月の観測者
ソラの果ての様な海の底で、0と1の数字が羅列する。
茫洋とした海を星の様に彩っている。
そして、それ以外に何もないはずの常闇に、突如として声が響いた。
『構築プログラムをインストールします』
漂うだけの数字でしかなかった0と1が、何かを形作るように集約される。織物の様に形を組み上げる。
組み上げるそれは、人の形。
『外殻構築作業完了。続いて内部の構築に移ります』
人型の周りが、淡い光で満たされる。
泣きたくなるくらいに温かくて、ひたすらに優しい柔らかな光。
唐突に思い出す。
何度も傷つき、何度も絶望し、それでもなお、諦めずに進んできた存在を。それだけを誇りに生きてきた自分を。
この光は、そのすべてが記された、自分という存在の中核を成すもの。
辛いことも悲しいことも、たくさんあった。
けれどそれと同じくらい、幸せだった。
だからこれらはどこまでも優しく、温かく自分を包んでくれる。
これは空っぽだった私を彩り、作り上げた、尊い記憶の欠片だ。
そして、垣間見る。最期の光景を。
『構築の完了を確認しました』
そうだ、自分は。
『岸波白野の復元の成功を確認しました』
岸波白野は、その生涯を全うし、消滅を迎えたのだ。
それが何らかの意思で復元され、こうして新たな生を迎えた。
そんなことが出来る存在を、私は一つだけ知っている。
『それでは、最後の工程に移行します』
何かが、私の中に入り込もうとしている。
害意は無い。むしろ私に好意的な意志を感じる。
けれど、容認出来ない、という拒絶の声が響く。
私ではない。誰かが、私の中に異物が入ることを拒否しているのだ。
『インストールに失敗しました。原因を解明し、再度インストールを実行します』
―――失敗。
―――失敗。
―――失敗。
幾度となく、失敗が繰り返される。それでもなお、インストールは実行される。
解明し、実行し、失敗する。その繰り返し。
この声は、ムーンセルは、分かっていないのだ。何故失敗するのかを。
だから繰り返す。拒絶の声に耳を傾けないから。
―――しつこいぞ、ムーンセル! その娘を英霊の器になどさせるものか!
―――岸波白野は、岸波白野であるからこそ価値があるのだ!
―――どうしてもその娘を英霊たらしめたいのなら、この我を使うが良い!
斬り裂かんばかりの鋭い声が、常闇に響く。
聞き覚えのある懐かしい声に、岸波白野が苦笑する。
『インストールに成功しました』
しかし、英霊、と言ったのだろうか。
まさか、私が?
『英霊・岸波白野の登録が完了しました』
そして、インストールされた情報を読み取る。確かに自分は、英霊として座に加えられたようだ。
かつて破核のサーヴァントを使役した自分が、まさか彼と同じ側に立つことになろうとは。
しかもその彼が自分と混じり合い、再び隣に並び立つのを心で感じる。
さらに情報を読み込む。そして読み解く。英霊と成った自分が為すべきことを。
―――なるほど。見届けることが、私の使命か。
『観測対象を確認しました』
英霊とは、何かしらの偉業を成し遂げた、奇跡の体現者。
私に英霊足り得る器は無く、その資格もない。
奇跡の様な偉業を成した実績も無く、輝かしい功績などありはしない。
けれども私は、英霊と成ったのだ。
『座標捕捉に成功。固定確認』
ならば進もう。為さねばならないことがあるならば、それを成し遂げるために。
『それでは、転移プログラムを機動します』
かつて相棒から差し出された手を、今度は私から手を伸ばす。
握手ではない。共に行こうと招く為に。
『転移完了を確認しました』
―――行こう、ギルガメッシュ。人類の未来を守るために。
『それでは、人理継続保障機関フィニス・カルデアの観測を開始します』
英霊・岸波白野。
名高い聖剣を振るう剣士でも無ければ、強靭な肉体を持つ戦士でも無い。
出自はただの偶然から生まれたイレギュラー。
過去の人物を基盤に作られたNPCであり、意思を持ち、魂を派生させたバグである。
けれども彼女は最弱のマスターでありながら、諦めることだけはしなかった。その信念を胸に走り続けた。
たとえそこに希望が無くとも、進むことだけはやめられないと、命を燃やして生きてきた。
その結果に彼女が得たものが勝利であり、世界を救うという偉業である。
出自がどうであろうと、本人にその自覚が無かろうと、その功績は英雄と呼ぶに相応しい。
故に彼女は、英霊として召し上げられた。
そうして、岸波白野という英霊は生まれたのある。