サ部ジャミ 2






 アズール・アーシェングロットには、気になる人物がいる。その人物の名はジャミル・バイパーである。
 彼は自分の幼馴染みである双子のフロイド・リーチとジェイド・リーチに恐怖を刷り込ませた人間であった。

 アズールも双子同様に人魚である。彼らと同じく過酷な海の底を生き抜いており、海に比べて危険の少ない陸は楽園そのものであった。故に彼は陸に来てから恐怖心を覚えることが殆どなかった。
 強いて言えば、海には存在しなかった『天と地』という概念に未知への恐怖を覚えたが、その程度である。
 だからアズールは、幼馴染みが平和ボケした地上に生き物に恐怖を覚える意味が分からなかった。

 ―――――何か秘密があるのかもしれない。
 そう考えたアズールは、ジャミルとの接触を試みた。

 入学を経て間もないが、ジャミルは飛行術や錬金術に置いて類い稀なる才覚があることが判明している。
 また、座学に置いても非常に優秀で、特に古代呪文語は教師も一目置いていると噂されているほどだ。繋がりを作っておいて損はない。
 しかし、それは周知の事実である。故にペアを組む必要がある授業では競争率が高く、ペアを勝ち取るには彼の関心を惹かねばならなかった。
 けれどアズールには他とは一線を画すアドバンテージがある。彼はジャミルが今、最も興味を示す人魚という生き物。それを餌に、アズールはジャミルに近づいた。


「初めまして。貴方がジャミル・バイパーさん、でよろしかったでしょうか?」
「ああ」


 短い返答から、彼が他者に興味が無いことが窺えた。
 初対面の相手に名前を知られていても何の反応も示さない。その上、相手を知ろうともしない。
 こちらを見ているが、それは礼儀として顔を向けているだけで、その瞳がアズールを認識しているようには思えない。
 常に相手から情報を抜き取ろうと画策するアズールからしたら、あり得ない対応であった。


「僕、フロイド達とは同郷の幼馴染みでして、本性は人魚なんです」


 ―――――僕とお話したくはありませんか?
 その言葉に、ジャミルがようやくアズールを認識したのが判った。彼の目に光が灯る。


「へぇ、君もウツボか何かか?」
「いえ、僕は人魚の中でも珍しいタコの人魚です」
「そうか。それで、俺に何か?」
「ええ。実は、次の合同授業で、僕とペアを組んで欲しいんです」


 そう言ってにこりと笑ってみせると、ジャミルは見惚れるような笑みを浮かべ、了承の意を述べた。


(ああ、こんなに簡単に罠に掛かってしまうなんて、やはり陸の生き物は生温い)


 何故二人が怯えるのか、理解に苦しむ。
 思った以上に順調に事が進み、アズールは内心でほくそ笑む。
 しかしそれは、見事なまでのフラグであった。



***



 迎えた合同授業当日。課題である魔法薬を生成する大釜の隣で、アズールとジャミルはおしゃべりに興じていた。
 魔法薬はすでに完成し、片付けも終えた二人は他の生徒達が薬を完成させるのを待っている状態である。
 ジャミルは噂以上に優秀で「A」評価が貰えれば儲けものだと思っていた予想を遥かに超え、最高評価の「S」を獲得した。
 思った以上の成果を手に入れたアズールは素晴らしい笑顔でジャミルに接していた。
 アズール―――――ひいては人魚に興味を持つジャミルは非常に積極的で、普段は口数が少ないという話であったが、自分から話題を振る程度には関心を寄せられている。それを実感したアズールは、今後も仲良く出来そうだとご満悦だ。
 けれど、そんな笑顔はジャミルの一言によって凍り付くこととなる。


「なぁ、タコって脳が9つあるんだろう? 一つでも欠けたら、何か影響が出たりするのか?」
「―――――は?」
「脳一つ一つが別の生き物として存在しているのではないかと考える者も居るが、実際はどうなんだ? 本体に影響は? 記憶の欠如などのリスクは存在するのか?」


 予想だにしない言葉をぶつけられ、アズールは口元を引き攣らせた。


「タコの脚は再生するんだろう? 試しに一つ、潰させてくれないか?」


 ―――――これは、不味いかもしれない。
 今更ながらに幼馴染み達の怯えを理解したアズールが、恐怖によりほんのわずかに後退した。
 それを拒絶と取ったらしいジャミルが、代替案を提示する。


「なら、少しで良いから血を流して欲しい」


 何でも無いことのように、背筋が凍り付くような提案を口にする。先程までか弱い人間に見えていたジャミルが、今では名状しがたい怪物に見えた。
 がくがくと脚が震える。歯の根が合わず、カチカチと音が鳴る。
 鮫と目が合ったときだって、ここまで怯えたことはないのではないか。そう思ってしまうくらいに、ジャミルという生き物が恐怖の対象へと変化していた。


「タコの血は青色をしていると聞いたんだが、人間に擬態している今も青色をしているのか気になるんだ。見せてくれないか?」


 ナイフなら用意してあると、どこから取り出したのか、鋭利なナイフが差し出される。
 自分は殺されるのだろうかと、口からか細い悲鳴が漏れた。
 けれどジャミルは意に介さない。アズールの震えに気付いていないのか、気付いていて黙殺しているのか。そもそも、アズールの恐怖に興味が無いのか。どれであっても、人の心を介さないことには変わらない。


「自分で切るのが怖いなら、俺が切ってやるから、な?」


 花のような笑みを浮かべたジャミルの顔が、アズールには悍ましい悪魔に見えた。
 恐怖のあまり泣きながら教室を飛び出したアズールを、咎められる者は居なかった。




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