会計の真心
日差しが暖かい午後のことであった。
広大な忍術学園の敷地の一角。
会計委員会室で元気な声が上がった。
「風丸先輩!見てください、一回で間違えずにできました!」
会計委員長の潮江文次郎に帳簿のチェックをしてもらい、
合格した任暁左吉はそれを嬉しそうに風丸のところに持ってきた。
風丸一郎太はその性格とルックスで、老若男女問わず人気がある。
忍術学園では、とくに下級生からの人気が高い。
もちろん同級生からもだ。
仲の悪いとされる六年からも、彼はよく頼りにされる。
会計委員会内で唯一の常識人とされ、良心と言われている。
予算会議や日ごろの決算などで多大な迷惑をかけている。
(主に足の速さを生かし、左門の捜索である。それに加えミスの修正など数えきれない)
普通なら音をあげ、嫌いになってもおかしくはない。
それでもわけ隔てなく接してくれる風丸が愛されないわけがない。
今日も風丸にほめてもらおうと、口火を切ったのが左吉であった。
「おー、すごいな、左吉。左吉は作業が丁寧だもんな。
大変だったろ?お疲れ様。」
よくやった、と頭をなでる。
左吉は嬉しそうに頬を染め、はにかむように笑った。
「あー!左吉ずるい!!」
声をあげたのは、一年の加藤団蔵だ。
文次郎が眉を寄せて彼を見る。
徹夜三日目だからか、いつものように騒ぐななどと怒鳴りはしない。
いつも以上にクマを濃くしている文次郎を見て、
自分もあんなに酷い顔をしているのか、と同じく徹夜三日目の風丸は思った。
さて、と左吉と団蔵を見やる。
「僕はもう、帳簿の計算を終えたんだ!団蔵はまだ終わってないだろ!」
「でも、ずるい!僕だって、風丸先輩にほめられたいし、頭なでられたい!」
食ってかかった左吉に、団蔵がさらに食ってかかる。
売り言葉に買い言葉もいいところだ。
今にも殴り合いの喧嘩を始めそうになり、風丸は苦笑した。
「団蔵もおいで。」
風丸が声をかけると、団蔵は嬉しそうに風丸に飛びつく。
それをあっさりと支え、風丸は団蔵の頭をなでた。
「ほらほら団蔵、お前もお疲れ。でも、もうちょっと頑張ろうな?」
「はい!」
団蔵は満足そうに笑った。
少し不服そうな左吉も、もう一度頭をなでればすぐに機嫌が良くなる。
いささか単純ではあるが、かわいらしい。
まだ十歳の少年だから当然か、と手を離した。
ふと、じー、と見られていることに気がついた。
気がついた、というより、気にかけていなかった、というのが正しいか。
神埼左門と田村三木ヱ門がうらやましそうに二人を見ていたのだ。
ずっと気づいてはいたけれど、自分から望まなければ、くれてやるつもりはない。
望まなければ、手に入らないものもある。
後輩だろうが、先輩だろうが、彼には関係ない。
素知らぬふりをして、風丸は文次郎に話を振った。
「あ、そうだ。潮江先輩。
今日、円堂の勉強を見てやる約束をしてたんです。
一・二刻ほど抜けていいですか?」
「・・・ああ。構わんが・・・。」
その二人をどうにかしろ。
矢羽根で告げると、風丸はただ微笑むだけで、返答すらよこさない。
文次郎は肩をすくめる。
食えないやつだ。だが、人を食ってそうだ。
そんな考えが読み取れたのか、風丸はさらに笑みを深める。
(こいつ、作法のほうが合ってるんじゃないか?)
背後に、六年間同室の相棒を面影を見た。
うすら寒いものが背筋を這うが、それは表情には出さず、自分の胸の内にとどめた。
自覚があるのか否か、風丸は獲物をもてあそぶ獣のようにふるまうときがある。
鼠をいたぶる猫のようだ、と相棒が楽しげにつぶやいていたのを覚えている。
彼の逆鱗に触れトラウマを作ったのは誰だったか。
怒った風丸は恐ろしいと言っていたが、常より恐ろしいと思うのは自分だけだろうか。
そんな考えなどつゆ知らず、左門がしゅば、っと挙手をした。
「私も頑張ってます!私もなでてほしいです!」
文次郎は思わずため息をついた。
後輩を前にして、先輩としてもプライドはないのか。
良いようにされていることに気づきもしないで。
疲れからか、呆れからか、怒る気も起きない。
「知っているよ。いつも眠いの我慢してるもんな。」
「はい!」
ぐりぐりと頭をなでられ、左門は嬉しそうだ。
風丸もうれしそうに笑う。
そんな左門を見て、恨めしそうな表情を浮かべる三木ヱ門。
そんな彼に、風丸はわずかに目を細めた。
風丸と目が合い、にこりと笑みを浮かべられる。
そんな風丸に、三木ヱ門は頬が熱くなるのを感じた。
微笑ましいといわんばかりの笑み。
学年も年も、たったの一年しか違わない。
しかし、なんだ、この余裕の差は。
男にしては細く、少女とみまごうばかりの美しい顔なのに。
線の細さも感じさせなければ、儚さのかけらも感じさせない力強さを、彼の内面から感じる。
彼や彼の幼馴染を「太陽」と形容する者は多い。
けれど、彼は思わず目を覆ってしまうような眩しい光ではなく、
闇を暴いてしまうような、包み込むような柔らかな光。
まるで「月」のようだと思った。
諭されるような、許されるような、母を思わせる微笑に、くらりと眩暈を感じた。
待っているよ。
自分から甘えておいで。
そんな声が聞こえてきそうだった。
三木ヱ門は小さく息をのんだ。
それから、熱でもあるのではないかと思うほど顔を熱くさせながら、恐る恐る、左門に習い、小さく挙手をした。
「ぼ、僕も・・・。お、ねがい、します・・・。」
文次郎は元より大きな目を、さらに大きく見開いていた。
語尾はどんどん小さくなり、最後には蚊の鳴くような声だったが。
顔をリンゴも真っ青になりそうなほどに赤くし、しゅうぅぅと音を立てて煙を出していたが。
プライドの高い彼が、後輩や先輩を前にして、これほどまでに素直な反応を見せるとは思わなかった。
風丸はといえば、待ってましたとばかりに頭をなでていた。
その嬉しそうな顔と言ったら!
こちらも思わず微笑んでしまうような無邪気な笑顔をしていた。
三木ヱ門も未だに赤い顔をしていたが、その顔はどことなく嬉しそうで。
文次郎は思わず感嘆の息を漏らした。
アイドル云々を自称する彼の、こんなに子供らしい表情を見たのは本当に久しぶりのことだった。
予算会議ではいつも年の近かった文次郎や風丸の後ろに隠れていた三木ヱ門が、
後輩ができてからは自分が後輩である左門の前に立つようになった。
後輩のあまりの豪胆さに、自分も負けていられないという対抗心から来たものかもしれないが、
甘えてくることも(アイドル関連以外で)素直になることもほとんどなくなった。
だから、あんなに純粋に素直な感情を見せたことに、正直に驚いた。
風丸のようになりたいわけではないが、
彼のわけ隔てない態度と、包容力、何が誰のためになるのかを見定められる観察力は、
どれをとっても見習うべきところである。
前に誰かが言っていた。
「風丸には勝てない。」
力とか、そういったものではなく、心が。
(あいつに勝てるやつはいるのだろうか?)
少なくとも、自分には無理だ。
きっと、会計委員にも無理だろう。
正直、想像もつかない。
文次郎はわずかに苦笑して、そろばんを弾いた。