木兎さんの彼女
梟谷グループが開催する合同合宿。朝から晩までみっちり詰め込まれた練習を終え、自主練習へと移行した選手達は、各々強化したい課題に取り組んでいた。
そんな中、第三体育館に集まって練習していた月島達は、水分補給を兼ねた休憩のために壁により掛かって雑談を交わしていた。
「えっ!? 木兎さん、カノジョ居るんですか!?」
「ツッキー、その反応は俺にシツレーじゃね!?」
「すいません……」
月島は木兎とは短い付き合いであるが、それでも分かるものはある。木兎は日向や影山に劣らないバレー馬鹿だ。異性に興味がないなんて事は無いだろうが、それを最優先するような性格ではない。
しかし、彼とて健全な高校生。彼女がいるのはおかしいことではないだろう。ただ、バレーにかまけて長続きするイメージがない。それは月島よりも長い付き合いである黒尾も同じであるようで、片眉を跳ね上げて木兎を見つめた。
「それ前言ってた子かぁ? どうせまた変わってるんだろ?」
「ちっげぇし! 前言ってた黒髪の子!」
「マジか。今回の子は長く続いてんなぁ……」
木兎の歴代彼女を、黒尾は少なからず把握している。彼女が出来る度に自慢され、振られる度に泣きつかれているのだ。嫌でも耳に入ってくる。故に、彼が歴代彼女に一ヶ月と保たずして別れを切り出されているのも把握してしまっているのだ。
しかし、今回の彼女は長く続いている。二年生の終わり頃には付き合っていたはずだから、半年以上続いていることになるのだ。もしかすると一年近く続いているのかもしれない。
(あの木兎がなぁ……)
木兎はモテる。長身でガタイがよく、誰にでも好かれる人気者。お調子者のきらいがあって、おつむは少々心配になる部分はあるが、何と言ってもバレー部のエースだ。それも全国五本指のスパイカーとして知られていることもあって、お調子者な部分を補ってあまりある魅力が彼にはあるのだ。それ故に、彼の隣に立ちたいと考える少女達は多い。
けれど、人間というものは難儀なもので、彼女という立場を得ただけでは満足できないのだ。彼女として扱って欲しい。有名人の隣に立つ自分を見せびらかしたい。バレーよりも何よりも、自分を優先して欲しい。そんな風に思ってしまうのだ。故に、何よりもバレーを優先する木兎に愛想を尽かしてしまう。自分を優先しないならば、意味がないと言って。何とも勝手な言い分ではあるが、人間は自分がかわいい生き物である。意味のないものにいつまでもしがみつく暇などないのだ。特に、木兎のステータスにしか興味のない少女にとっては。
これについては木兎にも落ち度がある。特定の誰かと付き合っているときに告白を受けることはないけれど、恋人がいないときはすぐに「OK」の返事を出してしまうのだ。自分を「好き」だと言ってくれるのが嬉しくて。たいして相手に情があるわけでもないのに、一緒に居るうちに好きになるだろう、と。
けれど木兎の一番はバレーである。彼女とバレーを天秤にかけて、それが彼女に傾くことはない。だから意外だった。木兎がバレー以上に優先することなどない。それでも彼女として隣に並び立つ少女がいるだなんて。こんなにも長く、木兎と歩んでいける少女がいるだなんて。
(それだけカノジョが木兎に惚れ込んでいるのか、木兎の方が本気になったのか)
どちらにせよ、彼女を思い出して笑みを浮かべている木兎は幸せそうだ。
木兎は敵味方関係なく鼓舞し、観客を魅了するプレーをする選手だ。それは日常においてもそうであることが多く、彼が笑っていると釣られて笑ってしまうことも多かった。木兎が本当に嬉しそうに笑うから、黒尾の口角も自然と上がった。
「気になるじゃねぇか。どんな子だよ?」
「かっこいい感じのビジン! あと、何か全部がキレイな子!」
「抽象的過ぎデショ……。もうちょっと具体的に言えないんですか?」
「具体的……」
木兎のふわふわとした説明に、思わず月島が声を上げる。興味ありません、という顔をしつつ、彼の好奇心がそそられているのが窺えた。
木兎が腕を組み、言葉を探しているようだった。難しい顔をして唸っていたかと思うと、突然明るい表情になって顔を上げた。
「俺のカノジョ、黒髪なんだけど、ちょーツヤツヤしてんの! 触らして貰ったことあるんだけど、一回も引っかからなくて、スルッと逃げてくんだよ! すごくね??」
「烏野のマネちゃんみたいな?」
「そうそう! あと、声もキレイ! なんつーの? こう、すーっと耳に入ってくる感じ! 色だったら透明なイメージ!」
「木兎さんって声フェチなんですか?」
「分かんない。声がキレイって思ったの、カノジョが初めてだし」
「他には?」
「いっぱいあるけど、俺のバレー好き! って気持ちを大事にしてくれるとこかな。何て言うのかな、俺の好きな物ごと、俺のこと大事にしてくれてる感じがすんの。俺がバレー最優先なのきちんと理解してくれて、でも無理してそうしてるんじゃなくて、それでこその俺! って思ってくれてんだよね」
ちょーいいカノジョ! と木兎が笑う。頬がほんのり赤く染まっていて、彼が大事に想われていて、彼も相手を思いやっているのが伝わってくるようだった。
思ったより木兎から彼女に向ける心は大きいのかもしれない。黒尾が木兎から散々聞かされていた歴代の彼女自慢は、顔がかわいいとか、胸が大きいとか、上辺ばかりのものだった。内面を指して褒めることは殆どなかったのだ。それだけ相手を知らなくて、きっとこれから知っていこうとした段階で、相手が耐えられなくなってしまうのだ。自分が一番になれないことに。
けれど、今度の相手はそうではないのだ。木兎の一番はバレーで、それが覆ることがないことをきちんと理解している。それを苦に思うでもなく、そんな美点にも欠点にもなり得る部分ごと、木兎を包み込んでいるのだ。それが木兎である、と。
俄然、興味が湧く。僅かに身を乗り出して、黒尾がにやりと笑う。
「いいカノジョじゃねぇの。写真とかねぇの?」
「あるぜ! ちょっと取ってくる!」
軽やかに立ち上がった木兎が、荷物の置かれた教室に向かうのを見送る。過酷な練習を終えた後だというのに、全く疲れを感じさせない動作に、月島がげんなりと顔を歪ませる。何であんなに元気なのだろう、と肩を竦めた。どんなに頑張っても、自分は得られないだろうスタミナを目の当たりにし、月島はひっそりと息を吐いた。
駆け足で体育館から出て行った木兎から、黒尾の視線が赤葦に移る。その視線に気付いた赤葦が、ぱち、と目を瞬かせた。
「赤葦は木兎のカノジョ知ってるよな? 赤葦から見てどうよ?」
「どう、とは……?」
「赤葦から見て、木兎のカノジョってどんな子なのかなぁって」
黒尾が尋ねると、赤葦が顎に指をかけ、僅かに思考を巡らせる。床に落としていた視線が、ゆっくりと天井に向いた。
「………木兎さんの言うとおり、綺麗な人だと思います。見た目もそうなんですけど、誰に対しても誠実と言うか、一人一人にきちんと向き合うというか。これも木兎さんと同じになってしまうんですが、相手の大切なものを一緒に大事に出来て、相手の意志を尊重できる人だと、俺も思いました」
「高評価だね~。そんなに良い子なんだ?」
「そうですね。お付き合いしたいとかはないんですけど、人間的に好きな人ですね」
「へぇ~?」
木兎が彼女について話しているとき、周囲にチームメイトがいると、相手がどんな人間であるのかを把握することが出来る。あまり良い印象を持てない人間であったら、木葉などは露骨に顔を顰めるし、猿杙は困ったように眉を下げる。うざがりつつも木兎を大事に想っている彼等は、あまり好きになれない人間を恋人として傍に置いておくのを良しとしていないのだ。わざわざ口に出して、それを咎めたりはしていないようであるが、内心では気を揉んでいるのが窺えた。友人が傷付くのを見たくない。きっと、そんな想いを抱えていたはずだ。
けれど、今の赤葦の顔は、非常に穏やかなものだった。今の彼女ならば大丈夫だと、彼は安堵しているのだ。木兎の評価だけでなく、赤葦の評価まで高いとなると、黒尾だけでなく月島の好奇心も疼く。どんな人なんだろうか、と木兎の帰りを待つ。
バタバタと、足音が近づいてくる。帰ってきた、と三人の視線が足音のする扉に向いた。
「スマホ持ってきた!」
「お、どれどれ?」
「この子!」
扉を開け、スマホを掲げながら木兎が体育館に入ってくる。早速アルバムを開き、件の彼女の写真を表示する。黒尾達が覗き込むと、そこには体育館と思わしき場所でバレーボールに触っている少女が映し出されていた。トスを上げる瞬間を切り取ったような一枚に、写真を見せて貰った黒尾と月島の視線が木兎に集中した。
「…………もしかして、カノジョさんとのデートの写真です?」
「おう! 市民体育館で一緒にバレーしたときのやつ!」
「木兎さんのカノジョ、バレー経験者なの?」
「バレーは体育の授業でしかやったことないって言ってた!」
それはデートと言えるのだろうか。言えないこともないだろうが、一般的な彼氏彼女のデートから離れている気がしなくもない。そう思うのは経験値が少ないからだろうか。定番のコースを回りたがるような女の子ばかりと付き合っていたからだろうか。黒尾が首を傾げていると、すい、と木兎が画面に指を滑らせる。次も同じように、バレーボールに触れる少女が映し出されていた。その少女を見つめながら、木兎が優しく微笑む。思わずハッとするような、穏やかな表情だった。
「正直、バレーの腕前はシロートにしたら上手いって程度だよ。俺にとって一番良いトスを上げてくれんのは赤葦だし。でも、自分のために上げてくれたトスって嬉しいじゃん? ぎこちなくて、あんまり打ちやすくないけど、丁寧なトス上げてくれるから、何回でもスパイク決めたくなっちゃってさ」
だから何回も体育館連れてっちゃう、と木兎ははにかんだ。彼女とするバレー、ともすればバレーとは呼べないようなボール遊びが、彼にとっては宝物のように輝いて見えるのだろう。楽しくて仕方ないのだと、そのときのことを思い出したのか、木兎の目がキラキラと輝いている。
「そんでさぁ、カノジョも俺がスパイク決める度に喜んでくれんだよ。すごいって褒めてくれて、打ちにくいトスでも決めてくれて嬉しいって。試合すんのが一番楽しいけど、こういうバレーも良いなぁって、新しい楽しさを知った気がするんだ」
―――――俺、やっぱバレー好きだわ。
そう言った木兎の瞳はまるで闇夜に浮かぶ猛禽類のようで、一瞬だけ気圧される。ギラギラと照明を反射する金色に飲み込まれてしまう錯覚すら覚えた。
ああ、こういう人間をバレー馬鹿と言うんだ。彼のような人間は、己の愛するものと共に生きていく。そうすることでやっと息が出来る類いの生き物なのだ。何もかもを置き去りにして、それでも前へ進んでいけるものだけが到達できる場所に、彼はいつか辿り着く。そんな風に思わせるのが、木兎という人間だった。
木兎の彼女だという少女が、彼のそんなところを受け入れてくれる人間であるといいなと、黒尾は友人として願わずには居られなかった。
