垣間見た闇を包む






 それは唐突に起こった。
 何の前触れもなく閉ざされた扉。落とされる照明。たったそれだけで、狭い体育館倉庫は薄暗闇に包まれる。

 ―――またか。
 中性的な顔に呆れを乗せて、ジャミル・バイパーは溜息をついた。

 ホリデーでのオーバーブロット後、ジャミルは嫌がらせを受けていた。
 偽りの成績をそのまま信じる者。ジャミルの主人であり、寮長であるカリム・アルアジームを慕う者。主に謀反したにも関わらず、のうのうと副寮長の座に収まっているのが気に入らない者。
 理由は様々だが、とにかくジャミルに不満がある者達が、その悪意を振りかざすようになったのである。

 今までも無かったとは言わない。平凡な成績の者が副寮長など分不相応だとのたまい、その鬱憤をぶつけられた事もある。
 しかし、ここまでおおっぴらなものは少なかった。
 これもやはり、ホリデーの一件に帰結する。
 カリムはジャミルの処分を望まなかった。故に目に見える形での罰は与えられなかったのだ。
 それがジャミルに不満を持つ者には面白くなかった。だから、それらしい理由を見つけて、それを盾に剣を振りかざしたのである。

 ―――――――カリムを裏切り、スカラビアを危機に陥れた。

 そう。ジャミルへの嫌がらせは、"ジャミルを断罪する"という名目のもと行われていたのである。


(いっそ襲撃でもしてくれたら楽なんだがな……)


 主への謀反を起こした時点で、ありとあらゆる最悪の事態を考えていた。故にこの位のことは想定済みであるし、嫌がらせは今までにもあった。少しばかり頻度が上がっただけである。
 嫌がらせ程度でどうにかなるほど柔な精神の作りはしていない。むしろもっと派手に来てくれた方が対処が楽だ、とまで考えているほどである。
 体育館倉庫の扉には、ジャミルを閉じ込めるための魔法が何重にもかけられている。
 しかしジャミルからすればクオリティが低すぎて、本当に閉じ込める気があるのかとすら疑うほどだ。


(何かの罠か?)


 マジカルペンを構え、様子を見る。扉の向こうには人の気配が残っている。何かを仕掛けてくる気であるのは確かだ。
 念のため、自分の体に防衛魔法をかける。
 すると、やはり魔法の気配を感じた。

 魔法の気配を感じたのは室内だ。天井付近に召喚陣が展開されている。


(こんな狭い場所で何を……っ!)


 ばらばら、ばらり。
 天井付近に現れた召喚陣から、何かが降ってくる。
 カサカサと懸命に動くソレは、ジャミルの一番苦手なものだった。


「―――――――っ!」


 ジャミルは声にならない悲鳴を上げた。



* * * * *



「あれ、ジャミル先輩は?」


 更衣室にて。1年生のエース・トラッポラは部活が終わったにも関わらず、なかなか戻ってこないジャミルに首を傾げた。


「さっきボール片付けてるの見たよ~。まだ戻んねぇの?」


 エースの疑問に答えたのは2年生のフロイド・リーチだ。
 ―――今日はラッコちゃんの迎えねぇの?
 いつものジャミルなら、片付けを終えたらカリムの迎えのために、カリムの所属する軽音部に向かってしまう。
 そのほかにも彼にはやらなくてはならないことが山ほどある。無駄に出来る時間などないと言わんばかりに行動するジャミルのらしくない行動に、不思議そうに首を傾げている。
 190センチを越える長身だが、幼い仕草が驚くほどよく似合っていた。

 最近、彼の周りがきな臭いことには気付いていた。
 しかし彼の優秀さは学園でもトップクラスのもので、そんな不穏な空気をものともしない。だから、心配はしていなかった。していなかったのだが……。


「……オレ、ちょっと見てきます」
「オレも行く~」


 何だか嫌な予感がする。
 フロイドも何か思うことがあったのか、いつもなら放っておくだろうに、腰掛けていたベンチから立ち上がった。

 心なしか足早に、二人は体育館に向かう。
 途中、スカラビアの腕章を付けた生徒とすれ違う。何やら嫌な笑みを浮かべていた。
 そんな生徒達を見たことで、不快感が胸を占める。
 フロイドとエースはどちらからともなく走り出していた。

 体育館に戻ると、そこにジャミルの姿はなかった。
 しかし、ボールなどが片付けられている倉庫に施錠魔法がかかっているのが分かった。
 1年生のエースには難しいかもしれないが、フロイドやジャミルレベルになれば解除に10秒もかからないようなお粗末なものだった。
 何かあったのか。怪我を負わされたり、拘束されているのではあるまいか。
 嫌な考えが頭に浮かぶと同時に、フロイドが解錠の魔法を放つ。
 ほとんど抵抗無く解除された魔法の残光を振り払い、重い扉を力任せに開け放つ。


「ウミヘビくん!」
「ジャミル先輩!」


 薄暗い倉庫の中に光が入り込む。果たしてジャミルはそこに居た。
 しかしどうにも様子がおかしかった。部屋の隅で細い体を小さく丸め、カタカタと体を震わせている。
 ―――さっきの小魚共に何かされた? そんな実力があるようには見えなかったけど……。
 フロイドが尋常ではないジャミルの様子に眉を寄せた。そのとき、エースが腕を上げ、床を指差した。


「フロイド先輩、あれ……」
「あ? ……うわっ」


 エースが示した床を見て、フロイドは顔を顰めた。
 カサカサと蠢く虫。虫。虫。ムカデに蜘蛛、蛆にイモムシ。よくもまぁこれほどまでに集めたものだと感心するほどだった。


(これはウミヘビくんには酷だわ……)


 ジャミルが虫を苦手としていることはバスケ部では周知の事実だった。
 普段は冷静なジャミルが顔を青冷めさせ、必死に悲鳴を飲み込む姿はからかう気すら起きないほどだ。その様子があまりにも可哀想なので、面倒見の良い3年生などは虫が出たらジャミルを遠ざけさせてやるものも居る。


「しかもこれ、毒あるやつじゃん」
「はっ!?」
「噛まれたら危ないやつ。今燃やすから下がってな」


 床に散らばる虫たちは、どれもこれも危険な毒を持つ虫たちだ。魔法薬学で毒を生成する昆虫として、教科書にも記載されている。
 ジャミルが虫が苦手だと分かっていて、危険な虫と共に暗闇に閉じ込めるなど、嫌がらせにしては悪質すぎる。
 ファイアショットで虫を燃やし、ジャミルの元に向かう。近づくにつれて、その様子のおかしさがどんどん浮き彫りになってくる。


「ジャミル先輩?」
「……ぁり……ん……」
「ウミヘビくん?」


 エースがジャミルの前に膝をつく。
 しかしジャミルはエースがそこに居るのにも気付いていない様子だった。ただひたすらに震え、何かを口にしている。
 エースとフロイドは顔を見合わせ、ジャミルの震える唇から漏れるか細い声に耳を傾けた。


「……ひっ、ひぅ……、も、もぅし……申し訳ありませ……っ」


 尋常ではない怯え。赦しを乞うように組まれた指先。俯いて、ひたすらに謝意を示す唇。今にも泣きそうなのに潤んだ瞳が、あまりにも憐れだった。
 この謝罪の仕方は、どう考えても親に怒られた子供のソレではない。


(これも従者の教育ってやつ?)


 エースは顔を歪めた。
 時折あるのだ。生きている世界が違うのではないか、と思わせるような言動が。
 その中には自己犠牲を厭わない言動が見受けられ、それを当たり前のように実行する時のジャミルは、あまり好きではなかった。それが彼の仕事で、そうしなければならないと言うことは分かっているのだけれど。


(とりあえず落ち着かせねぇと……)


 しかしどうすれば良いのか、エースにはさっぱり分からなかった。エースには兄は居ても下に兄弟はいない。今にも泣いてしまいそうな相手のあやし方など知らなかった。
 そんなエースを余所に、フロイドがその大きな体で縮こまっているジャミルの体を抱きしめた。


「大丈夫だよ、ウミヘビくん。あのきもいのはオレが全部燃やしたからね~」


 そう言ってフロイドはジャミルの頭を撫でる。
 オロオロと所在なさげなエースを手招き、反対側からジャミルを抱きしめるよう促す。
 フロイドの真似をして、恐る恐るジャミルを抱きしめる。
 震えるジャミルの体は、酷く細く感じられた。


「ウミヘビく~ん。オレとカニちゃんだよ~。分かる~?」
「……ぇ、ぁ…………?」
「ジャミル先輩。大丈夫ッスか?」


 ようやくフロイド達の声に反応を示したジャミルが顔を上げる。けれどその目は虚ろで、焦点が合っていない。それでも反応を示しただけマシだろう。ほんの少し安堵感が芽生え、ほっと息をつく。
 しばらく二人でジャミルの体を温めていると、震えが治まってきたジャミルがようやく二人を認識した。


「…………えーす……? ふろいど……?」
「はい」
「なぁに?」
「………………なんで?」


 何故抱きしめられているのだろう?
 普段のすました顔とは違い、不思議そうに目を瞬かせている。幼子のような表情だった。


「いつまで経っても部室来ねぇから迎えに来たんだよ。そしたらウミヘビくん、めっちゃ震えてたから、寒ぃのかと思ってあっためてたの」
「うん……?」
「震えは治まったみたいっすけど、もう大丈夫ッスか?」
「え? ……ああ、うん…………?」


 大丈夫、と舌足らずな言葉が漏れる。
 まだ大丈夫じゃなさそうだな、と二人はジャミルを抱きしめる腕に力を込めた。
 そうでもしないと、この不器用な男は怖いものを「怖い」と言うことすら出来ず、いつまでも震えているだろうから。




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