相手を誘惑しないと出られない部屋






 壁も、床も、天井も。部屋に置かれた調度品も。すべてが白一色の部屋に、フロイドとジャミルは立っていた。
 ここに来た経緯は分からない。気が付いたら、二人ともここにいたのだ。
 ユニーク魔法の一種だろうか。部屋に飛ばされてしばらくはマジカルペンを構えて警戒していたが、特に何かが起こる様子はない。
 何も起こる気配がないことを察したフロイドは、早々に何もない部屋に飽き始めていた。


「何ここぉ、ぜーんぶ真っ白でつまんねぇ部屋。何かあるかなぁって思ってたけど、なぁんも起こんねぇし」
「閉じ込めることが目的なのか……? もしくは何も起こらないと錯覚させて、油断させることが目的か……」
「どっちでもいいじゃん。とりあえず色々調べてみようよ。何かしないと始まんないし」
「それもそうだな」


 二人は手分けして脱出のための手がかり捜索に移る。ジャミルは壁や床に仕掛けが施されていないか。フロイドは部屋の調度品に何か隠されていないかの確認だ。
 しばらく無言で捜索を続けていると、タンスの引き出しを開けたフロイドが「おっ」と声を上げた。


「ウミヘビくーん。何か手紙みたいなのはっけーん!」
「でかした、フロイド」
「んふふ、オレえらーい」


 フロイドが発見した手紙もまた真っ白だった。
 宛名も何も書かれていない封筒を開く。中には一枚のメッセージカードが入っていた。


「えっと、“この部屋は『相手を誘惑しないと出られない部屋』です。お題をクリアすることで出口となる扉が出現します”……」
「“また、それ以外の方法では、いかなる魔法を用いても脱出は不可能です”……」
「「………………」」


 二人の間に沈黙が落ちた。
 二人がさっとマジカルペンを構える。そろって炎魔法を放ち、凄まじい勢いの火球が壁にぶつかる。
 しかし、火球がぶつかった壁は傷どころか焦げ痕一つなく、カードに書かれていることが真実であることを証明していた。


「いや、この部屋を作った奴とんでもない魔法士だろ! 何でこんなくだらないことにその実力を発揮する!? もっと別の所に役立てろよ!!!」
「ホントそれな」


 フロイドもジャミルも、魔法士の卵とは言え、かなりの実力を持っている。先程放った火球も威力に申し分なく、ただの壁ならば一撃で粉々だったはずだ。それほどの攻撃を無効化するほどの壁を作り出す犯人は、相当な実力者であることが窺えた。
 しかしそれは、カードのお題を実行し、クリアしなければ外に出られないことの証左でもあった。


「………はぁ、仕方ない」


 ジャミルが盛大な溜息を漏らす。けれど次の瞬間には、何か覚悟を決めたように唇を引き結んでいた。
 何をするのかな、と横目でジャミルを盗み見ていると、何かが手に触れる感触。見れば、ジャミルの手が控えめにフロイドの手に触れていた。
 手の甲を撫でられる感触に気を取られていると、いつの間にかジャミルが正面に立っていた。


「フロイド……」


 じっと瞳を覗き込まれる。
 ジャミルのユニーク魔法の発動条件は瞳を見つめることだ。一瞬魔法を使うのかと身構えたが、そんな気配はない。ただ、自分を見つめているだけだ。
 美しいチャコールグレーの瞳と見つめ合う。

 ―――――妙に緊張するのは何故だろう。非現実的な空間にいるからだろうか。酷く落ち着かない気分だ。
 沈黙に耐えきれず、ただ見つめてくるだけのジャミルに声を掛けようとした瞬間、その眼差しが柔らかいものに変化した。
 ふわりとつぼみが花開いたような、華やかな微笑みを浮かべたのだ。
 その微笑みに目を瞠っていると、手の甲に触れる手とは反対の手で、するりと頬を撫でられる。親指が目尻を撫で、人差し指が耳の形をなぞる。その細い指の感触に、ぞくりと背筋が粟立った。


「う、ウミヘビくん……」
「随分と無粋な呼び方だな……?」


 ―――――こんなときはどう呼べばいいのかくらい、分かるだろう?
 見せつけるように、ねっとりと赤い舌で唇を舐めあげる。いつもより丹念に唇をなぞる舌の動きは酷く官能的だった。
 うっすらと覗く口内の赤さに目が離せない。ごくりと喉が鳴り、鼓動が早くなる。


「じ、ジャミル……?」
「ふふ、グッボーイ。よく出来ました」


 カラカラの喉で、どうにか声を絞り出す。その声はみっともなく掠れていた。
 けれどジャミルは自分の言うことをきちんと聞けたフロイドにご満悦だ。にんまりと口角を上げて、うっそりと目を細める。そんな仕草すら、己を誘うようだった。

 ―――――触れたい。その唇を貪りたい。
 そんな衝動のままに手を伸ばし、ジャミルに触れようとした、その時。



 ―――――ガチャン、



 突如出現した扉から、鍵が開く音がした。
 何度目かになるか分からない沈黙が、真っ白な部屋に落ちる。


「……………お前、意外と安いな?」


 静寂を破ったのはジャミルだった。

 ―――――こんなあっさり開くとは思わなかったぞ?
 ちょっと戸惑いすら滲ませた困り顔で、ジャミルはフロイドを見上げる。
 いたたまれなくなったフロイドは、思わず顔を覆った。


「めちゃくちゃえっちだったもん……。誘惑されるに決まってるじゃん……」
「ふぅん? まぁ、開いたんだから良しとするか」


 ―――――さっさと出よう。
 そう言って、ジャミルは手の甲に触れていた指を滑らせ、そのままフロイドの手を握る。
 ギシッ、と心臓が物凄い音を立てた気がする。壊れるんじゃないかと不安に思いながら、フロイドはジャミルに手を引かれるがままに歩き出した。無事にここから出られたら覚悟しておけと、心の中で悪態をつきながら。




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