月の観測者 2






 赤く染まる街を見つめ、藤丸立香は人知れずため息をついた。
 何も夕日にたそがれているのではない。この街が赤く染め上げられているのは、消える気配の無い炎に燻られているからだ。
 そこに存在しているのは蠢く魔物と、黒く染まったサーヴァントのみ。
 燃え盛るこの街に、もはや人の気配は無い。

 しかし、そんな過酷の状況の中でも、ほんの少しだけ進展があった。
 キャスターという心強い味方。
 キャスターはこの炎に覆われた街―――冬木の聖杯戦争に召喚されたサーヴァントで、利害一致のもと、協力関係に至ったのだ。
 そしてマシュの宝具展開。
 オルガマリーによって『ロード・カルデアス』と名付けられたそれは、キャスターの攻撃を完璧に防ぐほどに強力な防御手段だった。
 それらを手に入れて、わずかながらに希望が見えてきた立香は、安堵の息を漏らしたという訳である。

 冬木が特異点と成った原因とされる大聖杯。
 最後の闘いは目前に迫っている。
 そこへ至る道のりの途中であるが、立香はここに来てようやく一息つけた様な心地でいた。
 しかし、事態は急変する。


『皆、気をつけてくれ! 近くにサーヴァント反応が確認された!』


 いつも気の抜けたような穏やさで話すロマニの切羽詰まった声。
 緩んでいた表情が一気に引き締まり、強張るのが分かった。
 ―――つい先程2騎のサーヴァントを退けたばかりだというのに、続け様にサーヴァント戦だなんて!


『まずいぞ……! サーヴァントが一騎、こっちに向かってきている!!』
「に、逃げるわよ! アーチャーならキャスターが何とか出来るって言ってたけど、これがバーサーカーだったらまずいわ!!」


 オルガマリーの発言に、キャスターの言葉を思い出す。アーチャーならば相手取れるが、バーサーカーについては『化け物』と称し、戦いを避けるよう促してきた。
 ―――確かに、まずい。キャスター以外のサーヴァントを倒したセイバーですら手を焼くという相手だ。戦闘は避けるべきだろう。
 撤退の旨を伝えようと立香がキャスターを振り向くと、キャスターは剣呑な表情で杖を構えていた。


「いや、相手もおそらくこっちの存在に気付いているだろう。この距離なら逃げてもすぐに捕まっちまう。仕方ねぇ、このまま応戦するぞ!」
「先輩! 私の後ろへ!」


 キャスターの言葉に、マシュが盾を構える。
 戦闘が避けられないと分かった立香とオルガマリーは、すぐさま彼らの後ろに回った。
 そして、確実にこちらに接近してくるサーヴァントを待ち構える。
 しかし、やがて現れた人影に、立香たちは呆然とする。
 現れた人影が、二人だったのだ。


『二人!? そんな馬鹿な! サーヴァント反応は確かに一つしか……。いや、二人で一人のサーヴァントか!』
「え? そんなサーヴァントもいるの?」
『そういう逸話がある英雄なら、二人一組で召喚されることもあると考えられているんだ。有名どころで言えば、アン・ボニーとメアリー・リードなんかがそうなんじゃないかって言われているよ』


 そんな場合ではないというのに、新たに得た知識に立香が感心したように頷く。
 その横で、オルガマリーがキャスターに噛みついた。


「ちょっと! どういうことよ、キャスター! 二人一組のサーヴァントなんて聞いてないわよ!」
「いや、あいつらはアーチャーでもバーサーカーでもねぇ……。初めて見るサーヴァントだ」
「はぁ!?」


 キャスターの言葉にオルガマリーが驚愕の声を上げる。
 彼の言葉に、立香もマシュも呆然とする。
 ―――アーチャーでもバーサーカーでもない。ではあのサーヴァントは一体何なんだ!?


「テメェら何者だ……? この聖杯戦争で召喚されたサーヴァントじゃねぇな?」


 厳しい顔でキャスターが二人組を睨みつける。
 二人組の一人は黄金の鎧を纏った長身の男。もう一人は茶色のブレザーを着た少女であった。
 男は酷薄な笑みを浮かべ、少女は大きな目を瞬かせて、ゆっくりと首をかしげた。


「……あの人、ランサー、だよね?」
「いや? 此度の召喚には、自慢の槍を手放して応じたようだぞ?」
「そうなのか。……そう言えば、彼にはキャスターの適性もあったな。なら今回はキャスターとして召喚されているのか」


 こちらの切迫した空気などお構いなしに、彼らは言葉をかわす。
 どうやらキャスターを知っているような口ぶりに、キャスターの警戒心が高まるのが分かった。
 けれど二人組の落ち着いた空気は変わらない。


「まぁ、キャスターのことは置いといて、どう説明したものかな。上手く説明できる自信が無いのだが」
「貴様がどうにかしろ。我は知らん」
「ええ……」


 そんな二人の空気に当てられたのか、冷静になった頭で立香は二人を観察する。
 鎧の男はただそこにいるだけで畏怖の念を抱かせるような威圧感があり、サーヴァント然としている。
 おそらく、戦ってはいけない類の相手だ。
 しかし、少女の方はどうだろう。制服に包まれた体は人間のソレ。逸脱するところなど何もない。むしろ平均よりもずっと細身で、その細い体には、とても戦える力が備えられているとは思えない。

 けれど、この二人組はサーヴァントであると判断された。覇を競うために現代に召喚された、過去の英霊。奇跡の体現者だ。
 それでも立香には、鎧の男はともかくとして、少女の方は英霊とは思えなかった。何というか、在り方が違うように見えるのだ。


「どういうこと!? 冬木の聖杯戦争に召喚されたサーヴァントは7騎のはずでしょう!?」
『まさか特異点が生じた事で、ここまで事態が変質してしまったのか!?』


 オルガマリーとロマニの困惑の声に、沈んでいた意識が浮上する。
 ―――そうだ。この事態は異常なのだ。
 覇を競い合う英霊は7騎。つまり彼らは、イレギュラーな8騎目のサーヴァントということになる。
 ロマニの言う通り、歴史が歪められたことで召喚されたサーヴァントなのだろうか。
 そんな疑問の答えは、こちらの頭を悩ませている本人によって齎された。


「それも間違いではないだろう。私たちは『観測者(オブザーバー)』。例外的な聖杯戦争の行く末を見守る者として召喚される」


 ロマニ達の疑問に答えるように、少女が涼やかな声で告げる。
 耳によく馴染む、透き通るような声だった。

 あれ? と立香が首をかしげる。
 オブザーバーと言うクラスは、オルガマリーの説明には無かったはずだ。基本の7クラス以外にも、召喚されるクラスがあるということだろうか。
 不思議に思ってオルガマリーを見やると、当の彼女は狼狽した様子で謎のサーヴァントを見つめていた。


「オ、オブザーバー……? 何よ、それ。聞いたこと無いわよ、そんなクラス!?」
「当然だ。我達は本来の聖杯戦争には絶対に召喚されないクラスであるからな。故に、歴史上初の召喚である。この奇跡の様な出会いに感謝し、地に平伏し噎び泣くが良い!」


 オルガマリーの困惑が滲んだ言葉に、鎧の男が笑い声を上げる。
 何という俺様、という言葉を何とか飲みこんで、立香は続きを促すように少女に目を向けた。
 その意を汲んだのだろう。少女が一つうなずき、説明の続きを口にした。


「私たちは冬木の聖杯戦争に呼ばれたのではなく、冬木の聖杯戦争が何らかの原因で変異したから召喚されたんだ」


 彼女は聖杯戦争に呼ばれたのではないと言った。それはつまり、聖杯戦争以外で英霊召喚が行われたということをなるのではないか。
 そこでまたも、立香は首をかしげる。彼女たちはどうやって召喚されたというのか、と。
 サーヴァントは人間によって召喚される最高位の使い魔だ。しかしキャスター曰く、人間は一夜にして消えたという。
 けれども彼女たちの口ぶりから察するに、この街が炎上してから召喚されている様子だ。
 これは一体どういうことなのか。

 ―――駄目だ。素人マスターには事態がややこし過ぎて、全く話について行けない。
 立香は頭を抱えた。
 幸いなことにマシュも事態を飲み込めていないようでぽかんと呆けている。それが唯一の救いだった。
 仲間がいた、と安堵する立香をよそに、ロマニが息を詰める。


『……つまり、事態が変質して御身が存在するのではなく、そこが特異点と成ってしまったから御身が召喚された、と?』
「ああ。話が早くて助かる」


 ひゅ、と息を飲む音。
 一人、事態を把握したらしいロマニがあまりのことに呆然としていた。
 沈黙が落ちる。
 オブザーバーを名乗るサーヴァント達はこちらの反応を待っている。
 オルガマリーは困惑しきった様子でぶつぶつと独り言を囁いている。
 キャスターは警戒心を剥きだしたままであるし、マシュも彼に触発されてか盾を降ろす様子を見せない。
 事態を飲み込めていない自分が一番落ち着いている。
 そう判断した立香が制服の少女に声をかけた。


「……よく分からないんだけど、見守る者って、言葉通りの解釈で良いの?」


 少女が、大きな目を立香に向けた。


「ああ。私たちは基本的に第三者の立場にある」
「つまり、敵ではない、ということでしょうか?」
「もちろん攻撃されれば応戦はするが、私たちが聖杯戦争に関与することは無い」


 少女の言葉を受けて、マシュが尋ねる。
 少女は律儀にマシュに視線を向けて質問に答えた。


「マスターがいないようだけど、君は誰に召喚されたの?」
「私達は聖杯に必要とされて、聖杯に召喚されるんだ。故に、通常の聖杯戦争には召喚されない」
「そんなこともあるんだ」


 聖杯がサーヴァントを召喚することもあるのか、と立香が驚く。
 けれど納得できる部分もある。
 この聖杯戦争は、すでに聖杯戦争の枠を逸脱している。
 マスターはいない。人間すら存在しない。そこにいるのは魔物と泥に犯されたサーヴァントだけ。聖杯戦争としての形を成していないのだ。オブザーバーの様な特殊な存在を必要とするのも頷ける。


「む?」


 退屈そうにしていた鎧の男がふと顔を上げる。
 突然の動きにキャスターが警戒心を露わにするが、男の意識は立香たちには向いていなかった。


「何やら無粋なケダモノどもが集まってきたようだぞ?」


 黄金のサーヴァントが残酷な笑みを浮かべる。
 何のことだ、と一瞬理解が追いつかなかったが、すぐに分かった。この地に蔓延る魔物たちだ。


『しまった! 敵性反応だ! 囲まれている!』


 遅れて、ロマニが警告を示す。
 その言葉に優先事項をオブザーバーの二人から魔物に切り替えたキャスターが、立香たちを庇うように前に出た。


「嬢ちゃんも下がってな」
「え?」


 キャスターが、オブザーバーの少女に言葉を投げる。
 少女にとって予想外の言葉だったのか、少女は大きな目を更に大きくしてキャスターを見た。


「そっちの金ぴかは問題ないとして、嬢ちゃんはどう見てもサポート系だろ。それにオブザーバーってのは聖杯戦争に関わるのは良くねぇんだろ?」


 その言葉にハッとする。聖杯戦争に関与しないという発言やその役割を顧みるに、彼女たちは聖杯戦争に関わるのは控えなければならないと考えるのが道理だ。
 故に、彼女たちは敵ではないが、戦力として数えることはできないということに他ならない。
 今までどおり、自分達で対処しなくては。
 立香がごくりと息を飲み、ぎゅっと拳を握りしめた。


「基本的にはそうだ。―――だが、問題ない」


 少女の背後に、大きな影が蠢く。魔物の一体が、その無防備な背中に向かって剣を降ろす。
 危ない、と声を上げようとした時、独特な音の響きと共に、少女の手元に剣が現れた。


「例外として、その戦いの果てに世界の崩壊を招きかねない事態に陥った場合のみ、私たちは聖杯戦争に関わることが出来る!」


 先に攻撃を仕掛けてきたのは魔物のはずであるのに、事前にそれを察知していたかのような鮮やかな動きで、少女は魔物に剣を向ける。
 懐に飛び込み、一線。一撃を加えて後ろに飛び退る。
 倒しきれなかった敵が再び少女を襲うが、鎧の男の追撃により、あっけなく斬り裂かれた。
 霧散する影を見送り、少女が立香に向かって手を伸ばす。
 差し出された手は握手ではなく、共に行こうと招くものだ。


「共に戦おう、カルデアのマスター。人類の未来を守るために」


 ここまでほとんど表情を変えなかった少女の顔に、ふわりと笑みが乗る。
 その笑みに、柔らかくて温かい、月の面影を見た気がした。




3/5ページ
スキ