天文台にて目を覚ます 4
カルデア側の懸念であった岸波白野のアムネジアシンドロームについては、ギルガメッシュの用意した治療薬により解決することとなった。
処置室に呼び戻されたナイチンゲールによって施された治療―――注射で薬を注入し、白野の病気は完治した。
見た目には何の変化もないが、薬を打った事とギルガメッシュや白野のどことなくほっとした様子に安心感を覚えた立香たちが、そっと息をつく。
「これでもう大丈夫なんですね」
「よかった……」
胸を撫で下ろす立香たちの様子にダ・ヴィンチもその美貌をより一層輝かせる。懸念が消え去ったことで、いつもの調子が戻ってきたようだ。
「さて、眠り姫も目覚めたことだし、痺れを切らした輩が押し掛けてくる前に、彼女らを紹介しておこうか」
気の短い者や警戒心の強い者、英雄王を知る者たちは、とっくに痺れを切らしている。マスターである立香が白野達を庇うならば、とダ・ヴィンチのもとに押し掛けてきた者は少なくは無い。
自分も詳細ははっきりしないと説明しても納得して引き下がる者は少なく、さしものダ・ヴィンチもこれには辟易していたのだ。
ようやく白野が目を覚まし、その全貌を知ることが出来た。幾人かのアサシンたちも話を聞いていたために、自分のもとに押し掛けてくる人数は減ってくれるだろう。
これでようやく負担が減る! とダ・ヴィンチは意気揚々と立香たちに笑いかけた。
「それ、その場に私がいても良いだろうか? お世話になるわけだし、挨拶をしたいんだ」
白野の申し出に、ダ・ヴィンチがナイチンゲールに目を向ける。
ナイチンゲールは白野を観察するようにじっと見つめ、顔色の変化などを窺うと、やがて一つうなずきを落とした。
「体調に変化は無いようですし、問題はなさそうですね。しかし、いつ不調を起こすか分かりません。私も同行します」
「ありがとう、ナイチンゲール」
誠意を込めた白野の言葉に、ナイチンゲールはゆっくりと首を振る。
「いえ、これが私の仕事ですから」
「それでも、ありがとう」
重ねて言われた感謝の言葉に、ナイチンゲールが目を瞬かせる。
どこと無く幼いように見える表情に立香や白野達が頬を緩ませる。
温かな空気に満足げに頷きながら、ダ・ヴィンチが「じゃあ早速行こうか」と白野達を促した。
「少しお待ちを。ミス白野には車いすを用意します」
そう言ってナイチンゲールが処置室から出ようとすると、それよりも早く、英雄王が白野を抱き上げた。
軽々と片腕に乗せられた白野は突然のことに驚きつつも、慣れた様子でバランスを取る。
ごく自然と行われた動作に、それが幾度となく繰り返された行為であると悟る。
それは決してカルデアではあり得ないことで、立香たちは呆然とした。
「ありがとう、ナイチンゲール。ギルが運んでくれるから、大丈夫だよ」
「……そうですか」
逡巡したのち、ナイチンゲールが頷きを落として押し黙る。
バーサーカーにすら空気を読ませる英雄王、恐るべし。
戦々恐々としているカルデアをよそに、白野はよろしく、と英雄王に笑いかけている。
そんな白野の後ろでは、出遅れたらしく悔しげにしている賢王と不機嫌さを隠さずに舌打ちをしている子ギルがいる。
ついに耐えきれず、ダ・ヴィンチが声を上げた。
「君たち、白野君大好きか!!!」
渾身の突っ込みであった。
「……私、何だか微笑ましくなってきちゃった」
「はい。私もほのぼのとした、温かい気持ちになります」
「君たちは順応性が高すぎないか!?」
けれどもいくつもの特異点を修復した猛者たちは格が違った。
立香たちは耐えきれなくなったアサシンたちに声を掛けられるまで、英雄王たちの喧騒を微笑ましい気持ちで眺めているのであった。
白野達の紹介は、全サーヴァント達が一同に介せる広さのある場所―――食堂で行われることとなった。
サーヴァント達は自分達が集められた理由を何となく察しているからか、わずかにざわめきはあるものの、落ち着いた様子で立香が食堂に現れるのを待っていた。
そして白野や英雄王を伴った立香が現れると、食堂は水を打ったように静まり返った。
英雄王が少女を抱えていると言う絵面に動揺を隠せないものも散見されたが、英霊としての矜持ゆえか、表立って騒ぎ立てる者はいなかった。
「凄いサーヴァントの数だな……」
「これでも減った方だよ。特異点の修正が完了して、退去した人たちもいるし」
「そうなのか……」
食堂に介したサーヴァント達を見て、白野が感嘆の声を漏らす。
時折顔見知りを見かけるからか、その目を大きく見開いたり、目を瞬かせたりしている。
サーヴァントの方も、白野と同じように驚愕を露わにしている者がいた。
「ギル、降ろしてくれ」
「む、何故だ?」
白野の言葉に、英雄王が不機嫌そうに眉を寄せる。それに幾人かのサーヴァント達が己の武器に手を伸ばすも、その前に賢王が白野に向かって手を伸ばした。
「鎧が痛いのであろうよ。こちらに来るが良い、白野。我が抱えてやろう」
白野に向かって両手を広げ、期待の色を乗せる瞳に、幾人かのサーヴァント達が驚愕を露わにする。
立香と共に現れたダ・ヴィンチが「またか」というような疲れたような表情を見せていることから、これが幾度となく繰り返されたことであると察せられ、さらに混乱の渦に叩き落とされる。
けれど当事者の一人である白野は、いたって冷静に首を振った。
「いや、そうではない。自分の足で立って、挨拶したいんだ」
そう言った白野の言葉に、理解できるものがあったのだろう。不服そうにしながらも賢王は手を降ろし、英雄王が白野を地面に降ろした。
萎えた足では自重を支えるのすら厳しかったらしく、白野がふらつきを見せるも、これは子ギルがとっさに手を伸ばして支えることで事なきを得た。
「ありがとう」
「いえ。それより、無理はしないでくださいね?」
「分かってるよ」
心配そうに眉を下げる子ギルに白野が笑みを浮かべる。心配性だなぁ、と少しくすぐったそうな笑みだった。
そんな二人の背後では英雄王と賢王が不穏なオーラを撒き散らしている。
わずかなやり取りだが彼らの関係性を垣間見た英霊たちは、ギルガメッシュという英霊の新たな一面に揃って遠い目をして天を仰ぎ見た。
普段の不遜な態度との差があまりにも大きすぎたのだ。
「皆、彼女の存在は把握しているね?」
ぱん、と手を打ち、ダ・ヴィンチが自分に意識を向けさせる。
ダ・ヴィンチの言葉に、英霊たちが気を引き締めた。
魔術教会が探していた幻の少女。カルデアの膨大な記録に痕跡すらなく、存在しないとされていた者。
しかし少女は実在し、ここにいる。暗い地下で何をされていたのか察せられる姿で。
彼らは白野が何をされていたのか知らない。彼女についての記録は何も残っていないのだから。
けれど白野の髪と目は、明らかに変異したと分かる色をしている。
彼らは彼女のもとの色彩を知らない。けれどそれが彼女の持つ本来の色で無いと分かる。それほどまでに、おぞましい変色の仕方をしているのだ。
すぐ近くにいたのに気付いてあげられなかった罪悪の念。痛ましげな姿への憐憫の情。
善を為し、英霊となった英雄たちは彼女を庇護すべきものとして見ていた。
けれど、その側面だけを見ていいものか、という懸念がある。英雄王ギルガメッシュと聖杯の存在だ。
彼らは最初、少女を救わんとして立香が新たな英霊を召喚したと考えていた。
しかし実際にギルガメッシュを召喚したのは意識すらはっきりしていなかった少女であるという。その上、その少女は聖杯を所持していた。
か弱い一面を見せると同時に、得体の知れない謎を垣間見せる少女。
故に彼らは警戒していた。白野達はようやっと平和を手に入れたこの世界を脅かす存在なのではないか、と。
「端的に言うと、彼女は平行世界の記憶を持っていて、その世界線の聖杯戦争の勝利者なんだ」
ダ・ヴィンチによりあっけらかんと告げられた事実に、一瞬理解が遅れる。
一泊遅れて言葉の意味を理解するも、その事実を上手く飲み込める者はおらず、無言が続く。
「どうやら彼女の世界線の聖杯が次元を渡ったようでね。そのため現在も聖杯が彼女の元にあるようなんだ」
確かに感じる聖杯の気配。召喚されたサーヴァント。彼女が正当な所有者であることは確かだろう。
「そんな彼女はちょっと厄介な病気に罹って寝たきりになってしまっていてね。そこをアニムスフィアに引き取られたって寸法さ。これが彼女がカルデアにいた理由だよ」
詳しくは語られなかったが、聖杯の所有者であることがカルデア側に知られていたのなら、その権能を欲する者が現れるのは自然の理。
本来行われる聖杯戦争も、聖杯を使って根源への到達を目指す魔術師が多い。聖杯戦争に参加せずにその力が手に入るなら、これ以上の僥倖はない。
「そんなわけで彼女にはリハビリが必要だ。ギルガメッシュ王達が念入りに脅したとは言え、魔術協会が完全に彼女を諦めたとは限らないし、彼女の持つ聖杯が不安定な世界にどう影響するかという懸念もある。なので彼女はしばらくカルデアに滞在することになったんだ」
そう言って、ダ・ヴィンチが白野に自己紹介を促す。
「私は岸波白野。彼は相棒のギルガメッシュ。女史の説明の通り、諸々の理由があって、しばらくここで厄介になる。私のことは信用できないだろうし、警戒してくれて構わない。ただ、私達に敵対の意志はないし、平和を乱すようなことをするつもりもない。出来れば仲良くしていきたいと思っているので、どうぞよろしく」
ぺこり、と頭を下げる。そんな白野に立香とマシュが「「こちらこそ!」」と良いって笑った。
それに一瞬驚いたように目を瞬かせ、白野は嬉しそうに微笑む。
「ほら、ギルも挨拶して」
「自由を奪われているのはこちらなのだぞ? そんな義理は無いな」
「またそういうことを言う……。ええと、この人、態度は尊大すぎるけど、悪い人ではないから安心してほしい。分かりにくい人だけど、ちゃんと人を評価して認めることの出来る人だし、優しいところもあるから」
―――どこにそんな要素が。
思わず口から出そうになった言葉を、寸の所で飲み下す。先程の様子から察するに、白野には優しい一面を見せているだろうことが窺えたからだ。
白野はギルガメッシュを信頼している。良好な関係を築いている。それにみすみす亀裂を入れるような真似はするべきではない。そう判断してのことだ。
会話が切れたところで、立香たち側の一番後方に控えていたナイチンゲールが、白野のそばに歩み寄った。
「ミス白野。そろそろ処置室へ。貴方に必要なのは休息です。まずは体を癒すことが優先されます」
「ああ、ありがとう」
ナイチンゲールの言葉に白野がしっかりと頷く。
そしてもう一度英雄王に抱えてもらおうと振り向こうとして、横から延びてきた手にあっさりと捕らえられる。
きょとんと呆けた顔で自分を抱き上げた人物に目を向けると、それは賢王であった。
「では戻るとするか」
来たときとは打って変わった上機嫌さで賢王が颯爽と歩きだす。
けれどそれを許す英雄王ではなく、英雄王は賢王に向けて黄金の波紋を浮かびあがらせた。
「其奴は我が雑種! 勝手なことをするでないわ!」
「何を言うか。我とてギルガメッシュ。そして白野は我が財。此奴を愛でるのに、何の問題がある?」
憤慨する英雄王に、挑発の笑みを浮かべる賢王。そんな二人を虫けらを見るような冷めた眼つきで睨みつける子ギル。
一触即発の雰囲気に、サーヴァント達がとっさに武器を構えた。
けれどそんな折、鶴の一声ならぬギルガメッシュ特攻ボイス、白野の声が落ちる。
「何で私を抱えるだけで喧嘩になるんだ! そんなことで喧嘩になるなら降ろしてくれ! 自分で歩く!」
「その萎えた足でか?」
「無理なら這ってでも戻るだけだ」
てこでも引かない、というような意志の強さを見せる瞳に、ギルガメッシュ達が押し黙る。
しばらく睨みあいを続けるも、先に折れたのはギルガメッシュ達の方であった。
「……此度は譲ってやる。だが次は無いぞ、晩年の我よ」
「それは我が雑種の決めることゆえ、我の知ったことではないな」
心底嫌そうに顔を歪め、英雄王が波紋を治める。
けれど賢王はどこ吹く風といった体で、しれっと英雄王の言葉をかわす。
また優雅に歩き始めた賢王に、白野が盛大なため息をつく。
「ああ、もう……。ええと、私はこれで失礼する。慌ただしくてすまない。見かけたら気軽に声を掛けてほしい。それじゃあ」
賢王の肩越しに振り返った白野が、無害な笑みを浮かべる。その邪気のない笑みに呆然としながらも、幾人かが手を振って去っていく背中を見送った。
食堂を出ていく白野達を見送って、一瞬の静寂が落ちる。
そして、次の瞬間、
「「「あの金ぴかをデレさせるとか、何者だお前!!!」」」
それはもう、盛大な突っ込みが入った。