ケーキバースパロでフロ→ジャミ
ジャミルは生まれつき、味覚が薄い子供だった。
けれど、食べ物とはそういうものだと思って生きてきたため、さして問題とは思わずに生きてきた。
しかし、NRCに入学してから、その味覚は一気に失われたのだ。
それはとある人物を“美味しそう”と思ってからだった。
ジャミルが美味しそうだと思った相手は、同じ部活に所属するフロイドであった。
彼の首筋に流れた汗に、知らずに喉が鳴ったのだ。“あの汗を口に含んだら、きっと甘くて美味しいのだろうな”と。
それが普通の思考でないこと、普通の症状でないことを悟ったジャミルは自身の置かれている状況を徹底的に調べ上げた。
そしてジャミルは知ってしまったのである。ジャミルはケーキバースという症状を発症した、フォークという“予備殺人鬼”であることを。
(嘘だろ………?)
いつか自分は、フロイドを食べてしまうのだろうか。
少しばかり想像してみて、それに嫌悪感を感じない自分に驚愕し、絶望した。忌避するどころか、むしろ“そうしたい”と思ってしまった自分に愕然としたのだ。
(いや、落ち着け。アジーム家やバイパー家にケーキは居ない。この学園にいるケーキも、おそらくフロイドだけ。だから、フロイドとの接触さえ減らせば、どうとでもなる)
少しずつ、少しずつ距離を置いていこう。
元々、友人というわけでは無かったのだ。距離を置いても差し支えはないし、本人も気にするようなことはないだろう。
そう思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
「このバッシュいいな~。これの青ってねぇのかな?」
部活が終わったらそれぞれ解散するのがいつもの流れ。
しかし今日はジャミルが持っている雑誌を借りたいと、フロイドがスカラビアのジャミルの自室に来ていた。
いつもなら借りたらそのまま自寮に帰るのだが、この日はおしゃべりしたい気分だったのか、一緒に見ようと言ってきたのだ。
距離を置きたいと思っていたジャミルにとっては不都合極まりない事態であったが、ここで気分を害した方が事態が悪化し、長引く可能性が高い。事を穏便に済ませたいジャミルは、渋々ながら滞在を許可した。
「確か青は出ていなかったと思うぞ。バリエーションは赤、黒、白、紫の4色だったと思う」
「その中なら黒か紫かな~」
「俺は黒か赤だな」
「赤もいいけど、このバッシュならウミヘビくんは黒の方が似合いそう」
「そうか?」
同じ雑誌を二人で覗き込む。
ジャンルは異なるが趣味が同じで、センスは異なるもののオシャレが好きで、何もかも違っているけれど、二人の会話はなかなか弾む。
口には決して出さないが、そこそこ機嫌のいいフロイドと過ごすのは悪くない。
けれど、生き物から決して香らない、デザートのような甘い香りがフロイドから立ち上っている。それが酷く美味しそうで、口の中に涎が溢れて止まらない。
本格的に距離を置かないと不味いな、とジャミルが小さく嘆息したとき、弾かれたようにフロイドが雑誌から手を離した。
「いてっ」
ぶわり。フロイドの小さな悲鳴と共に、脳を揺さぶるような甘い香りが広がった。
紙で切ったのか、指先に赤い筋が一本出来ていた。ぷくりと溢れ出る血液が、ジャミルには宝石のように見えた。
「ってぇ~。紙って下手な刃物より切れるよね」
眉を下げて、つまらなそうに唇を尖らせる。
絆創膏なんて持ってないしなぁ、と困っていると、ジャミルがフロイドの手を包むように握り込んだ。
「えっ? どうしたの、ウミヘビくん?」
突然の接触にフロイドが目を見開く。フロイドからの接触は多いけれど、ジャミルからの触れ合いは殆どないのだ。珍しい行動に心臓が跳ねた気がした。
フロイドはジャミルに淡い想いを抱いている。雑誌を借りたかったのは本当だが、少しでも長く一緒に居たいという下心で部屋に上がり込んだのだ。
雑誌が見にくいと言って、もう少しくっつこうかなと思っていた矢先の負傷。少しばかりテンションが下がりそうになっていたところに、ジャミルが手を握ってくれるという思わぬご褒美。もしかして心配してくれてるのかな、と気分が上昇した次の瞬間、ぱくり、とフロイドの指先がジャミルの口内に収まった。
「はっ!? う、ウミヘビくん!!?」
指先に感じるあたたかさに、フロイドの肩が大袈裟に跳ねた。傷口を這う柔らかな舌の感触に、頬に熱が集まるのを感じる。
(なになになに!? 何してんの!!?)
想い人の小さな口が、自分の武骨な指を咥えている。それだけでもどうにかなってしまいそうなのに、赤い舌が血の一滴さえも惜しむように、ゆっくりと傷口を舐め取っていく。それが情事のあれそれを思わせて、脳が沸騰しそうになる。
「あ………っ」
このままでは酷いことをしてしまいそうで、耐えられなくなってジャミルの口から指を引き抜くと、彼の口から心の柔らかい部分を突き刺すような声が漏れた。幼い子供がお気に入りのおもちゃを取り上げられた時に出すような声だ。
しかし、声こそ幼い子供のそれだったが、見た目は大変よろしくない。
唾液で濡れた唇が艶々と輝いていて、酷く目に毒だ。瞳は物欲しそうな色を浮かべながら涙で潤んでいて、口寂しそうにわずかに開いた唇から覗く舌の赤さに目眩がする。17の青少年には、些か刺激が強すぎる光景だ。
「ふろいど………なんで……………?」
舌が痺れているのか、些か呂律が回っていなかった。
おもちゃを取り上げられた理由の分からない子供のような悲しげな顔は、ジャミルの様子をますます幼く見せた。それなのに傾国のごとき色香をその身に纏っていて、そのギャップに頭が可笑しくなりそうだった。
「何で、はこっちのセリフなんだけどぉ………。どうしたの、ウミヘビくん。何か可笑しいよ?」
「………ふろいどが、おいしそうで………」
「オレが?」
「それで、血が、おいしそうにみえて、流れてるのがもったいなくて」
「血なんて美味しくないよぉ………」
「あまくて、おいしくて、もっと、もっと欲しくて………」
熱に浮かされた様子は、普段の冷静で理性的な姿とは似ても似つかない。
ジャミルは人間であって、血を求める種族ではない。なのに、血に酔っているような様子で迫ってくるのだ。
(てーか、オレが美味しそうってなにぃ………?)
ジャミルはフロイドが美味しそうで、そのフロイドが流す血が美味しいのだと言う。更には、その血が“甘い”と表現するのだ。
(なぁんか聞いたことあるような………)
脳裏に過ぎるものがあるが、それがなんなのかがイマイチ思い出せない。
「ねぇ、ウミヘビくん。オレの血ってどんな味?」
「うん………? えっと、ケーキみたいな、あまくて、おいしい味がする」
だから、ちょうだい。もっと、もっと食べたい。
酩酊状態のジャミルを捕まえて、腕の中に閉じ込める。
普段なら抵抗するはずなのに、ジャミルは為すがまま、腕の中にいる。
けれどしきりに指先から滴る血を気にしている素振りを見せていて、平時のジャミルからは程遠い状態にあるのは確かだった。
そもそも、血液の味を“ケーキ”と称すること自体―――――、
(あ、これ、ケーキバースだ)
「ケーキバース」には、「ケーキ」と呼ばれる人間と「フォーク」と呼ばれる人間がいる。
ケーキとは、フォークと呼ばれる人間にとって“ケーキのように甘露な存在”である。ケーキの血肉はもちろん、涙や唾液など、頭からつま先に至るまで全てが美味に感じられるのだ。
フォークとは、ケーキと呼ばれる人間を美味しいと感じてしまう人間のことだ。彼らには味覚がなく、ケーキのみを「美味しい」と感じることが出来るのだ。故に彼らは「ケーキを食べたい」という欲求を持つ。つまりフォークはケーキである人間を食べてしまうのだ。比喩ではなく、物理的に。カニバリズム的に。
(え、え~………。むしろオレが食べちゃいたい方なんだけどぉ………)
フロイドの“食べたい”は比喩の方である。
腕の中のジャミルを見下ろして、フロイドは思い切り顔を顰めた。
大人しく捕まっているジャミルは、すりすりと甘えるようにすり寄ってきて、ちょうだいちょうだいと可愛らしくねだっている。
普段の涼しげな姿のジャミルが好きなのだけれど、幼い頃からジャミルを知ってるであろうカリムでさえ知らないと思われる姿を見せられて、理性をじりじりと火で炙られているような気分になる。
(これ、オレの方がフォークなんじゃねぇの?)
ジャミルはフロイドを美味しそうだと言うけれど、ふわりと香るスパイスの香りだとか、熟れた果実のように紅く染まった頬だとか。フロイドに言わせれば、ジャミルの方がよっぽど美味しそうだった。
自身の胸元に額を押しつけてくるのがかわいくて、食べたくて食べたくてたまらない。潤んだ瞳で見上げられてしまえば、耐えられるわけもなかった。
「くそっ………!」
唇に噛み付いて、半開きの口に舌をねじ込む。ジャミルは驚きに目を見開いたが、口内に広がる甘露にとろりと目尻をとろかせた。
もっと欲しい。まだ足りない。言外に告げるように、ジャミルの方から舌を絡ませてくる。
下腹が重くなるのを感じながら、焼き切れそうになる理性を必死に保つ。
ん、ん、と艶めいた声を漏らしながら唾液を飲み込んでいくのを確認し、惜しいと思いながらもジャミルの口内から舌を引き抜いた。
「やだ………。フロイド、もっと………」
「だぁめ。また明日、ね?」
「明日………?」
「そ。ちゃあんと我慢できたら、今日よりいっぱい飲ませてあげる」
「ほんと?」
「うん、約束ね」
こくこくと何度も頷くジャミルの頭を撫で、ぽんぽんと背中を軽く叩く。
ジャミルがフロイドの胸に甘えるように額を擦り付ける。
「明日、楽しみだな………」
とろりととろけた甘えた声で呟かれ、明日の約束を破って、今すぐ唇を奪ってしまいたくなった。