指先を彩る






 そのことに気づいたのは、暇つぶしにスマホのアルバムを整理していたときのことだった。
 フロイドが見つけたのは夏に熱砂の国で行われたという花火大会。ジャミルのガイドで絹の街を堪能したというケイトがアップした写真だ。
 賑やかな街並みや、美しい花火。ひらひらキラキラした見慣れない服を纏ったケイトやジャミル。
 同じ部活に所属する同級生である自分より、普段関わりを持たないマレウスやトレイたちを誘ったことが気に食わなくて、それを詰めるために保存した写真だった。
 そのことを思い出して何となく腹立たしい気持ちになったけれど、それ以上にフロイドの関心を寄せたのはジャミルの指先だった。


「爪、色ついてる………」


 筋張っていて男らしいけれど、どこかほっそりとした指先を彩る赤。
 料理を筆頭に、手を使うことの多いジャミルはマニキュアのようなものはしない。すぐに欠けて色が剥がれてしまうからだ。だから、指先に色が乗っているのはひどく珍しいことだった。


「でも、やっぱ赤なんだ………」


 誰に聞かせるでもない小さな呟きは、不満に塗れながら床に転がった。



***



「ウミヘビくん、手ぇ貸して」


 部活が終了し、片付けを終えて帰ろうとしたジャミルに、フロイドが声をかける。
 今日のフロイドの機嫌は可もなく不可もなく。何となくもやもやとしたものを抱えていそうではあったが、周りに当たり散らすような気分ではなかったらしく、何事もなく平穏に部活の時間は終了したはずだった。


「何の用事かは知らないが、君なら俺の手を借りなくても自分で出来るだろう?」


 今頃機嫌が変わったのだろうか、とうんざりしながらため息をつく。
 他の部員たちはフロイドがジャミルに声をかけた時点で、ジャミルを生け贄にそそくさと部室を後にしている。NRC生は面倒事に対する腰は重いが、こういったときの逃げ足だけは一級品なのだ。
 薄情な奴らめ、と自分を棚に上げてジャミルが内心でありったけの悪態をついた。


「そうじゃなくて、手そのものを貸してって言ってるの!」
「はぁ?」


 むすり、と不満げな顔で物を強請るように手を差し出される。拗ねた子供のような表情だったが、相手は「論外」と賞されるフロイドだ。まさかへし折ったりするつもりじゃないだろうな、と最大限に警戒しつつ、恐る恐る手を差し出す。ここで渋れば本当に骨を折られかねない。
 しかしフロイドは、存外優しい手つきでジャミルの手を取った。まるで女性をエスコートするように手を引いて、ベンチに座らせる。自分もその隣に座って、ポケットから小瓶を取り出した。


「? 何だ、それ」
「これ? マニキュアだよ~」
「マニキュア?」


 小ぶりな瓶は細かい細工が美しい美術品のようだった。中身は液体で、黒々とした色をしている。
 ジャミルが大人しく手を差し出したからか、フロイドの機嫌はいつの間にか上向いているようだった。歌でも歌い出しそうなご機嫌な様子で、細い刷毛で爪先を彩っていく。


「で? 何でいきなりマニキュアを塗ろうなんて思ったんだ? しかも、俺相手に」
「夏にさぁ、お祭りあったでしょ? ヒラヒラした服着て花火したってハナダイくんがマジカメにアップしてたやつ」
「ああ……、アリアーブ・ナーリヤか」
「そう、それ」


 アリアーブ・ナーリヤ河の花火大会。姫と青年の身分を超えた結婚を祝してランプの魔人が花火を上げた伝承に由来する熱砂の国のお祭りだ。
 最終的には成功を収めたものの、いろいろと苦労があったため、ジャミルにとっては楽しくも苦い思い出だ。
 お祭りが終わってからも、派手なものや楽しいことが好きなフロイドや、弟気質が強く、仲間はずれを嫌うエースに「なぜ自分を誘わなかったのか」と大変ご立腹で絡まれた。そのことを思い出してややげんなりする。


「スマホの写真整理してたらさぁ、そんときのウミヘビくんの写真が出てきて、爪塗ってんの珍しいなって思ってさ。そう思ったら爪塗ってんの見たくなったの」


 フロイドの突飛な思考回路にジャミルが自由な左手で額を押さえる。
 天才気質なフロイドはどういう回路を辿ったのか分からないような答えを出すことが多い。導き出される答えが常人離れしていることも然りだ。
 訳が分からない、とジャミルが大きくため息をついた。


「んふふ、思った通り、ウミヘビくんは青も似合うねぇ」
「青?」


 小瓶に入っていた液体は黒ではなかったか、と首をかしげながら爪先に目を向ける。
 爪先に塗り広げられたマニキュアを見ると、黒だと思っていた色は、確かに黒ではなかった。紺色とか藍色と呼ばれる類いの、黒交じりの青色だ。


「綺麗な色だな。夜空みたいだ」
「でしょ~? でもオレ、深海の色だと思ったんだ~」
「へぇ。空と海なのに、同じ色をしているのか」
「みたいだねぇ」


 吸い込まれそうな深い青色は、見る者によって夜空にも深海にも見えるらしい。
 一方は見上げるもので、もう一方は見下ろすものなのに、同じ色をしているというのは何とも不思議だ。妙な感心をしつつ、美しく染め上げられた指先を食い入るように見つめる。
 手を使うことの多いジャミルは指先を飾るようなことはしない。指輪は邪魔になるし、ブレスレットは引っかかる。マニキュアだったら剥がれてしまうからだ。
 嫌いではないんだけどな、とジャミルが眉を下げた。


「せっかく塗って貰って悪いが、仕事をしていたらすぐに剥げてしまうと思うぞ」
「いいよ、別に。剥がれたらまた塗ったげる」


 面白みの感じられない面倒事だったり、自分の気分の乗らないことは絶対にしないフロイドの言葉にわずかに目を瞠る。
 しかし、今はそういう気分なのだろう、と当たりを付けつつ、もう二度とこんな機会はないだろうなと肩を竦めた。


「君が自分の爪に塗ったらどうだ? 君の方が映えそうだが」


 実際に見たわけではないけれど、褐色の肌に深い青色も悪くないが、映えるのは白い肌の方だろう。普段から纏う色も青系のものが多いフロイドの方が違和感もなさそうだ。


「オレよりウミヘビくんの方が似合うからいいの。でもオレも気に入ったから、気分が乗ったらお揃いにしようね」
「君のものなんだから、君が好きにしたら良いんじゃないか?」


 明日には忘れてるだろうな、と苦笑するジャミルは知るよしもない。あの気まぐれなフロイドが、マニキュアが剥がれるたびにせっせと塗り直したり、同じ色で爪を彩る未来が待ち受けていることを。機嫌よさげに鼻歌を歌い出したフロイドに呆れるジャミルは考えもしないのである。




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