未来への口づけ

ロンドン郊外にある花嫁の屋敷は、深い霧に包まれていた。
高い鉄柵に囲まれた石造りの邸宅は、祝祭の華やぎを失ったまま静まり返っている。
結婚式のために飾られた白い花々だけが、寂しく揺れていた。

「……随分と物々しいな」
玄関ホールを見渡したランマルが低く呟く。
召使いたちが慌ただしく動き回り、泣き腫らした侍女が廊下の隅で震えていた。

レイジは柔らかな微笑みを浮かべ、侍女に声をかける。
「彼女を最後に見たのは、いつだったのかな?」
「朝……ドレスの裾を整えて、髪を結って……ほんの、ほんの少し目を離しただけで……!」
侍女の声は涙で震えていた。

ランマルは部屋の中に入ると、床や窓辺に鋭い視線を走らせた。
「施錠はされてるな。窓枠に乱れはねぇ……外からの侵入は考えにくい」
彼の視線はベッド脇の小机に止まった。そこには、置き忘れられたブーケと花嫁の日記帳がある。

ランマルが日記を手に取ろうとした瞬間、背後からレイジの声が飛ぶ。
「おっと、盗み見はレディに失礼じゃない?」
「今さら何言ってんだ。証拠は証拠だろ」
苛立ちながらも、ランマルは日記を開いた。

――そこには短い走り書きが残されていた。
「この結婚は罠。私は愛のない契約に縛られるつもりはない」

「……チッ」
ランマルは舌打ちする。
「駆け落ちかよ。どっかの馬鹿と逃げたんじゃねぇだろうな」

レイジは顎に指を当て、ゆるやかに微笑む。
「ふふ、表向きはそう見える。でもね、逃げる前に“罠”って言葉を使っている。
つまり彼女は、ただの駆け落ちじゃなく――何かに気づいてしまったんだ」

赤い瞳と琥珀色の瞳が交わる。
花嫁は自ら消えたのか、それとも消されざるを得なかったのか。
霧の街に、その影がゆっくりと浮かび上がっていく。
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