深海の月






 ラウンジのVIPルームのソファの上。膝を抱えながらルナがスマホを眺めていた。
 膝を折りたたみ、背中を丸めたルナの姿はジェイドの目には酷く小さく映った。


「おや、珍しいですね。ルナがマジカメに夢中だなんて」
「ああ、暇つぶしに触っていたら面白い動画を見つけて」
「面白い動画、ですか」
「うん。ウミヘビがウツボを丸呑みにするやつ」
「―――――」


 いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、ルナがジェイドを見上げる。
 そして見せられた動画に、ジェイドがわずかに目を瞠った。


「これはこれは………。見事な丸呑みですね………」


 大きく口を開けた細いウミヘビが、二回りほど大きいウツボを呑み込んでいく。
 ウツボは食物連鎖の上位のカーストに存在しているが、必ずしも勝利できるわけではない。窮鼠猫を噛むという言葉があるように、決死の覚悟の反撃や、一瞬の隙を突かれてしまえば、強者であるウツボとて敗北することもある。自分より小さな生き物が圧倒的強者を踏み越えていくことだって珍しくはない。この動画もそんな深海の日常を切り取ったものだった。


「ふふ、俺も出来るかな?」


 ルナの深海での姿はウミヘビだ。ウツボとよく似た、けれど別種のそれ。海の暗さに溶け込む漆黒の尾鰭。わずかな光に照らされて輝く鱗は、誘うように艶めかしい。その姿は闇に輝く光の名を持つ彼によく似合っていた。
 つい、と視線をスマホからずらし、ジェイドが横目でルナを見やる。ルナはその視線に気付き、見せつけるように舌なめずりをした。
 濡れた唇に劣情を覚えたジェイドが、ニィと口角を持ち上げた。


「試してみます?」
「うん」


 ジェイドの胸に手をつき、首筋にすり寄るように顔を近づける。かぷっ、とルナが柔く首に齧り付く。ジェイドのそれよりほんの少し厚く柔らかい唇の感触に、背筋が粟立つような感覚を覚えた。
 小さな口と、ツルリとしたまろい歯で捕食しようとするルナに、ジェイドはどうしようもない興奮を覚える。


「ルナ、それではくすぐったいだけですよ。もっときちんと歯を立てなくては」
「うぅん………。結構難しいな………」


 首から唇を離し、首筋に伝う唾液を舐める。テラテラと輝く唇は男を誘うような淫蕩さを持っているのに、その美しいかんばせが象るのは子供のようにむぅとむくれた憮然とした表情。娼婦のような妖艶さと無垢ないとけなさが反発せずに共存していて、奇妙な感覚を覚える。手を伸ばすのを躊躇わせるのに、暴きたくなるような凶暴さを孕ませるのだ。
 けれどジェイドはその戸惑いを踏み越えて、本能の赴くままにルナを押し倒した。
 するりと手から滑り落ちたスマホが床に跳ねてカタン、と軽い音を立てる。それを目で追ったルナの顔を、顎を掴んで上を向かせた。


「ジェイド?」
「ふふ、ルナがなかなか食べてくださらないので、僕が食べてしまおうかと」
「もう少し試させてくれても良いだろ?」
「残念ですが、時間切れです」


 不満そうに唇を尖らせるルナに、ジェイドは獰猛な笑みを向ける。獲物をいたぶる捕食者の笑みだ。
 仕方ないなぁ、と眉を下げて、ルナはジェイドの首に腕を回した。




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