牛島の片割れな姐さん
それは食堂での出来事だった。いつものように牛島の正面を陣取った天童は、今日も今日とて、よくもまぁ話題が尽きないものだ、と感心するほど止めどなく話していた。
天童の話はすぐにあっちこっちに飛んでいく。話を聞いて欲しいのか、ただ話したいだけなのか。ついていくのも一苦労なおしゃべりに、牛島はひたすらに相槌を打っていた。返事は「ああ」「そうか」「知らない」など、素っ気ないものばかりであるが。
その話題が出たのも唐突だった。どのような流れでその話題になったのかは分からない。そのくらい突然切り出された話題だったのだ。天童の「若利くんって一人っ子っぽいけど、兄弟いる?」という問いかけは。
彼の口から兄弟の話は出たことがなかったため、きっといないのだろう、とみんながみんな思っていた。彼に兄弟がいるようには見えない、というのも大きかった。兄弟がいたら、もう少しコミュニケーションが円滑に取れるだろうし、ここまでバレー以外に目を向けないと言うこともないだろう。家族というのは、良い意味でも悪い意味でも、お互いに影響を与えるものだ。下に兄弟がいる者はやはり世話焼きな傾向にあるし、上に兄弟がいる者は甘えるのが上手い。牛島は、そのどちらでもないように思えた。
けれど、周囲の予想に反して、牛島は言ったのだ。「いる」、と。
「へぇ~! 若利くん、一人っ子じゃなかったんだ!」
「双子だ」
「えっ!? 若利くん、双子だったの!?」
天童の驚愕の声に、食堂中が振り返る。牛島が、双子。それは驚天動地の事実だった。
水を打ったように静まりかえった食堂が、次の瞬間には大きくざわめく。人から人へと話が伝わっていく。少し離れたところでクラスメイトと食事を摂っていた瀬見は、明日には学園中に知れ渡っているな、とどこか遠くの出来事のようにぼんやりと牛島達を見つめた。
「ああ。姉か妹か、正確には分からないが、書類上では妹だったはずだ」
「しかも女の子!! どこの学校通ってんの!?」
「知らない。両親が離婚したときに、父親に引き取られて、今は海外にいる」
「あ、ごめん……」
「いや、構わない」
しゅん、と天童が肩を縮こめる。両親が離婚しているという話は以前にも話題に上っていた。けれど、そのときに片割れの話は出てこなくて、まさか双子が離ればなれになっているなんて思わなかったのだ。それも、牛島の中で大きな存在である父親に引き取られる形で。それは牛島の中で、どんな形で残っているのだろう。申し訳なく思いながら俯く天童を、牛島は不思議そうに眺めていた。
「…………その子のこと、聞いてもいい?」
「ああ。構わない」
牛島の顔色を窺いながら、天童が尋ねる。牛島は常と変わらない顔で頷いた。その顔から不快だとか、そう言った負の感情は読み取れない。他の話題とそう変わらない態度だった。
嫌な話題ではないのだと判断した天童が、話題を選びつつ問いかけた。
「その子もバレーやってるの?」
「いや、多分やっていないんじゃないか。片割れには他に好きなことがあった」
「そうなんだ? 若利くんの双子ちゃんっていうから、超バレー馬鹿のイメージしか湧かないんだけど」
「遊びとしては好きだったように思う。だが、クラブに入りたいとか、選手になりたいという考えはなかった」
「へぇ~!」
若利の片割れなら、バレー上手そうなのに、と山形がうどんを啜る。その正面で、若利の片割れの好きなものは何だろう、と大平が思考を巡らせていた。牛島のイメージが強すぎて、どうしてもバレー以外に思い浮かばない。おそらく、それはこの場にいる誰もがそうだった。
「遊びとしてはってことは、一緒にバレーして遊んでたの?」
「ああ。トスを上げてくれたり、レシーブ練に付き合ってくれた」
「良い子ダネ! 若利くんは何して遊んであげたの?」
「図書館で借りた図鑑を二人で読んだり、かくれんぼをよくした覚えがある」
「二人でかくれんぼって、すぐ終わっちゃわない?」
「ああ。どこにいるのかは何となく分かるから、お互いにすぐに見つけてしまって、あっと言う間に終わってしまう」
「すげぇ! 双子ってそういうのあるって聞いたことあるけど、マジであるんだ!!」
双子の神秘! と天童が頬を上気させる。そういうの? と牛島はきょとんと目を瞬かせていたが、わざわざ尋ねるほどのことでもないと思ったのか、箸を置いてお茶を啜った。
「若利くん、もっと片割れちゃんについて教えてよ。若利くんの片割れちゃん、ちょ~興味ある!」
テンションを上げたまま、天童が身を乗り出す。やはり牛島は不思議そうな顔をしていたが、彼は確かに頷いたのだった。
***
「まだバレーを始めたばかりで、さほど知識がなかった頃、知らないうちにクイックをやっていて、父を驚かせたことがある」
「マジで!? 片割れちゃん、やっぱバレーの才能あるんじゃね!?」
「どうだろう。下手ではなかったと思うが、俺も始めたばかりで、似たり寄ったりの実力だった」
「そんなときからクイックやっちゃうのは才能あるでしょ~~~!」
興味がある、という言葉通り、天童は事あるごとに牛島から片割れの話を引き出した。やはりバレーに関わる話も多かったが、バレー以外に関わる牛島の話も思いのほか多かった。
「片割れは、博物館が好きだった。小さい頃は、よく父に連れて行って欲しいとねだっていた」
「博物館いいよねぇ。あの非日常感! 俺は恐竜博物館が好きだったナ~。片割れちゃんは何を見に行ってたの?」
「片割れは刀が好きなんだ。博物館に行くと、いつも刀の展示場から動かなくなって、声をかけるまでずっと眺めていた」
「片割れちゃんは若利くんのバレーへの情熱が、刀に向いた感じなんだネ。渋いけど良い趣味してるネ~!」
刀が好きだったと言われて、少し驚く。予想外ではあったが、納得してしまう気持ちもあった。何せ牛島が、少しばかり古風な人物で、何なら武士を思わせるような瞬間があるからだ。牛島キョウダイおもしれぇ、と天童が密かに笑う。いつか会ってみたい、と。
ふと、牛島の顔が曇ったような気がした。
「……だが、女の子らしく育って欲しかった母や祖母は、博物館にばかり行きたがる片割れにいい顔をしていなかった」
「まぁ、博物館とか、男の子の方が行きたがる子は多いかもね……」
「そうかもしれない。だからあいつは、その“好き”を仕舞い込んで、俺にのみ打ち明けるようになった」
牛島が思い出すのは、片割れに苦言を呈した祖母の姿だった。片割れはその苦言を半分受け入れて、半分拒絶した。刀を愛することは辞められない、と。けれど家族を悲しませたいわけではない、と。そう言って、片割れは博物館に行きたいと強請ることはなくなり、代わりに図書館に出向いて、刀に関する図鑑や歴史書を借りるようになった。牛島以外の家族に隠れて。
それでも目を輝かせて図鑑を広げた片割れの姿を思い出して、牛島の拳に力がこもる。それに気付いた天童が、僅かに目を細めた。
牛島の実家は、おそらく古風な家柄だ。左利きの矯正を考えるような家である。女の子は大和撫子のように育てたいと考えていたのかもしれない。けれど、子供にだって自我がある。親の思い通りに育つことはない。牛島の片割れが父親に引き取られたのは、子供の個性を潰させないための、親の愛情だったのだろう。人と違うことは力になると、そう言って牛島の“左”を守った人だ。そんな人ならば、片割れの個性も守られるだろう、と。本当のところは、分からないけれど。
「今も、その“好き”を貫けてるといいねぇ」
「大丈夫だ。あいつはそんなに弱い奴じゃない」
そう言って、牛島は微笑んだ。その顔には全幅の信頼が乗せられていた。
***
「最近、片割れのこと聞きすぎじゃねぇ?」
天童に苦言を呈したのは瀬見だった。
天童が、形容しがたい表情を浮かべている瀬見を見て、小さく苦笑した。彼はきっと、天童を悪者にしたいわけでは無い。彼を悪いと思っているわけではない。単純に、牛島の家庭の複雑さを垣間見て、彼の心境を慮っているのだ。その証拠に、天童に向けられた顔はばつが悪そうで、彼の中の葛藤が見て取れるようだった。
「あんま聞いてやるなよ。話にくいことかもしれねぇだろ」
「そんなことないヨ。だって、若利くん、片割れちゃん大好きみたいだし、もっと話したいって思ってそうだよ」
「そう、なのか……?」
「うん。そんな感じする。何だろ、忘れたくない? って感じ?」
「……やっぱ、離れてると忘れちまうもんなのかな」
「かもね……」
牛島が話す片割れの話は、いつだって“小さいとき”の話だ。それこそ、保育園や小学校の低学年くらいの年頃だろう。口ぶりからして、中学入学前には、彼の両親は離婚している。どんなに短くとも、3年以上の月日を離ればなれで過ごしているのだ。忘れてしまうこともあるだろう。
家族のことを忘れたくないと思うのは、何もおかしいことではない。忘れたくないと願うのは、間違いなどではない。そう思うのは、彼がきっと、今でも家族を想っているからだ。
「次は何聞こっかな~」
「…………若利の迷惑にならない程度にしろよ」
「分かってるって!」