彼女の記憶喪失
夢女子主人公
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スマホの通知が鳴ったのは、厨房の温度が一番高くなる時間帯で、俺はチョコレートをテンパリングする手を止めるわけにもいかず、無視しようとしてた。
でも、連絡先の表示を見た瞬間、心臓がギュッと縮んだ。
「──……は?」
病院の名前。
そして、彼女が事故に遭ったという短い伝言。
次の瞬間には、チョコレートなんか放り出して、厨房のエプロンも脱ぎ捨てて、俺は走りだしていた。
信号なんて目に入らなかった。
汗も呼吸も無視して、脳の中でぐるぐる彼女の顔だけを浮かべながら、
「やばい」でも「大丈夫」でもない、言葉にならない祈りだけを抱えて、走った。
「天童さん、こちらです」
案内された病室のドアの前で、俺は一瞬だけ立ち止まった。
……俺、なにか変な顔してない?
いや、それより……なんて声かけたらいいんだろ。
深呼吸をして、ドアをノックする。
カーテン越しに、白いベッドと、座っている彼女のシルエットが見えた。
無事だった。生きてる。
ああ、よかった──。
「○○ちゃ……ん」
声が裏返りそうになるのを誤魔化して笑う。
でも、彼女はこっちを向いた瞬間、目を見開いて、小さく言った。
「……誰?」
その言葉が、
まるで氷水みたいに、頭のてっぺんから心臓まで一気に流れてきた。
「え……」
間違えた?
部屋、間違えた?
違うよ、俺のこと見てる。
目が合ってる。
でも──でも、何も映してない目だ。
「ご、ごめんなさい……。あの……知り合いですか?」
「……俺だよ。天童、覚。……○○ちゃんの……夫、だけど」
言いながら、自分の声が変に乾いてるのがわかった。
笑ったほうがいい?安心させたほうがいい?でも、笑えない。
心臓がガンガン鳴ってる。
「え……夫?」
彼女は、まるで俺がとんでもない嘘をついてるみたいに、眉を寄せた。
知らない。
まるで初対面みたいな顔。
俺のことなんか何も知らない人みたいに──
「……記憶障害が出ていまして、頭部を打った影響かと。意識が戻った直後から、ご自身の生活やご家族の記憶が抜けている状態です」
看護師が静かに説明してくれるその言葉は、
まるで遠くのスピーカーから流れてくるみたいだった。
「……そっか〜……」
俺は笑った。顔が勝手に笑ってた。
「記憶障害」って、医療用語に逃げ込んだら、なんか自分も落ち着けそうな気がして。
でも、心の中は全然ダメだった。
こんなにも毎日一緒にいて、名前を呼んで、抱きしめて、笑って、喧嘩もして──
その全部が、俺の中にだけ残ってるなんて。
「……ごめんなさい。思い出せなくて」
彼女がそう言ったとき、優しい顔してるのに、俺は泣きそうになるくらい、悔しかった。
「……思い出さなくていいよ〜。俺が、思い出させるから」
そう言ったとき、自分の声が少しだけ震えてたの、彼女は気づかなかったふりしてくれた。
……知らないなんて、言わないでよ。
俺、君の全部、知ってるのに。
───────
病室のカーテンが、風もないのにゆらゆら揺れた気がして、俺は手に持った紙袋の持ち手を握り直した。
中には、彼女が好きだって言ってくれた、ミントとラズベリーのチョコ。
でも今日の彼女は──それを見ても、たぶん、笑わない。
だって彼女は、
俺のこと、忘れてるから。
「こんにちは〜。……今日も来ちゃった〜」
軽い調子で声をかけると、ベッドに腰かけた彼女が、少し驚いた顔をした。
ああ、またその顔だ。
初対面みたいな、遠くて、よそよそしい顔。
「……あの、ごめんなさい。えっと……」
「うん、覚えてないの、でしょ〜?大丈夫だよ〜。俺は覚えてるからね〜」
そう言うと、彼女は困ったように目を伏せた。
たぶん、申し訳なさと、怖さと、よくわからない不安で、ぐちゃぐちゃなんだと思う。
でも俺は──
俺の方が、ずっと怖いよ。
俺たちが一緒に暮らしてたことも、
朝に「いってらっしゃい」って言ってくれたことも、
俺がひとりで無理してたときに、そっと背中を撫でてくれたことも──
全部、俺だけの記憶になっちゃった。
「これ、好きだったチョコ。食べる?」
袋を差し出すと、彼女は少し戸惑ってから、小さくうなずいた。
指先が俺の指に触れた瞬間、心臓が跳ねた。
ああ、なんでそんなに他人みたいな触れ方すんの。
俺、君の髪も、首筋も、もっといっぱい知ってるのに。
「……なんか、優しいんですね。天童さんって」
天童さん、って呼ばれた。
なんかもう笑っちゃいそうになって、でもちゃんと笑った。
「そ〜お?俺、けっこう気持ち悪いって言われるタイプだけどな〜」
「あ……ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
「うそうそ。ねえ、○○ちゃん」
名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩をすくめた。
記憶がないっていうのは、ほんとに恐ろしい。自分の名前でさえ、誰かの口から出たら警戒しちゃうんだから。
でも、俺は何百回もその名前を呼んできた。
喧嘩したあとも、朝目が覚めたときも、雨の夜に試作のチョコ作りながらキスしたときも──
「忘れてても、全然いいよ。俺は……○○ちゃんの全部、知ってるから」
一秒でも早く思い出してほしい。
でも同時に、思い出してくれなかったら、俺だけのもののままでいられるんじゃないかって──
……そんなこと思っちゃうくらい、俺、壊れてんのかもね。
「……俺、また明日も来ていい?」
彼女は少し考えて、ゆっくりうなずいた。
「……はい」
たったそれだけの答えで、また心臓が鳴る。
ほんとにずるいよ、○○ちゃん。
記憶がなくても、俺はまだ好きなままだから。
───────────
玄関を開けた瞬間、
ほんの少しだけ残ってた"希望みたいなもの"が、ふっと消えた。
ただいま、って声が返ってくるわけでもない。
キッチンから夕飯の匂いがしてくるわけでもない。
洗面所で髪を乾かす音も、ソファでうとうとしてる寝息も──
……何も、ない。
「……はぁ〜あ」
わざと大きめのため息をついた。
自分の声でも出してないと、今にも静けさに潰されそうだったから。
靴を脱いで、台所に向かう。
冷蔵庫を開けると、彼女が貼った可愛いマグネットの横に、手書きのメモがまだ残ってる。
『お昼、冷凍してあるよ!スープ温めて食べてね!!(*ˊᵕˋ*)』
「……優しいよね〜。○○ちゃんってさ」
声に出してみても、返事はない。
当たり前だ。もうこのメモを書いた彼女は
──俺のこと、覚えてないんだ。
キッチンの引き出しを開ける。
彼女が使ってたマグカップが、何事もなかったみたいにそこにある。
パジャマも、歯ブラシも、ヘアピンも、全部、ある。
彼女の痕跡だらけの部屋に、彼女だけがいない。
「……やだなあ、俺」
苦笑いしながらリビングに腰を下ろす。
テレビをつけても何も頭に入ってこなくて、ふと視線が止まったのは、ソファの隅に落ちてた彼女のヘアゴム。
拾って、手にとって、
「ただいま」って小さく呟いた。
ねえ、○○ちゃん。
君がいなくなっただけで、この部屋、こんなに広かったっけ?
部屋のどこを見ても、君がいるのに。
この匂いも、カップも、残り香も、全部が"君がいた証拠"なのに──
君だけが、俺のことを、知らない。
「……○○ちゃん、俺のこと、好きだったよね」
ぽつりと落ちた言葉は、自分でも驚くくらい、弱かった。
俺、こんな声出せるんだな。
返事がないのを知ってて、それでもまた呟く。
「……○○ちゃんのこと、大好きだったよ」
知らなくてもいい。思い出さなくてもいい。
でも──なんで、俺だけ全部覚えてなきゃいけないの。
「ずるいよ……」
誰にも聞かれないことを知ってるから、やっと言えた。
大きく息を吸って、彼女のカップにお湯を注ぐ。
中身なんて関係ない。ただ、そのカップを両手で持って、彼女が座ってた場所に座る。
……もう二度と、ここに帰ってこなかったらどうしよう。
そんな不安が、カップの湯気と一緒に胸に広がって、
俺はようやく気づいた。
ああ、俺……
こんなにも、君に執着してたんだなって。
でも、連絡先の表示を見た瞬間、心臓がギュッと縮んだ。
「──……は?」
病院の名前。
そして、彼女が事故に遭ったという短い伝言。
次の瞬間には、チョコレートなんか放り出して、厨房のエプロンも脱ぎ捨てて、俺は走りだしていた。
信号なんて目に入らなかった。
汗も呼吸も無視して、脳の中でぐるぐる彼女の顔だけを浮かべながら、
「やばい」でも「大丈夫」でもない、言葉にならない祈りだけを抱えて、走った。
「天童さん、こちらです」
案内された病室のドアの前で、俺は一瞬だけ立ち止まった。
……俺、なにか変な顔してない?
いや、それより……なんて声かけたらいいんだろ。
深呼吸をして、ドアをノックする。
カーテン越しに、白いベッドと、座っている彼女のシルエットが見えた。
無事だった。生きてる。
ああ、よかった──。
「○○ちゃ……ん」
声が裏返りそうになるのを誤魔化して笑う。
でも、彼女はこっちを向いた瞬間、目を見開いて、小さく言った。
「……誰?」
その言葉が、
まるで氷水みたいに、頭のてっぺんから心臓まで一気に流れてきた。
「え……」
間違えた?
部屋、間違えた?
違うよ、俺のこと見てる。
目が合ってる。
でも──でも、何も映してない目だ。
「ご、ごめんなさい……。あの……知り合いですか?」
「……俺だよ。天童、覚。……○○ちゃんの……夫、だけど」
言いながら、自分の声が変に乾いてるのがわかった。
笑ったほうがいい?安心させたほうがいい?でも、笑えない。
心臓がガンガン鳴ってる。
「え……夫?」
彼女は、まるで俺がとんでもない嘘をついてるみたいに、眉を寄せた。
知らない。
まるで初対面みたいな顔。
俺のことなんか何も知らない人みたいに──
「……記憶障害が出ていまして、頭部を打った影響かと。意識が戻った直後から、ご自身の生活やご家族の記憶が抜けている状態です」
看護師が静かに説明してくれるその言葉は、
まるで遠くのスピーカーから流れてくるみたいだった。
「……そっか〜……」
俺は笑った。顔が勝手に笑ってた。
「記憶障害」って、医療用語に逃げ込んだら、なんか自分も落ち着けそうな気がして。
でも、心の中は全然ダメだった。
こんなにも毎日一緒にいて、名前を呼んで、抱きしめて、笑って、喧嘩もして──
その全部が、俺の中にだけ残ってるなんて。
「……ごめんなさい。思い出せなくて」
彼女がそう言ったとき、優しい顔してるのに、俺は泣きそうになるくらい、悔しかった。
「……思い出さなくていいよ〜。俺が、思い出させるから」
そう言ったとき、自分の声が少しだけ震えてたの、彼女は気づかなかったふりしてくれた。
……知らないなんて、言わないでよ。
俺、君の全部、知ってるのに。
───────
病室のカーテンが、風もないのにゆらゆら揺れた気がして、俺は手に持った紙袋の持ち手を握り直した。
中には、彼女が好きだって言ってくれた、ミントとラズベリーのチョコ。
でも今日の彼女は──それを見ても、たぶん、笑わない。
だって彼女は、
俺のこと、忘れてるから。
「こんにちは〜。……今日も来ちゃった〜」
軽い調子で声をかけると、ベッドに腰かけた彼女が、少し驚いた顔をした。
ああ、またその顔だ。
初対面みたいな、遠くて、よそよそしい顔。
「……あの、ごめんなさい。えっと……」
「うん、覚えてないの、でしょ〜?大丈夫だよ〜。俺は覚えてるからね〜」
そう言うと、彼女は困ったように目を伏せた。
たぶん、申し訳なさと、怖さと、よくわからない不安で、ぐちゃぐちゃなんだと思う。
でも俺は──
俺の方が、ずっと怖いよ。
俺たちが一緒に暮らしてたことも、
朝に「いってらっしゃい」って言ってくれたことも、
俺がひとりで無理してたときに、そっと背中を撫でてくれたことも──
全部、俺だけの記憶になっちゃった。
「これ、好きだったチョコ。食べる?」
袋を差し出すと、彼女は少し戸惑ってから、小さくうなずいた。
指先が俺の指に触れた瞬間、心臓が跳ねた。
ああ、なんでそんなに他人みたいな触れ方すんの。
俺、君の髪も、首筋も、もっといっぱい知ってるのに。
「……なんか、優しいんですね。天童さんって」
天童さん、って呼ばれた。
なんかもう笑っちゃいそうになって、でもちゃんと笑った。
「そ〜お?俺、けっこう気持ち悪いって言われるタイプだけどな〜」
「あ……ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
「うそうそ。ねえ、○○ちゃん」
名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩をすくめた。
記憶がないっていうのは、ほんとに恐ろしい。自分の名前でさえ、誰かの口から出たら警戒しちゃうんだから。
でも、俺は何百回もその名前を呼んできた。
喧嘩したあとも、朝目が覚めたときも、雨の夜に試作のチョコ作りながらキスしたときも──
「忘れてても、全然いいよ。俺は……○○ちゃんの全部、知ってるから」
一秒でも早く思い出してほしい。
でも同時に、思い出してくれなかったら、俺だけのもののままでいられるんじゃないかって──
……そんなこと思っちゃうくらい、俺、壊れてんのかもね。
「……俺、また明日も来ていい?」
彼女は少し考えて、ゆっくりうなずいた。
「……はい」
たったそれだけの答えで、また心臓が鳴る。
ほんとにずるいよ、○○ちゃん。
記憶がなくても、俺はまだ好きなままだから。
───────────
玄関を開けた瞬間、
ほんの少しだけ残ってた"希望みたいなもの"が、ふっと消えた。
ただいま、って声が返ってくるわけでもない。
キッチンから夕飯の匂いがしてくるわけでもない。
洗面所で髪を乾かす音も、ソファでうとうとしてる寝息も──
……何も、ない。
「……はぁ〜あ」
わざと大きめのため息をついた。
自分の声でも出してないと、今にも静けさに潰されそうだったから。
靴を脱いで、台所に向かう。
冷蔵庫を開けると、彼女が貼った可愛いマグネットの横に、手書きのメモがまだ残ってる。
『お昼、冷凍してあるよ!スープ温めて食べてね!!(*ˊᵕˋ*)』
「……優しいよね〜。○○ちゃんってさ」
声に出してみても、返事はない。
当たり前だ。もうこのメモを書いた彼女は
──俺のこと、覚えてないんだ。
キッチンの引き出しを開ける。
彼女が使ってたマグカップが、何事もなかったみたいにそこにある。
パジャマも、歯ブラシも、ヘアピンも、全部、ある。
彼女の痕跡だらけの部屋に、彼女だけがいない。
「……やだなあ、俺」
苦笑いしながらリビングに腰を下ろす。
テレビをつけても何も頭に入ってこなくて、ふと視線が止まったのは、ソファの隅に落ちてた彼女のヘアゴム。
拾って、手にとって、
「ただいま」って小さく呟いた。
ねえ、○○ちゃん。
君がいなくなっただけで、この部屋、こんなに広かったっけ?
部屋のどこを見ても、君がいるのに。
この匂いも、カップも、残り香も、全部が"君がいた証拠"なのに──
君だけが、俺のことを、知らない。
「……○○ちゃん、俺のこと、好きだったよね」
ぽつりと落ちた言葉は、自分でも驚くくらい、弱かった。
俺、こんな声出せるんだな。
返事がないのを知ってて、それでもまた呟く。
「……○○ちゃんのこと、大好きだったよ」
知らなくてもいい。思い出さなくてもいい。
でも──なんで、俺だけ全部覚えてなきゃいけないの。
「ずるいよ……」
誰にも聞かれないことを知ってるから、やっと言えた。
大きく息を吸って、彼女のカップにお湯を注ぐ。
中身なんて関係ない。ただ、そのカップを両手で持って、彼女が座ってた場所に座る。
……もう二度と、ここに帰ってこなかったらどうしよう。
そんな不安が、カップの湯気と一緒に胸に広がって、
俺はようやく気づいた。
ああ、俺……
こんなにも、君に執着してたんだなって。
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