ジャミル・ドラコニアは過去が重い
昼休み。多くの生徒が昼食を摂りに集まる大食堂。ジャミルとリドルは、丁度同じタイミングで食堂に顔を出したフロイド・リーチとラギー・ブッチと共に、シェフが自慢の腕を振るったランチを食べていた。
「そう言えば、ジャミルくんって養子なんスよね? 元のおうちってどんなとこだったんスか?」
購買で安売りされていた大量のパンを大口で口に収めながら、ラギーがジャミルに問いかけた。
寮長会議でのカミングアウト後、ジャミルを取り巻く環境は変化した。
今まで見向きもしなかった者が友人のように接してきたり、顔を合わせれば言葉を交わした相手が距離を置いたり。リドルのように変わらずにいてくれたり、その反応は様々だった。
フロイドは殆ど変わらない様子だった。ほんの少しだけ好奇心が濃くなったが、悪意は一切感じない。
ラギーもまた、態度にあまり変化は見られなかった。ジャミルが王族の関係者であることを知ると、わずかに顔を顰めた程度だ。けれども明らかに血の繋がらない容姿を見て、少なからず事情があることを察してからはいつも通りの接し方を貫いていた。
それでもやはり「王様なんて要らない」と言って憚らないラギーとしては、どうしても胸に蟠るものがあるのだ。それが少しでも減れば良いのに、と言う思惑を持っての問いかけである。
「確かに気になる~。熱砂の国出身なんでしょ? どんなとこなの?」
「ちょっと、お止めよ。ジャミル、言いたくなかったら言わなくて良いんだからね?」
ラギーの疑問に興味を持ったフロイドが目を輝かせる。
しかしデリケートな話題だったために、リドルが慌ててジャミルに気遣うような視線を向けた。
「ありがとう、リドル。でも大丈夫だよ」
「そう? なら良いのだけれど………」
心配そうな表情のリドルにふわりと微笑む。その顔を見て「思っているより平気そうだ」と感じたリドルが椅子に座り直した。
それを見て、ジャミルが向かい側に座るフロイドに笑いかけた。
「熱砂の国はその名の通り、灼熱の砂漠に囲まれた国で、昼間は肌を焼くような暑さで日差しが照りつける国だよ。人魚のフロイドには少し厳しいかもな」
「うへぇ、オレ暑いのきらぁい」
「僕もあまり得意ではないかな………」
「慣れたらそうでもないんだが、慣れるまでは辛いだろうな。でも、夜はその逆で、冬のように冷え込むんだ」
「寒暖差が激しいんスね。体壊しそう」
フロイドは深海に住まう人魚だ。冬には流氷が出来るような環境だ。暑さにはめっぽう弱い。
リドルの出身地は薔薇の国。暑い季節も存在するが、「肌を焼くような」と表現されるような厳しい日差しが差すことはない。彼も暑い季節は苦手だった。
ジャミルと同じく温暖な気候の夕焼けの草原は、一年を通して気温が高い。しかし、砂漠のように寒暖差の激しい場所ではない。こちらは寒さに弱く、嫌そうに耳を垂れさせていた。
三者三様に「住みにくそう」と言う感情を表現していた。
「そうだな。旅行者なんかは気を付けないと体調を崩すかも知れない。でも、街は活気で溢れているし、陽気で親切な人が多いんだ。俺の生まれた絹の街は水資源が豊富で、街のあちこちに流れる水路が美しい街だよ」
「へぇ~! 水がいっぱいあるとこならオレ好きかも!」
「観光客向けの市場なんかもあるし、美味しい食べ物も多くて、一度訪れてみても損はないと思うぞ」
「楽しそうな街だね。いつか行ってみたいな」
「行くなら、花火大会が行われる時期がオススメだな。街の富豪達主催の豪勢な花火を見ることが出来るんだ」
楽しそうに祖国のことを語るジャミルに、リドル達の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
けれど、それが話の本題である“血の繋がった家族の話“から逸らすためのものであることは明白だった。
「ウミヘビくんは案内してくんねぇの?」
「ジャミルくん的には国に帰りたくない感じなんスか?」
「そう言えば、ジャミルのご実家の話だったね」
つまならそうに拗ねるフロイドの言葉に、ラギーが重くならないように茶化しながら言葉を重ねる。
異国の文化に目を輝かせていたリドルが、本題を思い出したことで急に現実に戻ったかのような冷静な顔を覗かせた。
再度気遣わしげな表情を向けると、ジャミルがわずかに眉を下げた。
「そう、だな。あまり良い思い出はないかも知れない」
「家族と仲悪かったんスか?」
「どうだろう。距離はあったような気がするが………」
「距離?」
ジャミルが少し考える素振りを見せた。けれど、すぐに意を決したように真剣な表情を浮かべて三人を見つめた。
「俺の元の家は従者の家系で、プライマリースクールに上がる頃には俺も主の護衛や毒見なんかをしていたんだ」
「「「待って」」」
居住まいを正して真剣に耳を傾けたけれど、聞き捨てならない単語が耳に入り、三人は揃って待ったをかけた。
「うん?」
「ど、どどど、毒見ィ!?」
「思ってたのと違う角度から殴られた気分」
「どこの国にも闇深い部分はあるっスけど、熱砂はマジでやべぇっスね」
「こ、子供に何をやらせているんだい!!? 首を刎ねてやる!!!!!」
「やっぱり、あまり楽しい話ではないよな。やめておくか?」
リドルの慌てようと、フロイドとラギーのハイライトの消えた目を見て、ジャミルが眉を下げて淡い笑みを浮かべた。
予想していた過去よりもずっと重い。けれど尋ねたのはこちら側である。腹をくくった相手の覚悟に対して失礼であるし、何よりここで引き下がっては負けたような気がして悔しい。三人は話の続きを促した。
「………いや、聞いたからには最後まで聞くよ。友達のことは、その、やっぱり知っておきたいし……」
「オレが聞きたいから聞いたんスよ~。変なとこでやめられたら余計気になるっス」
「そーそー。だから話してよ」
「分かった。それで、両親も従者をしていたから、ご主人様を優先するきらいがあったんだ。俺も次期当主様と同い年だからという理由で世話役を任されていて、だからどうしても、家族で過ごす時間は、普通の家庭より少なかったと思う」
自分の知らない世界だ。リドルとラギーは想像の付きづらい世界の話に眉を寄せる。
少しばかり煌びやかな世界の片鱗を垣間見る機会のあるフロイドは、うへぇと顔を顰めた。金持ちの傍付きは太鼓持ちか堅物と相場が決まっている。フロイドにとっては最悪なことに、ジャミルの両親は太鼓持ちと堅物のハイブリットの匂いを察知した。ジャミルがそうならなかったことに「よかったよかった」と深くうなずき、わしゃわしゃと頭を撫でる。ジャミルは一瞬きょとりと目を瞬かせるも、すぐにふにゃりと笑う。それを見ていたリドルがフロイドに続き、場の空気を読んだラギーもジャミルの髪を撫で回した。
しばらくジャミルの嬉しそうな笑い声を聞きながらじゃれ合って、三人が満足してから続きを促す。
「一緒に過ごせる時間が少ないのは、仕方ないって思ってた。生きていくにはお金が必要で、そのお金を得るために働いているんだからって、分かっていたんだ。でもやっぱり、子供だったから寂しくて。だから少しでも認めて貰えるように、愛して貰えるように、頑張ったんだ」
「ジャミル………」
そのときのことを思い出したのだろう。ジャミルが胸を締め付けるような、寂しそうな笑みを浮かべた。
リドルが心配そうな声を上げると、ジャミルはふわりと花のような笑みを向けた。心配は要らないというような柔らかい笑みに、リドルがほっと息をつく。
「勉強を頑張って、テストで100点を取って、魔法だって他の子より早く使えるようになって。父さん達に誇って貰えるような子供になるために、血を流すような怪我をしても、血反吐を吐くような毒を飲んでも、決して泣かないように頑張ったんだ」
けれど安心したのも束の間。唐突に訪れた不穏の気配に、三人の心臓が嫌な音を立てた。
「誰からも愛されるような、そんな子供になったら、二人も愛してくれるかなって、どんなに辛いことがあってもずっと笑顔でいたんだ」
ジャミルは物腰柔らかで、NRCに通う生徒とは思えないくらいに穏やかで、いつもにこにこと微笑んでいた。
そういう気質、性格なのだと思っていた。もしくは王族に召し上げられて、裕福な暮らしの中で得た余裕が滲み出ているのだと思っていた。
けれど、それは間違いだった。彼は認めて貰うために、愛されるために笑っていたのだ。どんなときでも、どんなことにでも。
「でも、俺は期待に応えられなかったんだ」
こんなときでも、あっけらかんと彼は笑っていた。
いつもだったら何となくほっとするような、ともすればRSAを想起させてイラッとするような笑みが、酷く歪なものに見えた。
だって彼の笑みが、その心根とあまりに乖離しているものだと理解してしまったから。
この学園の生徒は、基本的に腹に一物を抱えている。むしろ裏のない生徒の方が少ない。笑顔の裏には何かしらが隠されている。だから本音と笑顔が一致しないのは当然だ。
けれど、ジャミルの笑顔は違う。それとはまったく別の意味で乖離しているのだ。
「期待に応えられなくて、失望させてしまったんだ」
彼の通っていたミドルスクールの偏差値は分からない。けれど名門校として広く知られるNRCで学年一位をキープできるだけの実力があるのだから、地頭から優秀なのだろう。きっとどこに出しても恥ずかしくない、自慢の子供だっただろうに。
けれど、彼は言うのだ。
「二人はテストで100点を取れる子供なんて要らなかった。誰よりも優秀な魔法使いなんて望んでいなかった。誰からも愛される子供なんて、邪魔でしかなかった」
いつものように、満面の笑みで。どこまでも残酷なことを何でも無いことのように宣う。
「彼らはもっと従順で、機械的で、自我の薄い子供が欲しかったんだ。自分を押し殺して、主人を立てられるような、従者として完璧な子供を望んでいたんだ」
もうそれヒトじゃなくない??? ロボットでもそばに置いとけよ。
従順なんてつまらない。機械的なんて惹かれない。自我が薄いなんてもったいない。
束縛を嫌い、自由を愛するフロイドにとって、ジャミルの両親の望む完璧な子供とやらは、まったく理解出来ないものだった。
確かに家族を養うためには職を失うわけにはいかない。一族の方針として主人を立てなければならないのなら、ある程度の従順さは必要だろう。
けれど、それを甘えたい盛りの子供にまで強要するのはいかがなものだろうか。せめて一族の方針とか、そういったことを飲み下せるくらいの年齢になるまで待つことは出来なかったのだろうか。
リドルは理解を示しつつも、もっと他にやり方があったのではないかと頭を抱える。
「でも俺にはそれが分からなくて、まだ足りないんだって、より一層頑張って。けれど両親には、それが余計なことでしかなかった」
親の期待に応えようと努力することは、本来ならば歓迎されるべきものだ。それを、親を喜ばせたくて頑張る子供を、“余計なこと”と斬り捨てる親がいるなんて。その事実があまりにも悍ましく感じられて、リドルの目に涙が浮かぶ。
「“どうしてちゃんと出来ないんだ“って。”お前のせいでご主人様に酷く叱られることになった”って。そのときになって初めて、俺は“自我”を求められていないことを知ったんだ」
ひゅ、とラギーの喉が引き攣れを起こす。
頑張っていたら褒められるのは当たり前で。良い成績を取ったら誇らしいもののはずだ。なのに、それを叱られるだなんて。
「馬鹿だよなぁ」
くしゃり、と一瞬だけ、泣きそうな笑みが浮かぶ。見ている方が胸を掻き毟りたくなるような苦しさを覚える、悲しい笑みだった。
目の奥が熱い。視界が霞み、呼吸が乱れていく。
「本当に、どうしようもない。見当違いな方向に突っ走って両親を失望させた、馬鹿な子供………」
―――――もうちょっと賢く生まれることが出来たなら、今も一緒に暮らせていたのかな。
聞かせるつもりがないのか、吐息のような囁き声だった。耳の良い獣人と人魚、ジャミルのすぐ隣に座っていたからかろうじて聞き取れるくらいの小さな声。けれどそれは確かな本音。そんな心の内をこっそりと吐き出して、ジャミルは長い睫毛に縁取られた目蓋を閉じた。
そんな言葉を聞いてしまったら、もう駄目だった。ぼろぼろと、大粒の涙が溢れていく。
「だから俺は、彼らにとっては失敗作」
―――――何でそんなこと言うの?
言葉もなく、ただひたすらに涙を流しながらフロイドがテーブルに突っ伏した。
学園で一二を争う努力家で、その努力を自分の実力として昇華できるくらいの才能があって、出来ないことを放置しない。途中で投げ出すこともしない。
勉強も、魔法も、料理も、ダンスも、何一つ手を抜かないで、完璧に成し遂げる。
誰もが羨望の眼差しを向けるような、いずれ大成するであろう魔法士を、彼は自分自身で、“失敗作”と宣う。
その才能が欲しい者からすれば、怒りのままにくびり殺してしまうような言動だろう。けれど、彼はそれが欲しくて頑張ってきたのではないのだ。その才能を差し出すことで両親の愛が得られるならば、彼はきっと喜んで対価を差し出すだろう。
彼は多くのものを持っているけれど、欲しいものだけが手に入らなかったのだ。
「“あなたなんて産まなければよかった“」
―――――何でそんなこと言うの?
奇しくもフロイドと同じ事を思いながら、今度はラギーがテーブルに突っ伏した。
ラギーとて生まれで苦労してきた少年だ。ハイエナというだけで差別されてきた。
けれど自分を“失敗作”だなんて思ったことはないし、“産まなければよかった”なんて、生まれてきてから一度も言われたことはなかった。
自分を育ててくれた心優しい祖母の口から、その言葉を聞くことは一生無いだろう。そう確信できるくらいには大切に育てられてきたし、愛されている自覚がある。
それを当たり前だと思っていた。愛だけは無償のものだと信じていた。愛は注がれ、心を満たし、同じ分だけ返すものだと。
だからラギーは祖母やスラムの子供達のためならなんだってした。少しばかり仄暗いことだって、その愛を返すのに必要ならば戸惑うことをしなかった。
けれど、それは違ったのだ。この世に当たり前のものなどなくて、無償の愛なんておとぎ話のなかにしか存在しない。少なくとも、目の前の彼にとっては。
「そう、言わせてしまったんだ」
言わせてしまったって何!!!??!? ジャミルは何も悪くないだろう!!!!!!!!!!
リドルはそう叫びたかったが、喉が引き攣れて呻き声のようなものが口から溢れた。
ジャミルが努力していると分かる瞬間は、日常のあちこちで垣間見ることが出来る。指先に出来たペンだこだとか、すぐに埋まってしまうノートだとか。貰って間もない教科書に、すでに使い込まれていると分かる痕跡が残っていたりだとか。
魔法薬学では教科書にも載っていない知識を何でも無いことのように披露したり、飛行術でも的確なアドバイスを行えるのだ。
その上彼が極めているのは勉学にまつわることだけではない。料理を作るのも得意で、シェフも認める腕前だ。趣味のダンスも大会に出れば表彰台に登れるほどの一級品。
彼があらゆる分野をそのレベルまで昇華したのは、ただ一言褒めて貰うため。愛の言葉を貰うためなのだ。
けれど与えられたのは、欲しかったものとは真逆の拒絶の言葉。
その事実が苦しくて、悲しくて、やるせない。自分の胸を掻き抱きながら、リドルはついに声を上げて泣いた。
「なぁ、今まで頑張ってきたことが全て無駄だったって知ったとき、人はどうなると思う?」
春の女神のような、どこまでも穏やかで、あたたかい笑み。どこまでも柔らかい声が、無邪気に残酷な問いを投げかける。
あまりにも無慈悲な問いかけに、三人の呼吸が止まった。
「どうでもよくなるんだよ、何もかも」
三人の答えを待たず、ジャミルが太陽のような眩しい笑みを浮かべる。
どんなに頑張ったって、欲しいものが手に入らなければ意味が無い。欲しいものを手に入るために努力してきたのに、欲しいものだけが手に入らない。それは一体、どのような心地なのだろう。
全てがどうでもよくなるというのは、どのような―――――。
「どうでもよくなって、遠くに行きたくなるんだよ」
大輪の花のような笑みを浮かべるジャミルの内心が計れない。彼の言う“遠く”とは、一体どこを指して言っているのだろう。
けれど一つだけ分かったことがある。彼はすでに“遠く”に行こうとしたことがある。そしておそらく、その最終結果が“ドラコニア家の養子”であるのだ。
熱砂の国から茨の谷への道のりは、果てしないものだ。彼は家族から離れて“遠く”に行こうとした。けれどきっと、彼が本当に行こうとした“遠く”とは、そんな場所ではないのだろう。
「と、遠ぐにな゛んて行かな゛いでぇ………!」
ようやく声を絞り出したリドルが、ジャミルの細い体に抱きついた。
「ウミ゛ヘビぐんは失敗作な゛んかじゃね゛ぇし!!!!!」
「頑張ってぎたことが全て無駄とかね゛ぇっスからぁ゛!!!!!」
フロイドとラギーもテーブルを飛び越えて三人でジャミルをもみくちゃにした。
ジャミルは突然のことに目を白黒させながら、三人の顔をハンカチや袖口で拭う。
その事に更に涙を流す三人に、ジャミルが「ふふ」と小さな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
ほんの少しだけ震えたお礼に、いっそのこと泣いて欲しいな、とより一層細い体を抱きしめた。