ナックルシティのツバキ
ガラル地方の中心に存在する広大なワイルドエリアは、その広さ故かエリアごとに天気が異なる。北は雲一つ無い晴天でも、南は数メートル先すら見えない雨が降りしきる事もあるほどだ。
今日のげきりんの湖は、日差しの強い晴れ間が広がっていた。普段はあまり姿を現わさない野生のフライゴンが、目に痛いほどの日の光を浴びて、気持ちよさそうに身体を伸ばしていた。
ツバキは大きな木の幹に腰掛け、膝の上に頭を乗せて微睡んでいるガブリアスの頭を撫でていた。人間には少しばかりきつい日差しではあったが、厳しい環境でも生き残れる頑丈さを持つドラゴンタイプのポケモン達にとってはそうでは無いようだ。自身のフライゴンやオノノクスもボールから飛び出し、日光浴を楽しんでいる。他のポケモン達はひとしきり水遊びを楽しんで、今はボールの中で眠っていた。
夏は過ぎ去り、寒い冬を待つ秋の頃。日差しは強いものの、気温はあまり高くない。カラリと晴れ渡った空が心地よく、風も爽やか。ポケモン達の安らかな寝息を聞いていると、ツバキにも緩やかな睡魔を運んでくる。
げきりんの湖は、野生のポケモン達のレベルが高い。生息するポケモン達も、それに比例して厳しい環境でも生き抜ける猛者達揃い。ここまで到達できるトレーナー達は少なく、酷く静かな場所である。喧騒からはほど遠く、聞こえてくるのはポケモン達の奏でる微かな生活音。このまま眠りに落ちてしまいたい心地になって、ツバキはゆっくりと瞼を閉じる。
ズシ、と膝の重さが増す。誰かが乗り上げたのか、とうっすらと目を開けると、膝に乗り上げていたのはナックラーだった。まだ生まれたばかりのようで、身体は小さく、皮膚も柔らかそうだ。くりくりの瞳が、好奇心でキラキラと光っていた。
(懐かしい……)
ツバキの初めてのポケモンはナックラーだった。ナックルシティから通じるワイルドエリアのすぐ傍に広がる砂漠にて、トレーナーの母に手伝って貰ってゲットしたのだ。ツバキのナックラーはすでに最終形態へと進化を遂げ、フライゴンへと姿を変えている。出会ったときの彼を想起させるポケモンに、ツバキの口元が柔らかく弧を描いた。
ツバキの膝を共有することになったガブリアスは不服そうな唸り声を上げたが、主人であるツバキが許容を示したために、追い払うことも出来ない。宥めるように頭を撫でられて、宥められる他ないようだった。
ガブリアスを落ち着けて、ツバキがナックラーに手を伸ばす。そっと触れると、ナックラーはその手にすり寄って気持ちよさげに目を細めた。しばらく撫でていると、ナックラーの瞼も落ちてくる。そのまま眠りにつこうとしているのか、ツバキの腹に額を押し付け、そのまま身を落ち着ける。瞳を閉じてしまったナックラーに苦笑しながらツバキが受け入れれば、野生のナックラーは安心しきったように息を吐いた。
ふわ、と少しばかり強い風が吹く。砂が舞い上がり、ツバキは思わず腕で顔を覆った。
――――――――――。
この世のものとは思えない美しい音が、辺りに満ちる。恐る恐る目を開けて辺りを見回せば、ツバキを中心に、砂嵐が巻き起こっていた。その砂嵐の中からは、まるで歌声のような美しい旋律が聞こえる。フライゴンの羽ばたきだ。
(これは子守歌、か……?)
赤ん坊のナックラーを寝かしつけようとしているのか、嵐は外界から守る壁のようだった。そんな安全な場所で、砂漠の精霊と呼ばれるに相応しい羽音が響き渡っている。
余計な音は何一つ聞こえない。美しい旋律のみが聞こえる世界は、あまりにも心地よい。フライゴンは害意を見せておらず、ツバキの手持ちのポケモン達も目を閉じたままだ。彼、あるいは彼女は安全なポケモンであると判断されたようで、オノノクス達も美しい羽ばたきを子守歌に眠りに落ちていた。
(私も、少し眠ろう……)
眠気に誘われるまま、ツバキも目を閉じる。心地よい睡魔に身を任せ、ツバキは夢の中へと旅立って行った。
「おーい、ツバキー? 起きろー?」
耳に心地よい声が耳朶を打つ。意識を浮上させると、視界に宝石のようなブルーが飛び込んでくる。綺麗だなぁと見上げていると、宝石が弧を描いた。目を瞬かせて眠気を飛ばしていると、ポス、と頭に手を置かれ、かき混ぜるように撫でられる。それが心地よくて再び目を閉じそうになると、クスリと小さく笑う声が聞こえた。
「こら、起きろ。こんなところで寝てたら危ないし、風邪引くだろ?」
そう言ってツバキに起きるよう促したのは、ツバキの生まれ故郷であるナックルシティのジムリーダーだった。
ワイルドエリアに隣接した街のジムを任されているキバナは、こうして巡回を行うのも仕事の一つ。遭難者がいないか、ワイルドエリアで悪事を働く者がいないか。少しでも気掛かりがあれば調べて、原因を取り除くために動いているのである。おそらく、巡回中にフライゴンが砂嵐を起こしているのが見えたのだろう。何か異変でもあったのかと立ち寄って、上着も掛けずに寝ているツバキを見つけたのだ。
「おはようございます……」
「ん、おはよう。つっても、もう夕方近くだけどな」
キバナの言葉に空を見上げると、確かに空は赤みがかり、夜の気配を漂わせていた。ツバキが眠りについたのは昼を過ぎた辺りだったから、思ったよりも深く眠りに落ちていたらしい。
「野生のフライゴンが砂嵐を起こしているから誰か襲われてんのかと思ったが、お前らの眠りを守ってたんだなぁ」
そう言って、キバナはツバキの腹に顔を埋めるようにして眠るナックラーの背中を撫でる。先程まで美しい音色を奏でていた野生のフライゴンはすっかり飛ぶのを辞めており、ツバキやキバナのフライゴンと羽を休めていた。
ツバキが起きたことに気付いたオノノクスがツバキの隣に腰を下ろす。チラリとキバナを一瞥したが、それ以上の反応を示すことなく、赤と青のグラデーションが美しい空を見上げた。ドラゴンタイプのポケモンに好かれるキバナは、素っ気ない態度の黒いオノノクスに苦笑した。
「うーん、なかなか懐いてくれねぇなぁ」
「そうでもないですよ。私以外の人間だと、キバナさんが一番懐かれています。無闇に人間を攻撃することはなくなりましたが、威嚇されることもなく傍に居ても平気な人間はあなたくらいです」
「そりゃあ嬉しいな」
ツバキのポケモン達は、所謂訳ありのポケモンが多い。色違いのオノノクス、大きな傷を持つガブリアス、どんな図鑑にも載っていない姿のゾロアーク。彼等は基本的にツバキ以外の人間を信用しておらず、なかなか心を開かない。今でこそ無闇に人間を攻撃することもなくなったが、ツバキが保護した直後など、それは酷いものだった。人間を見れば見境無く攻撃するほどに。命を奪われる前に殺してやると言わんばかりに。
今でも見ず知らずの人間や、ツバキが不快感を示した人間には牙を剥き出しにする。理由無く攻撃することはないが、威嚇して近寄ることを許さない。素っ気なくとも、威嚇されることもなく、ツバキや自分たちの傍に近寄ることを許しているのは、彼等なりの友好の証だった。
キバナはツバキが彼等を保護した後、ツバキに協力してケアを行っていたため、他の人間達よりも心を開いて貰っている。だから無防備なツバキに近寄ることも許したのだ。他の人間達ならば、警告を受けていただろう。ツバキに近寄るな、と。そうされないのは、キバナくらいのものである。
「ま、気長に待つかな。お前のドラゴン達、みんなかっこいいから、いつか触らせて貰いたいし」
「そうしてくださると私も嬉しいです。この子達に、キバナさんを好きになって欲しいので」
「ふふ、ありがとな~」
もう一度ツバキの頭を撫でて、キバナが立ち上がる。自身のフライゴンを呼んで、風除けのゴーグルを装着した。
「んじゃ、ツバキも起きたことだし、俺はパトロールに戻るぜ。今日はこのままキャンプするなら、きちんと布団に入って寝ろよ?」
「はい。いつもありがとうございます。残りのパトロールも頑張ってくださいね」
「おう! じゃあまたな!」
「はい、また」
フライゴンにまたがって、キバナが空へと飛び上がる。あっと言う間に小さくなる姿を見送って、ツバキは自身の膝を占領するナックラーに目をやった。彼はまだ、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
足が痺れたなぁ、と苦笑しながら、ツバキは星が瞬き始めた空を見上げた。
