ナックルシティのツバキ 2
「キバナ、少し聞きたいことがあるんだ。少し時間をくれないか?」
そう言ってキバナに声をかけたのは、
「何だよ、改まって。何かトラブルでも?」
「ツバキという少女を知っているだろう?」
「…………何があった?」
「…………名前を聞いただけで、その反応が出るのか……」
太陽の光を集めたような瞳を伏せる。そっと息を吐く姿は、普段の子供のような姿とはかけ離れている。そこには悩む大人の哀愁が漂っていた。その姿に全てを察したキバナも、同じように肩を落とす。それだけツバキという少女は、トラブルに見舞われやすいのだ。不幸の星の下に生まれてきたのだと言われても、納得してしまうくらいに。
「実は、この前シュートシティに行こうとして、何故かバウタウンに着いてしまったときの話なんだが……」
「突っ込み待ちか、ダンデ?」
「突っ込みは最後に聞くから、先に話を聞いてくれ」
「オーケー。それだけ突っ込みどころがあるってことだな。続けてくれ」
茶化さないとやっていられない。キバナが知っているツバキが巻き込まれたトラブルは、どれもこれもろくでもないものばかりだ。きっと今回の事件も、思わず顔を顰めてしまうようなものだろう。
宝石のような瞳を瞼に隠し、ダンデの声に耳を傾ける。ダンデはやや顔を俯かせ、目元に影を落としていた。
「海を眺めながら歩いていたら、水面に人の腕が見えてな。溺れているのかと思って救助したら、ダダリンに巻き付かれた状態で引き上がってな。幸い、水面に出た段階で諦めてくれたんだが、ダダリンに海中に引き摺り込まれそうになっていたんだ」
「おいおい、それって……」
キバナが目を見開き、弾かれたように顔を上げた。それは、とんでもないことだ。ポケモンが、人間に危害を加えたということだ。
ポケモンが人に無害かと言われれば、そうではない。縄張りに入られれば人もポケモンも関係なく襲いかかるものもいる。習性として、持って生まれた特性として、そもそもが人を傷付ける形をしていることもある。けれど、無闇矢鱈に攻撃することはないのだ。お互いにお互いが怖いから。
嘘だろう、と信じられないものを見つけてしまったような顔で、キバナが呆然とダンデを見つめた。
「ツバキ曰く、アローラ地方から着いてきたらしく、どこの海にでも現れるんだそうだ。カントー地方でも見掛けたと聞いた」
「マジかよ……」
「何が目的かは分からないが、“執着されている”と言っていたよ」
ダダリンの無機質な目を思い出し、ダンデが身を震わせた。
ダダリンの意図は分からない。何故そうするのか、あるいはそうしなければならないのか。殺したいから殺そうとするのか。自分だけのものにしたいから海に沈めたいのか。捕食のための行動なのか。
ツバキを見つめる瞳には、何の熱もなかった。それだけを見れば、興味関心の欠片さえ見て取れないほどに。けれど、ダダリンはツバキだけを見つめていたのだ。ダンデにもリザードンにも目もくれず、ただひたすらにツバキだけを。
―――――あの悍ましいまでの熱心な眼差しを、執着と言わずに何というのか。ダンデがポケモンに恐怖した、初めての経験だった。
身を震わせたライバルの姿を見て、キバナが一度唇を引き結ぶ。それから、意を決して口を開いた。
「……これは本来守秘義務が発生する話なんだが、情報共有が必要な人間には話していいと特別に許可を得ている。今から話すことは他言無用で頼むぜ」
「ああ、もちろんだ」
「これはGメンとして動いていたワタルさんが遭遇した話だ」
「待ってくれ」
守秘義務が発生するような事態に巻き込まれたのか。驚きと共に、護らなければならないと決意を胸に宿す。しかし次の一言に、それらの感情が一瞬にして吹き飛んだ。
キバナのいうワタルとは、セキエイリーグのチャンピオンである。彼の出身地であるフスベシティとナックルシティは姉妹都市の関係にあり、古くから交流が続いている。その関係でキバナとワタルは個人的にも親しくしているのだ。
また、彼はポケモンGメンとしても活躍しており、密猟者などを相手取る仕事をしている。そんな彼がGメンとして動いている事件など、ろくでもない案件であることは確実だ。そんな事件に、ツバキが巻き込まれたという。流石のダンデも、口を挟まずには居られなかった。
「何だよ、まだ何も言ってねぇだろ」
「出だしがおかしいことに気付いてくれ、キバナ。Gメンが動くような案件に巻き込まれているのが読み取れるんだ、すでに」
「その通りなんだよ、ダンデ」
「嘘だろ……」
乾いた笑みを浮かべるキバナに、ダンデは言葉もない。
「少し前に、ジョウト地方でポケモンにヤバい薬を使ってポケモンを強化していたトレーナーが逮捕された事件があっただろ? ツバキはあれの被害者だ」
「被害者? ニュースでは幸いにも人的被害はなかったと……。いや、薬を使われたポケモンは……」
「ワタルさんが隠し通したんだ。あんまりにも酷なことだったもんだから、マスコミに嗅ぎつけられて、さらに心に傷を負っちまうことを懸念してな」
「……そうか」
ジョウト地方で起こった悲惨な事件は全国的に取り上げられ、多くのトレーナー達を震撼させた。悪質なトレーナーが違法薬物を投与し、自身のポケモンを強化していたのだ。ニュースでは幸いにも人的被害は出ていないとされていたが、トレーナーのポケモン達は心身共に重大な瑕疵を抱え、そのうちの一体は最悪の事態にまで陥ったという。ポケモン保護協会で火葬を執り行ったという話だったが、薬物の影響で、そのポケモンは骨すら残らなかったそうだ。
惨い話だ、とダンデが拳を握り締める。そんな事件に、自分よりもいくつも年下の少女が関わっている。彼女の心は無事だろうか、と不安が積もった。
「実はな、ツバキはそのトレーナーとバトルしていたんだ。ポケモン達の様子に違和感を覚えて、少しでも様子を見たいと思って、ツバキの方からバトルを持ちかけたんだとか」
「そんなに不自然な様子だったのか? そのトレーナーのポケモン達は?」
「バトルレコーダーとスマホロトムで撮影していた映像を見せて貰ったんだが、違和感を覚えるほどではなかったな。ちょっと顔色が悪いように見えるやつやテンションが高く見えるやつは居たけど、そういう性格だとか、気のせいだって言われたらスルーしちまう程度だ」
「よく気づけたな……」
「あいつは昔から観察眼が鋭いんだ。着眼点も独特で、面白い奴だぜ?」
「また会ったら話してみたいな」
「ポケモンを愛し、ポケモンに愛されるトレーナーだ。興味はバトルより歴史研究に向いているから、あんま無理にバトルに誘うなよ?」
「う゛っ……、分かった……」
ポケモンを愛していても、その誰もがバトルを好んでいるわけではない。トレーナーから転向し、ポケモン博士やポケモンドクターになるものだって少なくはないのだ。無理強いして、ポケモンやバトルに忌避感を持たれるのは本意ではない。ダンデは「バトルがしてみたい」という想いに蓋をして、キバナに話の続きを促した。
「……それでな、相手はまだ幼いツバキを見て、快くバトルを了承した。違法薬物を投与したポケモンなら負けないと高をくくっていたトレーナーは、勝利を確信していた。けれど、ツバキの方が強かった。それで、負けることを恐れたトレーナーが、さらに薬物を投与したんだ。それで暴走したんだよ、そのポケモンは」
「…………まさか」
「そのまさかだ。そのポケモンは自我を失ったのか、本能が暴走したのか、トレーナーに襲いかかった。喰おうとしたんだ、自分のトレーナーを」
ダンデが絶句する。
そう言った事例があることは知っていた。縄張り争いに負けて、食べ物を得られず、飢餓に負けて人を喰らったポケモンの話。違法なブリーダーの多頭飼いの末、共食いの果てにブリーダーすらも喰らったポケモンの話。今回のように、薬物で可笑しくなってしまったポケモンが、最終的に人を喰い殺した話も。
そんな、話を聞くだけで気分が悪くなるような場面に、子供が出くわしたのか。ただポケモンを愛し、ポケモン達を助けたいと思って行動した、心優しい子供が。
そんなのは、あんまりだろう。崩れ落ちてしまいそうな感覚に陥りながら、ダンデはただ目を見開く。この感情を形にする言葉が見つからず、彼はただただ言葉を失っていた。
そのときのツバキの様子は、はっきりと映像として残っている。ワタルに頼み込んで、その映像を見せて貰ったキバナは、ツバキの慟哭に不覚にも泣きそうになったものだ。
『やめてくれ……! 食べないでくれ……! 人を食べてしまったら、
そう叫んで必死にトレーナーに覆い被さって、己のポケモン達に指示を出す姿はあまりにも痛ましかった。ボロボロと泣きながら、それでもポケモンを諦めない姿はあまりにも気高かった。そんなツバキをサーナイトとギルガルドが必死で守り、残りのポケモン達が襲いかかってくるポケモンを抑え込んでいた。
そんな攻防をしばらく続けていると、興奮したポケモンに触発されたのか、残りのポケモン達もツバキ達に襲いかかるという悲劇が起こった。数は向こうが多く、相手は自分の身体が壊れていくのを無視して特攻をかけてくる。徐々に押され始めた頃、ようやくロトムの要請で救援が駆けつけたのだ。その中にはワタルの姿もあり、彼の尽力もあって暴走するポケモン達は沈静化した。―――――否、力尽きたのだ。ずっと投与され続けていた違法薬物により蝕まれていた身体が、リミッターを外してしまうほど多量に薬を投与されたことでトドメを刺されたのだ。自分の身体を顧みずに暴れてしまったのも、その一因となっているだろう。そんな一体に触発された残りのポケモン達も、自壊を気に掛けずに暴れ回ったものだから、彼等も随分と重傷だった。それこそ、命に関わるほどに。
多量の薬を投与された一体は、最早虫の息だった。いつ息を引き取ってもおかしくないほどに。ツバキが慌てて救護活動を行おうとするも、すでに手の施しようがなかった。キズぐすりで治せるのは外傷だけ。身体の内側がボロボロになっている状態のポケモンには意味を為さない。腕の中でどんどん弱っていくポケモンに、ツバキは涙を止めることが出来なかった。
『嫌だ……! 死なないでくれ……!』
死にゆくポケモンに縋り付くツバキを、誰も引き離すことなど出来なかった。もう眠りゆくしかないポケモンは、最後の最期に正気に戻ったのか、己の身体を塗らす涙の源を見上げた。己を心から案じる子供の姿を目に映し、その頬にすり寄る。その涙を拭うような仕草に、ツバキはさらに大粒の涙を流した。そうして、ゆっくりと落ちていく瞼が、やがて完全に閉じられる。呼吸が止まり、身体が冷たくなっていく。
『待ってくれ……! 逝かないでくれ……!!!』
ツバキの慟哭は、今でもキバナの耳に残っている。泣いている子供の涙を拭ってやれるような心優しいポケモンが、子供に牙を剥くような悍ましい怪物に変えてしまう薬の恐ろしさも、目に焼き付いて離れない。それらを身をもって経験してしまったツバキは、その比ではない恐怖と絶望を覚えたことだろう。今でもトレーナーを続けているのは、きっと奇跡に近い僥倖だ。
「そんなことが……」
「ああ。あの事件はまだまだ注目度が高い。直前にバトルをしていたトレーナーの存在をマスコミが嗅ぎつけてみろ。一体どんな目に遭うか……」
それが現実になったことを想像するだけで、身の毛がよだつ。きっとツバキの心身は酷い傷を負うだろう。もう二度と立ち上がれなくなってもおかしくはない。心を壊してしまうかもしれない。ただでさえ酷い目に遭ったのに、追い打ちをかけるようなことが起こっては、取り返しの付かないことになる。そんなことにはさせられないと、ワタルはツバキの存在をひた隠したのだ。
ツバキの存在が明るみになったときのことは想像に難くない。僅かに顔色を悪くさせたダンデが、深いため息をついた。
「確かに、恐ろしいことになるだろうな……。しかも、彼女はバトルを始める前に違和感を持っていた。その部分をあげつらって、批判するものも出てくるだろう」
「それが一番怖いんだ。不確定要素、それも自分の勘違いかもしれないようなことで通報なんて出来るものじゃない。下手をすれば相手から名誉毀損で訴えられるかもしれない。確信を持ってからでないと行動できないってのはよくあることだ。むしろ、面倒ごとに巻き込まれたくないと放置してしまう奴も居る中で、あいつは自分の勘を信じて行動に移した。それは賞賛されることであっても、批判されることじゃないだろう」
「その通りだ。それに、“トレーナーの勘“以外の確証がない段階では、どの機関も動けない。かろうじて動けるのはポケモン保護団体くらいのものだ」
「だが、ポケモン保護団体は行政機関の中では数が少ない。通報しても、現場に到着するまでに時間が掛かりすぎる」
「………あの子は、やれることはやっていたと思う」
「そうだな。俺もそう思うよ」
ツバキは自分の出来る限りを尽くした。それでも、口さがない人間はこう言うだろう。“もっと他にやり方があったはずだ”と。無責任にも、助けられたはずなのに、と憤るのだ。その場に居合わせたわけでもないのに。実際に目にしたわけでもないのに。
そういう人間は、最後にはこう言うのだ。“お前が失敗したから死んだのだ”と。―――――“お前が殺したのだ”と。
「もし、またツバキを見掛けたら、気にかけてやってくれよ。あいつもギルガルドを持ってるんだ。お前のギルガルドも見せてやったら喜ぶと思うぜ?」
「そうなのか。俺はあの子のポケモンを見たことがないから、次に会う機会があったら、是非見せて貰いたいな」
「良いポケモンばかりだぜ。愛情をかけて育てているのがよく分かる」
「そうか。また会いたいものだな」
―――――次は、是非穏やかなひとときに。
ダンデもキバナも言葉はなかったが、二人が一人の少女の安寧を願っていた。
「…………ちなみに、こんな話がゴロゴロあるんだが、聞きたいか?」
「嘘だろ」
「本当なんだよなぁ……。しかも、たまに俺のところにDMが来るんだよな。“お前の街のトレーナーが、また事件に巻き込まれたぞ”って」
「嘘だと言ってくれ」
ダンデはそう言って頭を抱えたものの、それが真実であろうことを彼は悟ってしまった。ポケモンを愛し、ポケモンに愛されるトレーナー。それだけでいいのに、トラブルにまで好かれてしまうとは。ツバキに執着するダダリンの無機質な瞳を思い出してしまったダンデは、初めて『胃が痛い』という感覚を覚えたのだった。
