天文台にて目を覚ます 4






「す、すいません。急に泣いちゃって……」


 ぐず、と鼻を啜りながら、立香が申し訳なさそうに苦笑する。
 その隣では彼女の後輩のマシュが心配そうにハンカチで涙を拭ってあげており、立香はちょっと照れ臭そうだ。
 ダ・ヴィンチはそんな彼女を気遣わしげに見つめていて、立香がとても愛されているのが見て取れた。


「何でだろ……。白野さんの言葉に凄く安心しちゃって……。一人で戦ってきたつもりなんて無いのに、一人じゃ無かったんだって、そう思って力が抜けちゃったんだ……」


 そう言った立香はどこか晴れやかだ。憑きものが落ちた様な、そんな顔。
 うん、立香は明るい表情が似合うな。


「それは当然であろうよ。共に戦ってきた者たちなら共感も出来ようが、同じ立場でなければ同感は出来ん。故にこそ、白野の言葉が胸に響いたのだ」


 そう言ったのは立香が召喚したギルガメッシュ―――賢王だ。
 そんな賢王の言葉に立香は目を瞬かせ、マシュとダ・ヴィンチが怪訝な表情を浮かべた。


「それはどういうことでしょうか。白野さんが聖杯を所持している以上、彼女が聖杯戦争の勝利者であることは理解できますが……」
「闘いの末、勝利を勝ち取ったマスター、ということなら、確かに同じ立場ではあるのだろうけれど……」


 ……あれ?


「ギル、私は聖杯なんて持っていないはずなんだが」


 月の聖杯―――ムーンセルは私―――岸波白野の願いによって、ただの観測器に戻ったはずだ。その時点で、ムーンセルは願望器としての権能は失われているのが道理だ。私はそのように願いを掛けたのだから。


「ムーンセルは確かに貴様の願いを叶え、ただの観測器に戻った。願望器としての側面を切り離すことでな」
「その切り離された側面が次元を渡り、その体に宿ったのでしょう。その体は平行世界の白野のもの。聖杯が正当な所有者である白野と誤認してもおかしくはありません」


 私の疑問に答えてくれたのは相棒であるギルガメッシュと幼いギルガメッシュ―――子ギルだ。
 ここが地球であることは、この体の存在と立香たちの話で理解していた。
 私の知る地球はマナが枯渇してしまっていて、とてもサーヴァントなんて呼べる状態ではない。だからここが私の知る世界と違うということは薄々勘付いていたのだ。いたのだけれど……。
 改めて言葉にされると衝撃がでかすぎる。
 平行世界であるうえに、聖杯を所有しているだって?
 意識を保っている私を誰か褒めてくれ。
 ああ、でも、これで一つだけ理解出来た。


「この体が聖杯を所有していたから、私はめちゃくちゃにされたのか……」


 私の呟きに、立香たちの体がぎしりと固まる。


「ああ、いや。責めるつもりは無いんだ。ただ、何故この体が術式を掛けられるような状態にあったのか、疑問だっただけなんだ」


 聖杯を所有していたならば、それを欲する人間が聖杯を取り出そうとするのは道理だ。聖杯戦争とは、それを巡って命懸けで戦うものなのだから。
 けれど、誰だって死にたくは無い。戦わずして手に入るならば、それに越したことは無いだろう。
 その点私は優秀であったはずだ。何しろ私はアムネジアシンドロームに侵され、凍結されていたのだ。拒むことなんて出来るはずもない。好き勝手するには最適な状態だったことだろう。
 ちらりと視界の端に映る髪を見る。大地の色をしていた私の髪は、不自然なほどに真っ白だ。いっそ透き通っているようにも見えて、不気味なほどに。
 おそらく実験の影響だろう。
 違和感はある。けれどすぐに慣れるだろう。人間とはそういうものだ。何より、生存を許されるという贅沢を前に、髪の色など些細なことだ。
 それに、


「これは、私の体じゃない。だから、貴方達に何かを言う権利は無いし、言うつもりもない。貴方達は私を助けるために尽力してくれた。その事実だけで十分だ」
「それは、どういう……?」
「それについてももちろん話すよ」


 困惑する立香たちに、私は眉を下げた。


「それよりすまない。話を脱線させた。まずは私の世界の話をしよう」


 西暦2032年。マナが枯渇し、神秘の崩壊した世界。月面に、聖杯に等しい存在が発見された。それが「ムーンセル・オートマトン」
 ムーンセルは神の自動書記装置。全地球の記録にして設計図。
 それは地球の誕生からのすべてを観察・記録することを目的としている。
 生命の誕生、人類の発生、文明の拡大。全ての生命、全ての思想、全ての魂を。
 けれどムーンセルは、人の精神、魂の在り方を観測することだけは出来ない。故にムーンセルは自ら人間を招くのだ。ムーンセルが作り出す霊子虚構世界「SE.RA.PH」に。
 そこで私たちの聖杯戦争は行われていた。

 128人のマスターとそのサーヴァントで行われるそれは”敗北すれば死ぬ”ことを約束された一対一の戦い。
 厳正たるルールを敷き、トーナメントによって勝者を選ぶ。
 しかしそれは月の表側での話。
 世界を生み出している量子コンピュータの致命的なエラー。それにより世界は一変し、私たちは月の裏側に閉じ込められることになる。

 ソラの外でのギルガメッシュとの出会い。
 ムーンセルを掌握し、地上を滅ぼそうとしたBBとの戦いの日々。
 新造の神となったBBを倒し、私たちは無事表側への帰還を果たす。
 そして表側に戻った私は再びギルガメッシュの手を取り、聖杯戦争を駆け抜けた。
 その結果私は友を倒し、128人の頂点に立つことになる。
 けれどその代償に、私は分解されることとなる。


「一体どうしてそんなことに……!」
「それは私の正体にある」


 私は何らかのエラーによって自我を確立するに至った、過去の人物の再現。聖杯戦争の開始と共に創られた仮初の存在。NPC。
 その基盤となった人物―――岸波白野は確かに存在しているが、その人物と繋がりがあるわけではない。
 つまり私はムーンセルにとって不正なデータでしかなかったのだ。
 故に私は、たとえ正当な勝者であっても、消滅という結末が待っていた。


「そんな……」
「心配しないでくれ。まだ続きがあるから」


 そう。私は消滅するはずだった。それしかないと覚悟を決めた。
 けれどもギルガメッシュが助けてくれたのだ。勝者が消えるのは間違っている、と。
 そして私は、消費・発展を題目とした知生体のいる星ならば何処でもいい、と地球から1500光年ほど離れた星に連れ出されたのだ。
 そして私たちの旅はそこから始まった。
 自由に歩み、挑み、走り抜けられる未来は素晴らしく、驚きと愉悦に満ちていた。
 人生の楽しみを知り、生まれてきた意味を知り、私の物語は寿命を迎えたことで終結した。
 なのに、なのにである。


「まさか平行世界で肉体を手に入れるなんてなぁ……」


 人生、何が起こるか分からない。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。


「何というか……規模がでかすぎて……」
「なるほど……。だから異星の技術なんて持っていたのか……」
「宇宙旅行なんて……想像も出来ません……」


 私の話が終わると、どこか呆然とした面持ちで立香たちが呟く。


「いや、貴方達の方こそ、スケールが大きいと思うぞ?」
「「「私たちは地球規模です!!!」」」


 宇宙規模だなんて聞いてない!!!
 さっきまでのぼんやりとした顔はどこへやら。険しい顔で突っ込まれた。
 解せぬ。


「ま、まぁ、とりあえず、これで君の正体は分かったし、謎は解けた。正直信じられないという想いもあるけれど、君はとても誠実な子の様だし、嘘をつくとは思えない」


 咳払いをして冷静さを取り戻したダ・ヴィンチが笑みを浮かべる。


「とりあえず君のことは”平行世界の記憶を持つ聖杯戦争の勝利者”と説明させてもらうよ。アサシンたちにも他言無用を約束させる。君にはリハビリが必要だし、しばらくはカルデアにいてもらわなければならないし」
「行くあてもないし、私としては助かるが……それは何故だ?」
「うん。世界は今、揺らいでいる状態にある。七つの特異点が発生したことによる大きな時間の揺らぎが他の歴史に波及したせいで、微小な特異点が生まれることがあったんだ。つまり世界はいまだ不安定だ。そんな中に聖杯なんていう強大な力を持って飛び込んで御覧よ。何が起こるか、想像もつかないだろう?」
「ああ……。それはまずいな」
「だろう? ああでも、安心してくれたまえ。君から聖杯を取り上げるつもりは無いし、一生閉じ込めるなんていう外道を働く気もない。しばらくの間、様子を見るだけさ。その間の身の安全は、こちらが全力を持って保障しよう」
「ありがとう。当面の間はお世話になります。……ギルも、それで良いよね?」


 窺うようにギルを見上げると、ギルはいささか不満げな様子であった。
 けれどダ・ヴィンチの弁には納得しているのか、反論する様子は無い。


「我としてはすぐにでも旅立てるのだが、貴様は地球が見たいのだろう?」
「ああ!」


 ムーンセルの目があった前世では辿りつくことの叶わなかった本物の地球。ギルガメッシュの庭。
 ムーンセルも無く、一個の人間として存在出来る今なら、存分に地球を味わうことが出来る。それを堪能したいと思うのは、至極当然のことだ。


「ならば仕方あるまい。しばらくの間であれば、ここに留まるのも良しとしよう。何、退屈になれば地球を飛び出し、頃合いを見計らって地球に舞い戻ればよいだけのことだ」
「目覚めたばかりで異星は胃がもたれるよ」
「そちらの方が見慣れているであろうに」
「まぁね」


 私の生は長かった。肉体を持たない体であったからか、電脳体が修復力に優れていたからか。通常の人間ではあり得ないほどの長きを、彼と共に生きてきた。
 そのため私は地球人としての記憶よりも、星の開拓者としての記憶の方がはるかに色濃く長いのだ。


「そう言えば、アムネジアシンドロームの治療法は、こちらの世界では確立しているのか?」


 私の言葉に、ダ・ヴィンチが息を飲むのが分かった。
 その反応ですべてを察する。こちらの世界でこの病気の治療法は確立していない。
 けれども私には何の不安も無かった。だってギルガメッシュが、自信に充ち溢れた笑みを浮かべているから。


「治療薬など、すでに手配済みよ」


 そう言ってギルガメッシュは黄金の波紋を浮かびあがらせる。うごご、と宝物庫から小さな瓶を取り出した。
 特徴的な形の瓶は、それだけで芸術品の様に美しい。その瓶に、私は見覚えがあった。


「これは、あの星の……」
「そうだ。あそこにはありとあらゆる病気の治療薬が揃っておる故な。そこから取り寄せたのだ」


 オリオンを超えて、地球から2000光年ほど離れた知生体のいる星のひとつに、あらゆる病気について研究している星があったのだ。
 その星は医療の発展した星で、地球では不治の病とされている病気でも、錠剤一つで完治させてしまう様な規格外の頭脳の持ち主たちが集まっていた。
 その中に、アムネジアシンドロームの治療薬もあったのだろう。
 私の眠りが覚めるのを待つ間に、用意してくれたのだろう。


「ありがとう、ギルガメッシュ……」


 私が思わず笑みを浮かべると、ギルガメッシュも目元を緩ませる。
 ああ私は本当に、彼から与えられてばかりいる。
 挑み続けられる未来も、生きる楽しみも、消えゆくはずの命さえも。
 私の何を見て、それだけのことをしてくれているのかは分からない。
 けれど彼にとって私にはそれだけの価値がある。ならば私は代価として、価値を示し続けなければならない。それがきっと、彼への報酬になるのだから。


「何か、普通に別天体の話してるんだけど……」
「ええ。しかも地球より異星の方が馴染み深い模様です……」
「何でもありか、この二人」


 こっちの懸念を次々にブチ壊していってくれる、とダ・ヴィンチが悪態をつく。
 立香とマシュはどこか遠くを見つめた。
 失敬な。私は至って普通の一般人だ。
 規格外なのはギルガメッシュだけである。


「ところで、リハビリが必要と言っていたが、私はそんなに弱っているのか?」


 普通に会話することも出来る。体を動かすことにも難は無い。
 激しい運動などは確かに厳しいかもしれないが、普通に生活していくうえで困難は無いように感じる。


「筋力、体力の低下が著しい故、それを戻すためのリハビリよ。貴様が望むのならば、手を貸してやるのも吝かではないぞ?」


 そう言って私に手を差し出してきたのは賢王だ。


「肉体に慣れる、という課題もありますよ。文字通り”肉の体”を持つのは初めてですからね。その体に慣れるまでは大変でしょう。転ばないように、僕が手を握っててあげますね!」


 賢王を押しのけて手を差し出してきたのは子ギル。
 賢王の額に青筋が浮かんでいるのが見えて、立香たちが顔を引きつらせている。
 とりあえず宥めなければ、と宥める言葉を口にしようとしたところで、自分の隣から延びてきた手に肩を抱かれ、思い切り引き寄せられる。


「この我がいるのだから貴様らなぞ必要無い。そうであろう、雑種?」


 耳元で聞こえてきた声に視線を向けると、ギルガメッシュが楽しげにこちらを見つめていた。
 まるで自分を選んで当然、と言わんばかりの強気な瞳だ。
 ここで誰か一人を選べば、間違いなく乱闘が起きる。だって彼らは全員とも、自分が一番であると信じて疑っていないのだから。


「こ、交代でお願いしようかな……」


 申し訳ないし、負担になるだろうし、と言い訳がましく言葉を並べたてると、三者三様に不満げな顔を見せ、次いで「では誰が一番か」と今度は私を介助する順番で揉め始めた。
 ギルガメッシュって自分大好きなくせに、どこか自分を嫌っているような節があるなぁと、痛む米神を無意識に抑える。


「……やっぱり、専門家の人にお願いしたいな」
「……ナイチンゲールなら、喜んで引き受けてくれますよ」


 立香の慰めるような優しい声音に、私は思わず目頭を押さえる。
 白衣の天使もとい、赤衣の天使に看病してもらえるなんて幸せだな。
 言い争う黄金の王たちから全力で意識を逸らし、私はこれからの生活に想いを馳せるのだった。




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