天文台にて目を覚ます 3






 ふわふわとした思考が少しずつまとまるような感覚を覚える。意識が夢から現実に引き戻される様な、そんな気配だ。
 目蓋の裏が眩しくて、思わず眉間に皺を寄せる。
 夢から覚めたなら起きなければならないが、まだ起きるのが億劫だ。
 そう言えば、少し前に一度起きたような覚えがある。その時は、どうして起きたのだったか。


(ああ……)


 手を伸ばされたのだ。彼ではなく、私―――岸波白野に害を為そうとする相手に。
 目も開けられなくて、体も動かなくて、逃げることすらできなかった。だから私は、今の自分に出来る精いっぱいのことをしたのだ。私の声なら、彼に届くと信じて。
 だから私は呼んだのだ。


「ギルガメッシュ、」


 私の、最高の相棒の名を。


「白野!」


 そして彼は答えてくれた。今も、私を呼んでいる。
 ああ、なら、目覚めなければ。
 助けてくれたことにお礼を言って、答えてくれたことが嬉しかったと伝えなければ。
 重い目蓋を持ち上げる。目に入る光がまぶしくて、なかなか目が開けられない。何度も瞬きをして、ゆっくりと目を慣らす。
 徐々に見えてきた景色の中心に、その人はいた。


「ギル……」


 金の髪に赤い瞳。目に眩しい黄金の鎧。
 いつもは酷薄とした笑みを浮かべている顔が、今日はわずかに緩んでいる。
 ああ、そうか。私が起きるのを待ってくれていたのか。
 驚くほど気の長い人なのに、変なところで気が短いから、きっと退屈させたことだろう。それでも待ってくれていたことが嬉しくて、自然と笑みを浮かべてしまう。


「おはよう、ギル」
「遅いわ、たわけ。王を待たせるなど、貴様でなければ万死に値する不敬だぞ」
「ごめん」


 呆れた様な、でもどこか拗ねたような声音に苦笑する。
 後で散々振り回されるだろうことを予想して、でも待たせてしまったのは私なので、甘んじて受け入れる覚悟を決める。
 とりあえず起きよう、と体に力を込めると、肩を押され、やんわりと諌められた。


「まだ寝ていろ。貴様は病み上がりなのだ。無茶をするでない」


 別の方からもギルガメッシュの声が聞こえて、驚いて振り返る。するとそこにはギルガメッシュがいた。
 服装とか、雰囲気はわずかに違うが、間違えようもなくギルガメッシュだった。


「そうですよ。無理しないでくださいね?」


 可愛らしい声が聞こえてそちらを見ると、声と同じく可愛らしい顔立ちの少年が目に映る。
 小さくとも分かる。彼もギルガメッシュだ。
 ……え? ギルガメッシュが三人? ギルガメッシュはプラナリアだったのか……?


「目が覚めたのですね!」


 思わず遠い目をして天井を見つめていると、少し離れたところから、今度は女の子の声が聞こえる。視線を向けるとそこには淡い髪の美少女がいた。
 その隣には赤い服の美女と、杖を携えた美女が並んでいた。
 彼女らはサーヴァントだ。
 何故サーヴァントがいるのだろう、と首をかしげる。聖杯戦争は終結しているはずだ。まさか、月以外でも聖杯戦争が行われているのだろうか。
 不思議に思って彼女達を見つめていると、私の視線に気づいた少女が笑顔を見せる。
 どうやら少女は私が目覚めたことを喜んでくれているようで、笑顔が眩しい。美女二人の顔にも、どことなく安堵の色が見て取れた。
 ギルガメッシュだけでなく、見知らぬ相手にまで心配を掛けてしまったようで、胸が痛い。


「私、先輩にこのことを知らせてきます!」
「いってらっしゃい」
「はい!」


 少女が、軽やかな足取りで部屋を出ていく。
 そう言えば、ここはどこだろう。見覚えのない空間に当たりを見回していると、美女二人がベッド際にやってきた。


「やぁ、おはよう、眠り姫。気分はどうだい?」
「え、あ……。悪くない、です……?」


 杖を持った美女が柔らかい笑みを向けてくる。向けられる覚えのない暖かいそれを不思議に思いつつ、何だかほっとした。


「体調に問題はありませんか?」


 今度は赤い服の美女が声を掛けてくる。こちらは表情がほとんど変わらず、どこか事務的だ。
 けれど決して冷たいわけじゃない。自分の仕事にひたむきな印象を受けた。


「大丈夫です。むしろ体が軽い様な……?」
「それはそうだろうね。君は数えるのも嫌になるほどの術式を掛けられていたんだから」
「え?」


 術式? と首をかしげる。
 ああ、そう言えば、一番最初に意識を確立させたとき、指一本動かすことすらできなかった。あれは術式とやらのせいなのだ、と理解する。


(―――あ、)


 術式で思い出した。
 何となく、覚えている。自分の手を握って、安心するように声を掛けてくれた人がいたことを。
 それは間違いなく、この人だ。


「ありがとう、もう一人のギルガメッシュ。貴方のおかげだ」


 私の言葉に、もう一人のギルガメッシュが目を見開く。


「……何故、我だと?」
「あれ、貴方じゃなかったか?」
「いや、我だが、そうではなく……」


 ゆったりとした装いのギルガメッシュは眉を寄せ、何とも形容しがたい表情をしている。訝しげな、ともすれば嬉しいけれど素直に喜べないという様な、そんな顔に見える。
 そこでああ、と納得した。


「正直、術式を解いてもらっていたときは意識が朦朧としていて、区別なんてついていなかったけれど、今なら分かる。あれは貴方だ」


 何故わかったのか、と聞きたいのだろうけれど、私自身うまく言葉に出来ない。
 でも、確かなことが一つだけある。


「私は多分、怖かったんだ。まためちゃくちゃにされるんじゃないかって。でも、貴方の言葉で安心した。手の温もりに励まされた。だから怖くとも頑張れたんだ」


 だから、ありがとう。
 これは紛れもない本心だ。これだけは自身を持って断言できる。
 言いたいことを全て言い切って笑いかけると、術式を解いてくれたギルガメッシュは目を見開いたまま硬直していた。
 ……あれ?


「………………はぁ――――……」


 固まっていたかと思ったら、今度は片手で顔を覆って深く長いため息をつかれた。
 ええ……。お礼を言っただけなのに、何故こんな反応をされなければならないのか。
 思わず胡乱な眼で見ていると、反対側からひやりとした冷たい空気が流れてくる。
 私の良く知るギルガメッシュだ。
 彼を見れば、彼は不穏なオーラを纏いながら私を見下ろしていた。
 ああ、これは拗ねているな、と内心で苦笑する。それから真っ直ぐにギルガメッシュを見つめる。決して、逸らすことなく。


「ギルも、ありがとう」
「―――む?」
「助けてくれて、ありがとう。来てくれて、凄く嬉しかった。―――信じて、良かった」


 私の声なら貴方に必ず届くと。貴方ならきっと答えてくれると。そう信じて、本当に良かった。


「ありがとう、ギルガメッシュ」


 私の言葉にギルガメッシュが不機嫌なオーラを霧散させて、目を瞬かせる。
 きょとんと呆けたような幼い表情を彼はすぐに不敵な、けれど優しげな笑みに変えた。


「ま、あれだけ必死に呼ばれれば、答えぬわけにはいくまいよ」


 くしゃり、と髪を撫でられる。何故だかすごく懐かしく感じるそれに、胸がくすぐったい。
 ―――ああ、そうだ。もう一人。


「幼いギルガメッシュも、ありがとう」
「え?」


 少年のギルガメッシュが不意打ちを受けたような顔をした。


「……僕、自己紹介してませんよね? 僕が分かるんですか?」
「何で、と言われると説明できないので困るけれど、一目で分かったよ。お見舞いに来てくれてありがとう」
「……いえ、当然のことをしたまでです」


 それきり、幼いギルガメッシュは俯いて、両手で顔を覆って黙りこんでしまった。
 え、何なんだ、これは。


「おおっと? これはとてもおもしろ……げふんげふん。とても貴重な場面を見てしまったようだね」


 杖を持った美女がニマニマといやらしい笑みを浮かべているのが視界の端に映る。何だかその表情が愉悦しているときのギルガメッシュを想起させて、私はそっと目をそらした。
 と、そう言えば。


「私、自己紹介がまだでした。私は岸波白野。貴方達は……?」
「ああ。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ。気軽にダ・ヴィンチちゃん、とでも呼んでくれたまえ!」
「私はフローレンス・ナイチンゲール。バーサーカーです」


 何のためらいもなく真名を教えてくれたことに驚く。
 え? 聖杯戦争中ではないのか? ここはどういう状況でサーヴァントを召喚している場所なんだ……?
 というか、ダ・ヴィンチって男性だったはずでは? そのうえ白衣の天使がバーサーカー?
 何だこれ、突っ込みどころしかない。
 目が覚めてからそう時間が経っていないというのに、私は何回天を仰げばいいのだろう。


「ところで君、思ったより記憶がしっかりしているようだね?」
「え?」
「だって君、アムネジアシンドロームに罹っているんだろう?」


 ―――え?

 アムネジアシンドローム。それは二十一世紀に確認された感染症だ。
 脳神経を犯すその病気は脳機能を停止させ、記憶の認識すら不可能とし、最終的に生命活動が停止する。つまり死に至る病気だ。
 それに罹っているのは―――、


「―――――っ!」


 その事実に、私は勢い良く身を起こした。
 眩暈ゆえか一瞬気が遠のくが、何とか意識を引き戻す。
 ナイチンゲールが咎める様な声を上げるが、それどころではない。
 ―――私はとんでもないことをしてしまったのではないか?
 だってその病気にかかっているのは、私の基盤となった岸波白野―――その人なのだから。




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