蛇の計略
その日の放課後のことである。打倒RSAを掲げたバスケ部は、いつも以上の熱気に包まれていた。
怒号のような指示の声。いつもなら飛ぶ野次もなく、あるのは声援とアドバイスの声ばかり。
いつも以上に真剣な眼差しで、誰も彼もが負けたくないと全身で叫ぶように体育館を走り回っていた。
しかし、そんな中で、フロイドだけが静かだった。
フロイドは具合が悪かった。昼を過ぎた辺りから徐々に徐々に、身体が不快感を訴え始めていた。今まさに病魔が侵食しているのだと、その事に気付けと言わんばかりに。
ズキズキと痛みを訴える頭。ぐるぐると吐き気をもたらす胃。ちかちかと視界が明滅する。
自分から誰かに不調を訴えるのは、何だか癪だった。
けれど、助けて欲しいと弱った心が叫ぶのだ。誰にも気付かれたくないはずなのに、自分の不調に気付いて欲しいと、胸の内から子供のような声がする。
今すぐにでもうずくまってしまいたいけれど、そんなことは情けなくて出来やしない。
「フロイド」
そんなフロイドに声を掛けたのはジャミルだった。
「…………なに」
「お前、具合悪いだろう」
「…………んなこと、ねぇし……」
「フロイド、」
―――――無理をするな。
子供に言い聞かせるような、らしくもない柔らかな声に、何もかも許されたような気分になった。
辛いとうずくまって良い。苦しいと訴えて良い。助けてと縋り付いて良い。そう、言われているような気がしたのだ。
その柔らかな声に甘えてしまいたいような気分になって、壁伝いにずるずると座り込む。
目線を合わせるために、ジャミルも隣に膝をついた。
「やっぱり気のせいじゃなかったようだな。風邪でも引いたか?」
「わかんね……。ぐらぐらする……」
「他に症状は?」
話すのも億劫で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
聞き取りづらいであろう言葉の羅列にも文句を言わず、返答を急かすようなこともせず、ジャミルはフロイドの言葉を静かに聞き届けた。
「先輩?」
そんなやり取りに気付いたのはエース・トラッポラだった。
エースは視野が広く、周囲をよく見ている人物だ。空気を読む力にも長けており、ジャミルの視線に気付いた彼は、すぐにバスケ部の部長と副部長に声を掛けた。
エースに声を掛けられ、フロイドを振り返った3年生達が目を丸くして駆け寄ってくる。
慌てたような部長達の姿に気付いた他の部活メンバーも、フロイドの様子に驚きの表情を浮かべていた。
視線が集中したのが分かって、舌打ちをしたい気分になる。見てんじゃねぇよと怒鳴り散らしたいけれど、それが出来るほどの元気がない。
惨めなような気もするし、情けないような気もして、視界が歪んだ気がした。
そのとき、パサリと頭にタオルが掛けられる。視界の端に映る紺色は、ジャミルがよく使っている物だ。
視線が緩和された気がして、ほっと息をつく。つくづく気の回る男だ。
「バイパー、リーチはどうしたって?」
「頭痛と吐き気。他にも細々とした不快感があるようです」
「そうか……。結構重症っぽいな」
「とりあえず、保健室行くか?」
保健室に行くべきだとは思うが、正直に言うなら動きたくないというのが本音である。
けれど、薬を飲んで横になって安静にしているのが一番だと言うことは分かっているのだ。
肯定の返事を返そうと口を開いたとき、部長が顔を顰めた。
「待て、今週は出張って言ってなかったか?」
「言ってたかも」
「クル先生もじゃなかった?」
「マジか」
途方に暮れた声が聞こえる。
男子高校生である彼らは、病人の看病の経験がある者の方が少ない。どうするのが正解か分からないのだ。
「しばらく部室に寝かしとくか?」
「寮に連れてった方が良くね?」
「でも魔法で運ぶにしても、振動すらキツそうだぞ」
「あー……。薬もどうにかしねぇとだし……」
あーでもない、こーでもない。困惑したような会話が続く。おろおろと動揺する空気を切ったのはジャミルであった。
「薬なら俺が持ってます。それを飲ませてしばらく休ませましょう。動けるようになったら寮に連れて行けばいいんじゃないかと」
―――――看病なら俺が出来ます。
そう言い切ったジャミルに部長達がほっと息をついた。
ジャミルが常に薬を携帯しているのは周知の上だ。主人であるカリムが常に毒を警戒しなければならない身分であるからだ。
その知識で助けられた部員が何人もいるため、救護という点においてのジャミルの信頼は部内一である。
「リーチ、どうしたい?」
「……ぅみヘビく、」
「バイパーの案ね、了解」
「んじゃ、ちょっとだけ我慢しろよー。部室まで連れてくから」
脇の下に腕を通し、背中を支えるようにして立ち上がる。
しかし、すでに足に力すら入らないのか、立ち上がった瞬間から崩れ落ちそうになってしまう。
そんなフロイドに、ジャミルが咄嗟に腕を差し出した。
片方は倒れ込む身体を支えるために。もう片方は、何かに縋ろうとする手を取るために。
そして差し出した手はジャミルの思惑通り、思い切りジャミルの手を掴んでくれた。鬱血して、痕を残すくらいに。