人魚たちのお人形遊び
オクタヴィネルにはとても美しいお人形が“居る”。黒い髪に、夜空のような暗い灰色の目をしたお人形だ。
誰もが見惚れるような長い髪は、真珠や珊瑚に彩られ、美しく纏められている。
肌は褐色で、引き締まった無駄のない身体は芸術品のようだった。
服装は学校指定のブレザーだ。中のカッターシャツやベストを自分たち好みのもので着飾らせているようだった。
シャツやベストは日替わりで変わる。けれど褐色の肌や黒髪を引き立たせる淡い色合いのものが多かった。
装飾は控えめなフリルやレースを気に入っているようだった。シンプルながら品がある。けれどレースの奥から透ける褐色が、妙な色香を漂わせる仕上がりだ。
そのお人形は基本的にオクタヴィネルの双子の人魚―――――リーチ兄弟のもとに“居る”。彼らが所有者なのだ。
双子のどちらとも一緒に居れないときは、彼らの幼馴染の傍に置いておかれることもある。この幼馴染もお人形を気に入っているようで、双子と共に愛でている姿が見受けられた。
彼らの愛でようは凄まじく、髪型や服装に合わせてメイクを変え、時には指先に至るまで彩るのだ。
そして美しく染め上げた指先を掬い上げ、口付けを落とすのである。その姿はまるで一枚の絵画のようだった。
その見目や扱いから、そのお人形は大層人の目を惹いた。
美しいものを好む人魚たちは自分もお人形を愛でる一人に加わりたいと熱望し、美を重んじるポムフィオーレの生徒たちは「ぜひ我が寮に」と勧誘に勤しんだ。
けれども、どんな言葉もお人形には響かないようで、お人形にとって有益で魅力的な提案をしても、決して首を縦に振ることはない。声を掛けたものに世界的ネームバリューがあろうとも、興味関心を持つ素振りすら見せない。所有者たる人魚たちがお人形を慈しみ、戯れる様子を見て歯を軋ませるしかないのである。
「ほらジャミル、あーん」
「あ、」
食堂にて、双子の片割れ―――――フロイド・リーチがお人形の世話をしている。お人形を膝に乗せて、手ずから給仕をしているのだ。
フロイドが口に食事を運ぶと、お人形は従順に口を開く。小さな口を目一杯開いてフォークを飲み込む。うまく口に入れられなかったのか、ソースが唇を汚した。
「口が汚れていますよ。しょうがない子ですねぇ」
双子のもう一人―――――ジェイド・リーチがお人形の頬に手を添える。舌先が唇をなぞり、汚れた唇を舐め取っていく。くすぐったそうに震える睫毛や指先が、酷く扇情的だった。
美しい者たちの戯れに、周囲の者たちは顔を赤らめて目をそらした。
何故そこまで、あのお人形に執着するのだろうか。そう首を傾げる者もいる。双子は面白いことが好きで、ただ美しいだけのものに手間暇をかけるような者たちではないのだ。
きっと具合がいいんだろうと、下世話な考えに及ぶ者もいる。あの美しいものを傅かせ、従順に振る舞わせるのはさぞ気分がいいだろう。そう言ったものは自分もその恩恵に預かりたいものだと、お人形に不埒な視線を投げて寄越した。
けれど、それに気づかない人魚たちではなく、彼らはそれを許すような優しい性格ではなかった。
幾度目になるだろう。人魚たちの寵愛を一身に受けるお人形に不埒な手を伸ばす輩が現れるのは。そして、そんな不埒ものが地面にキスを送ることになるのは。
「その程度でオレらに勝てると思ってんの?」
雑魚過ぎてつまんねぇ、とフロイドが興味なさげに嘆息した。
早々に飽きてしまったフロイドは、お人形の髪に指を通し、その美しい髪を愛でている。
「僕たちの所有物に手を出そうだなんて、烏滸がましいですね」
ジェイドが顎に指を掛けながら、嘲笑の笑みを浮かべる。
地面に這いつくばることとなった者たちの一人が、傷だらけの顔を上げた。
「か、彼は“もの”ではないだろう!?」
不埒ものの中に、稀にお人形の虜となるものが混じっていることがある。この男もお人形に捕らわれた一人だったようで、お人形を“もの”として扱う人魚たちが許せないようだった。双子を睨み付ける瞳に、憤怒の炎が宿っている。
「君も聞いただろう!? 彼らが君を“所有物”だと言ったのを!」
男が、血を吐くような声でお人形に声を掛ける。
けれど、お人形は声が届いているのかいないのか、男に一瞥をくれることもない。髪を撫でるフロイドの手に頬を寄せ、その身を彼に預けている。
興味の欠片も持たれていないことに気付いていないのか、男はそれでも声を張り上げた。
「そんなロクデナシはやめて、僕の手を取っておくれ!」
指通りのいい髪をご機嫌で撫でていたフロイドが、喚き散らす男を冷めた目で見降ろした。ジェイドも呆れたような無表情で肩を竦めた。
フロイドがお人形の頤を掬い上げ、目を合わせる。
「ジャミルは誰のもの?」
男に向けた目とは打って変わった、とろりとした目を向ける。甘やかな声が優しく問いかける。
お人形はフロイドを見上げ、ゆっくりと目を瞬かせた。
「俺は―――――お前たちのものだよ」
酷く冷めた、けれど確かな意思を感じさせる声だった。そんな風に感情の乗った声を聞いたのは初めてで、地面に転がっていた男たちは思わず目を瞠った。
「今後、僕たち以外のものになるつもりはありますか?」
「俺はお前たち以外のものになる気はないよ」
小さな、吐息のような言葉だった。その言葉が彼の本意ではないから、言葉にしたくないという風ではない。当たり前のこと過ぎて、確認されるのも億劫だという風に聞こえた。
ぞんざいとも言えるようなお人形の態度に、人魚たちは大変満足そうに口角を上げた。
お人形に心を奪われた男が、絶望に顔を歪める。自分は視界に入ることすら出来なかったのに、どうしてこんなどうしようもない男たちが選ばれるのだ、と。
「決まっているじゃないですか。ジャミルにとって貴方は視界に入れる価値もないということですよ」
「そーそー。お前に何の魅力も感じないから、ジャミルはお前の手を取らねぇんだよ」
男の思考を読み取ったかのような言葉を並べ、双子がくすくすと笑う。
お人形は常と変わらぬ澄ました顔をして、ぼんやりと宙を眺めていた。
本当に、心の底から興味がないのだ。目を向ける価値すら感じていないのだ。地面に転がっている自分たちに。その事実を様々と見せつけられた男は自尊心を粉々に砕かれ、青い顔で俯いた。
「んじゃ、帰ろっかぁ」
「アズールが次のフェアについて話があるそうですよ。ジャミルにも意見を伺いたいそうです」
「ん、」
左右から手を差し出される。何の躊躇いもなくその手を取って、お人形は一つの未練もなく歩き出した。
オクタヴィネルの美しいお人形は、今日も今日とて所有者たる人魚たちと共に居る。