甘党ジャミル 2
ケイトはマジカメを見ながら頭を悩ませていた。モストロ・ラウンジで新メニューの発売が開始されるという情報が、モストロ・ラウンジの公式アカウントで発表されたのだ。
それは如何にもマジカメ映えしそうなパフェであった。マジカメグラマーのケイトとしては、是非写真を撮りたいと思うようなスイーツであった。
しかしケイトは辛党で、甘いものはあまり得意ではない。マジカメ映えの写真は撮りたいが、写真のために食事を粗末にするようなことはしたくない。
発売日に甘党のリドルやトレイを誘ってみたが、先約があるとのことだった。
(ま、発売当日に行く必要はないんだけどさ)
スマホをポケットにしまい、寮に戻ろうと歩き出す。そんな自身の背後から、タタッと軽い足音が聞こえた。
「ケイト先輩!」
まさか足音の主が自分に声を掛けてくるとは思わず、目を瞬かせながら振り向く。そこに居たのはスカラビア寮の副寮長、ジャミルであった。
「あれっ? ジャミルくんじゃん。オレに声を掛けてくるなんて珍しいね?」
「こんにちは、ケイト先輩」
軽い会釈を受けたので、笑みを浮かべてひらりと手を振った。
ジャミルは何やら紙の束を抱えており、仕事中であることが窺える。
相変わらず忙しそうだ。もしかしたら学園一忙しい生徒かもしれない。
「どうかしたの?」
「はい。トレイ先輩を見掛けませんでしたか?」
「トレイくん?」
「副寮長会議用の資料を渡したいんですけど、どこにいらっしゃるのか分からなくて」
副寮長会議は持ち回りで資料を作成し、会議を行うという話を耳にしたことがある。今回はジャミルが当番だったのだろう。
トレイ用のものとも思われる資料の他に、まだたくさんの束を抱えている。副寮長全員に配っている最中であるようだった。
大変そうだなぁ、とほんのりと苦笑する。
学生業に副寮長に従者業。あまりにも多忙を極めている。
(疲れたときは甘いものって言うし、これ、丁度良いんじゃない?)
カリムが実家から呼び出しを受け、一人で家に帰るのだと部活中に話しているのを思いだし、ケイトがにんまりと笑う。
「代わりに渡しといてあげよっか?」
「えっ?」
告げられた言葉に、ジャミルが目を瞬かせる。見上げたケイトは人懐っこい笑みを浮かべていた。
意外とちゃっかりしているケイトが、無償で動くようなことはないだろう。そもそも、この学園の生徒に純粋な善意を持つ者は少ない。
「その代わり、お願いがあるんだけど」
やっぱりか、とジャミルが内心で顔を顰めた。
“何でもない日のパーティ”の手伝いでも頼まれるのだろうか。それなら自分でトレイを探した方がマシかもしれない。
げんなりとした表情で断りを入れようとした。
「ジャミルくんって、甘いもの好き?」
しかし、思っていたものと違った提案に、ジャミルはきょとんとした顔で首を傾げた。
***
次の休日、ケイトとジャミルはモストロ・ラウンジに来ていた。
トレイに資料を渡す代わりに、甘いものが苦手なケイトの代わりにパフェを食べるという対価を支払うためである。
その日は丁度カリムが一人で実家に帰る日で、ジャミルの身体が空いていたこともあり、その条件を飲んだのだ。
「あっ! ウミヘビくんじゃ~ん!」
ハナダイくんもいるー、と言いながら二人を出迎えたのは、機嫌の良さそうなフロイドだった。
彼はジャミルを見て目を輝かせ、嬉しそうにニコニコと笑っている。
「めっずらしいね? ここにお客さんとして来んの、初めてじゃね?」
「ああ。新作のパフェを食べに来たんだ」
「マジでー? じゃあウミヘビくんの分はオレが作ってあげるねー」
「自信作なんだろう? 楽しみにしているよ」
「んふふ、任せて-」
席に案内すんね、と二人掛けの席に案内される。
新メニューを食べに来たらしい生徒で溢れる店内で、水槽のそばというなかなかに良い席に案内され、少しばかり驚く。
決まったら呼んでね、と手を振って、フロイドは足早に立ち去った。
「今日のフロイドくん、めっちゃ機嫌良いね?」
「新作のパフェ、フロイドの考案らしいんです。試作の段階から張り切ってて、かなり頑張ってたみたいですよ」
「なるほどねぇ。珍しいお客さんが注文してくれたのが嬉しくて、テンション上がっちゃったのか-」
ラッキー、とケイトが笑みを浮かべながらメニュー表を開く。フロイドの気まぐれは学年を越えて有名なので、機嫌が良いに越したことはないのである。
「ジャミルくん、パフェ以外にも何か食べたいものある? 好きなの頼んで良いよ」
「じゃあ……、紅茶を頼んでもいいですか?」
「もちろん。足りなかったら追加で注文しても良いからね」
「ありがとうございます」
注文が決まり、フロイドを探す。けれどフロイドは他のテーブルの対応をしており、手は空いていなかった。その代わりに通りかかった店員に注文とフロイドへの伝言を頼む。フロイドがパフェを作りたいと言っていたことを伝えると、店員は快く伝言を引き受けてくれた。フロイドの機嫌がほんの些細なことで急変するのは、誰もが承知しているのである。
パフェがくるのを待つ間、とりとめの無い会話を楽しむ。どちらも聞き上手で、会話を広げるのが上手いタイプであったため、会話は途切れることなく続いた。
「お待たせしました」
にこにことご機嫌なフロイドが、パフェやドリンクを持ってテーブルにやってきた。
テーブルに乗せられたパフェにジャミルが「おお」と感嘆の声を上げると、フロイドの垂れ目が更に緩んだ。
そんな様子に気付いたケイトが目を瞬かせる。
「楽しんでいってね」
「ああ」
するり、と頬に掛かる髪を撫で、フロイドが席を離れる。
その一瞬に寄越された視線の冷たさを理解して、ケイトが顔を引き攣らせた。
(うわぁ……。めっちゃ牽制された………)
まさかフロイドが、と唇を戦慄かせる。
そんなケイトの様子に気付かず、ジャミルがパフェを彼の前に置いた。
「写真を撮るんでしたよね。溶けないうちにどうぞ」
「あ、うん、そうだね!」
新作のパフェは青色のゼリーの中に魚の形にカットされたナタデココやフルーツが入ったゼリーパフェだ。
上にはたっぷりのホイップとアイスとフルーツ、フロイドがバスケ部に持ってきた魚型のクッキーも乗せられている。
鮮やかな色彩の美しさとかわいらしさがある。映える写真が撮れることは間違い無しの一品だった。
パシャパシャと何枚か写真を撮り、納得のいく一枚を保存する。
「いい写真は取れましたか?」
「もち! ありがとね、ジャミルくん! さ、遠慮せずに食べて!」
「いいえ、こちらこそ。では、いただきます」
紅茶を口に含み、ほっと息をついてジャミルはパフェに手を付けた。それを見届けて、ケイトは自分の注文した商品に向き直った。
ケイトが注文したのはサンドイッチと、パフェと一緒に登場した新メニューのドリンクだ。赤から黄色へと変わっていくグラデーションが美しい。こちらもマジカメ映えしそうだと目を付けていた商品だ。
甘いものは苦手だが、フルーツ系の甘酸っぱさは嫌いではない。これなら残さず飲めそうだな、と選んだのだ。
こちらも写真を撮り、ドリンクを一口。さっぱりとした味わいが口の中に広がった。
(思ったより甘くないし、さっぱりしてるから余裕で飲めそう)
流石、学外にも名を轟かせているモストロ・ラウンジ。クオリティが高い。
一緒に注文したサンドイッチも最高に美味だった。
目の前に座るジャミルも、パフェを頬張り口元を緩ませている。
(美味しそうに食べるなぁ……。でもちょっと意外かも)
熱砂の国の料理はスパイスを用いたものが多い。そのため辛党だと思っていたが、存外に甘いものを好んでいるようだった。
美味しそうに食べるジャミルに、ケイトの頬も緩む。ちょっとだけ、フロイドが自分に牽制してきた理由が分かった気がした。
「ねね、パフェ美味しい?」
「はい、美味しいですよ。ゼリーの中にナタデココやフルーツもたっぷり入っていて、食感も楽しいし、途中で飽きないように仕上げられています」
飽き性のフロイドが作ったからですかね、とジャミルが控えめに笑う。
「ジャミルくんが美味しそうに食べてるから、何だかオレも食べてみたくなっちゃった」
「そうですか? 良かったら食べますか?」
「いいの? じゃあ、あーん」
え、とジャミルが目を瞠る。けれどすぐに苦笑して、クリームやアイスを避けた部分を掬って差し出してきた。些細な気遣いや、添えられた手が、人の世話に慣れていることを窺わせる。
相手はカリムだろうな、と思いながら、差し出されたスプーンを咥えた。
ゼリーは美味しかった。甘いものが得意でないケイトでもそう思ったのだから、そのクオリティは推して計るべし。
「どうですか?」
「これも美味しいね。もうプロでしょ、これ」
「そうですね。あいつらの料理の腕は認めてやっても良いです」
素直な物言いではなかったが、ジャミルのパフェを食べる手が止まらないところを見ると、本当に美味しいと感じているのだろう。
「このドリンクも一口飲んでみる?」
「えっ?」
「こっちも美味しいよ」
ストローを向けると、ジャミルが戸惑いながらジュースとケイトの顔を交互に見た。
けれどケイトが手を下ろさないのを見て、躊躇いながらストローに口を付けた。
「美味しい?」
「はい、ほどよい酸味で飲みやすいですね」
「さっぱりしてていいよね」
ジュースも好みの味だったのか、目をキラキラと輝かせている。
思考の読めない後輩だと思っていたが、以外と表情が豊かなようだ。ころころと変わる表情に、年相応のかわいらしさがある。
美味しいものを食べて、美味しいと分かる反応をしてくれるのは、料理をする人にとっては最高の喜びなのかもしれない。
「ウミヘビくん、美味しい?」
これはフロイドも気に入るだろうな、と納得していると、気配もなく現れた巨体にケイトの肩が跳ねた。
「ん。フロイドか。ああ、美味いよ」
「んふふ。たーんと召し上がれ」
にこにこと笑うフロイドは、珍しいくらいの上機嫌だ。学年が違うケイトからすると、ここまで機嫌の良いフロイドは初めて見る。
「あはっ、ウミヘビくん、唇青くなってる」
そう言って、フロイドがゼリーの色が移った唇を撫でた。
ジャミルは唇の汚れにも気付かないほどに夢中になっていたのかと、ほんのりと頬を染めた。
「早く言えよ!」
「え~、オレ今来たとこだよ?」
ぐしぐしと袖で乱暴に唇を拭う。乱暴にすると唇が傷付きそうだ、とケイトがジャミルに手を伸ばす。
しかし、その手が届くことはなく、横から伸びてきた手によってジャミルに触れるのを阻止された。
「手ぇ出すなよ?」
本職のヤクザと言われても信じてしまうような迫力で、唸るような低い脅しが為される。
怖い。怖いけれど、そんな風に脅しを掛けられると、余計に気になってくると言うのが人の性。
押してはいけないボタンをつい押してしまうような、その感覚。隠されたり、遠ざけられたりすればするほど、暴きたくなるものなのだ。
(良いもの見つけちゃったかも)
愉快げに歪む口元をスマホで隠しながら、いまいち状況を掴めていないジャミルに目を細めた。