蛇の計略






 部長と二人で四苦八苦しながらフロイドを部室に運ぶ。
 その道すがらで嘔吐したこともあって、フロイドの身体は完全に弛緩しており、力の抜けた大柄な人魚を運ぶのには骨が折れた。


「あ゛~、疲れた! 完治したら絶対に対価請求してやる!」
「助かりました。あとは俺が見ておきます」
「看病初心者が居ても邪魔になりそうだし、任せるわ。対価はフロイドにつけといて」
「返済が大変そうだ。フロイドに同情します」
「いや、搾り取る気満々か?」


 ほどほどにしてやれよ、と苦笑交じりの言葉を残し、部長はフロイドをジャミルに任せて部室を出て行った。

 フロイドと二人、部室に残されたじゃミルは、テキパキと看病の準備を始める。
 わずかばかりの解毒剤を混ぜたスポーツドリンクを飲ませ、濡らしたタオルで首筋を冷やす。
 死ぬような毒ではないので、解毒剤を飲ませる必要もない。数日で身体から抜けていくものである。
 しかし、自分が看病したことで具合が良くなったという実績は、いつかどこかで役立つこともあるだろう。ようは先行投資である。
 それに、あまり具合が悪そうだと、病院に連れて行かれかねない。専門家相手に誤魔化しが利くなどと自惚れるほど、ジャミルは自分を過信してはいない。


「あちぃ……」
「熱が出ているからな。氷嚢も作るか?」
「う゛ん……」


 マジカルペンを振り、氷を生み出す。その氷で氷嚢を作り、首筋と脇の下に入れてやる。
 熱を冷ますとき、額を冷やすのはあまり効果が無いのだ。
 けれど、フロイドは冷たい深海の生き物である。少しでも冷やした方が精神的に良いだろうと判断し、額にも氷嚢を乗せた。


「しばらく寝ていろ。みんなが部室に戻ってくる前に起こすから」
「……ウミヘビくんは?」
「俺? 俺はお前の看病の為に残ったんだが? まぁ、寝るのに邪魔なら部活に戻るよ」


 のろのろと、フロイドの手が宙を彷徨う。それに応えるように手を近付けると、本当に具合が悪いのかと疑いたくなるような力で握られる。
 しばらくは痕が残りそうだな、と他人事のように思いながらその手を受け入れる。
 フロイドは自分の手が振り払われないこと、ジャミルが部活に戻る素振りを見せないことに安心したのか、ゆっくりと目を閉じた。
 苦しそうな呼吸音が、ほんの少しだけ和らぐ。


(体調が悪いと心細くなるのは人魚も同じようだな……)


 幼い頃から、カリムやカリムの弟妹達の看病をして来たのはジャミルだった。
 彼らは体調を崩すと、総じて一人になるのを極端に嫌がった。恐らくは彼らを取り巻く環境によるものだろう。万全でない状態で、刺客にでも襲われたら一溜まりもない。
 けれど、自身の妹もそうであるから、きっと誰しもがそうなのだろうと当たりをつけていた。ジャミル自身も、幼い頃はそうであったように思う。
 人魚も同じ感性で助かった。逃がすまいと握られる手を見つめて、ジャミルが口元を緩めた。


(ああ、悪くないな………。良い調子だ)


 ―――――このまま、どこまでも堕ちてこい。
 フロイドの頬を撫でたジャミルの手は、その凄絶な笑みとは裏腹に、大切なものに触れるように優しい手つきだった。



* * * * *



 部活が終了する時間が差し迫ったころ。ジャミルはフロイドを起こし、ロッカーを触る許可を取り、手早く荷物をまとめた。


「フロイド、動けそうか?」
「………むり」
「なら俺が背負っていく。振動がキツいかもしれないが、ほんの少しの辛抱だ」


 アズールにフロイドの体調不良と入寮の許可を求めるメールを送る。
 電話をしても良かったが、ジャミルは欲深く生きていくことを決めたばかりなので、もうしばらくフロイドと「二人きり」を楽しみたかったのだ。
 メールに気付いたならばそれで良し。気付かなくても、適当な寮生を捕まえて入寮の許可を得れば良いだけのこと。緊急事態なのだから、事後承諾でも構わないだろう。

 二人分の荷物を抱えたジャミルは、フロイドに軽減魔法を掛ける。
 フロイドの体重を軽くして背負うと、その振動ですらフロイドには苦しいようで、呻き声が口から漏れる。
 「いい子いい子」と妹を宥めるときのように穏やかに言葉を紡げば、首に回った手に少しだけ力がこもった。
 そのことにゆるりと口元を緩めて、ジャミルはゆったりとした足取りでオクタヴィネルへと向かった。

 オクタヴィネルに着くと、丁度アズールとジェイドが寮を飛び出してくる瞬間に立ち会うこととなった。


「フロイドが体調不良だと伺いましたが、一体何が!?」
「落ち着け。ただの風邪だよ。薬は飲ませたから、安静にさせとけばすぐに良くなる」
「風邪、ですか……」


 健康優良児そのものなフロイドが、普段からは考えられないほど赤らんだ頬をして苦しそうに呻いている。
 海に風邪という概念はなく、知識としてしかその概念を知らない二人はオロオロと狼狽えるばかりだ。


「その様子を見ると、看病の経験は無さそうだな」
「はい………」
「なら説明してやるから、フロイドの部屋に案内してくれ。振動も辛いようだから、このままの方がフロイドも楽だろう」
「お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします」
「荷物は僕がお預かりします」
「頼む」


 荷物をジェイドに渡し、フロイドの部屋に向かう。
 フロイドの部屋は青を基調とした部屋で、海を思わせる配色だ。
 少しばかり散らかった部屋は想像通りで、思わず口元が緩みそうになるのを必死に押さえる。
 フロイドをベッドに寝かせ、落ち着いたのを確認して、アズールとジェイドに向き直る。


「フロイドの症状は発熱と頭痛。それから嘔吐。まぁ、水分は取れるようだから、そこまで深刻なものではない。こまめに水分を摂らせて寝かせておけ。水分はスポーツドリンクや経口補水液が好ましい。くれぐれも一気に飲ませるなよ。少量をこまめに、だ」
「は、はい」


 アズールもジェイドも、思ったより真剣にジャミルの話を聞いていた。
 元々、アズールは真面目な話のときには存外真剣に話を聞くのだ。その姿勢には好感が持てる。普段の様子に目を瞑れば、であるが。
 ジェイドは自分の楽しみを優先してしまうきらいがあるが、片割れのこととなると話は違ってくるらしい。
 そう言えば、フロイド自身よりフロイドのことを心配していたな、と昼休みの様子を思い浮かべる。


「寒気を感じるようなら、これから熱が上がるサインだ。しっかり身体を温めてやれ。逆に暑さを感じて顔や身体がほてっているようなら、熱が上がりきった証拠だ。さっき熱いと言っていたから、熱が上がりきっているんだろう。汗をかいているようだから、着替えさせてやれ」
「分かりました」
「それで、熱を下げる為には身体を冷やさなければならない。冷やす場所は脇の下や首筋だ」
「額ではないんですか?」
「額を冷やしても、効果はあまりない。まぁ、気持ちがいいから精神的には落ち着く。気休めとして冷やしてやれ」
「そうします」
「食欲がないようなら無理に食わせるな。一度吐いてるから、無理に食わせるとまた吐くかもしれない。食べられそうなら、消化に良いものを食わせてやれ。卵やすりおろした野菜のスープとかがいいかもな」
「食べ物は温かいものの方が良いのですか?」
「冷たいものの消化は胃に負担をかける。熱いものが苦手なら人肌から常温程度に冷ましてやればいいだろう」


 一通り説明を終えて、細々とした質問に移っていく。
 後は実践あるのみ、となるところまで質疑応答を繰り返し、話の内容はオクタヴィネルらしく、対価へと移っていった。


「それで、対価はどう致しましょう?」
「そうだな……。カリムにフロイドの体調不良を知らせるな。お見舞いに行こうだとかうるさくなる」
「目に浮かびますね」
「分かりました。しかし、それだけでは釣り合いが取れません。看病もしてくださったようですし、薬も飲ませてくださったのでしょう?」
「いちいち面倒だな……。なら、決まったら提示するよ」
「…………ご自分の興味のない事以外には、とことん無欲な方ですね、あなたは」
「そうでもないと思うがな」


 信じられない、と言わんばかりの呆れ顔に、ジャミルは肩をすくめた。
 欲がないのではない。最後に全部戴くつもりでいるから、小さな対価に興味などないのだ。
 それに、今1番の懸念材料はカリムである。彼は毒に明るい。
 ポムフィオーレもそうであるが、彼らは積極的にオクタヴィネルに関わろうとしないため、カリムさえ抑えられれば充分なのだ。


「じゃあ俺は帰るよ。分からないことがあったら連絡しろ」
「ありがとうございます」
「本当に助かりました」


 最後に軽く脈を測り、特に問題が無さそうなことを確認し、ジャミルは踵を返す。
 そうして歩き出そうとして、腕をくん、と引かれる感覚を覚えた。


「ん?」


 違和感を感じて振り返ると、苦しそうに眉を寄せるフロイドがジャミルの腕を掴んでいた。


「おや、」
「すいません、ジャミルさん。すぐに外します」
「いや、大丈夫だ」


 引き剥がそうとはするアズールを制し、ジャミルがフロイドの手を握る。ぽんぽんとリズム良く手の甲を優しく叩き、時折そっと撫でる。すると安心したのか、フロイドの手と眉間から力が抜ける。するりと手が外れ、その隙に手を引き抜き、布団の中に手を押し込んだ。


「今度こそ帰らせてもらう。君達も風邪を貰わないように気をつけろよ」


 そう言って後ろ手に手を振って、ジャミルがオクタヴィネルを後にする。
 ちょっと凄いものを見てしまったような気がするアズールとジェイドは、お互いに顔を見合わせた。


「ジャミルさんって同い年ですよね?」
「そのはずですが……」


 あまりの手慣れた対応に、ちょっとだけ母親の面影を見たような気がした。




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