聞き耳を立てていた罰が当たった






 ジャミル達が去った後の食堂は、酷く暗い雰囲気に包まれていた。葬儀場を思わせるような啜り泣きがあちこちで木霊する。ジャミル達の話に聞き耳を立てていた者達が、恥も外聞も無く涙を流しているのだ。

 ジャミル・ドラコニアは、世界で五本指に入ると言われているマレウス・ドラコニアの義弟だ。マレウスは茨の谷の次期王であり、その身内であるならば、嫉妬などの負の感情や、利用してやろうという悪意を持たれるのは必定である。彼らの話を盗み聞きしていた者の中には、単純な好奇心だけでなく、ジャミルの弱味を握ってやろうと考えている者も大勢存在していた。それ故の罪悪感で、より一層ダメージを負う羽目になったのだから、罰は当たるものである。

 レオナ・キングスカラーもその一人だった。
 マレウスの義理とは言え弟である。さぞいけ好かない男であろうと考えていたレオナは、口の前で指を組んで鋭い眼光で宙を睨んでいた。
 しかし、その可愛らしい耳はへちょりと寝そべり、尻尾は力を無くして垂れ下がっている。見る人が見れば、完全に虚勢を張っているのが丸わかりだった。

 初めのうちはよかった。身分の低い者が王族に拾われてハッピーエンドを迎える。ありきたりな展開。まるで物語の主人公のようだと鼻で笑っていられたのだから。
 しかし、そこに行き着くまでが壮絶すぎた。
 従者の家系であるならば、主人のために護衛や毒見を行うのはよくある話。主人のために時間を割かねばならないから、家族との時間が少なくなるのも仕方の無いことだ。

 それは王族として生まれたレオナにも心当たりがあり過ぎる事だった。
 レオナがまだ幼いとき、父は王としての公務が詰め込まれており、母はそんな父を支えるために忙しくしていた。空いた時間は次期国王となる兄により多くが割かれ、幼少期に両親と過ごした時間はごく僅かであった。
 けれど、彼らに愛情がなかったわけではない。周囲の者達から嫌われていても、血の繋がった家族から生まれてきたことを疎まれたことはない。誕生日には鬱陶しいほどに盛大に祝われるくらいだ。“産まなければよかった”だなんて、存在すらも拒絶されるようなことは、決して無かったのだ。

 どちらの方が地獄であるかなどと議論する気も、不幸自慢をする気もない。
 けれど、それがその人物にとって最大の地獄であることは確かで、得られたものもあっただろうが、本当に欲しいものだけが手に入らない事実は変わらない。ほんの少しだけ自分とジャミルを重ねてしまったレオナは、深い深い溜息をついた。





 その日から、実兄やマレウスが一人でいる姿を見掛ける度に、甥やジャミルの元へ行くよう促すようになるのは当然のことであった。



***



 アズール・アーシェングロットも、弱味を握ってやろうと画策するうちの一人であった。
 マレウスは茨の谷の次期国王であり、世界で五本指に入る優秀な魔法士である。そんな男の義理とはいえ弟。利用価値はいくらでもあった。
 その上、ドラコニアの血が流れていないにも関わらず、養子になれるということは、それなりの理由があるのだろう。生家が由緒正しい家系であるとか、王族に召し上げられるだけの才能があるとか。彼の肩書だけでなく、彼個人にも、それ相応の利用価値がありそうだと考えていた。
 故に彼はすでに一度、ジャミルとの接触を試みていた。きっと、自分のような愚図でノロマなタコと違って、神童と呼ばれるような子供なのだろう。そうでなければ、王族に目をかけられるようなことなんてあり得ない。事実、ジャミルは目を瞠るほどに優秀で、この実力を持ってして王族に召し上げられたのだと確信した。
 ああ、これだから天才というやつは嫌なのだ。ジャミルを褒めそやす笑顔の裏で、アズールは酷く冷めた視線を向けていた。
 けれどそのとき、ジャミルは困ったように眉を下げて、自信の無い笑みを浮かべて言ったのだ。


「俺は天才でも特別でもないよ。ただ頑張ってきたって自分で言えるくらいに頑張ってきたから、出来ることが多いんだ」


 ―――――ああ、あれは、そういうことだったのか。
 当時は天才の戯れ言だと嘲笑していたけれど、今なら分かる。あれは嫌みでも何でもなく、紛れもない事実であったのだ。愛されたくて、認めて貰いたくて、そのために必死に足掻いてきたことの証明だったのだ。

 ―――――けれど、その努力は認められなかった。

 努力が無意味だなんて、そんなことはあり得ない。だって自分はそうだった。努力すれば努力した分だけ、自分の元に返ってきた。努力だけは裏切らないと、そう信じてがむしゃらに進んできたのだ。
 けれど。彼が報われることはなかった。彼がしてきた血の滲むような努力の全ては無意味だった。誰よりも認めて欲しい者達から、無価値なものだと斬り捨てられたのだ。


(そんなのは、あんまりだ)


 アズールは過去に自分を馬鹿にしてきた者たちを見返したくて努力してきた。それこそ血を吐くような想いで走り続けてきたのだ。それが無意味なものだと、無価値なものだと斬り捨てられるなど、想像するだけで悍ましい。そんな悍ましいことを、愛する家族にされるだなんて。
 うっかりそんな地獄のような光景を想像してしまったアズールは、ブロットのような黒い墨を思い切り吐き出した。



***



 マレウスの従者であるシルバーは、テーブルに突っ伏してピクリとも動けなくなっていた。彼は突然眠気に襲われる特殊な体質をしているが、今の彼は眠っているわけではない。マレウスの義弟であるジャミルの話を聞いて、心に深刻なダメージを受けてしまったのだ。
 彼はジャミルの護衛ではないが、マレウスと共に彼のことも守ることを誓っているドラコニア兄弟の騎士だった。故に日頃から彼と関わることも多く、他の者たちより深い傷を負ってしまったのだ。


(もしかしてあれは、そういうことだったのだろうか………)


 滂沱の涙を流しながら、シルバーは過去を振り返る。まだ幼さの残る時分のこと、ジャミルは敬称を付けることを酷く嫌がっていたことがある。畏れ多くてそんなことは出来ないと拒絶する弟分のセベクと共に、自分も「何故」と疑問を呈した。


「俺はただの養子だ。王家の血なんて流れていないんだ。敬われるような立場じゃない」
「それでも、マレウス様の弟御です」
「その通りです! それに、マレウス様と何の関係がなくとも、ジャミル様は尊敬に値するお方です!!!」


 ジャミルが茨の谷であまりよく思われていないことは分かっていた。人間である彼を、妖精族の未来の王であるマレウスの弟だとは認められないと、悪意や不満をぶつけられることも少なくはない。
 無論、シルバーとて何も感じなかったわけではない。それがどのような感情であったのかは今となっては定かではないが、マレウスの弟に、ドラコニアの名にふさわしい人間なのだろうかと見定めるような目を向けたこともあった。
 けれど、ジャミルは怠惰な生き物ではない。常に研鑽を積み、日々精進に励む人間だ。
 権力を笠に着るようなこともない。命じれば誰かしらが何でもしてくれる立場にあっても、彼は自分の力で何でもこなした。
 どのような苦境に立たされても、常に笑顔を絶やさずにいる、強い人間だったのだ。
 彼の人となりを知って、見定めるような目を向けた自分に恥じ入ったものだ。彼はマレウスの弟として、申し分ない人間だった。

 そして何より、ジャミルはマレウスを笑顔にできる人間だったのだ。

 何の因果か、マレウスは王族であるにも関わらず、パーティなどの催し物に呼ばれたことがない。それ故に誰かに招待を受け、パーティに参加することに憧れを抱いていた。
 そんなマレウスの密かな願いを最初に叶えたのが、まだ幼いジャミルだった。
 従者としての心得を叩き込まれて育ったジャミルは給仕を得意とし、マレウスのために手ずから紅茶を入れ、拙い焼き菓子と形式も何もない招待状を作って、小さなパーティを催したのだ。
 その時のマレウスの顔を、シルバーは今でもはっきりと思い出せる。願いが叶った喜びと、新しく出来た弟への愛しさで笑み崩れた、あの顔を。

 自分たちでは、出来なかった。あのような、幸せを形にしたような笑顔を浮かべさせることは。けれどジャミルは、それを見事に果たしたのだ。
 ほんの少しの嫉妬はあれど、認めないわけにはいかなかった。彼はマレウスの傍にいなければならない人間であるのだと。
 だからこそ、自分たちだけは彼の味方で居たかったのだ。他の誰がどれだけ否定しようとも、自分たちだけはジャミルがマレウスの“弟”であることを否定しないのだと。
 彼に敬称を付けるのは、彼を尊敬しているからであり、マレウスの弟であることを認めているという証明の手段の一つだった。
 けれどジャミルは“それでは義兄たちが困ることになる”と首を振るのだ。


「俺には何の権限もない。仮に何かしらの権利があっても、それを行使するつもりはない。でも、事情を知らない人からすると、俺にも力があると勘違いする者もいると思うんだ。だから、直属の護衛二人が気安く接することで身分がある訳ではないって思ってくれるんじゃないかって」


 ―――――難しいことだとは分かっているんだが、二人には出来るだけ気安く接して欲しいんだ。
 その時のジャミルは、ひどく悲しそうな笑みを浮かべていた。

 ジャミルはいつも周囲からの目を気にしていた。
 ジャミルは人一倍努力家で、その努力を実らせる才能を持った優秀な人物だ。例え敬愛するマレウスの義弟でなくとも、尊敬に値する人物であることに間違いはなかった。

 彼は卑屈なわけではない。自分が優秀であることを理解している。けれど、いつも“何か”を気にかけているようだった。
 その“何か”の正体が、先ほどの話を聞いてわかったような気がする。
 彼は恐れているのだ。失望されることを。拒絶されることを。


(そんな、そんなこと、恐れる必要なんてないのに。マレウス様は、本当にジャミル様のことを―――――!)


 大切な人から、愛する人から、“要らない”と言われることに、どうしようもなく怯えているのだ。“要らない”と言われないためならば、どんなことでも成し遂げるくらいに。


「俺さ、最初に転移魔法を使った時、内臓と骨の幾つかを落としてしまって、危うく死んでしまうところだったんだ」
「おばあさまに助けて貰って、何とか生き延びたんだけど、みんなに凄く迷惑をかけたし、酷く心配させてしまった」
「でも、俺がドラコニアを名乗り続けるには努力し続けなければならないし、何より俺があの人達に家族と呼んで貰えるに相応しい人間になりたいんだ」
「俺が人よりちょっと出来ることが多いのは、俺を大切に想ってくれる人に応えたいって、そう思って走り続けてきたからなんだ。たったそれだけのことなんだよ」


 ―――――彼の傷は、まだ癒えていない。胸のうちに、まだ茨のようなそれが、突き刺さったままなのだ。
 そう理解した瞬間、シルバーは椅子を蹴倒し、ジャミルの背中を追って食堂を飛び出した。




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