オクタヴィネルのお姫様






 スカラビア生の嫌がらせで、ジャミルが女体化薬を浴びせられた。
 解除薬に必要な薬草類は荒らされており、取り寄せるには一週間ほどの時間を要するという。
 そんな話を聞かされたバスケ部の面々は、皆一様にジャミルをスカラビアに帰すのを嫌がった。男であったジャミルならいざ知らず、女体化薬を被ったジャミルは脆く儚い花のごとし。小さくて、細くて、とんでもない美少女なのである。
 わざわざ女体化薬まで用意して、解除薬を作れないようにしておくという徹底ぶり。その周到な準備を見るに、ただジャミルを少女にしたとは思えない。寮に帰すなど、断固として認められなかった。
 これらのことはカリムにも共有された。カリムもジャミルを害した犯人がいると分かっている寮に帰るのは危険だとして、それはもう反対した。元に戻るまでスカラビアに入ることを禁じるほどに。
 「主人命令」と言われてしまえば、ジャミルは否を言えなくなる。結局ジャミルはオクタヴィネルに外泊することとなった。


「てな訳でぇ、ウミヘビくんは今日から身体が元に戻るまでオクタヴィネルに泊まることになったから」
「………………は?」
「おやおや………」


 必要なものだけを手に、ジャミルはオクタヴィネルに来ていた。
 授業を終えて、それぞれの部活に向かう前までは男だったクラスメイトが美しい少女になって現れたアズールは間抜け面を晒し、ジェイドはいつも通りの笑みを浮かべているが、双子のフロイドには動揺しているのが手に取るように分かった。
 双方の反応にフロイドは深く納得している。何せフロイドもジャミルが部活に現れたとき、衝撃で言葉を失ったので。
 だってあまりにも小さい。それは身長のことではなく、身体のパーツ一つ一つの大きさのことである。もちろん、大柄なフロイドからすれば、身長もずいぶんと低く感じるけれど。
 そしてあまりにも細い。薄いと表現しても差し支えないほどに。


「えっ………? 小さくないですか………?」
「目線はさほど変わらないだろう」


 無意味に眼鏡を掛け直すアズールが、動揺に声を震わせる。
 いつもはほぼ同じ位置にある瞳が、今は不満げに見上げる形を取っていた。
 不機嫌さを隠そうともしない声は高く、けれど不快にならないかわいらしい声だった。


「今のウミヘビくん、ちょ~ちっせぇよ? 多分オレらがぶつかったらへし折れる」
「ひぇっ………」
「そんな程度で折れてたまるか」


 ―――――いや、折れそう。
 奇しくもバスケ部一同と同じ感想を抱きながら、アズールとジェイドはジャミルを見下ろす。


「一応、寮生にはきっちり言い聞かせておくけどぉ、出来るだけ一人になんないでね? 今のウミヘビくんは、サメの前で血ぃ流してる小魚なんだから」


 女の子とは無縁の男子校。その上、治安は最悪。
 いくらフロイド達が恐れられていようが、飢えた獣に「待て」が出来るとは思えない。スカラビアに帰るよりはマシとは言え、自分たちがそばに居ないときの安全は保証出来ないのだ。


「…………正直ものすごく癪だが、それが良いというのは自分でもよく分かっているよ。何せ、この程度の荷物ですら“重い”と感じてしまうんだからな」


 手に持った鞄を床に置き、小さな手のひらを広げる。手のひらは鞄の持ち手が食い込んで、赤く染まっていた。
 手の痺れを解すように握って開いてを繰り返す指は細く、ぎゅっと握りしめた拳はあまりにも小さい。フロイドやジェイドどころか、アズールの手のひらでも簡単に包めてしまうだろう。


「もっと早く言ってよ! そんな小さな荷物持つくらいで対価なんて取らねぇから!!」
「ちょ、真っ赤じゃないですか!!?」
「え………? そんな小さな鞄を持っただけで………?」


 部活の時間からずっとジャミルのか弱さを浴びせられ続けていたフロイドは最早涙目だ。
 アズールは腫れているようにも見える手のひらを見て、「手当を!」と救急箱を取りに走る。
 どう見ても着替えくらいしか入っていない小さな鞄と手のひらを見比べて、あまりの脆さにジェイドは盛大に戦慄いた。


「もぉ~! ウミヘビくんは今、ウミヘビちゃんなんだよ!? ボールも片手で持てないくらいちっちゃいし、オレがちょっと足持っただけでコロンって転がっちゃうくらい弱々になってんだよ!? ほんっっっとオレらのそばから離れないでね!?」
「分かってるってば」
「陸のメスってそんなにか弱いんですか……?」


 救急箱を抱えて戻ってきたアズールがフロイドの言葉に宇宙を背負う。
 足を持ち上げただけで倒れるとは? 腹筋とかあるでしょう? そう思って腹部に目を向けて、ストンと表情が抜けた。服の上からでも分かる薄っぺらい腹に腹筋なんてものがあるとは思えなかった。そもそも、必要な内臓がきちんと収まっているかさえも怪しい。


「あの、腕力とか握力とかって……?」
「多分、普段の半分もないな」


 恐る恐る訊ねてきたジェイドの手を握る。ジェイドの四本の指にすら指が回りきらない程の小さな手に、ジェイドの口から悲鳴のような声が漏れる。
 しっかりとジェイドの手を握ったジャミルが、手が震えるほど思い切り力を込める。けれど必死な表情とは裏腹に、ジェイドの方は痛みすら感じないことに困惑の表情を浮かべた。


「あの、全然力が入っているように感じないのですが………」
「うるさいな。これが今の全力だよ」


 手が痺れた、と手首をぷらぷらと振るジャミルを見て、三人は顔を見合わせた。
 ―――――これは本当にまずい。何がまずいって全てがまずい。
 何もかもが小さくて、細くて、どこもかしこも柔らかい。その上、耳に心地良い涼やかな声に、どうしようもなく異性であることを突きつける可憐な容姿をしているのだ。もう囲い込んでしまった方が良いのではないかとすら考えてしまう。


「流石にこんな状況で意地を張るような馬鹿じゃないさ。君たちに守られるのは癪だが、元に戻るまではよろしく頼むよ」


 美しい少女の不安げに揺れる瞳は、中身が毒を持った蛇だと分かっていても胸を打つものがある。

 ―――――守らねば。
 アズールにとってジャミルは引き抜きたい魅力的な人物である。害されるのは許しがたい。
 ジェイドにとってジャミルは片割れと幼馴染みのお気に入りだ。彼を傷つけられるのは気分が悪い。
 それに加えて、いくら指定暴力団だのヤクザヴィネルだの言われているが、流石に風が吹けば飛んで行ってしまいそうな相手が危害を加えられるのを黙って見ている程、性根が腐っているわけではないのだ。
 更に言うなら、彼らもででにーの男の子。元が男でも、かわいい女の子に不安げに見つめられれば「頑張るしかねぇ」とやる気が起きるわけである。


「ええ、もちろんです。僕たちにお任せください!」
「そこらの雑魚共なんてオレらが蹴散らしてあげるからねぇ~」
「ふふ、ジャミルさんの安全は僕たちが保証しますので、ご安心ください」
「………ああ、助かるよ」


 ほんのりと口元を緩めてほっとした表情を見せたジャミルに、オクタヴィネルの人魚達は改めてジャミルの警護に全力を尽くすことに決めたのだった。




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