いい男、悪い男






「悪い男には気を付けなさい」


 ジャミルがまだ幼い時分のこと、アジーム家お抱えの高級娼婦のお世話をしていたことがある。
 その娼婦はジャミルを気に入っており、ジャミルはよく彼女の話し相手に選ばれていた。


「…………俺、男だから平気だよ」
「男でも、よ。あんたはかわいいから、色んな男が寄ってくるようになるわ」


 幼いジャミルは少女のようにかわいらしい顔立ちをしていた。
 髪もさらさらで、少女と間違えられることもあり、娼婦もそうなのだと思っていた。
 少女と間違えられることに辟易していたジャミルはムッと眉を寄せ、不機嫌そうに唇をとがらせた。
 すると娼婦はかわいくて仕方ないというような顔でジャミルの髪を撫でた。


「悪い男はあんたを乱暴に扱うわ。その扱いに伴う不安やドキドキを恋だと勘違いさせてくるの」
「………乱暴な奴は嫌いだから、選ばないよ」
「それでいいわ。それはただの刺激でしか無いから」


 それも良くない刺激よ、と娼婦がコロコロと笑う。
 ジャミルは娼婦の手を甘受しながら、自分には縁遠い話を聞いていた。


「良い男と付き合えば心が乱れることはないの。だから、あんたを粗雑に扱う男には注意しなさい」
「でも、好きな人相手だったらドキドキしたりするんじゃないの?」
「もちろんするわよ。でもそれは“大事にされてる”というドキドキだから、良いドキドキよ」
「ふぅん……?」
「でも、本当にいい男は不安にさせたりなんかしないわ。だから、必要以上に嫌な思いをすることがないの」


 物語で恋愛の描写を見かけることは多い。けれど、“ドキドキ”に種類があるなんていうのは初めて聞いたことだった。
 初めての知識に目を瞬かせるジャミルに、娼婦はジャミルの髪を愛しげに撫でた。



***



(懐かしい夢だったな……)


 登り始めたばかりのわずかな朝日で目を覚ましたジャミルは、まどろみの中で古い記憶をなぞっていた。
 まだ幼い頃、主人であるカリムに本格的に遣える前の些細な思い出だ。
 もう女性の顔も声もはっきりとは思い出せないが、彼女の言葉だけはしっかりと覚えている。
 当時はさっぱり理解できなかったが、様々な出会いを経て、男に言い寄られる経験もして、彼女の言葉は恋愛の核心を突いていると思うようになっていった。
 ジャミルの顔立ちは女性も引き寄せたが、酷く男性受けするものだったらしい。多くの男達がジャミルを射止めんと、あの手この手でジャミルの気を引こうとしてきたのだ。
 中には娼婦の言う“乱暴な振る舞い”でジャミルを手に入れようとするものもいた。酷い者だと、ジャミルの同意も得ずに唇を奪おうとする始末だ。
 最悪の出会いを演出してから、徐々に好感度を上げていこうだとか、きっとそういう魂胆だったのだろう。普段素行が悪い者が希に良いことをすると、妙に感心してしまうことがある。それと同じである。


(それを考えると、意図せずこいつも同じようなことをしてるな………)


 思考の海に沈んでいたジャミルが、同じベッドで眠る男に目を向けた。コバルトブルーの髪が美しい男―――――フロイドである。
 ジャミルはフロイドと恋人同士であった。その関係になってからそれなりに月日を重ねていて、その長続きっぷりにジャミルは驚くばかりである。
 フロイドは気まぐれな性分で、酷く好奇心が旺盛なのだ。だから次から次へと興味が移り、一つのものに執着しない。
 そんな移り気な彼のことだから、自分と恋人同士になったとしても、決して長くは続かないと思っていたのだ。それがどういうわけか、予想していた期間の何倍もの間、二人の関係は続いていた。

 ジャミルは初めのうち、フロイドからの告白を真剣に受け止めてはいなかった。きっといつもの好奇心とか気まぐれの類いが、面倒な方向に発揮されたのだろうと思っていたのだ。どうせすぐに飽きるだろう、機嫌を損ねる方が面倒だと、ジャミルは彼との交際を了承したのだ。
 それがどうだ。付き合ってからの彼は酷く誠実で、まるでジャミルを繊細なガラス細工のように丁寧に扱う。
 否、その前―――――おそらくジャミルに特別な感情を抱き始めたころ―――――から兆候はあったように思う。ジャミルの予定やしたいことを聞いたりするなど、自分の気分のままに振り回すことが徐々に減っていたのだ。要は、ジャミル限定の特別扱いである。
 意中の相手にならば、自分本位という言葉の見本のような男でも、ここまで尽くせるものなのかと感心させられたものだ。例えるなら“不良が捨てられた子猫を拾っているのを見かけたとき”のような心地である。
 ゲームで言うなら好感度上げのイベントで、だがそれを意図せずに行っているものだから、フロイドは天性の“悪い男”なのだろう。
 けれど、それと同時に、酷く“いい男”でもあるのだろう。娼婦の言葉が真理であるならば。


(この傍若無人の権化のわかりやすい特別扱いは、なかなかクるものがあるしな……)


 寝ているフロイドの髪を指先で撫で、ジャミルは口元に自然と笑みを浮かべた。
 付き合う前まではフロイドに特別な感情を持っていたわけではない。ただの部活仲間で、ちょっと面倒くさい同級生でしかなかったのだ。
 けれど、こうもジャミルを大切にする素振りを見せられては、絆されてしまうのも当然と言えば当然だった。
 本気になっても良いかもな、と思えるくらいには、フロイドはジャミルにとって“いい男”であったので、ジャミルはフロイドの頬にキスを落とした。




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