つかの間の平穏
結末さんを求めて出たマイルームに再び舞い戻る。今度は目的だった結末さんを伴って。
現在マイルームには私と結末さんの二人。
そう、二人きりなのだ。
胸の動悸が凄まじいことになっているが、表には出さずに笑顔で接する。
結末さんにベッドに座っても良いかと聞かれた時には、口から心臓が飛び出るかと思ったが。
しかも隣に座るように促されたものだから、たまったものではない。
唸れ、私のポーカーフェイス。
「さぁどうぞ、マスター」
結末さんの隣でどうにか平静を保とうと躍起になっていると、結末さんがポンポンと自身の膝を叩く。
おいで、と招かれているようだ。
それに一瞬理解が及ばずに呆けるが、すぐに分かった。ようだ、ではなく、事実として、私は結末さんに膝枕をされるよう促されているのだ、と。
ちょっと待ってほしい。
私は確かに結末さんにお触りしたいとか、そんな不届きな願望を持っている。
しかし、しかしだ。これはあまりに都合が良過ぎる。こんな願い、聖杯でもなければ―――……。
もしかして聖杯が私の願いを叶えたのか!? 特異点はここだった!?
なんてこった! こんな素敵な特異点、一生かかっても修正できる自信がない!
「耳かきは膝枕で行うのが一般的だとされていると思っていたんだが、違っただろうか?」
タオルかクッションを用意しよう、と立ち上がりかけた結末さんを全力で制する。
折角の夢の膝枕をタオルやクッションに阻まれるなんて、そんな惜しいことは絶対に出来ない。
「あ、足を痺れさせてしまうんじゃないかとか、ちょっと心配していただけで、耳かきは膝枕でするもので間違いないです!!!」
「そうか、良かった。あと、心配してくれてありがとう。私は問題ないから、嫌でなければ、ここに頭を乗せてほしい」
嫌だなんて、そんなわけがない。
再度膝枕を促され、ごくりと喉を鳴らす。
唐突にこんな幸運が舞い降りてくるなんて。明日辺り、いい感じに死ぬんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、慎重に横になる。
頬に当たる柔らかな感触に、私の頭は沸騰したかのように、一瞬で沸き立った。
無駄な肉なんて一切無い華奢な体つきにも関わらず、ふにりと柔らかい。
スカート越しに感じる温かな体温。女の子特有の甘い香り。
それだけでも昇天ものなのに、結末さんの細い指が、私の髪を優しく撫でてくれている。今、口から魂が抜け出していないことが奇跡だ。
「最近、マスターに声を掛けても反応が遅かったり、気付かなかったりしていたから、気になっていたんだ」
耳に良く馴染む綺麗な声。
柔らかく、慈しむように髪を撫でる手に、私は天国を見たような気分になる。
いや、むしろここが天国だ。
「ああ、やっぱり」
髪を掻きわけて露わになった耳を見て、結末さんが納得したような声を上げる。
そう言えば、耳かきなんてカルデアに来てから一度もした覚えがない。もしかして相当汚れているのではないかと不安になる。
結末さんの声すら聞き逃すほどなのだ。私の耳は悲惨なことになっているのかもしれない。
だらしないところを見せているようで恥ずかしいが、膝枕で耳かきを手放すのは惜し過ぎる。ここは羞恥に耐えるしかない。
「もしかして、と思っていたんだ。やらなければならないことは山程あるし、カルデアは常に人手不足だ。自分をいたわる時間を捻出するのも大変だろう」
少しずつサーヴァント達が増えて、スタッフの手伝いをしてくれたり、食堂に入ってくれたりしているが、それでも人手は足りない。
けれど、そんな中でもカルデアを回していかなければ、人類の「明日」は失われてしまう。
「耳かきはリラクゼーション効果もあるから、いつも頑張っているマスターの疲れを少しでも癒せればと、ナイチンゲールに頼んで練習してきたんだ」
道具も彼女から借りたんだ、と先程見せてくれたケースの蓋を開ける。あいにくと結末さんの膝の上に寝転んでしまっているので、中身は見えなかったけれど。
「まずはウエットティッシュで耳の外を拭いていくから、少しひんやりするよ」
「お願いします」
心臓が痛いほどに高鳴っている。
正直、この状況でリラックスできる自信はあまりない。
でも、せっかく結末さんが癒してくれようと耳かきの練習までしてきてくれたのだ。無下にしたくなくて、出来るだけ落ち着こうと深い呼吸を繰り返す。そうしていると、宣言通りにひんやりとした感触に耳を覆われた。
冷たさに一瞬びくりと体が跳ねるも、自分と結末さんの体温ですぐにぬるくなる。
すりすりと耳の裏側を拭われる。耳の溝を撫でていく。
普段あまり意識しない部分を丁寧に拭いてもらい、さっぱりとした気分になった。
耳を拭き終えると、ウエットティッシュが離れていく。
それから、ほっそりとした白い指が、そっと耳に触れた。
「次はマッサージだ。耳にはたくさんのツボがあって、疲労回復やストレスを軽減させるツボもあるんだ。それから、耳のマッサージには血行を良くして、耳垢を取りやすくする効果もあるらしい」
むにむにと耳を揉み解される。
耳の形に沿って撫でさすったり、ツボを押すように強めに抓まれたり。耳たぶを軽くひっぱられたり。
程良い力加減が気持ちいい。
耳がほぐされるのと同時に、緊張もほぐされていくのを感じた。
体の力が抜けて、結末さんの膝に沈み込んでいるのが分かる。
柔らかくて、温かくて、思いっきり頬ずりしたい気分だ。さすがに怒られそうなのでやらないけれど。
くにくに、むにむに。
きゅっ、きゅー、
耳が温かくなるのが自分でも分かった。それと同時に、耳の中がうずうずと痒くなるのも。
それを察したのか、結末さんがよしよしと髪を撫でる。
「そろそろ耳かきを始めようか」
「はい!」
ケースの中から、耳かき棒を取り出す音。
結末さんの手が持ち上がり、耳のあたりに近づくのを気配で感じる。
耳かきの匙が、耳介の部分に当てられる。
ツーッ、ツーッ、
力加減を見ているのか、ほとんど力が入っていない。くすぐったいくらいの力で、耳かき棒が溝をなぞっていく。
サリサリ……、サリサリ……、
カリ、と何かが引っ掛かるような音。
匙が耳から離れ、トントンという音が聞こえる。耳垢を落としている音だろう。
耳の溝は掃除がしにくいし、耳かきと言えば耳道を意識しがちで、耳介の部分は気にも留めていないことが多い。故に意外と汚れていたりする。
耳かき棒が何度か耳とティッシュを往復して、外側の掃除を終えたのだろう。よしよしと頭を撫でられる。
優しい触れ方に、心が溶かされていくようだった。
「次は耳の中を掃除していくから、動かないように気をつけてくれ。それから、怖かったり痛かったりしたら、すぐに言って欲しい」
「分かりました」
結末さんになら何をされても良い、というのが私の本音だったりする。
しかしそんなことを言えば、結末さんを困らせてしまうだろうことは分かり切っているので、決して口にすることはしない。
耳かきが、穴の淵を触った。
カリカリ……、コリコリ……、
耳かき棒が耳穴の淵を撫でていく。くすぐったくも無く、痛くもない絶妙な力加減だ。
私に怖い想いをさせない様にか、丁寧でひたすらに優しい。
カリカリ……、ザリッ……、
耳の淵の付近にまで耳垢が出てきていたのか、引っかかるような音がする。
耳かきを始めるまでは気にならなかったのに、いざ耳の中を刺激されると痒みと異物感がとんでもない。
けれども結末さんはどこが痒いのか分かっている様な的確さで、痒みの根源を取り除いていく。
サリサリ……、サリ……、
「うん。入口付近は綺麗になった。次は少し奥に入れていくから、絶対に動かないようにね」
「はい」
ふわふわと優しい手つきで髪を撫でてくる結末さんに、良い子の返事を返す。
心臓はやはり常よりも高鳴ったままだけど、先程よりはずっと落ち着いてる。緊張がほどけているのだろう。現状を楽しむ余裕が出てきたのだから。
耳かきが先ほどより深く侵入してくる。
けれど、優しくて丁寧な手つきだからか、恐怖は微塵もない。相手が結末さんだから、というのもあるだろうけれど。
こしこし、と細かいストロークで耳垢を掻きだされる。
強過ぎず、弱過ぎない絶妙なさじ加減。くすぐったさと紙一重の優しいタッチで、耳の中が掻き清められていく。
ああ、極楽だ。
「ん?」
よどみなく動いていた手が、ぴたりと止まる。次いで痛くない程度の力で、軽く耳を引っ張られた。
頬にわずかに風を感じる。結末さんの吐息だ。
どうやら耳を除き込んでいるらしい。グッと近づいた距離に、心臓が大きく跳ねた。
「ど、どうしました? 何か問題でもありましたか?」
「ああ。少し奥に大きい物がある。もう少し深く耳かきを入れるから、驚いて動かないようにしてほしい」
「分かりました」
いくよ、と一声かけられて、結末さんが耳かきを深く差しいれる。
カリ、と慎重に掻かれた部分は確かに深く感じるが、恐怖を覚えるほどじゃない。
硬質な、ガリガリという音が聞こえる。へばりついているらしい耳垢が、徐々にはがされていく。
丁寧に丁寧に動かされる耳かきに、言いようのない快感がせり上がってくる。
カッ、カッ、カリッ!
快感が徐々に強くなってくる。もう少しで、耳垢が剥がれていくのがはっきりと分かった。
「もう少しだから、我慢してね?」
ガリ、ガリ、ザリッ、
聞こえる音が大きくなってきた。
強くなっていく刺激に、ぎゅっと拳を握りしめる。
カリ……、
一瞬、結末さんの動きが止まる。それを疑問に思う間もなく、次の瞬間。
バリィッ!
およそ耳から出たとは思えない音が鳴り響く。
音も凄かったが、それ以上に凄かったのは耳垢がはがされた瞬間に訪れた快感だ。凄まじい爽快感だった。
大物が取れたことで風通しの良くなった耳。たったそれだけのことなのに、頭が軽くなったような気さえする。
また余韻も凄く、押し寄せる快感の波にぐったりと脱力する。
ほぅ、と思わずため息が漏れた。
「痛くなかったか?」
「はい……。すごく気持ちよくて、全然痛くなかったです」
むしろ天にも昇る心地だった。このままずっと、耳かきをされていたいと思うほどに。
「良かった。私は耳かきをしたことが無かったから」
宥めるように梵天で優しく撫でられて眠気に襲われていた私の耳に、結末さんの言葉が届く。その言葉の内容に、私は目を瞬かせた。
概念礼装は人や物といった物質、歴史や物語といった事象を摘出し、能力として身につけられるもののことを指す。
見た目の通り、結末さんはかつて人間だった人物の概念。そして、容姿から察するに日本人。
そりゃあすべての人間に当てはまるとは限らないけれど、日本では耳かきは日常的に行われている行為で、耳かきをしたことが無い人の方が少ないだろう。
もしかして結末さんは外国に住んでいたとか、耳かきとは縁もゆかりもないところで生涯を過ごしていたのだろうか。
改めて思考を巡らせて、ハタと気付く。
思い返せば私は、この人を知っていると口にするのも憚られるほど、この人について何も知らないのではないだろうか。
「あの、結末さん」
「うん?」
誰かの概念である礼装は、少なからず、誰かしらと縁がある。
アルトリアは投影魔術と仲が良さそうにしているし、クー・フーリンは鋼の鍛錬や麻婆豆腐の礼装を死ぬほど嫌がったりするし。
ロビンに新しく手に入れた騎士の矜持という礼装を装備させたら、お互いにどこと無く嬉しそうにしていた。
きっと、彼女にも、そういう相手がいるはずだ。
「会いたい人とか、いないんですか?」
「いるよ」
微かに痛む胸に気づかないふりをしながら尋ねれば、結末さんはあっさりと肯定の意を示す。
いないと言って欲しかったなぁ、としくしくと痛む乙女心を追いやって、マスターとして言葉を続ける。
「……その割には、会いたいとか、呼んでほしいとか、言わないですよね?」
誰、とは言わない。私に催促するような素振りも見せない。
会いたい人がいるということすら、尋ねるまで知らなかった事実だ。私が尋ねなければ、この人はその事実を口にすることすらなかっただろう。
「会えると信じているからね」
これまたあっさりと、全幅の信頼を示す言葉を口にする。
けれどその言葉の端に、一抹の寂しさの様なものを感じ取ってしまったのだ。
結末さんを悲しませる人なんて、一生来なければいいと思う。けれどその人が来なければ、結末さんは一生寂しさを抱えることとなる。そんなのは、絶対に嫌だから。
(もしその人が来たら、来るのが遅いってぶん殴ろう)
結末さんに寂しい想いをさせた罰だ。本音を言うなら袋叩きにでもしてやりたいところなんだから、一発くらいは大目に見てほしい。その代わり、全身全霊を込めた一撃をくれてやるつもりだけれど。
そう強く決意して、私はつかの間の幸せを堪能するべく、そっと目を閉じるのだった。