サ部ジャミ
ジャミル・バイパーは好奇心旺盛な少年である。
気になることがあれば知らずにはいられず、やってみたいと思ったことは試さねば気が済まない性質であった。
しかし彼は従者の家系に産まれ、主人を守るために生涯をかけることを義務づけられていた。
けれども彼の好奇心はそんなしがらみさえも物ともせず、むしろそれすらも利用して、己の欲望を満たすことに邁進した。
彼の仕える主人は大富豪の長男坊であり、将来が約束されていた。
その地位は誰もが喉から手が出るほどに望ましい物で、主人は常に命の危険に晒されていた。
誘拐に暗殺、毒殺だって日常の一部。
恐ろしく、悍ましく、気が狂いそうな日々。
けれどもジャミルはそんな日常すらも歓迎した。
何故なら、そのとき彼の一番の関心は、“毒の摂取による耐性取得は可能か否か”であったからだ。
故にジャミルは喜んで毒を飲んだ。
結果としてジャミルは倒れた。死にかけたと言っても良い。
毒の耐性は毒によって付けられるものもあれば、不可能な物も存在する。そんな曖昧な結論だが、彼はその答えに満足していた。
そうして彼の興味は他へと移った。
周囲がどれだけ心配しても、彼の好奇心は止まらない。
彼は、己の欲望のためなら命すら惜しまないのだ。
このエピソードから彼の好奇心の旺盛さが窺えることだろう。
その知識欲はカレッジ生となった今でも健在で、彼は己の欲望にどこまでも素直に生きていた。
「なぁ、君がウツボの人魚というのは本当か?」
ジャミルの通うナイトレイブンカレッジは、あらゆる種族、あらゆる身分の者に門戸を開いている。獣人に人魚に妖精。王族に連なる者もいれば、泥水を啜って生きてきたような者まで。差別も区別もなく、この学園にふさわしいと選ばれたものであるならば、どんな生き物でも受け入れるのである。
そしてジャミルの学友の中には、地上では滅多にお目にかかれない人魚の学生がいた。コバルトブルーの髪が美しい少年である。名をフロイド・リーチという。
「そうだけど、それがどうかした?」
身長差のあるジャミルを見下ろしながら、フロイドが首を傾げた。彼の返答に、ジャミルの目に光が灯った。
「なぁ、対価を払うから、ちょっと中身を見せてくれないか?」
「………は?」
「大丈夫。固定魔法で状態を固定して、保存魔法で鮮度を保って、保護魔法で身体を守って開くから」
―――――いったい、なにを、いっている?
ジャミルの言葉を正しく聞き取れたはずなのに、フロイドはその内容を理解できなかった。
反対側に再度首を傾げたフロイドを見つめながら、ジャミルは言葉を続ける。
「人魚は人間にはない器官を持っているだろう? ウツボなら咽頭顎なんかがそうだな。そう言った器官が人間に擬態するとどのように変化するのかを知りたいんだ。出来れば本性である人魚の姿と、人間に擬態している姿で比較したいんだが、どうだろうか?」
―――――どうだろうか? じゃねぇよ!!!!!
フロイドは腹の底からそう叫びたかったが、喉の奥で引っ掛かって、その言葉が口から出ることはなかった。
目の前の人間は、はっきり言ってしまえば無害そのものだった。敵意なんぞ微塵もなくて、警戒するのも馬鹿らしいほどに無防備だ。
けれど、そんな警戒するに値しないはずの人間が、どうしようもなく恐ろしかった。
じわじわと浸食するような、絡め取られて引きずり込まれそうな、未知の感覚。初めて遭遇する、理解不能な生き物。腹を空かせた鮫と遭遇してしまったときとは違う、得体の知れない不気味さを伴った恐怖だ。
ウツボは本来、臆病な生き物である。
しかし人魚は高い知能を持ち、知恵を働かせることが出来る。故に臆病さを思慮深さに変え、策謀を練ることで相手の優位に立ち、厳しい環境を生き抜いてこれたのだ。
あらゆる修羅場をくぐり抜けてきたという自負があるため、普段のフロイドはその臆病な気質が成りを潜めている。
しかしこの人間は、その気質を存分に刺激してくるのだ。自分に恐怖し、屈服しろと言わんばかりに。
「大丈夫。痛いことも、怖いこともしないから」
そう言って、ジャミルが柔らかい微笑みを浮かべる。
普段滅多なことがなければ笑みを象ることなんてないくせに、こんなときにはつぼみが綻ぶような笑みを見せるのだ。
本来ならば見惚れて然るべき花のかんばせ。
けれどその美しい笑みを前に、フロイドは恥も外聞も無く逃げ出した。
これは余談であるが、心底怯えきったフロイドを見て、彼の兄弟がフロイドを怖がらせた怒りと好奇心を持って、後日ジャミルと相対することとなる。
結果は言わずもがな、フロイド同様震え上がる結果となり、兄弟揃って岩陰に潜むがごとく、ベッドの下に潜り込むこととなるのであった。