのは、誰にでも分け隔てない虎杖が宿儺に対しては良い印象を持っていないと言うことだ。それほどまでに邪悪な存在なのだろうか、と内心で首をかしげる。
 ちらりと見やった宿儺は、こちらに無関心な様子で街並みを眺めていた。


「悠仁なら大丈夫だろうと思っていたけれど、上手くやっているなら良かったよ」
「へへ、ありがとう、椿先輩!」


 内心を悟らせないように柔らかく口角を上げると、ほんの少し照れくささを滲ませながら虎杖が嬉しそうに笑う。それを見た釘崎が不思議そうに訊ねた。


「仲良いんですね?」
「家が近所で、小さい頃からの付き合いなんだ」
「そう! 小学校から一緒なんだよね」
「そんなに長い付き合いなんだ……」


 和気藹々と話しているうちに、彼らは高専に到着した。椿は物珍しげに辺りを見回している。


「今、みんな出払ってて誰もいないっぽいんだけど、担任の先生がすぐに帰ってきてくれるって」
「分かった」
「っていっても、いつ帰ってくるか分からないんでしょ? その間、手持ち無沙汰ね」
「確かにな~。映画でも見る?」
「お前、もうちょっと緊張感をだな……」


 ああでもないこうでもないと言いながら建物内に入ると、ぐう、と誰かの腹が鳴る音が響いた。
 咄嗟に腹部を押さえたのは虎杖で、気まずげな笑みを浮かべている。


「あんたね……」
「だって腹減ったんだもん、しょうがないじゃん!」


 釘崎に呆れたような顔を向けられ、虎杖が反論する。
 育ち盛りの健全な高校生。いくら食べてもあっという間にエネルギーとして消費されてしまう。
 気持ちは分かるけれど、あまりの緊張感の無さに伏黒が肩を竦めた。


「ふふ。材料があるなら、何か作るけど」
「ホント!? 椿先輩のご飯めっちゃ好きなんだよね! 俺の部屋に野菜とかあるよ!」


 そう言って、伏黒達が止める間もなく子犬のように駆けていく虎杖の背中を虚しく見つめる。
 申し訳なさそうに椿を見つめる伏黒達に椿が「構わないよ」と淡く微笑む。


「君達も良かったら食べて欲しい。静かに食べる食事も良いけれど、誰かと一緒に食べた方が美味しいからな。悠仁もその方が喜ぶだろうし」
「あ、はい、いただきます……」
「ありがとうございます……」


 情の深い人間なのだろう。幼馴染みの後輩を心の底から慈しんでいるのが分かる。柔らかな笑みは、晴れ渡る空のように一点の曇りもない。
 宿儺を顕現させる術式を持っているという点を除いては、本当にただの善性の人間なのだ。この後のことを思うと、どうしようもなく気が重くなる。そのくらい、呪術界において両面宿儺の存在は重大なのだ。それを顕現させたとなると、秘匿処刑もあり得ない話ではない。


「宿儺も食べるだろう?」
「ああ」
「目の前で作るのは初めてだから、緊張するな」
「お前がその程度で緊張などするか」


 椿が宿儺に声を掛けたことで、釘崎達の肩がギクリと跳ねる。
 宿儺は椿の術式の影響か何なのか、彼女には友好的な態度で接している。
 けれど、呪いの王の悪辣さをよく知っている呪術師達は彼女の迂闊さが気が気でない。言葉一つ間違えれば、その瞬間に首が地面に転がってもおかしくはないのだ。いくら表面上は親しくしていたとしても、その内面を知る術を彼らは持ち合わせていないのだから。


「あの人、ほんっっっと怖い……!」
「同意する……!」


 椿がキッチン内を見て回るのを目で追う宿儺の背中を見ながら、伏黒達は鳩尾を押さえた。
 平凡な善人は歓迎するところだが、宿儺に対する気安さだけは頂けない。



***



 虎杖達がかき集めた食材を元に、椿が料理を作っていく。
 料理人とまでは行かないまでも、親の庇護下にある年齢にしては驚くほど手際が良かった。
 そして出来上がった料理は6品。ショウガとマイタケの炊き込みご飯に大根の葉と油揚げの味噌汁。大根とツナの煮物、ナスとピーマンの肉味噌炒め、ナスと挽肉のグラタン、ピーマンとツナのチーズ焼きである。
 限られた食材で作ったため、食材の使い回しはご愛敬だ。


「すっご……。材料そんなに多くなかったわよね?」
「同じ食材から全然違う料理って出来るんだな……」


 家事スキルがそこまで高くない伏黒達が感嘆の声をあげる。
 椿としては食材が被ってしまって申し訳なく思っていたが、褒められるのは純粋に嬉しいものだ。


「和洋が混ざってしまって悪いな。料理は好きだけど、レパートリーがそこまで多くないんだ」


 時間と効率を優先して調理をするとき、使う調理器具が被らないようにするのが椿流だ。鍋で具材を煮込んでいる間に、オーブンで他の料理を焼き上げる。その間にフライパンでもう一品という風に、効率よく作業が出来るからだ。
 椿が作れるレパートリーと材料の兼ね合いから、結果として和食と洋食が入り交じった食卓が出来上がったのである。


「いえ、全然! 私、和食も洋食も好きです!」
「なんか、家庭の食卓って感じで、良いと思います」
「ありがとう。どうぞ、冷めないうちに食べてくれ」


 ほんのり色のついたツヤツヤのお米。ほかほかと湯気を上げる汁物。香ばしい香りを漂わせるおかずの数々。それらは育ち盛りの少年少女の食欲を盛大に刺激した。
 三人が待ちきれないとばかりに手を合わせる。


「「「いただきます!」」」


 声を揃えて、我先にと箸に手を伸ばす。
 各々が気になった料理を小皿に盛り付ける。


「あ~、油を吸ったナスってどうしてこう美味しいのかしら。とろとろでたまんない!」
「分かる」
「大根も味がしみててうまぁ……。やっぱ椿先輩の煮物最高!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 宿儺はいつもの澄ました顔をしているが、学生達は口いっぱいにご飯を詰め込んでその顔を溶かしている。その顔を見て、椿は嬉しさとほんの少しの悔しさを抱えた。
 煮物はもう少し柔らかくなるまで煮込みたかったな、とか。各々の好きなものを作ってあげたかったな、とか。


「あ、あの……」
「うん?」


 おずおずと、伏黒が伺うような目で椿を見つめる。


「ご、ご飯のお代わりってありますか……?」
「まだまだあるよ。さっきと同じくらいで良いかな?」
「いえ、自分でよそいます。ありがとうございます」
「めっずらし。あんた普段お代わりなんてしないじゃない」
「良いだろ、別に」
「俺もお代わりしたい! 俺の分もある?」
「あ、私も!」


 椿は彼らの普段の食事量を知らないが、伏黒がお代わりをするのは珍しいらしい。彼の後を追って虎杖たちもお代わりをよそいに行ったし、それだけ気に入ってもらえたのかな、と椿の口元が緩む。


「宿儺も食べるか?」
「ん、」


 言葉少なに、米粒一つもないお茶碗を差し出される。
 普段はお弁当なのでお代わりが必要かどうかを聞いたことはない。だから素直にお代わりを要求されるとは思わず、わずかに目を瞠る。
 けれど、彼は気に入らなければ気に入らないと突っぱねる。それをしなかったと言うことは、それ相応に気に入ったと言うことだ。


(お代わりをしてもらえるって、やっぱり嬉しいものだな……)


 本丸で過ごした日々が脳裏を過ぎる。刀剣男士たちは椿に似てご飯を食べることが好きだったから、彼らは列を作ってお代わりをしたものだ。今の虎杖たちを見ていると、そのときの光景が蘇る。
 心臓に爪を立てられたような痛みが走るのに気付かないふりをして、お代わりをよそって宿儺に渡すと、彼はまた黙々と食事を再開した。
 虎杖達も「美味しい」と言って、笑顔で料理を口に運んでいる。そんな様子を目を細めて見守っていると、大皿に盛られた料理はあっという間に綺麗に無くなった。


「美味しかった~! さっすが椿先輩!」
「ふふ、ありがとう、悠仁」
「本当に美味しかったです! 私、食べ過ぎちゃいました!」
「お口に合ったなら良かったよ」
「……ご馳走様でした。美味しかったです」
「こちらこそ、綺麗に食べてくれてありがとう」


 多めに炊いたご飯まで残さず食べてもらえると、作った側としては嬉しい限りである。
 満腹になって満足そうに頬を緩ませる虎杖達に椿も笑みを浮かべる。


「宿儺はどうだったかな? 悪くない出来だったと思うんだけど」
「味は悪くなかったが、煮物は煮込みが足りなかったな」
「確かに。私ももう少し煮込んだ方が好みだ」
「だが、肉味噌は悪くなかった。味噌に火をいれたことで得られる香ばしさは俺好みだったな」
「ふふ、気に入ってもらえたなら良かったよ」


 親しいものが言うには素直ではない言葉だった。しかし、呪いの王がいうにはあまりにもあたたかすぎて、虎杖達が目を丸くする。
 友人とも、兄と妹のようにも見えるやり取りだ。椿が一方的に慕っているように見えるが、宿儺が彼女を決して邪険にしないからそう見えるのだろう。
 けれど、この考えはいけないものだ。宿儺は呪いで、虎杖達はそれを祓う呪術師なのだから。いくら穏やかに見えても、椿にとっては親しい者でも、彼らは絆されてはいけない。宿儺は彼らにとって、いつかは討ち取らなければならない存在なのだから。


「次はどんなものが良いかな」
「ふむ。では―――――……」


 不自然に言葉を切った宿儺が、剣呑な表情を浮かべる。その直後、コツリと革靴の足音が響いた。


「なかなか面白い術式持ってるね、君」


 黒ずくめの服に、アイマスクで目元を隠した男が、口元だけの笑みを浮かべている。
 ぐい、と持ち上げられたアイマスクの下には、美しい瞳が隠されていた。
 その美しい空色の瞳が、椿を射貫く。

 ―――――現代最強と言われる、五条悟の帰還である。




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