夜風が少し冷たくなってきた。
電車を見送ったあとも、私たちはベンチに並んで座ったまま。
さっきよりも、少しだけ距離が近い。
天童くんの肩が、かすかに私の肩に触れている。

「……さっきの、無理やり怒ったの、ちょっと演技過ぎた？」

くすっと笑って、私の顔を覗き込む。
その笑い方は軽いのに、目の奥だけは真剣だった。

「ううん……。ちゃんと、響いたよ」

そう答えると、彼はまた笑った。
でも今度の笑顔は、どこか照れくさそうで、少しだけ優しかった。

「○○ちゃんって、たまにすっごく面倒くさいよね〜」

「……え、ちょっと」

「でも、そういうとこもぜ〜んぶ好き。
　だから、怒るよりも抱きしめたくなっちゃうんだよね」

その言葉と同時に、手を取られた。
引き寄せられるまま、胸の中におさまる。
夜の駅前。
人通りの少ない静かな場所で、彼の腕の中は驚くほどあたたかかった。

「覚くん、こんなところで……」

「だ〜め。今、ここじゃなきゃいや。
　ほら、○○ちゃんが変に遠く行っちゃう前に、
　ちゃんと近くに引き戻さないと」

ぎゅう、と抱きしめる力が強くなる。
声は甘いのに、その腕はまるで、
どこにも行かせないと伝えてくるみたいだった。

「……ねぇ、ほんとは怒ってほしいって言いながらさ、○○ちゃん、俺が離れないか不安だったんでしょ？」

静かに問われて、息が詰まる。

「……うん、たぶん、そうかも」

「ふふ〜ん。やっぱり、わっかりやす〜い」

その言葉と一緒に、頭に軽いキスが落ちた。
ほんの一瞬だったのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
風の冷たさと彼の体温の差が、妙にくっきりしていた。

「……言っとくけどね、俺、絶対離れないよ？
　どんなに怒ってって言われても、どんなに突き放されても、しがみつくタイプだから。
　諦めて、俺のこといっぱい頼って？
　ね、○○ちゃん」

冗談みたいな言い方なのに、目だけが真っすぐで。
その視線の熱が、心の奥まで届いてくる。
言葉よりもずっと強い"本気"がそこにあった。

「そんなふうに、やさしくされたら……泣きそうになるよ」

「え〜、泣いちゃうのぉ？……俺、そういうの大好きなんだけどな〜」

くすくす笑う声。
でも、指先は静かに私の手を探してきて、絡めた。
繋いだ手のあたたかさが、まるで「ここにいる」と確かめるみたいで、
何も言えなくなってしまう。

「……さ、帰ろっか。
　駅のベンチで彼氏に抱きしめられて泣きかけてる可愛い彼女、って。
　俺以外に見せたくないも〜ん」

「え、なんで急に独占欲？」

「……最初からあったよ？ただ、隠してただけ〜。
　でも今日ばっかりは、ちょっと本音、漏れちゃったかも」

そう言って、彼は私の手を引いて立ち上がる。
歩きながら、指を離さない。
ひょろりとした背中なのに、歩幅を合わせてくれる優しさと、それでも一歩前を歩く頼もしさがあった。


夜の空気の中、隣の横顔を見ながら思った。
"叱られたかった"気持ちは、きっと"赦されたい"って願いで。
でもそれよりもずっと、私は"愛されたい"って思ってた。

そして、彼はちゃんと、その愛し方を知っていた。