牛島さんの幼馴染みで恋人な姐さん
「天童くん、牛島くんの好みのタイプって知ってる?」
頬を上気させ、恥ずかしそうに尋ねてきたのは、一年生の中でもかわいいと評判の女の子。ふわふわとしたウェーブのかかった茶髪。ピンクのリップ。短くしたスカートからは、すらりと細い足が惜しげもなく晒されている。10人中9人はかわいいと絶賛する女子生徒だ。天童の目から見ても、その女の子はかわいかった。
こうやって牛島の好みの女の子だったり、好きなものを聞かれるのはこれが初めてではない。入学してから数ヶ月、すでに両手の数では足りないほどだ。牛島と親しくしている以上、この手の女の子に情報源として扱われる覚悟はあった。けれど、まさかここまでとは思わなかった。
牛島は常に仏頂面で、愛想がいいとは言えない男である。けれど、長身で精悍な顔立ちのスポーツマンがモテない訳がないのだ。しかも、そのスポーツで好成績を残しているとなれば、尚更。
天童が、へらりと笑う。
「ごめーん、分かんないや。若利くん、そう言う話乗ってくれないんだよね~」
「そっかぁ……。確かに、そんな感じするよね……」
少女がしゅん、と肩を落とす。けれど、天童が答えを知らないと分かった瞬間、盛大に顔を顰めたのを、彼は見逃さなかった。女子こえー、と内心で震え上がりながら、ひらひらと手を振って「用事があるから」と別れを告げる。天童に用がなくなった少女から、彼が引き留められることはなかった。
「若利くんってさぁ、好みのタイプってあんの?」
食堂で昼食を摂る牛島の正面を陣取り、天童が尋ねる。隣に座る大平に「雑談は食べ終わってからにしなさいよ」と窘められるが、天童はそれどころではなかった。いい加減、面倒くさかったのだ。あらゆる女の子から探りを入れられるのも、情報源になり得ないと分かると、悪意に似た感情を向けられるのも。それならいっそ、大勢の前で彼の口から「好みの女の子」について話して貰えばいいと考えたのだ。
「好みのタイプ……?」
「どんな女の子が好きかってこと。髪が長い女の子が好きとか、背が高い子の方が良いとか、そういうやつ」
確かに気になるな、と山形が目を輝かせる。こういった話題のとき、牛島は基本的に乗ってこないのだ。故に、誰も牛島の好みなど知らないのである。最も、彼が積極的に会話に混ざるのは、バレーに関わるものくらいであるのだが。
牛島が逡巡する。その様子に、周囲の女子生徒が聞き耳を立てているのが分かった。
「………背は、高い方がいい。横を向くと、自然と目が合うくらいがいいと思う」
「長身女子が好きなんだ! 確かにあんまり身長差あると首痛くなっちゃうもんね~」
「でもそれ、170越えてないと無理じゃね?」
牛島の回答に瀬見が苦笑する。牛島は中学を卒業した時点で、170センチ後半という高身長である。まだまだ伸びしろがあり、すでに180の大台に乗っているかもしれない。横を向くと視線が合うような長身の女子生徒など、かなり限られてくる。食堂にいた牛島狙いの少女達が、一斉に肩を落とした。
「髪はまっすぐな黒が良い。長さについては、本人の好きにしたら良いんじゃないだろうか。似合っていれば、長くても短くても構わないと思う」
「何かそれっぽい! これぞ日本人って感じの子好きそう!」
「大和撫子ってやつか?」
「ただ、あまり短過ぎるのはさみしいと思う」
髪を染めている女子生徒達が、一気に脱落した。また、黒髪であってもショートヘアの女子生徒が頭を抱える。彼女等に言葉はなくとも、今にも嘆き声が聞こえてきそうな様相だった。
牛島に想いを寄せる女子生徒達がバッタバッタと薙ぎ倒されていく様は、まるで彼を中心とした嵐に吹き飛ばされているように見えた。
「他には~?」
「他に、か……。綺麗な声で名前を呼ばれるのが好きだ」
「若利くん、まさかの声フェチ!?」
「でも、綺麗な声で名前を呼ばれると、確かにドキッとするよなぁ」
声に自信のある女の子や合唱部の面々が、ピクリと反応した。また、大平に気がある女子生徒達が、彼の言葉にそわりと沸き立つ。喉に良いものをスマホで検索する生徒もちらほら見える。熱意が凄いなぁ、と天童は苦笑した。
「背が高くて、黒髪で、声が綺麗な子かぁ。結構具体的だな?」
「もしかして好きな子居たりする~?」
「ああ」
「「「「…………えっ!!??!?」」」」
牛島の予想外の返答に天童が思わず立ち上がり、瀬見が水をひっくり返し、大平が箸を落とし、山形がぽかんと間抜け面を晒した。食堂のあっちこっちで悲鳴が上がり、場は混沌を極めた。そんな悲惨な状況を、牛島は気にも留めない。もしかしたら気付いてすらいないかもしれない。彼は究極のマイペースだった。
「若利」
空気を変えるような、凜とした美しい声が耳朶を打つ。その声に惹かれるように振り返ると、一人の少女がトレイを手に席を探しているようだった。
「隣、いいか?」
「ああ」
短いやり取りを交わし、牛島の隣に座ったのは彼の幼馴染みの清庭椿だった。二人は親同士の仲がよく、物心付く前からの付き合いであるという。小学生のときには牛島と共にバレークラブに所属しており、彼と並んでも遜色ない長身の女子生徒だ。
牛島の隣に座った姿を見て、天童が「あれ?」と首を傾げた。
「今度の日曜、薙刀部は体育館の点検で休みなんだが、バレー部も休みだろうか?」
「ああ。丸一日空いている」
「なら、一緒に出掛けないか? クラスの子にとんかつが美味しい食堂を教えて貰ったんだ。市民体育館の近くだから、一緒にバレーをするのも良いな」
「それは良いな。スポーツショップも見に行きたいんだが、構わないか?」
「ああ、もちろんだ」
「なら決まりだな」
「ふふ、楽しみだな」
椿が淡く笑うと、牛島が珍しく笑みを象る。その顔を見て、天童の中にあった引っかかりが、完全に確信に変わった。
牛島と変わらない長身。天使の輪を描く濡れ羽色の髪。合唱部に勧誘される美しい声。柔らかい眼差しで椿を見つめる牛島は、恋をしている一人の男だった。
「……………若利くん。さっき言ってたのって、もしかして椿ちゃん?」
「ああ、そうだ」
何の躊躇いもなく肯定され、天童が天を仰ぐ。マジか、と思わなくもないが、彼女ならば納得がいく。幼い頃からずっと隣にいた女の子。他の誰よりも牛島の事情を知っていて、彼の心を理解していて、自然体でいられる相手だ。好きにならない方が難しいのかもしれない。
食堂は、一周回って静まりかえっていた。それが返って恐ろしくて、天童は周りを見ることが出来ない。
天井を見上げたまま動かない天童を、椿が不思議そうに見つめる。そんな椿を、瀬見達は目を丸くして見つめていた。
目を瞬かせた椿が、牛島に目を向ける。首を傾げたのに合わせて、綺麗な黒髪が肩に流れた。
「………何の話だ?」
「好みの女子の話をしていた」
「……若利、君、私が好みだったのか?」
「正直、分からない。椿以外を考えた事がないから、そもそも好みを考えたことがない」
「なるほど……?」
―――――それはもう告白では?
瀬見が倒れたコップを元に戻しながら、隣の山形に目を向ける。山形も瀬見に目を向けながら、困惑の表情を浮かべていた。
「お前はどんな奴が好みなんだ?」
「ものを大切にする人。食べることが好きな人。私の大切なものを一緒に大事にしてくれる人」
「そうか。俺は当てはまっているか?」
「当てはまっているんじゃないか? 物持ちは悪くないし、食べるの好きだろう? それに、君は結構私のことを優先してくれているように思う」
「そうか。なら良い」
ふ、と牛島の目元が緩む。椿は常と変わらない澄まし顔だが、牛島の方は明らかに機嫌が良さそうだった。
椿を見つめる眼差しの優しいことと言ったら。何故今まで気付かなかったのか、不思議に思えてくるほどだった。
肩に流れた髪を後ろに流す手つきの丁寧なこと。髪の一房すら傷付けまいとしているようで、心底椿を大切にしていることが窺えた。
甘ったるい空気に当てられた瀬見が、熱くなった顔を手で仰ぎながらため息をついた。
「はぁー……。それで女子からの告白、全部断ってたんだな」
「なんで誰とも付き合わねぇのか不思議だったけど、そういうことなら納得だわ」
「……? 恋人なら居るが」
「「「「はぁっ!!!??」」」」
「私が恋人だが」
「「「「ええっ!!?!?」」」」
瀬見と山形のやり取りに、牛島が不思議そうに目を瞬かせる。隣に座る椿も、似たような顔で首を傾げていた。
二人が恋人同士であると言うことを、本人の口から報されたバレー部のメンバーは驚きの声を上げた。それと同時に、食堂のあちこちで明確な悲鳴が上がる。その中には男子生徒の声も混じっており、混沌具合は増すばかりだった。
「それにしても、彼女持ちに告白してくるなんて、度胸があるな」
「それはお前に言い寄る男達にも言えることだがな」
しらり、と平時の顔で呟いた椿に対し、牛島は機嫌が悪そうに眉を寄せる。誰だって、好きな相手に言い寄る人間に好意的にはなれないだろう。まして、それが自分の恋人ともなれば、尚更である。
「ま、待って待って! 俺そんなこと聞いてない!」
「ああ、そう言えば、天童は外部入学組か。なら、知らないのも無理はないな」
「……そう言えば、言っていなかったな」
「そうだよ、聞いてないよ~! いつから付き合ってたの!?」
「中学のときからだ」
「確か、二年の夏だったよな?」
「ああ」
「結構長い!!!」
何それ知らない、と中学からの持ち上がり組である大平と瀬見があんぐりと口を開けていた。ちなみに別のグループで昼食を囲んでいた持ち上がり組の添川も、同じような顔で遠くから牛島達を見つめていた。
「存外知らない人間が多いんだな。隠しているわけでもないんだが」
「そもそも、恋人がいると言って断っているのだから、もっと広まっても良さそうなものだがな」
「もしかして、バレーが恋人だと思われて、本気にされていなかったんじゃないか?」
「………俺には椿が居る、と言って断っていればよかったのか?」
「次があれば、そう言って断れば良いのでは?」
「お前もそうしろ」
「分かった」
そう言って、二人は食事を再開する。すっかりいつも通りに戻った二人だが、周囲はそうはいかない。事態を飲み込めない者。納得いかないと言うように不満を顕わにする者。悲愴な顔で項垂れる者。阿鼻叫喚を煮詰めた様相に、今後が大変そうだとバレー部一同はため息をついた。