天文台にて目を覚ます 3






 カルデアの長い廊下を駆け抜ける。
 いつもなら何とも思わない道のりが、酷くもどかしい。
 逸る気持ち。弾む胸。やっと会えるという高揚。
 ようやく見えてきた処置室に、気分がさらに上向く。
 扉の前に立って、センサーが反応するのを待つ。
 ぷしゅ、と音を立てて、扉が開いた。

 白野さんとは、一体どんな人なのだろう。
 新たな出会いに期待を寄せながら、私―――藤丸立香とマシュは処置室の扉をくぐる。
 処置室には英雄王と賢王、子ギルといった、いつもの三人。
 そしてダ・ヴィンチちゃんと主治医のナイチンゲールだ。
 ベッドを見やると、マシュの言う通り、白野さんが身を起こしていた。


「あれ……?」


 けれど、どうも様子がおかしい。白野さんは自分の両手を見下ろすような格好で呆然としている。その顔色はあまりに悪い。その上言葉を掛けるナイチンゲールに全くと言っていいほど反応しないのだ。まさか病気の後遺症とか、そう言ったものだろうか。
 不安になって、話を聞こうとダ・ヴィンチちゃんに駆け寄った。


「ダ・ヴィンチちゃん」
「あ、ああ、立香君」
「白野さん、一体どうしたの?」
「いや、それが……私にも良く分からないんだ」


 ダ・ヴィンチちゃんが状況を掻い摘んで話してくれた内容によると、白野さんが目覚めてしばらくは、ギルガメッシュ王たちと和やかに話をしていたという。
 意識も受け答えもしっかりしていたし、体調が悪い様子でもなかった、と。
 けれど、アムネジアシンドロームに罹っているにしては記憶がはっきりとしているようだったので、疑問をぶつけたらしい。それからずっとこの調子で、何の反応も示さないのだという。


「もしかして、病気って自覚させちゃったのがまずかったのかな……?」


 ダ・ヴィンチちゃんが肩を落とす。
 白野さんの心情が分からない以上、否定も肯定も出来なくて、私は落ち込んでいるダ・ヴィンチちゃんの肩を叩いた。


「ギル、」


 透き通った、儚い声が耳を打つ。
 白野さんの声だ。
 そちらを見ると白野さんはくしゃりと顔を歪め、胸を抑えて苦しそうにしている。


「私は……」


 今にも泣いてしまいそうな、迷子の子供のような声音だった。どうすれば分からないという様な、そんな声。


「私は、この体を奪ってしまったのか……?」


 ―――え?
 白野さんの言葉の意味が分からなくて、思わず息を飲む。
 その言いようでは、白野さんは―――。


「どうなんだ、ギルガメッシュ。教えてくれ」


 縋るような視線が、けれど力強い光を湛えた目が、英雄王を射抜く。そんな目を向けられた英雄王は、


「いいや?」


 と、あっさりと否定の言葉を口にした。いつもの、酷薄とした表情で。


「その肉体には、すでに魂と呼べるものが存在しなかったのだ」
「どういうことだ? つまり岸波白野は―――」
「いや、死んではおらぬ。だが、病に侵され記憶を無くし、自我を失っていた。つまり魂と呼べるものがまっさらな状態であったのだ。故に肉体は自我を―――魂を求めた。まだ死んではおらぬ。故に生きたい、とな」
「―――――、」


 話の内容は、良く分からない。
 けれど白野さんの真剣な様子から、とても大切なことだというのが伝わってきた。
 真っ直ぐな視線は、決して英雄王から逸らされることは無い。


「そして貴様を見つけたのだ、白野よ」
「私、を……」
「そうだ。故に貴様が気に病むことは無い。その肉体の生きたいという願いを叶えてやったのは貴様なのだからな」


 そう言った英雄王の声は、柔らかいものだった。


「そも、その娘は貴様が我を呼ばなければ死ぬまで魔術師共の玩具にされるところだったのだ。むしろ感謝されるべきなのだぞ? 未来の無かった娘に未来をくれてやったのだからな」


 玩具、という言葉に、嫌なことを思い出す。
 そうだ。彼女は魔術師たちに苦しめられ、閉じ込められ、ずっと一人で暗闇の中に置き去りにされていたのだ。
 そしてようやく見つけてもらえたと思ったら、また実験の道具にされるところだった。
 けれど彼女は”ギルガメッシュ”を呼んだ。


「故に貴様は堂々と生きろ。その娘が見ることの無かった物、知ることの出来なかったこと、味わうことの叶わなかった愉悦を存分に味わい、その娘に教えてやるのだ。それがその娘への最高の弔いとなるであろうよ」


 英雄王の言葉に、白野さんがもう一度自分の両手を見つめる。
 そして次に顔を上げた時、彼女の瞳はこちらがはっと息を飲むほどに力強く輝いていた。
 そんな白野さんを見て、英雄王は満足げに目を細めた。


「良い顔になったな」
「世話を掛けた。ありがとう、ギルガメッシュ」
「至らぬマスターを盛りたてるのも仕事のうちよ」


 二人の間に穏やかな空気が流れる。二人はいいコンビなのだろう、と思わせるような、温かな雰囲気だ。
 そんな彼らの対面には、二人を面白くなさそうに眺める賢王と子ギルがいる。彼らの纏う空気はどす黒く、凄まじく不穏で温度差が酷い。
 天国と地獄を垣間見たような極端さがそこには存在している。


「おい」


 うわ、ひっく。賢王がそんな低い声が出せたのか、と驚くくらいにドスの効いた声を上げる。


「うん?」


 くるり、と白野さんが賢王を振り返る。
 こてん、と首をかしげて目を瞬かせた。
 ……今の仕草、小動物みたいでかわいかった。白い髪と赤い目と相まって、子兎の様だ。
 もう一回やってくれないかな。


「先輩?」


 おっと、マシュのジト目攻撃だ。この後輩は妙に鋭くていけない。
 笑顔でごまかして、事の成り行きを見守る作業に専念する。
 不機嫌だった賢王はといえば、白野さんの可愛さに絆されたのか毒気を抜かれたのか、いつの間にか黒いオーラをしまっていた。
 ちょろいとか思ってないです。ついつい許したくなる様な可愛さがあったのを私が証明します。私もマシュにやられたらどんなことでも許しちゃう自信がありますから大丈夫です!!!


「貴様の目覚めを待っていたのは我達だけではない。そこな雑種どもにも声を掛けてやれ」


 そう言って賢王が私たちに視線を向ける。釣られるように白野さんがこちらを見る。
 白野さんは大きな赤い目をぱちくりと瞬かせた。


「……可愛い子が増えてる」


 おっと。いきなりの発言にちょっとびっくり。


「そういうとこだぞ、貴様」
「少しは懲りんか、たわけ」
「自重しましょう?」


 賢王、英雄王、子ギルの突っ込みが入る。
 何やら過去にあったようだ。三人の呆れようが凄い。
 白野さんは不服そうにむっとむくれたような表情を見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、真っ直ぐに私を見つめた。


「私は岸波白野。状況は良く飲み込めていないがのだけれど、随分と世話を掛けたことは分かる。本当にありがとう」
「藤丸立香です。こっちは後輩のマシュ・キリエライト」
「初めまして」


 ぺこりと頭を下げられ、こちらも頭を下げる。


「さて、状況の擦り合わせと行こうか。ナイチンゲール、このまま話してても大丈夫そうかい?」
「ええ。バイタルにも異常はありませんし、会話程度なら大丈夫でしょう」


 ダ・ヴィンチちゃんの言葉に婦長が頷く。
 体調も問題ないのなら話をさせてもらおう。話したいことが山ほどある。


「待て」


 英雄王が声を上げた。


「人数を最低限に減らせ。話しはそれからだ」


 ちょっと、予想はついていた。聖杯の所有者が、ただ者であるはずがない。さっきの会話から察するに、それだけではないみたいだし。


「婦長、」
「ええ。私は隣にいますので。ミス白野、少しでも体調に違和感があったら申し出るように」
「分かった」


 婦長が処置室を出ていく。それを見送って、私は白野さんたちに向き直った。
 けれど王様たちの顔は険しいままで、口を開く様子は無い。
 もしかして……。


「アサシンたちも離れて。白野さんの話を聞いていいのは私とマシュ、ダ・ヴィンチちゃんだけだよ」


 どこに隠れているのかは分からないけれど、とりあえず天井を見上げて声を掛ける。
 返事は無い。
 無言で離れたのか、承認できないという抵抗か。
 仕方ない。令呪を使うか、と手を翳した時、白野さんが口を開いた。


「ギル、彼らは私たちが信用ならないんだ。だって、素姓の分からない人間と、破格の力を持ったサーヴァント。危害を加えられやしないかと不安になるのも仕方ないことだろう?」


 ふわりと微笑んでいる白野さんに、それはこちらのセリフだ、と思った。
 彼女たちこそ、不安なはずだ。だって彼女に非道を強いていたのはカルデアを作った張本人。
 そしてカルデアに所属する私たちは彼女からしたら、加害者の仲間だ。
 けれど白野さんは、笑って言うのだ。


「それに彼女たちは私の目覚めを喜んでくれた。ナイチンゲールに至っては私の看病もしてくれたようであるし、彼女たちは常に私を気遣ってくれる優しい人たちだ。そんな人たちと私は敵対したくない」


 柔らかい笑みを浮かべた白野さんは真っ直ぐに英雄王を見つめていた。
 けれどその笑みの柔らかさに反して、その瞳は決して引かないと強く訴えている。
 この人はきっと、人に対してどこまでも誠実で、芯の強い人なのだろう。
 自分の信念を絶対に曲げない。そんな印象を受けた。
 私なんかよりも白野さんを知っているギルガメッシュ達は、彼女がてこでも動かないことを悟ったのか、揃ってため息をついた。


「白野、貴方はお人好しが過ぎます」
「少しは自分の身を案じたらどうなのだ、貴様は」
「呆れて言葉も出ぬわ……」


 自分を大事にしてくださいとか、慢心をしていいのは我のみだぞ、とか。
 ぐちぐちと続けられる悪態もなんのその、白野さんは笑顔のままだ。むしろ、より一層笑みを深める。


「だって、何かあってもギルガメッシュがいれば安心だろう? 貴方は私の最強のサーヴァントなのだから」


 自信と誇りに満ちた、強気な笑み。嘘偽りの無い心からの言葉。その言葉には、彼への絶大で絶対の信頼があった。
 それを受けて、ギルガメッシュ達は硬直した。


「ふ―――ふははははははは!」


 否。白野さんの言葉を咀嚼し、理解したらしい英雄王の笑い声が響く。


「貴様のソレは慢心ではなく絶対の自信であったという訳か! 我という最強の剣を持っているのだから、それも当然よな。良い、許す! 我が天上の音楽がごとき玉音を拝聴するまたとない機会と、我らの輝かしい旅路の一端を味わう栄誉をやろう! 額づくて随喜に噎び泣くが良い!」


 機嫌良く、英雄王がわしゃわしゃと白野さんの髪を撫でる。白野さんはやめてと言いつつ、どこか嬉しそうだ
 ちなみに子ギルは「それはずるいです、白野……!」と悶え、賢王は「我が雑種尊い……」とキャラ崩壊を起こしていた。
 先程のデレ全開な言葉に相当なダメージを受けたらしい。
 王様たちを再起不能にするとか並大抵のサーヴァントでは不可能なことを平然とやってのけた白野さんはおそらくギルガメッシュ特攻持ちだ。
 ギルガメッシュ王たちは高難易度のラスボスとして出現することが多いので、ぜひ白野さんにはカルデアに来てほしい。3ターン周回も夢じゃない。
 閑話休題。
 まぁ何にせよ、王様たちの許可は得られた。
 では早速、お待ちかねのトークタイムと洒落込もうか。




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