天文台にて目を覚ます
その階段は、異様なほどに長かった。時間という概念すらも分からなくなるほどに下へ下へと続く道。
立香は一歩足を踏み出すごとに、気分が悪くなるような錯覚に陥っていた。
嫌な汗が伝い、手は冷たくなっていく。
体は重く、心は進むことを拒絶する。
理性が少女などいないとカルデアを信じようとするが、本能が悟ってしまっているのだ。この先に、非道な実験の被害者となった少女がいることを。
―――このまま、ずっと辿り着かなければいいのに。
そんな思いを胸に抱くも、その想いはあっけなく打ち砕かれる。
「扉です! 魔力を封じるための刻印が刻まれています!」
「どうやら侵入防止の術式も施されているようです! すぐに解呪作業に移ります!」
―――ああ、見つかってしまった。
立香は拳を握り、固く目を閉ざす。
優秀な魔術師たちによる解呪はあっという間に完了し、重苦しい音を立てて、扉が開かれる。
その先には夥しい数の刻印と、おそらくはこの部屋で行われた実験の研究資料。病院を思わせる医療器材。その中心に、コフィンによく似た装置が置かれている。
それだけで作り上げられた空間が広がっていた。
「おお、あれが―――」
一人の男が、歓喜の声を上げる。
男は両手を広げ、喜々としてコフィンによく似た装置に歩み寄った。
その装置は、蓋がガラスの様な素材でできており、中の様子がよく見える作りとなっている。
装置の中には一人の少女が横たえられ、たくさんの管で繋がれている様子が一目で見て取れた。
白いワンピースに、不自然なほどの純白の髪。ずっと光を通さない場所にいたためか、その肌は透き通るような雪の白さをしていた。
それは精巧な人形のようで、立香はぞっとした。
「……っ」
「な、んてことだ……」
少女を目にしたロビンフッドが息を飲み、ダ・ヴィンチが震える声を漏らす。
「まさか、本当に存在するなんて……っ!」
マシュも顔から血の気を引かせ、悲痛な声を上げる。
しかし男はカルデアの様子など気にも留めず、歓喜の声を漏らし続けた。
「これが、これがマリスビリーが聖杯を隠すために使用した器! 喜べお前達! 私たちは聖杯を手に入れた!」
「な―――!」
男の言葉に、立香が、カルデア一同が目を見開く。
カルデアで聖杯の気配が観測されたことは一度もないはずだ。だから、彼女が聖杯を所持しているなんてことはあり得ない。
自分たちも聖杯の気配を感知していない。そもそも、目の前の少女からは魔力すら感じられない。だからあり得る筈がないのだ。
けれど、それにはすぐに合点がいった。
ここには、たくさんの術式が組み込まれている。彼女自身にすらも。
故に、自分達やカルデアの装置すらも欺かれたのだ。その幾重にも重ねられた術式によって。
「いえ、どうやらそれは違うようです」
「―――何?」
資料を手にした男が、声を上げる。
今まさに歓喜の声を上げていた男の声音が一変するが、彼の部下らしき男は、果敢にも言葉をつづけた。
「この少女は発見された時からすでに、聖杯を所持していた模様です。マリスビリーはまず、これを取り出すことを試みたようですが、失敗。次にこの少女を用いて英霊召喚を試みて、また失敗。しかし何度か、微弱ながらもサーヴァント反応があったことから、触媒になり得る逸材であると推測されています」
資料を読み上げる男の声に、熱が入る。
「また、手に入れた本物の聖杯と比較して、この少女の持つ聖杯と全く同種・同量の魔力反応があることが判明しています。故に、この少女の持つ聖杯は、本物の願望器であると結論付けられています!」
「―――ああ、」
部下の言葉を最後まで聞き届けた男が、感嘆の息を漏らした。―――素晴らしい、と。
「つまり”これ”を用いれば、我々は新たな召喚システムを確立することが可能という訳だな!? いや、聖杯を取り出すことが出来れば、我々は根源に辿り着くことも不可能ではない!」
男たちの紡ぐ言葉を、人間の言葉の言葉を理解したくないと思ったのは、初めてのことだった。
男がコフィンの傍に立ち、コフィンを操作する。するとコフィンの蓋が開き、その少女の全容が明らかとなった。
少女の手足は拘束され、身動きすら取れない様になっていた。そして少女の体にも何らかの術式が施されているのか、さまざまな刻印が見て取れる。
(これが、同じ人間にすることか……!)
胸を焼く様な、激しい怒りが込み上げる。
立香だけではない。マシュもロビンフッドもダ・ヴィンチも、それぞれが同じように怒りを抱え、そのすさまじい激情を押し殺しているのだ。
(こんなことが許されてたまるか……!)
男が少女に手を伸ばす。人を人とも思わない手が、少女を汚そうとする。
それを見た瞬間、感情が爆発した。
―――触るな!
そう叫んだはずの声は、形にならずに喉の奥へと消えていった。
なぜなら、立香は確かに見た/聞いたのだ。
「来て」
寝たきりであるはずの少女の唇が紡いだ言葉を。
「ギルガメッシュ」
彼女が呼んだ、英霊の名を。
その瞬間、凄まじい突風が吹き荒れる。
資料を吹き飛ばし、機材をなぎ倒すほどの暴風。
目を開けていることも、立っていることすらままならない。立香はとっさに腕で顔を庇い、その場にしゃがみ込んで風が収まるのを待った。
「まったく、貴様は本当に、声だけは良く通る女よな」
自分の良く知っている/全く知らない声が耳を打つ。
その声にハッと我に返り、立香が目を開ける。そして立香は絶句した。
少女の正面。立香たちに背を向ける形で、その男は立っていた。
逆立てた金の髪に、黄金の甲冑。見たことのない姿だが、その悠然とした立ち姿はウルクを治めた王のソレ。
「貴様の呼び声、しかと聞き届けたぞ、マスター!」
少女の声に答え、黄金の王がカルデアに降り立った。