酔いどれジャミルと生殺しフロイド






 その光景を見つけたのは偶然だった。

 噎せ返るような酒精。転がる酒瓶。
 興奮したように弾んだ呼吸音。ごくりと喉を鳴らす音。
 治安のあまり宜しくないNRCでは、こっそり未成年の飲酒が行われる事もある。
 けれど、人気がないとは言え、人が来ないとも限らない空き教室で酒を嗜むのはいくら何でも思慮が足らない。
 下手をすれば退学ものだと言うのに、よくもまぁ白昼堂々と。

 ―――馬鹿じゃん、つまんねぇ。

 そんな光景を見つけたフロイド・リーチは、温度の無い冷めた目付きで空き教室に目を向けた。
 そして、無視出来ない光景を目にする。
 輪になった生徒達の中心。見覚えのある黒髪に、フロイドは足を止めた。
 潤んだ瞳。赤らんだ頬。くたりと力の抜けた肢体。そんな無防備な姿を晒していたのは密かに想いを寄せている相手---ジャミル・バイパーその人で。
 そんな相手に男達は無遠慮に手を伸ばし、あろう事か組み敷こうとしていて。それを目にしたフロイドは、目の前が真っ赤になるような怒りを覚えた。



* * * * *



 我を忘れて暴れ回って、ようやく自我を取り戻した時には男達は血の海に沈んでいた。
 べっとりとこびり付く血が気持ち悪い。


「あっ」


 我に返って、想い人の事を思い出したフロイドは慌てて室内を見回した。
 ジャミルは教室の隅でフロイドのブレザーを被って座り込んでいた。どうやら、理性を無くしながらもジャミルの安全の確保は怠らなかったらしい。無意識ながらの行動を褒めつつ、魔法で返り血を拭い去る。ジャミルをどこの馬の骨ともしれない輩の血で汚すわけにはいかない。


「ウミヘビくん、大丈夫?」


 おそらくではあるが、ジャミルは視姦されただけ(それも十分許せない事だが)で、手を出されるような事態にはなっていない筈だ。間一髪というところにフロイドが来たのだから。
 どうやら無理矢理酒を飲ませされたらしいジャミルは、完全に酔いが回っているらしい。手足が完全に弛緩し切っていて、自分一人では立つことすらままならないだろう。


「…………ふろいど?」
「ん? なぁに、ウミヘビくん」
「あはっ、ふろいどだぁ」


 何が面白いのか、ジャミルがにこにこと笑い出す。
 こんな風に無邪気に笑うのを見るのは初めてで、フロイドは思わず面食らう。
 ホリデー以降、吹っ切れたらしい最近は、以前より素の表情が多くなったけれど、ここまで無防備な顔は見せない。


(うわぁ、何かめっちゃにこにこしてる。笑い上戸ってやつ?)


 とりあえず怪我の心配は要らなそうで一安心。
 安心したところで、フロイドは好きな子のとろけた笑顔に釘付けになる。
 ジャミルはふにゃりと目元を緩ませている。
 口元はゆるく弧を描き、くふくふと笑い声を漏らしていた。


「んふふ、ふろいどぉ」
「えぇ、かわいい……。どうしたの、ウミヘビくん。酔っ払うとこんなかわいくなっちゃうの?」
「んん? わかんない」
「そっかぁ、分かんないかぁ」
「ふろいど、だっこ」
「オレ、ウミヘビくんのが分かんねぇ……」


 くっそ、可愛い。食べちゃいたい。
 フロイドは思わず頭を抱えた。
 だって好きな子が両手を広げて、とろとろにとろけた笑みを向けてくるのだ。
 「もしかして自分のことが好きなんじゃないか?」と勘違いしたいと思っても仕方がないだろう。


(とりあえず巣穴に連れて帰らなきゃ……)


 こんな可愛い姿、絶対誰にも見せてなるものか。
 肩と膝裏に手を回して抱え上げる。つまりお姫様抱っこである。
 普段なら絶対怒られるし暴れられるだろうが、フロイドだってででにー男子。好きな子をお姫様抱っこしたい願望がほんのりあったりするのだ。怒られないだろう今しなくていつ抱っこするというのか。
 ささやかな夢を叶えつつ、好きな子を抱きしめる幸せに浸る。
 ジャミルは要望が叶ってご満悦だ。フロイドの首に手を回し、楽しげに笑っている。


「しっかり捕まっててね」
「はぁい」


 普段ならしないような間延びした返事。
 きゅっとくっついてくる体温が嬉しいような恥ずかしいような。ひたすらに可愛いジャミルに積もる煩悩と戦いつつ、フロイドはオクタヴィネルの自室へと向かった。



* * * * *



 認識阻害の魔法を掛けつつ、出来るだけ人気のない道のりを辿って、フロイドは自室へと辿り着くことに成功した。


「どこぉ?」
「オクタヴィネル寮。オレの部屋だよ」
「ふろいどの?」
「そう」


 物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回す。
 いつもは物が散乱している自室だが、つい昨日部屋の掃除をしたばかりである。見られても恥ずかしくない仕上がりにはなっている筈だ。


「あおい」
「そうだね、青いねー」
「おれのとちがう」
「ウミヘビくんの部屋は赤っぽいもんね」
「うん、あかいの」


 自室との違いに興味を持ったらしい。ほぼ真逆と言っていい配色の部屋であるから、海を思わせる色合いが珍しいようだった。
 気に入ったなら何より。ウツボは通い婚だが、巣穴を案内するのも嫌いじゃない。

 抱えていたジャミルをそっとベッドに下ろす。
 正直好きな子が自分のベッドにいるとか、考えるだけで思考があらぬ方向に飛んでいくし、それが現実になるとかヤバイの一言。
 けれど床に座らせるなんてもっての外だ。

 ベッドに下ろしたジャミルから、ぐすんと鼻を鳴らすのが聞こえた。
 ギュッと服を掴み、ぐいぐいと自分の方へと引き寄せる。


「おろすのやだ……」


 うっそ、今度は泣くの???
 オレより気分屋じゃん、どうすればいいの?

 やだやだ、降ろさないで。離さないで。
 好きな子からの可愛いおねだり。けれど、それ以上に好きな子の涙は衝撃だった。
 衝撃のまま、フロイドはジャミルを抱きしめた。

 今更ながら、フロイドは不安になる。
 フロイドは素行は悪いが、タバコや飲酒などを嗜んだ事はない。海には無かったものだから興味はあるが、体に悪いとされるものをわざわざ摂取するつもりはない。それよりも面白いものが陸にはたくさんある。
 故に酒に関する知識が乏しく、酔っ払いの症状も対処も分からないのだ。

 もしかしたら具合が悪いのかもしれない。
 今からでも先生に見せようか?
 先生達も、ジャミルの素行や性格は分かっている筈だ。彼が自分から飲酒をしたと考える者は居ないだろう。

 そんな心配を他所に、自分を離さないと分かったジャミルは涙を引っ込めて、再び上機嫌に笑っている。
 情緒が不安定過ぎる。
 どうしたらいいのか分からないが、とりあえず離したら泣く事は分かった。つまり離してはいけない。先生を呼びに行けない。ずっとくっついているとなると、理性も危うい。どうしろと。

 ジェイドかアズールに連絡を取ろうにも、どうやらスマホもお気に召さないらしい。自分から意識が外れるのが嫌なようだった。
 もしかしたら、自分が一番でないと機嫌を損ねるのかもしれない。フロイドは"一番になりたい"というジャミルの切実な願いを思い出していた。


「あつい……」
「ちょっと待って???」


 ちょっと意識を飛ばしていたら、ジャミルがとんでもない事をしようとしていた。
 フロイドが被せていたブレザーは放り出され、ジャミル自身のブレザーも半分程脱げ掛けている。

 流石に脱ぐのはやめよ??? 本当に食べちゃうよ? いいの? 頭から丸呑みにしちゃうよ???
 服を脱ごうとするジャミルの体をギュッと抱き込んで、行動を制限する。
 邪魔をされたジャミルは不服そうに唇を尖らせた。

 ねぇ、本当に可愛いことすんのやめて。ちゅーして欲しいみたいな口になってるから。そろそろ我慢するの辛いんだってば。
 フロイドの切実な想いなど露知らず、ジャミルはぷくりと頬を膨らませた。


「もんくばっか」
「ウミヘビくんの為なんだけどな〜? 分かって???」
「おれのため?」
「そうだよ」
「んふふ、そっかぁ」


 機嫌良さげに笑うジャミルは文句無しに可愛い。猫のように擦り寄ってくるのもたまらない。
 ただちょっと状況が据え膳過ぎるのが頂けない。
 本当にもう、耐えるのが辛い。生き地獄とはまさにこの事。
 どうやって耐えればいいんだ、こんな幸せな地獄。身を堕としてしまいたい。
 そんな風に考えていると、ふとジャミルが動きを見せた。

 焦点が合わない程近くに迫る美しいかんばせ。
 ちゅう、と唇から聞こえる可愛らしい音。それと同時に唇に感じるふにりと柔らかい感触。

 キスだ。キスされた。
 触れ合うだけのささやかなものだが、それは確かにキスだった。
 唇を離したジャミルが、悪戯っ子のようににんまりと笑う。


「いい子にごほうび」


 ぺろりと唇を舐める仕草の艶かしさと言ったら。僅かな理性を焼き尽くさんばかりの壮絶な色気を孕んでいた。


(この状態のウミヘビくん相手に耐久するとか勝ち目なくない?)


 好きな子からのキスに理性をぶん殴られたフロイドが顔を覆った。
 好きな子は大事にしたい。だから合意なく手を出したくないし、告白して、きちんと段階を踏みたい。
 いや、その好きな子が色々すっ飛ばしてきたのだけれど。つまり食べても文句を言われる筋合いは無いのでは?
 そんな風に葛藤するフロイドの頭を撫でつつ、ジャミルは天使のような笑みを浮かべる。
 フロイドにとって至福のような地獄のような時間は、まだまだ続くようである。




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