普通の女の子に憧れる姐さん
一年生のときから続けて同じクラスになった北信介という少年は、きっと自分に恋をしている。キラキラと、宝石のような輝きを放つ瞳で見つめてきて。たまに、溶けてしまいそうなほどの熱を持った手で触れてくる。火傷をしてしまいそうなほどの温度なのに、宝物に触れるような手のひらが心地よい。椿は聡くてずるい人間であるから、それを黙って受け入れた。彼の想いに気付いていながらも。
椿は、今の人生が楽しくて仕方がないのだ。愛する家族と憂いなく過ごせて、優しい友人に囲まれて、たいしたトラブルもなく日々を送れるのだから。
もちろん、刀剣男士達を率いて戦う日々は平穏とは言えずとも、愛する者達と過ごせて幸せだった。彼等が居なくては幸せになれないとすら思うほどに。けれど、彼等はどんなときでも椿の幸せを願っていたから、それが最大の幸福では無くとも、現状での最上の幸せを椿も望んでいる。そしてそれは、きっと叶っているだろう。何と言っても、今世は平和そのものだ。とても穏やかだ。何も失わない。何も奪われない。悲しいことなんてひとつもない。苦しいことなんて滅多に起こらない。……何もないから、失わないだけだと。彼等が居ないから、奪われないだけだと思わないわけではないけれど。
それでも何の変哲もない人生は、彼女にとって眩しくて尊いものだった。けれど、だからこそ、彼女はとても欲張りになった。普通の女の子になってみたい。そうであった頃の記憶を、彼女はもう無くしてしまったから。恋をしてみたい。人を好きになってみたい。そんな、普通のことがしてみたい。かつての後輩が、自分に恋をして幸福に染まった顔で微笑んでいたから。誰かを心から想えることは、きっと幸せなことだろうから。
けれど、椿は少し不安だった。恋を知らずに人生を終えてしまった自分が、今更そんな心を手に入れることが出来るだろうか、と。だから椿は、北の想いに気付かないふりをしている。見て見ぬ振りを決め込んでいる。それがどんなに残酷なことであるかを知りながら。
北のことは好きだ。異性としてではなく、一人の人間として。
何事にも手抜かり無く、丁寧。それを苦とも思わず、心地よいこととして日々を過ごしている。それはきっと、とても難しいことだ。けれど北は、それを楽しんでいる。それは疲れてしまいそうなことなのに、途中で投げ出したくなるようなことなのに、それでも続けていけるのは、彼の才能というに相応しい。
そんな凄い人が、どうして自分を好きになったのだろう。真っ当とは言い難い自分を、どうして。きっと釣り合いなんて取れないのに。
(でも、好きになるなら彼みたいな人がいいな)
彼の持ち物がとても綺麗だという事実が、人として何より魅力的なのだ。
***
「そう言えば、北って清庭さんのこと好きなんよな? どこが好きなん?」
「………いきなり何やねん」
「いや、清庭さんのことはええ子やなぁ、かわいいなぁとは思うけど、彼女にしたいか聞かれると、ちゃうなぁって思てな」
妹分みたいな感じやねん、と尾白が苦笑する。何か理由があると言うよりは、何となく気になったから尋ねたという態度で、突然の問いかけに心臓を跳ねさせた北は、内心で胸を撫で下ろした。
尾白の言葉に、北は彼の問いに答えるために考える。
好きになったきっかけは、多分あった。けれど、それはきっと、たいした理由では無かった。特別な何かがあって、この恋が芽生えたわけではないのだ。ちょっとしたことの積み重ねが、無視出来ないほどの大きさにまで育って、北に恋を自覚させたのだ。
他人から見たらたいしたこと無いものかもしれない。ほんの些細な事かもしれない。けれど、そんな取るに足らないような何気ないことが、彼の心に触れたのだ。
「理由、か……。なんや、俺もよう分からん」
「意外やな。北のことやから、そういうのもちゃんと理由を持っとるもんやと思っとったわ」
「理屈や無いんやろうな。でも、好きなとこはいくらでも言えるんやからええやろ」
好きだから全てがよく見えるというのもあるだろう。今は見えていないだけで、彼女にも悪いところはあるだろう。けれど、そのくらい好きになってしまったのだから仕方がないのだ。
きっと、恋とはそういうものだ。視界が狭まって、それ以外見えなくなってしまうくらいに。
「……そか。恋てええなぁ」
いつになく友人が優しい顔をするものだから、尾白は何だか嬉しくなって、同じような顔で笑った。
***
北が椿に告白しようと思ったのは、隣のクラスの男子生徒の一言を聞いてしまったからだ。
―――――俺、清庭さんに告白しようと思ってんねん。そう言って、顔を真っ赤にした生徒を、友人達が囃し立てていた。その光景を見て、北は激しく動揺したのだ。今までも焦りを感じることはあったけれど、ここまで動揺することはなかったのに。
告白は、いつかしようと思っていた。けれど、椿が自分を恋愛対象として見ていないのは明らかで、断られるのが怖くて、ずるずると先延ばしにしていたのだ。もし断られて、下心を持った男に今までと同じように笑いかけてくれる保証がなくて、そんな未来が来ることが恐ろしくて、想いを告げるのが怖かったのだ。
けれど、その生徒が続けていった言葉が、耳に残って離れないのだ。
『多分断られるけど、好きやいうたら、相手も意識してくれるやろ』
そうなったらこっちのもんや、と。何回でもアタックしたる、と。そう言って闘志を燃やす姿に、北はざっと血の気が引くのが自分でも分かった。先に告白されたら負けだ、と。
椿は面と向かって「好き」と言われなければ、告白とはカウントしていないようだった。1年の時に贈られたラブレターは、内容を見ることすらせず、教師に託してしまったのだから。
中学の頃のことは分からないが、稲荷崎で彼女が告白されたことがあるという話は聞いたことがない。だから、一番に告白しなければ、きっと自分が選ばれることは一生無いと、そんな風に思ってしまったのだ。そしてきっと、それは間違いではないだろう。
(けど、ええこと聞いたな……)
断られたからと言って、諦める必要はないのだ。椿にとっては良い迷惑かもしれないが、きっと、一度や二度振られたくらいでは、この想いは消えてくれない。そのくらいには、重みがあるのだ。椿を“好きだ”という想いには。
「清庭さん、昼休み、ちょっと時間くれんか?」
「うん、いいよ」
不思議そうにしながらも、椿は逡巡することすらせずに頷いた。少しは警戒心を持って欲しいところだけれど、その無防備さが今は有り難かった。ありがとう、と言って北が笑うと、椿もにこりと笑った。
***
昼休みになり、北は椿を伴って人気のない体育館裏に来ていた。緊張のあまり無言で連れてきてしまったが、椿は同じように黙って隣を歩いてくれた。それが嬉しいような、何とも思われていないようで悲しいような。きっと、今から告白されるなんて考えてもいないのだ。だから、常と変わらない顔で、椿はここまで付いてきた。
「…………急にごめんな。伝えたいことがあんねん」
「伝えたいこと?」
椿は、不思議そうに首を傾げた。これは絶対に分かっていないな、という反応に、北は思わず苦笑する。けれど、伝えずにはいられないのだ。
一年間、ずっと彼女だけを見てきた。同じクラスに“学年一かわいい”と言われている女の子がいたけれど。明るくて優しい子もたくさん居たけれど。それでも北が好きになったのは、清庭椿だったのだ。―――――他の誰にも盗られたくない。自分以外の誰にも譲りたくない。そんな激情を抱いたのは、彼女だけだった。
「清庭さんが好きです。付き合ってください」
応えて貰える確証はない。断られる可能性の方が高い。何せ彼女は、北を友人だと思っている。こんな風に一歩進んだ関係を求められて、椿が戸惑わないはずがない。困らせたいわけではないけれど、それでもこの想いだけは伝えたかった。諦めたくなかった。いつか振り向いて貰えるまで。
ぽかん、と椿は呆けたような顔で北を見下ろす。幸いにも嫌悪の色は見えないけれど、青天の霹靂であることは明白だった。きっと、告白されるだなんて、微塵も考えていなかったのだろう。それが少しだけ悲しいような、さみしいような。けれど、椿らしいような気がした。
止まっていた思考が動き出したのか、椿が僅かに眉を下げる。
「…………凄く、不誠実なことを言ってもいい?」
普段は間延びした話し方の多い椿だが、きちんとした場面ではハキハキと話す。けれど、このときの椿は掠れた声で、酷く不安げな響きを持っていた。
「不誠実、とは……」
「……私、人を好きになるなら、北くんみたいな人が良いって考えていたんだ」
そう言った椿の顔には、歪な笑みが浮かんでいた。不安と怯えが滲んだ、見ていられない顔。どうしてそのような顔をするのだろう、と北の顔も曇ってしまう。
「でも、私は壊滅的に恋愛に向いていない人間で、私は今まで恋愛的な意味合いで人を好きになったことがないんだ。だから、君の言う“好き”を正しく理解出来ない」
経験が無いから恋が分からないのだと、椿が告げる。言葉を重ねる度に顔が曇っていき、どんどん俯いていく。そんな椿に、北は思わず手を伸ばしかけた。
けれど、不意に椿が顔を上げる。その瞳に迷いはなく、強い光を湛えていた。
「でも、その気持ちを理解したい。私も人を好きになってみたい」
そう告げる声には、切実な響きが乗っている。
「不誠実だと言うのは分かっているんだ。君は素敵な人だから、君を好きな人はたくさん居て、恋人なんてすぐに作れてしまう。私より君に似合う女性だっているはずだ。だから、素敵な人と出会えるはずの時間を、私に割くのは申し訳ないと思っている」
北は、文句なしにいい男だろう。自分に厳しく、他人に優しい。たまに他人にも厳しいところはあるけれど、それ以上に己を律する人間だから、誰も文句の言いようがない。
何事にも手抜かりなく、成績も優秀だ。目立つ活躍はないものの、運動だって苦手ではない。
感情を剥き出しにせず、常に冷静に物事を判断できる。その場の雰囲気で流されて、場当たり的な行動を取ることもない。そう言った堅実さを「頑固」だったり「ノリが悪い」と嫌煙する人間もいるけれど、軽率な行動や軽薄な物言いをしてしまう人間よりはよほど良い。
彼はきっと、その誠実さを持って、好きになった人を大切に出来る人だ。だからこそ、大切にされるべき人が、愛されるべきだと椿は考えている。
「初めから好き同士でないと嫌だというのなら、私のことは諦めて欲しい。でも、これから好きになるのでも良いのなら、私は君を好きになりたい」
高校生のお付き合いなんて、恋に憧れて付き合ってみる、なんていうのはザラにある。告白に浮かれて付き合ってみたり、付き合ったら好きになるかも、なんて言う理由で交際を始めることもあるだろう。
けれど、本気で自分を好いてくれている相手に、そのことを隠して付き合うようなことは、椿には出来なかった。どうしたって隠し事は苦手で、どうやったって真正面から向き合うことしか出来ないのが、椿という人間だ。それはずっと変わらない。愚かだと笑われても、それが椿だった。ずっとずっと、昔から。それこそ、前世からの在り方だった。
「これが、不誠実な私が示せる、精一杯の誠実さだ」
そう締めくくった椿は、見たことのない顔をしていた。強く輝く瞳には、覚悟の色が浮かんでいた。けれど、そこにほんの少しだけ怯えが滲んでいる。鳩尾の辺りで指を組んだ手は震えていて、その恐怖が見間違いではないことを示していた。
「……まぁ、確かに、好きでもないのに付き合うんわ、不誠実かもしらんな」
「……うん」
「でも、好きになるなら俺みたいな奴がええって思ってくれてたってことは、結構俺のこと好きやんな?」
「うん」
「そんで、今から俺のこと好きになる努力してくれるんやろ? なら、丁度ええわ」
「丁度いい、とは?」
「最初から、諦める気なんてなかったんや、こっちは。振られても、何度でも挑んだろうって思ってたんや。やから、好きになってくれるって言うなら、これ以上ない僥倖や」
そう言って北が笑うと、椿はぽかんと口を開けて目を瞠った。予想外だと言わんばかりの顔に、北の口元がさらに緩む。
北の言葉を反芻し、ようやっと飲み込んだ椿がおそるおそる北を伺う。その顔は不安げで、つい手を伸ばしたくなる。守りたいと思ってしまう。それほどまでに幼いものだった。
「………じゃあ、君のこと、好きになっても良い?」
「ええよ。俺が好きにさせたる」
「ふふふ、うん」
ようやく安堵の笑みを見せた椿に、北も柔らかく微笑む。二人でしばらく笑い合って、それから椿がはっとした。
「そうだ、北くん」
「うん?」
「あのね、私を北くんの恋人にしてください」
「それはこっちがお願いしたやつです……!!!」
「そうだった……。じゃあ、今日からよろしくね」
「おん……」
椿のとぼけた発言に脱力しながらも、北は嬉しそうに笑った。
***
緊張していた空気が一変して、いつも二人の間に流れているゆったりとしたものに変わる。張り詰めていたようなものがなくなり、椿がふにゃりと笑った。
「ほっとしたらお腹空いてきちゃった」
「俺もやわ」
「ふふふ、一緒に教室戻ろう」
「おん」
二人で連れ立って、教室に向かう。どうなるかと不安だった行きとは違い、念願を叶えた帰り道は足取りも軽やかだった。地に足が着いていないような、浮ついた心地で校舎へ足を踏み入れる。ふと、椿が北に目を向けた。
「そうだ、北くん。今日、誰かと食べる約束してる?」
「いや、してへんけど」
「なら、お昼一緒に食べよう?」
「ええんか?」
「うん。恋人が出来たらやってみたかったの」
椿が楽しげに笑う。彼女も浮かれているのか、心情を吐露して安堵しているのか、その顔は常よりも明るい。
―――――そんなんずるない?
自分という恋人を得て、こんなにも嬉しそうに笑ってくれるなんて。“好き”の欲目があるにしてもかわいすぎないだろうか。胸が苦しい、と胸を押さえる北を他所に、椿は既に別のことに思考を割いていた。
「そうだ。こう言うのって、友達には報告したほうが良いのかな……? 隠すことでもないけど、大っぴらにしていいもの……?」
「俺は、自慢したいなぁ……」
「そっかぁ。じゃあ、私も自慢しよう」
この後、教室で仲の良い友人達に報告すると、一年生のときに同じクラスだった者達に拡散され、一年間見守られてきた恋路を祝福されることとなる。その流れで現在のクラスメイトやバレー部にも話が広がっていき、数日中には一学年全体に広まるのだが、これは未来の話である。
***
品川「北ぁぁぁあああああ! おま、お前……! ついに、ついにか………!!!」
南雲「嬉しいけど何か悔しい!! うちらの妹分が盗られてもうた気分や!!!」
中居「あかーん! 泣いてまうー! ただのお付き合いやのに、お嫁に出す気分やわ!!」
品川「北、お前……! ようやったなぁ……! おめでとう……!!」
北「おん、ありがとうな」
南雲「椿ちゃん、幸せになるんやで……!!!」
椿「うん、ありがとう」
中居「それ、お嫁に行くときに言うセリフやで!! うちはお付き合いは認めても、結婚は認めてないで!!?」
品川「結婚前提かい」
北「……お義母さん、娘さんを僕にください」
中居「あかーん!! つーちゃんはまだうちの娘ですー!!」
椿「あれ? 妹分から娘になってる……」
品川「突っ込みそこかーい」
南雲「ちゅーか、二人ともノリノリやな。なんで漫才しとんねん」
品川「ま、ええわ。それより、さにーもおめでとうな」
椿「ありがとう、品川くん」
中居「北くんに限ってそんなこと無いと思うけど、嫌なことされたら、ちゃんとうちらに言うんやで!?」
椿「うん、なっちゃんもありがとう」
「「「二人とも、ほんまおめでとう!!」」」
北「ありがとうな」
椿「ありがとう。北くんのこと、大事にするね」
北「やから、それは俺のセリフやで……!!」
椿「そう? なら、大事にされます……?」
北「めちゃくちゃ大事にします……!!!」
南雲「何や、しまらんなぁ」
品川「ま、これがこの二人やろ」
中居「もう二人はこのままでええわ。永遠に振り回されとけ、形無し男」
