蛇の計略
「決めろ、フロイド!!」
ブザービーターと同時に、フロイドが放ったスリーポイントが決まる。
得点は86対87。最後の最後で、NRCが逆転勝利を収めた形となった。
会場が沸いた。ずっと負け越していたNRCが因縁のRSAに勝利したのだ。盛り上がらない訳がない。
ここ最近、すっかりジャミルの姿を探すことが癖になってしまったフロイドは、まず真っ先にジャミルの姿をその目に捉えようとしていた。
長い黒髪は、その美しさ故に人目を惹きつける。人が集まった場所でも、その髪が翻れば自然と目に留まる。
そうして見つけたジャミルは、彼にしては珍しく、年相応の無邪気な笑みを浮かべていた。
「ウミヘビくん」
呼びかけると、グレーの瞳と視線がかち合った。その瞬間、無邪気な幼い笑みが、とろりととろける。
とろり、とろり。蜂蜜のような、甘やかな笑み。それは背筋に怖気が走るほど、美しい笑みだった。
ドクリと痛いほどに鼓動が高鳴った。呼吸の仕方を忘れたかのように、息が苦しくなる。
誰もが視線を奪われ、溺れるような花のかんばせ。唇を噛み切らんばかりに悔しがっていたRSAの生徒ですら、その微笑みに見惚れいた。
その顔を自分以外が見ているという事実が許せなくて、フロイドはジャミルの元へ駆け出した。
自分の胸に顔を押しつけるようにして頭を抱え、その痩躯を思い切り抱きすくめる。ジャミルは抵抗もせずに腕の中に収まってくれた。
「フロイド?」
腕の中で、ジャミルがフロイドを見上げる。びっしりと生えそろった睫毛を瞬かせ、首を傾げた。
無防備で、幼くて、隙だらけな姿。普段は絶対に見せないくせに、それを自分の腕の中で見せつけられて、顔に熱が集まってくる。
「どうした?」
ずるい、ずるい、ずるい。
柔らかい声で、困ったようなフリをしながら、実は面白がっている。フロイドが自分に振り回されているのを楽しんでいる。
くすくすと楽しげに笑いながら、わしゃわしゃと髪を掻き回されてしまえば、もう駄目だった。
「…………オレ、ウミヘビくんがいないとダメかも……」
フロイドの敗北宣言に、待ち望んでいた言葉を引きずり出したジャミルは、蛇のようにしなやかな腕をフロイドの身体に巻き付けた。
オッドアイを間近でのぞき込んで、ここぞとばかりに目元をとろかせて花を咲かせる。
けれどそんなジャミルの心情を慮れないフロイドは、自分の腕の中で咲いた花にくらくらと酩酊していた。
(…………まずいなぁ……)
とろり、とろり。震えるような甘い笑みが、自分だけに向けられる。それはどこまでも甘美で、打ち震えるような喜びをフロイドにもたらしてくれた。ぽっかりと空いた胸の内が満たされていく。
だからこそ、この笑みだけは失えない。無くしてしまえば、今度こそ自分は崩れ去るだろうと、そう思ってしまったのだ。
もうフロイドの瞳には、ジャミルしか映らなくなっていた。
哀しいほどに冷めてしまった熱。小さく萎んでしまった恋心。けれども完全には無くならならなかった、どうしようもない想い。
炎のような熱を取り戻したくて。小さく淡くなってしまった恋心を、もう一度育てたくて。どうしようもない想いを、それでも失いたくなくて。
けれど、そんな想いを抱く相手から逃げてしまった。酷い態度を取ってしまった。最初の出会いこそ最悪だったけれど、それでも自分に好意的でいてくれたのに。
相手もきっと、自分と同じ熱を持っていてくれたのに。
だから因縁の相手との試合で一生懸命に応援して、謝って、仲直りしたいと思ったのだ。
そして自分の想いを伝えて、結ばれたいと思ったのだ。
けれども自分の王子様になって欲しいと望んだ相手は、すでに別の人間に心を奪われていた。自分に向けてくれていた以上の熱を、その相手に向けて。
そうして誰にも知られず、相手に伝えることも出来ず、一人の少女の恋が終わった。