普通の女の子に憧れる姐さん
母に「学校で何かあったのか」と尋ねられたのは、北と付き合い始めてしばらくしてからだった。椿自身としては特に意識したことはなかったけれど、親の目線から見ると、多少なりとも変化があるらしい。「良いことでもあったのか」と優しい笑みで尋ねられて、椿は素直に驚嘆した。
けれど、恋人が出来たことを報告するという概念がなかった椿は、両親に恋人が出来たことを告げていなかった。故に、どうしたものかと困ってしまった。椿としては隠すようなことでもないけれど、さて、北はどうだろうか。
そのときは「内緒」と言って笑って誤魔化したけれど、お付き合いを続けていくならば、いずれは伝えなくてはならないことだ。北と要相談だな、と心に留めて、椿は「行ってきます」と家を出た。
「そう言えば、恋人が出来た事って、家族に言うべきなのかな?」
北にその質問を投げかけたのは、二人でゆっくり過ごせるお昼休みだった。昼食を食べ終え、二人でまったりしていたとき、不意に母との会話を思い出した椿が、隣に座る北に顔を向けた。突然話を振られた北は一瞬硬直し、緊張した面持ちで椿を見つめ返した。
「………何か言われたん?」
「そういうわけではないのだけれど、母さんに『学校で何かあった?』って聞かれたんだ。変わった事なんて北くんの彼女になったことくらいで……。そう言えば母さん達に話してなかったなぁって思って」
北くんは話した? と尋ねられ、北は内心でほっとしながら首を振る。何事にも顔色を変えない椿ですら家族に変化を気取られたのだ。北の方も直にバレるだろう。もしかすると、祖母辺りは既に何かしらの進展があったことを悟っているかもしれない。顔に出てしまってバレるのは大変恥ずかしいことだが、自分から口にするのも中々に勇気の要ることだった。
「母さん達に北くんのこと話してもいい?」
「え、ええけど……。なんや、ハズいな……」
「確かに、ちょっと照れちゃうね。でも、誰に恥じることでもないよ。北くんはとっても素敵な人だし、みんなに自慢できる人だから」
「そ、そうやろか……」
「うん。私の保証では、安心出来ないかな?」
「何よりの保証やで」
「ふふ、良かった」
自分との関係を隠すことではない、と断言する椿に、北の胸にあたたかいものが広がる。恥ずかしいとか、秘密にしておきたいという気持ちはあるけれど、こうやって堂々と恋人だと宣言して貰えるのはとても嬉しいことだった。北がはにかむと、椿も口元を緩めた。
「でも、私は恋人出来たの初めてだし、こういう話はあんまりしてこなかったから、緊張しちゃうかも」
「そうなん?」
思わず、声に喜色が乗る。
椿は目立つ方ではない。けれど、影でひっそりとモテるタイプだ。その上椿は「人を好きになりたい」と願っていた。それらのことを踏まえると、元彼という存在が居てもおかしくはないと考えていたため、予想外の事実に頬が緩んでしまう。好きな人の「初めて」というのは、そのくらい嬉しいものだった。
「うん。恋愛に興味が無いというわけでは無かったんだけど、それを自分に当てはめることがうまく出来なくて、いまいちピンと来なかったんだ」
「ああ、それは……、ちょっと分かるわ……」
「北くんも?」
「清庭さんのこと好きになるまで、誰かと付き合うとか、全然考えてへんかったわ」
「そうなんだ。……自分と恋愛ごとを結びつけられなくて、どうしても話が続かなくて、母さんもそういう話題は出さなくなってしまったんだ。きっと、恋の話とか、してみたかったんだろうなぁ……」
ちょっと申し訳ないや、と椿が苦笑する。それから、椿が柔らかい笑みを浮かべる。春の陽だまりのような、夏の夜空のような、柔らかくて美しい笑み。彼女がふとしたときに見せる、心臓に悪い顔だった。
「だから、彼氏が出来たんだよって教えたら、きっと喜んでくれると思うんだ」
「そか……。清庭さんはええ子やな……」
「ありがとう。私、父さんも母さんも大好き」
「家族仲がええのは良いことや」
「んふふ、ありがとう」
ほんのり頬を染め、子供のような顔をする。僅かにはにかんだ笑みに、北も口元を綻ばせた。この子を好きになって良かった、と。
「……俺も話そかな。清庭さんと恋人になれたこと、俺も自慢できることやと思っとるし」
「本当? 嬉しい」
「ばあちゃんにはうち連れてこい言われそうやけどなぁ」と、こっそりと苦笑する。椿はきっと断らないけれど、自分の心臓が持たない気がする。祖母には悪いけれど、椿と顔を合わせるのは先延ばしにさせて貰おう。そう心に決めて、北は柔らかい笑みを浮かべる椿を見つめた。
***
「今日ね、バスケ部の――くんに差し入れ作ってきたの。一人だと緊張して渡せそうにないから、一緒に来てくれない?」
廊下を歩いていたとき、椿の耳に入ってきたのは、鈴を転がしたようなかわいらしい声だった。何の気なしに目を向けた先には、一年生の女の子が二人。一人は荷物を抱え、頬を真っ赤に染め上げていた。「差し入れ」という言葉が聞こえてきたから、誰かに渡すものを用意してきたのだろう。赤面している様子を見るに、それはきっと彼氏か好きな人への贈り物だ。彼女の友人らしきもう一人が、釣られたように顔を赤くする。そしてはしゃいだ声で応援の言葉を掛けていた。
―――――キラキラしている。真っ赤に染まった頬をした少女も、そんな友人の肩を叩く少女も。それはきっと、至極当たり前の乙女の姿。椿がかつて、欲する必要すらないほどに満たされていた過去に、不必要だと斬り捨てたもの。今世では拾い上げたいと望む、それそのものだった。
頬を染め、密やかに笑みを浮かべる少女達。そんな当たり前の光景が、椿の目に一等輝いて見える。―――――なんて、かわいいんだろう。自分も、あんな風になれるだろうか。
「ねぇ、北くん。あれやりたい」
「あれ?」
少女達に気付かれないように、椿がこっそりとかわいらしい女子生徒達を示す。示されても、北の目には女子生徒達が楽しげに話しているようにしか映らなかったけれど。
けれど、椿が頬を上気させ、星が瞬く瞳で一心に北を見つめる。北にはなんてことない光景にしか見えないけれど、椿にとっては、きっと特別なものなのだ。だから、よく分からないなりに、優しい笑みを浮かべて問い掛ける。
「なにしたいん?」
「うん、あのね、差し入れしたいの」
「差し入れ?」
「うん。彼氏にお弁当作ったり、部活頑張ってねって差し入れするの、彼女っぱくない? かわいいなぁって思って貰えそうだなって」
そう言って期待に満ちた顔で北を見つめる。その瞳には憧れの色が乗っていた。
―――――なんてかわいいことを言うのだろう。北は感嘆した。
この少女は、自分にかわいいと思って貰いたいのだという。それは、なんて素敵で、嬉しいことなのだろう。
この少女はまだ、自分と同じ感情を持っていない。けれど、同じ想いを持ちたいのだと、自分と過ごす時間を大事にしてくれている。こうやって、自分のために何かをしたいのだと行動に移してくれている。自分ばかりが好きなのではないと分かる瞬間が、北にはたまらなく幸せだった。
「…………かわええな」
「え? まだ何もしてないよ……?」
「何でもあらへんよ。いや、清庭さんがかわええんはホンマやけど」
「そう……?」
北のポイントは、椿にはいまいち分からない。けれど、いつも自分に向けてくる“綺麗なものを見る目”で見つめてくるから、きっと心からの言葉だ。溶けてしまいそうなほどの瞳で見上げられ、椿は微かに首を傾げる。
けれど、彼は椿が彼女らしいことをするのを嫌がっていない。「かわいい」と思って貰いたいという想いにも否定的ではない。ならばきっと、自分がしたいと思ったことに間違いはないのだ。
何を作ろう、いつ作ろう、とご機嫌に頭の中でレシピを開く椿を見つめながら、北は一番に告白して良かった、と改めて思うのだった。
***
北「俺の彼女、かわいすぎるんやけど、どうしたらええ?」
尾白「北、お前そういうキャラやったっけ……?」
品川「こいつ、さにーのことんなると割とアホやで?」
北「俺のキャラなんてどうでもええねん。清庭さんがかわいすぎるっちゅう話をきいてくれや」
尾白「それは別に構わんけどもやな」
品川「恋は人を変えるんや、尾白」
尾白「ここまで変えてまうんか……」
北「おい、聞けや」
品川「はいはい、何やねん」
北「俺にかわええって思って欲しいて、差し入れしたいって言い出してん」
尾白「そらかわええなぁ」
北「せやろ。あれはアカンと思うねん……」
品川「せやな、ずっこいなぁ」
北「これ以上かわいなってどないするんや……。俺の心臓止める気なんか……?」
品川「すでに頭の方には深刻なダメージ受けてるみたいやし、これ以上のダメージは入らんのとちゃうか?」
尾白「品川、お前結構容赦ないな???」
品川「南雲辺りなら斜め45度の角度でひっぱたいてるで?」
尾白「それ、壊れたテレビの直し方やん」
北「ホンマにひっぱたかれそうやで、南雲さん達には黙っといてくれ」
***
侑「あっ! さにーちゃん先輩やん! こんにちはー!」
治「さにー先輩、こんにちは~」
椿「やぁ、双子ちゃん。こんにちは」
北「…………あれ見て腹立つって、俺の心が狭いんかな」
南雲「俺の彼女に馴れ馴れしいって? そこは椿ちゃん次第やろ」
尾白「しっかしあの双子、何であんな清庭さんに懐いとんのやろ?」
中居「ええ子やからちゃう?」
南雲「他意がないからやろ」
北「他意がない?」
南雲「あの双子、性格悪いけど顔は良いし、スポーツ出来るから結構モテるやん? そういう奴の周りって、下心満載なんが多いんや。けど、椿ちゃんはそういうの無いねん」
中居「なるほど……?」
南雲「なんて言えば伝わるんかな。言葉とか行動の裏を読まんでいいんや。心のままに言葉にして、行動しとるんよ。せやから、額面の通り受け取ればええねん」
尾白「それはちょっと分かるわ。清庭さん、めっちゃ素直やもんなぁ」
南雲「まぁ、多少は黙ってることとかあるとは思うんやけどな? でも、椿ちゃんはそれがびっくりする程少ないんよ。嘘つくのとか隠し事が下手すぎんねん。あの子、ちょっと不器用やねんな」
北「………それ、分かるわ。あの子は、真正面から受け止めて、真正面から返すことしか出来ん。不器用でどうしようもなくって、でも誠実で綺麗な子なんや」
南雲「そうなんよ。だからうち、椿ちゃん大好きやねん。双子もきっと、そういう部分を見抜いて懐いとるんやろうな」
***
品川「さにーは世の中に悪人が居ることを知っとる。掛け値なしの善人が居ることも。けど、どんな人間にも良いところと悪いところがあって、特に良いところを見つけるのが上手いんよな」
南雲「分かるわ。そんで、自分に大事なものがあるように、相手にも大事なものがあるって知ってるんや。だから、相手の"好き"をきちんと理解しようとして、大切にしてくれとう。自分には理解とか納得出来んくても、絶対に否定はせんのよね。それが大事な相手であればある程、椿ちゃんは大切にするんや」
尾白「ええ子やなぁ、清庭さん」
南雲「せやろ。自慢の友達やねん」
***
誤爆LINEがかわいすぎる
椿:今日の晩ご飯の卵焼きは甘いのがいい? しょっぱいのがいい?
北信介:あー……
北信介:すまんな、清庭さん。間違っとるよ
椿:え
椿:あ
椿:はい、父さんと母さんに送ったつもりでした
椿:ごめんなさい
北信介:ええよ。清庭さん家の卵焼きは甘いのもしょっぱいのもあるんやな
椿:うん、どっちも美味しいから
椿:私はしょっぱい方が好きだけど、甘いのも好き
北信介:俺もしょっぱい方が好きやな
椿:そっかぁ、一緒だね
椿:今度、お昼ごはんにおかずいっぱい作ってくるから、一緒に食べよ?
北信介:え
北信介:ええんか?
椿:いいよー。北くんは嫌じゃない?
北信介:嬉しいです
椿:よかったー。なら、お弁当作る日の前の日に言うから、その日はお弁当少なめにしてくれると嬉しいな
北信介:おん、楽しみにしてるわ
椿:がんばって作るね
あんまりにもかわいかったので、北は一連の流れをスクショした。
***
「見てみて、北くん! うちわ作ったの!」
キラキラと目を輝かせた椿が北に見せたのは、応援席で見掛ける手作りの団扇だった。応援席できゃあきゃあと黄色い声を上げる少女達の持つものと比べて派手さはないが、黒地に桜色で「きたくん」。反対の面には淡い黄色で「いなりざき」と切り取った画用紙が貼り付けられていた。隅の方に、キツネのシルエットが描かれているのがかわいらしい。
「バレー部は全校応援ないから直接応援には行けないけど、私もバレー部に全国制覇してほしいから、その気持ちを込めて作ってみました!」
椿は最近、『彼女らしいこと』や『北にかわいいと思って貰えること』を模索することに力を入れているのだ。折角恋人という形に収まったのだから、少しでも喜んで貰いたい。北に貰ったリップは欠かさず使っているし、部活の差し入れも定期的に行っている。他にも何か出来ることはないかと考えたとき、“応援うちわ”の存在を知ったのだ。
「北くんのことも応援しているよ。君はきっとユニフォームを貰えるから。それだけの努力をしていることを、私は知っているから」
そう言って柔らかく笑うと、北は目尻を赤らめて、酷く嬉しそうに笑った。
