好きな子の傍では静かに出来るフロイドと本当は物静かなジャミルの話
ジャミル・バイパーは感情の起伏が少ない。
そう言うと、彼を知る者は皆一様に首を傾げる。どちらかと言えば、彼はよく怒ったり、呆れたりと、存外表情豊かなイメージがあるからだ。
けれどそれは彼の主人であるカリム・アルアジームが傍に居るときに限る。彼は一人でいると、とても静かだ。無表情とも取れるすました顔でゆったりとしていることが多い。本当は感情を表に出すことが苦手だから、すぐに疲れてしまうのだ。そのため笑ったりしても、わずかに口元を緩める程度なのである。
しかし、その事実を知る者は少ない。知っているのは彼の家族か、ひょんな事から一人静かに過ごす彼を見掛けた者だけだろう。
その数少ないうちの一人―――――フロイド・リーチはジャミルの部屋で、彼の持っている雑誌を読んでいた。
フロイドは飽き性で、物静かに過ごすよりも、賑やかな場所で騒ぐことの方が好きだった。関わる人間も、そういう性格の方が見ていて飽きなくて、好ましいと思っていた。
しかし、理想と現実は違うもので、フロイドが好意を持ったのは一人でいると酷く大人しいジャミルであった。
その事を自覚したとき、フロイドは純粋に「何故」と疑問を持った。ホリデーの一件を終えて自分を偽るのをやめたジャミルに好意を持つのは理解できる。事実、今までは「大人しい良い子ちゃん」という印象ががらりと変わり、彼をオクタヴィネルに熱心に誘うアズールに同意できた。
けれど、それは「面白い相手を見つけた」という好奇心で、甘さの欠片もない自分勝手な感情であった。それは好意とはかけ離れたもので、いっそ加虐心すら伴っていた。
だというのに、「大人しい良い子ちゃん」のときより物静かで大人しいジャミルを好きになるだなんて、一体誰が想像できただろうか。
(こういうのを、事実は小説よりも奇なりって言うんだっけ?)
普段は綺麗に結われている髪が、今はゆるくまとめられて背中に流れている。カリムの前では絶対に見せない姿だ。
それに優越感のようなものを覚えながら、その美しい髪に手を伸ばす。
髪に触れられたことで意識を浮上させたジャミルが、小説に向けていた目をフロイドに移す。
「雑誌を読むのに飽きたのか?」
「……あは♡ バレちゃった?」
別に飽きてはいない。カリムから離れ、本当の意味で自分というものを曝け出しているジャミルが好きなのだから、飽きるわけがないのだ。そんなジャミルに触れたくなっただけ。
けれどもその感情がバレてしまえば、ジャミルは自分を遠ざけようとするだろう。この時間が失われるのは困るから、ジャミルの誤解に乗っておく。
「部屋に持ち帰っても良いぞ」
「んー……。もうちょい居る-」
「そうか?」
そういう気分なのだろうか、とジャミルが首を傾げる。体を動かすのが好きなフロイドに読書は退屈に感じるのだろう。飽きるのも当然だった。騒ぎ出さないのが不思議なくらいである。
けれどジャミルと二人で過ごすときのフロイドは、いつだって静かだ。
ある日突然、一人で過ごせるわずかな時間に彼が現れたときは盛大に顔を顰めてしまったが、この時間のフロイドは酷く静かだった。普段とは違い、特別相手をしなくても大人しくしていたし、騒ぐこともなかったのだ。
飽きたら勝手に出て行くし、一人で過ごすのと何ら変わらない時間であった。つまり、苦手意識のあったフロイドは、思ったよりも過ごしやすい相手であったのだ。
(もしかして、静かに過ごしたいときに俺の所に来てるのか………?)
相変わらず行動の読めないフロイドだが、彼は基本的にそのときの気分と自分の快不快で動く。自分のそばに来るのも、きっと何かしらの基準があるのだろう。他人には分からない、彼の基準が。
(ま、邪魔にならないなら良いか)
カリムが居ないときくらいは静かに過ごしたいジャミルは、自分の傍でフロイドが静かでいる内は放っておこうと決めて、改めて雑誌に視線を落とした。
(そういう気分なんだろうって考えてるっぽいけど、オレがそんな殊勝なわけないじゃん)
ジャミルの考えをなんとなく察したフロイドは、指でジャミルの髪を弄びながら、にんまりと口角を上げる。
想い人の傍で過ごしたいという下心は当然のように存在する。そうでなければ元来動き回るのが好きなフロイドがじっとしている訳がない。
(ま、ウミヘビくんの傍なら、静かに過ごすのも良いんだけどね)
惚れた弱みか、ジャミルの傍ならゆったりと過ごす時間も好ましい。
今のジャミルはこんな自分に疑問を抱いているが、いつしかそれが当たり前になる日がやってくる。そして、自分の存在が日常の一部になれば良い。
途中で気付かれて逃げられないように、気付かれたとしても、すでに手遅れであるように。静かに、確実に、深く深く、奥底にまで届くように。獲物が罠に掛かるのを、捕食者たる人魚はじっと待つ。
いつか砂漠の黒蛇が深海の靱を選ぶ日が来ることを夢見ながら、フロイドは美しい黒髪に口付けた。