モフモフは正義
「なぁ、ラギー。この弁当やるから耳か尻尾に触らせてくれないか?」
「はい?」
布で包まれた弁当箱を差し出しながら、ジャミルがラギーに声を掛けた。
ジャミルが動物が好きだという話は聞かない。むしろその手の話題で名前が挙がるのは冥界を思わせる寮の寮長だとか、話題の異世界人である。ラギーが思わず首を傾げるのも無理からぬ事であった。
「いきなりどうしたんスか? ジャミルくんの料理めっちゃ美味しいんで嬉しいっちゃ嬉しいけど、珍しいッスね?」
「いや、イデア先輩や監督生にモフモフは正義だと熱弁されてな。それでちょっと興味が湧いたんだ」
「あー……。確かに監督生くんとか隙あらば触ろうとしてくるッスね……」
「それで、どうだ?」
「あー……」
耳や尻尾というのは獣人にとって繊細な部位だ。この部分に触れられる賛否は両極端に分かれていたりする。撫でて欲しいと積極的にふれあいを推奨する者も居れば、絶対に触って欲しくない、と言う者もいるのだ。ちなみにラギーは後者よりだった。
スラムの子供達や祖母のような親しい相手ならば触れられることに戸惑いはない。けれど大して親しくない相手に触れられることには嫌悪を覚えるのである。それは耳やら尻尾でなくてもそうであるけれど。
しかしジャミルはそれらには当てはまらない。それなりに親しい相手であると感じているし、触れられる事への抵抗はない。けれどそうではないのだ。少しばかり、不安なだけである。
(いや、好きな子の手作り弁当とかボディタッチとか、むしろこっちが対価払ってでもお願いしたいことッスけど……)
ラギーはジャミルに恋愛感情を抱いている。初めて抱く類いの感情であるから断言は出来ないが、綺麗な黒髪をつい目で追ってしまったり、カリムに振り回されるのを見てモヤモヤしたものを胸に抱いたり、そう言った恋物語で見るような現象をともなうのである。
それを恋と呼ぶのかは定かではないが、ラギーはそう呼びたいと思っている。
だからこそ、触れられることに不安を覚えるのだ。意中の彼に触れられることで、その感情が全面に出てしまわないだろうか、と。
「やっぱり駄目か?」
しょんぼりと、無意識だろうが、眉が下がっている。心なしか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
率直に言ってずるいと思う。普段はツンと澄ました顔をしているくせに、たまにこうやって妙に素直な表情を浮かべるのだ。
好きな子が曇り顔を浮かべていたら晴らしたいと思うのが男の子の性というやつで、ラギーはすぐに「駄目じゃない」と首を横に振った。
「ジャミルくんなら乱暴にはしないだろうし、ちゃぁんと対価も用意してくれたし、別に良いッスよ!」
「ありがとう」
弁当を渡し、ジャミルがラギーの耳に手を伸ばす。一瞬躊躇して、そろりと指先が耳の縁を撫でた。
かろうじて触れているのが分かるような、遠慮がちなふれあいに、ラギーはもどかしさを感じた。
傷付けないように、丁寧に接してくれているのは理解できる。けれど、触れ方があまりにも優しいから、何だかとても気恥ずかしいのだ。
「……ジャミルくん、そんな遠慮しなくていいッスよ」
「そ、そうか?」
「むしろくすぐったくてかなわないって言うか」
「す、すまん。加減が分からなくて……」
掌で、毛並みを整えるように髪と一緒に耳を撫でられる。
ぎこちない撫で方や、何でもそつなくこなす優等生の困り顔がかわいくて、ぎゅっと胸が締め付けられる。
特に撫でるのが上手いわけではない。けれどそのつたなさがどうしようもなく愛おしい。
「うんうん、そんな感じ。で、実際触ってみてどうッスか?」
「ああ、ふわふわしてていいな。イデア先輩達がハマるのも分かる」
「そッスか」
正直、ラギーは自分の毛並みに自信があるわけではない。けれど耳を撫でる好きな子はその毛並みを気に入ってくれたようである。キラキラと輝く目で笑みを浮かべている。
「…………気に入った?」
「ああ。いつまででも触っていられそうだ」
予想外に素直な返答に「んぐ」と喉を詰まらせたときのような声が漏れる。かわいすぎて喉が鳴りそうだ。
(あ~~~! こんなんズルいッスよ、ジャミルくん……!)
相手は自分のことを何とも思っていないから、触れることに戸惑いはない。
けれど好きな子に触れられているラギーはそうではないのだ。
本当はぐるぐると喉を鳴らして存分に甘えたい。何ならむしゃむしゃペロリと食べてしまいたい。
けれどそんなことを出来るわけもなく、やられっぱなしの悔しさだけが募る。
少し触るのに慣れてきたのか、ジャミルは両手で耳を撫でてみたり、指先で摘まんでみたり。少し耳を動かすと「おお」と感嘆の声を上げた。
(ちょっとくらい意識してくれてもいいと思うんスけどね!)
―――――少しで良いからこっちを見ろ。
耳ばかりに目をやっているジャミルはあまりにも無防備だ。両手を掴んで、虚を突かれて驚くジャミルの頬に、すり、と耳をすり寄せる。
「サービス♡」
パッと手を離し、にんまりと笑ってみせる。今の自分はさぞ悪い顔をしているだろうな、と思いながらジャミルの様子を窺った。
ぽかん、と呆けたジャミルが、そっと頬に触れる。
そして何をされたのか理解したジャミルが、ほんのりと頬を染めて、キラキラと目を輝かせた。
「な、なるほど……! モフモフは正義……!」
今日一番かわいい顔で見つめられたラギーは、顔を真っ赤にして硬直した。
おまけ
「イデア先輩、俺、先輩の言ってたことが分かりました……!」
「お? ついに? ついにですかな???」
「はい、モフモフは正義でした……!」
「うぇ~い! モフモフ沼に一名様ご案内~!」
「あれはずるいです。あれは沼に叩き落とされます」
「なになに? どんなサービスして貰えたの? 拙者気になりますなぁ!」
「えっと、頬に耳をすりってして貰えました」
「え!? それマ!? ネコタンにそんなことして貰えたの!!?」
「いえ、猫というか、ハイエナなんですけど……」
「ほぁ??? え? もしかしてラギー氏???」
「はい。ふわふわのモフモフで、ずっと触っていられそうでした!」
「そ、そっか~~~!」
(ん、ん~~~? こ、これはどういう……?)
(まさかラギー氏、ジャミル氏のこと……? え、えええ……?)
(ま、まぁ、ジャミル氏が楽しそうだし、別にいっか)