バスケ部のお姫様
その日、バスケ部に衝撃が走った。
何故ならとんでもない美少女が体育館に現れたからである。
「おわぁ……。ジャミル先輩、めっちゃ美人ッスね?」
一早く回復したのは部のムードメーカー、エース・トラッポラだった。
彼は活躍目覚ましい新人である。部の期待を背負った彼はこんな所でも大いに活躍してくれた。
先輩と呼ばれた美少女は「どうも」と素っ気ない。
それもそのはずだ。その美少女はスカラビア寮の副寮長を務めるジャミル・バイパーその人なのだから。
「ウミヘビくんって性転換出来たの〜?」
「出来るわけあるか。魔法薬を掛けられたんだよ」
「え、誰にッスか?」
「………………スカラビアの3年」
フロイドの問いへの答えに、またか、と思ったのは誰だったか。
ホリデー後から、スカラビアの様子がおかしいのは明らかだ。
元々やっかみのようなものはあったが、ここまで露骨な嫌がらせは無かった。
遠慮の無くなったジャミルを見るに、悪い変化だけでは無いようだったので放置していたけれど、今回のことは目に余る。
「つーか、可愛いけど、ちょっと細くね? 枝じゃん」
「枝言うな」
「確かに、腰とか持てちゃいそうッスよね」
「持ててたまるか」
「オレなら持てそー」
「いや待て。持とうとするな、やめろ、触るな。おい、フロイド!」
女の子の細腰に触るとか万死なんだが???
無邪気だから許されるのか? 羨ましすぎて血涙が流れそう。
学年を超えた仲良し3人組のやり取りに、周りで見ていたバスケ部一同がギリィと歯を食いしばる。
シリアスな空気など一瞬で霧散した。
好奇心でキラキラと目を輝かせていたフロイドが、ジャミルの腰に触れる。その瞬間、キュッと口を引き結んだ。
そんな様子にエースがおや?と目を瞬かせる。
心なしかフロイドの手が震えている気がする。顔色もいつもより白い。
「………………ほんとにもてちゃった……」
もてちゃった???
何を??? 腰を???
改めてジャミルの腰を見つめる。
そこはフロイドの大きな手で包まれている。
親指がくっついた状態でお腹に当てられており、残りの指が背中側に回っている。
すすす、と何人かが背中側が見える位置に移動して、顔を覆って崩れ落ちた。
中指がくっついている。
つまり、フロイドの両手で腰を掴めているのだ。
「うっっっそでしょ?????」
「むしろ指余ってるんだけど……」
「ヒェッ……」
フロイドの言葉にエースが戦慄く。
フロイドの手の大きさを加味しても、腰が掴めるのは少しばかり細すぎやしないだろうか。
元々細身ではあったけれど、性別が変わるだけでここまで細くなるものなのか。何それ、人体の神秘?
「大丈夫? 中身ちゃんとある?」
「無かったら何かしらの異常が出てるだろ」
珍しくフロイドがオロオロと狼狽えている。
普段なら面白がって茶化したりするような光景だが、今回ばかりは笑えない。
「とりあえず、今日は見学ッスね。ぶつかったら怪我させちゃいそうで怖いし」
「流石にこの体で部活に参加はしないさ」
「そうして。オレがぶつかったら絶対折れる」
「折れはしないと思うが……。無用な怪我はしたく無いからな」
いや、折れそう。
バスケ部一同の心がかつて無いほど一つになる。
何かもう、細いって言うか、薄い。
腕とか骨に皮を貼り付けたのかと疑うレベル。スレンダーを極めたような姿だ。
今のジャミルにぶつかったら確実に怪我をさせる。骨折か流血沙汰待ったなし。
元は男でも今は女の子。怪我をさせるなんて以ての外だ。
「てか、元に戻る薬とか無かったんですか? ふざけて薬被った訳じゃないんだし、流石の先生も薬用意してくれますよね?」
「材料の取り寄せ中だ。何でも、解毒薬に必要な植物が荒らされていて、使い物にならないんだそうだ」
「うっわ……」
「どれくらいかかるの?」
「一週間ほど。下手をすれば自然と治るのを待った方が早いそうだ」
いくら何でも用意周到過ぎないか? 熟慮の精神はこんなことに使うもんじゃないと思う。バスケ部は頭を抱えた。
それだけ入念に準備して事を行ったという事は、それだけの執念があるという事だ。これ以上の何かを仕掛けてくる可能性がある。
「んじゃ、元に戻るまでバイパーはマネージャーな!」
「たまに黄色い声援を頼む」
「出来るだけ可愛い声で"先輩かっこいい♡"って言って」
嫌な予感を振り払うように、2、3年生が明るい声を上げる。
言われたジャミルは眉を寄せて渋い顔をしてみせた。それでも可愛らしいのだから、ジャミルの顔面レベルはカンストしている。
いや、マジで可愛いな??? これガチで危なくない???
「……言ってて虚しくないですか、先輩方」
「そこらの女の子より可愛いから全然平気」
「他校と練習試合した時の声援が羨ましかったんだよ、察して」
「こんな時しか女の子と接する機会ないんだよ、お願いします」
「…………はぁ、仕方ないな。じゃあ、俺がこの体で困るような事があったら、お手伝いして下さいね?」
「「「よっしゃあああああ!!!」」」
まぁ、モチベーションは高い方がいいだろう。そう思ったジャミルは呆れながらも了承する。
その瞬間のボルテージの上がりようにはちょっと引いてしまったが、まぁ、女の子の声援が欲しいのは分かる。
分かるけど、俺は男なんだよなぁ……。
ちょっとしょっぱいような気持ちになりつつ、任された事には全力を尽くすのがジャミル・バイパーという男(今は美少女)である。
「ナイスアシストです、先輩!」
「エース、頑張れ! お前ならいける!」
「フロイド、そのまま決めろ!」
「お疲れ様です。ドリンクとタオルをどうぞ」
いや、最高か???
バスケ部の心の声がまたもや一つになった。
きっちり仕事をこなしつつ、モチベーションを落とさないような声援を上げる美少女。
しかもリクエスト通り、ちょっと高めの声での声援だ。それが最高に可愛らしいのだからたまらない。
その上サポートが絶妙。
ドリンクやタオルを欲しい時にさっと手渡してくれるのだ。その手腕は気遣いの神。
総合して最高のマネージャー。最早嫁。
ジャミルを嫌がらせで女体化させた奴、絶対下心あっただろ。
あまりの愛らしさに脂下がった顔をしていた一同が、スンッと真顔になった。
これ、一人にしておいたら絶対危ない目に遭うやつ。
元がジャミルと知っていても、傾国にでもなれそうな美貌だ。思わず手を伸ばしてしまう男は多いだろう。
何せここは男子校。女の子とは無縁の場所だ。
今のジャミルは飢えた肉食動物の前に置かれた高級肉そのもの。何が起きてもおかしくは無い。
守らねば。
今までは静かで大人しかったジャミルだが、ホリデーを境に17歳らしい振る舞いを見せるようになったのだ。
仮面のような貼り付けた笑みから、自然なものへと変化し出した。
中々懐いてくれなかった子猫が心を開いてくれた時のような達成感と喜びを感じていたバスケ部一同は、その顔が曇るのを見たくない。
少しばかり身内贔屓のような気がしなくも無いが、特に今は可愛い女の子なので、涙するような事にはなって欲しくないのだ。
「バイパー、お前マジ最高」
「マネージャー業お疲れ」
「どうも。ご期待に添えたようで何よりです」
「それについては満点です」
「それな」
「つーわけで、俺らは大満足。功労者のお前も休憩しとけ」
「体力的には全然余裕なんですけど……。まぁ、お言葉に甘えて」
先輩達の言葉に、何となく2年生で固まっていたところにジャミルも加わる。
ちょこんと体育座り。膝を抱えると恐ろしい程にコンパクト。
隣のフロイドとの体格差よ。
フロイドの喉から「ヒェッ」と聞いたことのない声が上がった。
「ウミヘビくん、座ると更にちっちゃいね?」
「そうか?」
「てか、足首ほっそ。オレの手首と同じくらいじゃね?」
「流石にそこまで細くは……ちょ、まっ……!」
フロイドに足首持ち上げられて、ころんと後ろに倒れる。
あまりにもあっさりと倒れたものだから、体育館は静寂に包まれた。
待って???
そんなあっさり倒れる???
腹筋あるでしょ、耐えられなかったの???
「…………女子ってもしかして、腹筋無いのか……?」
震える声で、ジャミルが静寂を切った。
ジャミルがそっとお腹を撫でる。
不安げにゆらゆらと揺れる瞳を目にした男達は「オ゛ァ゛ッ」なんて、どこから出てきたのか分からない奇声を上げた。
その声にびくりと肩を跳ねさせたジャミルのあまりの無防備さと予想の遥か上を行く儚さに、男達は天を仰ぐしかない。
フロイドがそっと足を下ろし、背中に手を差し入れてジャミルの上体を起こした。
いつまでも寝転がせておくのはちょっと不味い。すぐに脳内がピンク色に染まってしまうお年頃なので。
散らばった髪だとか、不安げにこちらを見上げる表情だとか、思春期には色々と刺激が強すぎるのだ。それが極上の美少女なのだから、尚更。
支えた体のあまりの軽さにちょっと手が震えたのはご愛嬌。
「……ウミヘビくん、薬かけてきたのってスカラビアの3年って言ってたよね?」
「え? あ、ああ……」
「元に戻るまでスカラビアに帰るのやめな? 今日はラウンジのVIPルーム使って」
「は?」
ジャミルが目を瞬かせる。長い睫毛が揺れたのが見えた気がした。
天然マスカラのびっしり睫毛。ポム寮生が歯軋りしそう。
「あと、出来るだけ一人になるのはやめた方がいい。バスケ部の奴とか、仲良い奴と一緒にいるようにしろ、いいな?」
「え?」
「同クラの奴は出来るだけ一緒に行動しろ。授業合わせられる奴は出来るだけ合わせて、一人にするな」
「獣人には出来るだけ近寄らない方がいいです。文化的に女性優位ですけど、好奇心に負ける奴も多いと思うんで」
「普段関わらない奴が近寄ってきたら気を付けろよ。そいつは絶対危ない奴だからな」
次々に告げられる言葉に目を白黒させる。
情報過多に一瞬理解が追いついていなかったが、すぐに飲み込んで、ムスッと不満げな表情を浮かべた。
「…………めちゃくちゃ不本意ですけど、はたから見て危なそうだなって思ったら助けて下さい」
「俺、そうやって自分を客観視出来るとこ尊敬してる」
「それ。もうちょい渋ると思ってたわ」
「正直めちゃくちゃ屈辱的ですけど、この体、ヤバイくらい弱そうなんですよ。手とかボールを片手で掴めないくらい小さいし」
ほら、とボールの上に手を置く。
バスケットボールが大きく見える。
近くにボールが転がっていた奴が同じようにボールの上に手を置き、その大きさの違いを三度見した。
「いや、ちっさいな???」
「マジで?」
「手、合わせてみます?」
「やるやる」
「俺も俺も」
「うわ、ちっさ!」
「ひぇぇ、女の子の手ってこんな小さいの……?」
「指ほっそ」
「ヤバいなこれ。とりあえず、絶対一人になるなよ? いいな?」
「はい。あ、でも、カリムの世話があるから、めちゃくちゃ動き回る事になるんで、無理はしなくていいです」
「こんな時くらい休めよ」
「仕事だっていうのは分かるんだけどさぁ〜〜〜」
「あと、ラウンジを借りてアズールに貸しを作るのが嫌だ」
「流石に今のウミヘビくんから徴収する程外道じゃねぇよ???」
「元に戻ったら取るんだろ?」
「……半分なら肩代わりしてあげるけど」
「どっちにしろ貸しを作ることに変わりはないじゃないか」
まぁ考えておくよ、なんてジャミルはいうが、バスケ部の面々に今のジャミルをスカラビアに帰すという選択肢は無い。
ラウンジでなくとも、どこか別の寮に泊める事は決定事項だ。
ラウンジが駄目ならどこなら安全かで激しい議論が交わされる。そんな様子に呆気に取られつつ、ジャミルは肩をすくめた。
元は男なんだし、もっと雑でもいいような気がする。
けれど悪い気がしないのも事実で、憂鬱だった現状が少しばかり楽しくなる。
「…………いつも奉仕する側だし、たまには尽くされるのもいいかもな」
男同士の気安さも気楽で良いが、丁寧な扱いも嫌いじゃない。むしろ気分が良い。
ジャミルはしばらくの間、バスケ部の姫を楽しむ事を決めた。