7 その後
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告白されて嫌な気持ちはなかった。
むしろ嬉しかった。
メールのやり取りも楽しかったし、一緒に過ごした時間も心地よかった。
でも、今まで川西さんを異性として意識したことはなかった。
きっと、それが答えなんだと思う。
付き合ったら楽しいだろう。
でも、恋愛感情のないまま付き合うのは違う気がした。
沈黙の中で断る言葉を探していると、川西さんがぽつりと言った。
「優しいよね。」
何がとは言われなかった。
でもそのまま大きく伸びをして彼が立ち上がる。
「あー!失恋したー!」
まだ何も言っていないのに察してくれたらしい。
ちゃんと断りの言葉を伝えられなかったことが申し訳なくて、私はベンチに座ったまま。
「何となく分かってたんだ。でも一年ずっと好きだったから、気持ちは伝えたかった。今日も楽しかったし。」
「私も今日、楽しかったです。メールも楽しかったです。」
「うん。でも気持ちを吹っ切るためにも、これからは連絡やめる。」
その言葉が胸に刺さった。
連絡がなくなるのは寂しい。
でも、それを引き止めるのは違う。気持ちに応えられないのに、この関係だけ続けようとするのはきっと不誠実だ。
私も立ち上がり頭を下げようとして、やめた。
謝ることじゃない気がしたから。
「じゃあ……あの、楽しかったです!」
「俺も!」
無表情だった川西さんが、最後に声を出して笑った。
その笑顔を見届けて、私たちはそのまま別れた。
家へ帰ると、そのままベッドへうつ伏せに倒れ込む。
スマホを開き、川西さんとのメールを最初から読み返した。
約一年続いたやり取りは、本当に楽しかった。
でも、もう新しいメールが届くことはない。
自分で断ったのに涙が溢れてきた。
自分勝手だ。
身勝手だ。
それでも友達のままでいたかった。
でもそれは叶わなかった。
高校三年生になってからは、それまで部活中心だった生活を少し変えた。
疲れて帰ってきても机に向かい勉強をする。
川西さんは全国レベルの強豪校でレギュラーを務めながら、偏差値の高い大学を目指していた。「勉強を始めるのが遅かった」と話していたことを思い出す。
最初は結構しんどかった。
それでも一か月ほど続けると少しずつ習慣になり、勉強することが苦ではなくなっていった。
将来やりたいことはまだ分からない。
でも「選択肢の幅を広げたい」という川西さんの言葉がずっと心に残っていた。
私も頑張ってみようと思った。
進学クラスでもないし、勉強が得意なわけでもない。
それでも挑戦することは嫌いじゃなかった。
夏を過ぎた頃、先生から推薦の話もあった。でも私は受験を選んだ。
勉強は好きじゃない。
それでも最後まで挑戦してみたかった。
無事に大学へ合格した時は心からほっとした。
「私でも、やればできるんだ。」そんな小さな自信が生まれる。将来何になりたいのかは相変わらず分からない。それでも努力して結果を出せたことが、少しだけ面白いと思えた。
大学へ入ってからも資格を取り続けた。
友達には「就職に向けて頑張ってるね」と言われる。
でも実際は資格を集めているだけだった。
就職という明確な目標があるわけじゃない。だから不安は消えない。
周りは夢や目標に向かって勉強している。
好きなことを仕事にしようとしている人たちが眩しかった。
私は、まだ好きなことを見つけられていない。
就職活動の面接では、不思議なくらい言葉が出てきた。
「企業理念に感銘を受けました。」
「御社に貢献できるよう資格取得にも励みました。」
「やる気だけと言われないよう努力しました。」
口ではそう言いながら、自分では全部嘘のように思えてしまう。
本当にやりたい仕事だったわけじゃない。
そんな自分が嫌になる。
いくつか内定をもらうと、周りは「すごいね」と褒めてくれた。私は調子に乗ったふりをして笑う。でも心の中では、嘘ばかり並べて手に入れた結果なんじゃないかと自分を責めていた。
最終的に選んだのは銀行だった。
銀行員になりたかったわけじゃない。
むしろ大変そうだから避けたいくらいだった。それでも仕事をしながら勉強を続ける環境なら、きっと自分には合っている気がした。
日々の業務では一つのミスも許されない。
昔ながらのお客様から「女じゃ話にならない。男を出して」と理不尽なことを言われる日もある。
そのたびに心の中では「女を舐めないで」と思いながら、笑顔で対応する。
ここでの仕事はやりたい事ではなかったかもしれない。
それでも、私は私なりに前へ進み続けていた。
仕事にも少しずつ慣れてきた頃だった。
自分の仕事を進めていると上司から軽く声を掛けられる。
「悪い、この仕事ちょっと手伝って。」
「はい。」
笑顔で返事をしたものの、渡された書類を見て心の中で突っ込む。
……これ、手伝う量じゃないでしょ。
そう思っても口には出さない。
負けたくなかった。
誰に対してなのか、自分でもよく分からない。
ただ、がむしゃらに頑張れば何とかなると思っていた。
……でも、ならない。
その日も残業になった。
フロアの人が少しずつ帰り始めようやく笑顔の仮面が外れかけた頃、不意に後ろから声を掛けられる。
「それ、佐藤さんの仕事だよね? 何でやってるの?」
振り返ると職場の先輩だった。
「佐藤さんに手伝ってって言われて。」
そう答えると、先輩は小さくため息をついた。
……ため息をつきたいのはこっちなんだけど。
いつも定時で帰ってる人にそんな顔をされたくない。
イライラが顔に出そうになるのを堪え、「気にしないでください。」とだけ返す。
すると先輩はもう一度ため息をつき、そのまま私の隣へ腰を下ろした。
そして何も言わずに手を差し出す。
その意味が分からず首を傾げる。
「手伝う。二人でやった方が早いでしょ。」
その一言で頭の中がかっと熱くなった。
余裕そうなその顔がどうしても癇に障る。
「大丈夫です! 仕事取らないでください!!」
思わず声を荒らげてしまった。
先輩が少し目を見開く。
しまった。
言い過ぎた。
そう思った時にはもう遅かった。
けれど先輩は怒るでもなく不思議そうに私を見ていた。
「怒れるんだ。いつも笑ってるのに。」
何それ。
馬鹿にされてる?
ただでさえ気持ちはささくれ立っていた。
いつも定時で帰る先輩へのやっかみもあったのかもしれない。
その瞬間、私の中で先輩は敵認定された。
職場の先輩だろうが知ったことじゃない。
軽く舌打ちをして仕事へ戻ろうとすると先輩は勝手に書類を手に取り目を通し始めた。
「これは俺がやるから、そっちお願い。」
当然のように仕事を分けていく。
何なのこの人。
イライラしたまま手を動かしていると、気付けば仕事は驚くほど早く終わっていた。
……早い。
二人でやったからというだけじゃない。
この人は仕事の組み立て方が上手い。
要領がいいんだ。
「ありがとうございました。」
本当は悔しくて、お礼なんて言いたくなかった。それでも言葉は自然と口から出た。
「ん。」
先輩は頷いただけで、そのまま何事もなかったように帰っていく。
二日は残業を覚悟していた仕事だった。それがこんな短時間で終わってしまった。
なんだか肩の力が抜ける。
ほっとしたというより、「がむしゃらに頑張れば何とかなる」と思い込んでいた自分が少し馬鹿らしくなった。
翌日。
出勤すると先輩のデスクに塩キャラメルとメモをそっと置いた。
『昨日はありがとうございました。』
以前、同僚が「あの先輩、塩キャラメル好きなんだよ」と話していたのを思い出したからだ。
メモを読んだ先輩の視線がこちらへ向いた気がした。
でも私は顔を向けなかった。
要領のいい人。
私はそんなふうにはなれない。
だから少し悔しくて、少し羨ましかった。
お礼なんて、メモ一枚で十分だもん。自分で納得させるように気持ちを切り替える。
あの日を境に、先輩の国見さんがやたらと私に絡んでくるようになった。
馬鹿にしているわけではないらしい。
ただ、仕事の進め方や要点をさらっと指摘してくる。
それがどうにも癇に障る。
普段は仕事中は誰に対しても笑顔でいるようにしているのに国見さんの前だけは無表情になってしまう。
「国見さん苦手なの?」
同僚に心配されるたび、「そんなことないよ」と笑って否定する。
でも心の中では毒づいていた。
頑張りそのものを否定されている気がして悔しかった。
ある日、また仕事を頼まれた。
今日も残業か。
評価されるわけじゃない。
でも、頼まれるってことは少しは信頼されているのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながらデスクへ向かうと、また国見さんがこちらへ歩いてくる。
書類を見るなり、ため息を一つ。
……だから何であなたがため息をつくの。
思わず目も合わせずにいると当然のように隣へ座り私の書類へ手を伸ばした。
「私の仕事なんで、お気になさらず帰ってください。」
笑顔では言えた。
でも言葉に棘が混じるのはどうしようもない。
「そんな顔するくらいなら断ればいいのに。」
聞こえないふりをしようとしたのに国見さんは続ける。
「俺は断ったし。」
思わず手が止まる。
「……じゃあ、何で手伝ってくれるんですか?」
「罪悪感?」
少し考えるように首を傾げ、それから肩をすくめた。
「あの人、一回頼めるって分かると自分の仕事減らしてまた振るから。次から断れば。」
薄々分かっていた。
でも、人から言われるとやっぱり傷つく。
評価されていたわけじゃなかった。
断らないから頼られていただけ。
目の前の書類はこの前よりも明らかに増えている。
……次からは断ろう。
そう思うのに、悔しくて唇を噛み締めた。
結局、その日も帰りはかなり遅くなった。
国見さんは最後まで何も言わず手伝ってくれて、仕事が終わると小さく呟く。
「疲れた。」
勝手に手伝ったくせに。
そう思いながらも、「ありがとうございました。」と頭を下げる。
すると国見さんがこちらを見た。
「それだけ?」
「え?」
バッグを漁り、いつもの塩キャラメルを差し出す。
「これで……。」
「なんか犬のご褒美みたいで嫌なんだけど。」
真顔で言われた。
「夕飯くらい奢ってよ。」
「いいですよ。松屋か、すき家か……。」
「せめてビールくらい奢れよ。」
思わず吹き出す。
「それでいいんですか?」
笑いながら聞くと国見さんも小さく笑った。
そのまま近くの居酒屋へ入り、二人で飲むことになった。
仕事の話をしているうちに、気付けば私は愚痴ばかりこぼしていた。
「どうせ私は要領悪いですよ。」
「知ってる。」
即答だった。
「でも、がむしゃらに頑張れば評価してもらえるって……。」
そう言うと、国見さんが珍しく顔をしかめた。
「俺、『がむしゃら』って言葉嫌いなんだよね。」
静かな声だった。
「無駄があるのに、それを正当化してる感じがする。」
その言葉が不思議なくらい胸に落ちた。
この人は努力が嫌いなんじゃない。
努力する方向を間違えることが嫌いなんだ。
だから、あちこちに力を使って空回りしている私を放っておけなかった。
「国見さん。」
顔を上げる。
「これからは、もう少し肩の力を抜いてみます。ちゃんと頑張るので……嫌いでも見捨てないでください。」
国見さんは目を丸くした。
「はぁ?」
それから呆れたように息を吐く。
「嫌いな人の手伝いなんかしないけど。」
少しだけ間を空けて続けた。
「まぁ……元気になったならいいや。」
そして照れ隠しみたいに視線を逸らす。
「笑ってる顔の方が似合うし。」
その言葉が嬉しくて、思いきり笑う。
すると国見さんは、また大きくため息をついた。
……似合うって言った本人がため息つくの?
やっぱり腹立つ。
それからは自分の仕事で残業することはあっても、人から頼まれた仕事は自分ができる範囲までしか引き受けないようにした。
あからさまに不機嫌そうな顔をする上司もいたけれど、私は笑顔で受け流す。
自分のデスクへ戻ろうとすると国見さんと目が合った。
小さく頷かれる。
私は「やってやったぜ」と言わんばかりににやりと笑う。
すると国見さんは吹き出し、笑いを隠すようにそっぽを向いた。
苦手だったはずなのに、そんな関係になってからはいつの間にか国見さんと話す時間が増えていた。
たまに仕事帰りに夕飯を食べに行ったり、休日には仕事の勉強を見てもらったり。
相変わらず毒舌で、イラッとすることも多い。
でも私が落ち込んでいるときは何も言わずにフォローしてくれるし、気まずそうにしながらも、さりげなく気を遣ってくれる。
仕事の先輩と後輩というだけじゃない。
そんな関係になっている気がして少しだけ居心地が悪かった。
きっと国見さんは空回りばかりしている後輩だから放っておけないだけ。
そう思った瞬間、胸が苦しくなった。
……私、国見さんのこと好きなのかもしれない。
関係が気まずくなるのは嫌だった。
でも、一度自覚してしまうともう駄目だった。
呆れた顔をされても。
ため息混じりに毒舌を吐かれても。
最後には必ず手を差し伸べてくれる。
そんなところばかり目で追ってしまう。
顔に出やすい性格だから気付かれないよう少し距離を置くようにした。
なのに国見さんは気にした様子もなく、いつも通り隣へやって来る。
帰り道ばったり彼と会い、会釈で通り過ぎようとすると後ろから声をかけられた。
「悩みでもあるの? 俺から距離取ってるよね?」
「別にないです。」
「嘘でしょ。顔に出過ぎ。」
その一言で頭が真っ白になった。
「バレてた!? 好きかもってバレた??」
思わず口に出してしまい、すぐに両手で口を押さえる。
……終わった。
「…………」
国見さんは何も言わない。
「一方的なのは分かってるんです。でも、この気持ち抑えようとしても無理で……。なんか、すみません。」
大きなため息が聞こえた。
やっぱり引かれた。
こんな形で伝えるつもりなんてなかったのに。
でも、もう取り消せない。
そう思っていると国見さんがぽつりと呟いた。
「やっとか。」
「……え?」
意味が分からず顔を上げる。
その瞬間、国見さんが私の手を握った。
「えっ、手……掴んでますよ?」
「無意識で繋がないよ。」
少し照れたように視線を逸らしながら続ける。
「俺は、苗字が『好きかも』って思うより前から、ずっと好きだったけど。」
「なんでですか?」
「理由いる?」
少し困ったように笑う。
「俺も知らないし……。好きでもない人の仕事に付き合って残業なんてしないし……。」
歯切れの悪いその話し方がいつもの国見さんらしくなくて、聞いているこっちまで恥ずかしくなってくる。
たぶん私は、嬉しさが全部顔に出ていた。
「表情出過ぎ。でも、そのくらい分かりやすい方がいい。」
「国見さんも嬉しそうですよ?」
そう言うと、繋いだ手を少し強く握られた。
「痛いです。」
抗議すると、国見さんは子どもみたいに「べっ」と舌を出す。
歩き始めても手は離れない。
横顔は少しだけ赤くなっていた。
嬉しくて
恥ずかしくて…
繋いだ手をぶんぶん振ると、
「疲れるからやめて。」
呆れたように言われる。
それでも国見さんは、最後まで手を離さなかった。
職場恋愛なんて自分がするとは思っていなかった。
好きだと自覚したのもつい最近。
付き合うって何をしたらいいのかも、まだよく分からない。
やりたいことより目の前の目標ばかり追いかけてきた私を、国見さんは好きだと言ってくれた。
その理由は、まだ分からない。
でも、繋いだ手は離れない。
だったら私もこの手を離したくないと思った。
まだ始まったばかりの関係だけど。
これからも、一緒に歩いていきたい。
「これからも、よろしくお願いします。」
そう言うと
繋いだ手を国見さんが小さく握り返してくれた。
〈終〉
むしろ嬉しかった。
メールのやり取りも楽しかったし、一緒に過ごした時間も心地よかった。
でも、今まで川西さんを異性として意識したことはなかった。
きっと、それが答えなんだと思う。
付き合ったら楽しいだろう。
でも、恋愛感情のないまま付き合うのは違う気がした。
沈黙の中で断る言葉を探していると、川西さんがぽつりと言った。
「優しいよね。」
何がとは言われなかった。
でもそのまま大きく伸びをして彼が立ち上がる。
「あー!失恋したー!」
まだ何も言っていないのに察してくれたらしい。
ちゃんと断りの言葉を伝えられなかったことが申し訳なくて、私はベンチに座ったまま。
「何となく分かってたんだ。でも一年ずっと好きだったから、気持ちは伝えたかった。今日も楽しかったし。」
「私も今日、楽しかったです。メールも楽しかったです。」
「うん。でも気持ちを吹っ切るためにも、これからは連絡やめる。」
その言葉が胸に刺さった。
連絡がなくなるのは寂しい。
でも、それを引き止めるのは違う。気持ちに応えられないのに、この関係だけ続けようとするのはきっと不誠実だ。
私も立ち上がり頭を下げようとして、やめた。
謝ることじゃない気がしたから。
「じゃあ……あの、楽しかったです!」
「俺も!」
無表情だった川西さんが、最後に声を出して笑った。
その笑顔を見届けて、私たちはそのまま別れた。
家へ帰ると、そのままベッドへうつ伏せに倒れ込む。
スマホを開き、川西さんとのメールを最初から読み返した。
約一年続いたやり取りは、本当に楽しかった。
でも、もう新しいメールが届くことはない。
自分で断ったのに涙が溢れてきた。
自分勝手だ。
身勝手だ。
それでも友達のままでいたかった。
でもそれは叶わなかった。
高校三年生になってからは、それまで部活中心だった生活を少し変えた。
疲れて帰ってきても机に向かい勉強をする。
川西さんは全国レベルの強豪校でレギュラーを務めながら、偏差値の高い大学を目指していた。「勉強を始めるのが遅かった」と話していたことを思い出す。
最初は結構しんどかった。
それでも一か月ほど続けると少しずつ習慣になり、勉強することが苦ではなくなっていった。
将来やりたいことはまだ分からない。
でも「選択肢の幅を広げたい」という川西さんの言葉がずっと心に残っていた。
私も頑張ってみようと思った。
進学クラスでもないし、勉強が得意なわけでもない。
それでも挑戦することは嫌いじゃなかった。
夏を過ぎた頃、先生から推薦の話もあった。でも私は受験を選んだ。
勉強は好きじゃない。
それでも最後まで挑戦してみたかった。
無事に大学へ合格した時は心からほっとした。
「私でも、やればできるんだ。」そんな小さな自信が生まれる。将来何になりたいのかは相変わらず分からない。それでも努力して結果を出せたことが、少しだけ面白いと思えた。
大学へ入ってからも資格を取り続けた。
友達には「就職に向けて頑張ってるね」と言われる。
でも実際は資格を集めているだけだった。
就職という明確な目標があるわけじゃない。だから不安は消えない。
周りは夢や目標に向かって勉強している。
好きなことを仕事にしようとしている人たちが眩しかった。
私は、まだ好きなことを見つけられていない。
就職活動の面接では、不思議なくらい言葉が出てきた。
「企業理念に感銘を受けました。」
「御社に貢献できるよう資格取得にも励みました。」
「やる気だけと言われないよう努力しました。」
口ではそう言いながら、自分では全部嘘のように思えてしまう。
本当にやりたい仕事だったわけじゃない。
そんな自分が嫌になる。
いくつか内定をもらうと、周りは「すごいね」と褒めてくれた。私は調子に乗ったふりをして笑う。でも心の中では、嘘ばかり並べて手に入れた結果なんじゃないかと自分を責めていた。
最終的に選んだのは銀行だった。
銀行員になりたかったわけじゃない。
むしろ大変そうだから避けたいくらいだった。それでも仕事をしながら勉強を続ける環境なら、きっと自分には合っている気がした。
日々の業務では一つのミスも許されない。
昔ながらのお客様から「女じゃ話にならない。男を出して」と理不尽なことを言われる日もある。
そのたびに心の中では「女を舐めないで」と思いながら、笑顔で対応する。
ここでの仕事はやりたい事ではなかったかもしれない。
それでも、私は私なりに前へ進み続けていた。
仕事にも少しずつ慣れてきた頃だった。
自分の仕事を進めていると上司から軽く声を掛けられる。
「悪い、この仕事ちょっと手伝って。」
「はい。」
笑顔で返事をしたものの、渡された書類を見て心の中で突っ込む。
……これ、手伝う量じゃないでしょ。
そう思っても口には出さない。
負けたくなかった。
誰に対してなのか、自分でもよく分からない。
ただ、がむしゃらに頑張れば何とかなると思っていた。
……でも、ならない。
その日も残業になった。
フロアの人が少しずつ帰り始めようやく笑顔の仮面が外れかけた頃、不意に後ろから声を掛けられる。
「それ、佐藤さんの仕事だよね? 何でやってるの?」
振り返ると職場の先輩だった。
「佐藤さんに手伝ってって言われて。」
そう答えると、先輩は小さくため息をついた。
……ため息をつきたいのはこっちなんだけど。
いつも定時で帰ってる人にそんな顔をされたくない。
イライラが顔に出そうになるのを堪え、「気にしないでください。」とだけ返す。
すると先輩はもう一度ため息をつき、そのまま私の隣へ腰を下ろした。
そして何も言わずに手を差し出す。
その意味が分からず首を傾げる。
「手伝う。二人でやった方が早いでしょ。」
その一言で頭の中がかっと熱くなった。
余裕そうなその顔がどうしても癇に障る。
「大丈夫です! 仕事取らないでください!!」
思わず声を荒らげてしまった。
先輩が少し目を見開く。
しまった。
言い過ぎた。
そう思った時にはもう遅かった。
けれど先輩は怒るでもなく不思議そうに私を見ていた。
「怒れるんだ。いつも笑ってるのに。」
何それ。
馬鹿にされてる?
ただでさえ気持ちはささくれ立っていた。
いつも定時で帰る先輩へのやっかみもあったのかもしれない。
その瞬間、私の中で先輩は敵認定された。
職場の先輩だろうが知ったことじゃない。
軽く舌打ちをして仕事へ戻ろうとすると先輩は勝手に書類を手に取り目を通し始めた。
「これは俺がやるから、そっちお願い。」
当然のように仕事を分けていく。
何なのこの人。
イライラしたまま手を動かしていると、気付けば仕事は驚くほど早く終わっていた。
……早い。
二人でやったからというだけじゃない。
この人は仕事の組み立て方が上手い。
要領がいいんだ。
「ありがとうございました。」
本当は悔しくて、お礼なんて言いたくなかった。それでも言葉は自然と口から出た。
「ん。」
先輩は頷いただけで、そのまま何事もなかったように帰っていく。
二日は残業を覚悟していた仕事だった。それがこんな短時間で終わってしまった。
なんだか肩の力が抜ける。
ほっとしたというより、「がむしゃらに頑張れば何とかなる」と思い込んでいた自分が少し馬鹿らしくなった。
翌日。
出勤すると先輩のデスクに塩キャラメルとメモをそっと置いた。
『昨日はありがとうございました。』
以前、同僚が「あの先輩、塩キャラメル好きなんだよ」と話していたのを思い出したからだ。
メモを読んだ先輩の視線がこちらへ向いた気がした。
でも私は顔を向けなかった。
要領のいい人。
私はそんなふうにはなれない。
だから少し悔しくて、少し羨ましかった。
お礼なんて、メモ一枚で十分だもん。自分で納得させるように気持ちを切り替える。
あの日を境に、先輩の国見さんがやたらと私に絡んでくるようになった。
馬鹿にしているわけではないらしい。
ただ、仕事の進め方や要点をさらっと指摘してくる。
それがどうにも癇に障る。
普段は仕事中は誰に対しても笑顔でいるようにしているのに国見さんの前だけは無表情になってしまう。
「国見さん苦手なの?」
同僚に心配されるたび、「そんなことないよ」と笑って否定する。
でも心の中では毒づいていた。
頑張りそのものを否定されている気がして悔しかった。
ある日、また仕事を頼まれた。
今日も残業か。
評価されるわけじゃない。
でも、頼まれるってことは少しは信頼されているのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながらデスクへ向かうと、また国見さんがこちらへ歩いてくる。
書類を見るなり、ため息を一つ。
……だから何であなたがため息をつくの。
思わず目も合わせずにいると当然のように隣へ座り私の書類へ手を伸ばした。
「私の仕事なんで、お気になさらず帰ってください。」
笑顔では言えた。
でも言葉に棘が混じるのはどうしようもない。
「そんな顔するくらいなら断ればいいのに。」
聞こえないふりをしようとしたのに国見さんは続ける。
「俺は断ったし。」
思わず手が止まる。
「……じゃあ、何で手伝ってくれるんですか?」
「罪悪感?」
少し考えるように首を傾げ、それから肩をすくめた。
「あの人、一回頼めるって分かると自分の仕事減らしてまた振るから。次から断れば。」
薄々分かっていた。
でも、人から言われるとやっぱり傷つく。
評価されていたわけじゃなかった。
断らないから頼られていただけ。
目の前の書類はこの前よりも明らかに増えている。
……次からは断ろう。
そう思うのに、悔しくて唇を噛み締めた。
結局、その日も帰りはかなり遅くなった。
国見さんは最後まで何も言わず手伝ってくれて、仕事が終わると小さく呟く。
「疲れた。」
勝手に手伝ったくせに。
そう思いながらも、「ありがとうございました。」と頭を下げる。
すると国見さんがこちらを見た。
「それだけ?」
「え?」
バッグを漁り、いつもの塩キャラメルを差し出す。
「これで……。」
「なんか犬のご褒美みたいで嫌なんだけど。」
真顔で言われた。
「夕飯くらい奢ってよ。」
「いいですよ。松屋か、すき家か……。」
「せめてビールくらい奢れよ。」
思わず吹き出す。
「それでいいんですか?」
笑いながら聞くと国見さんも小さく笑った。
そのまま近くの居酒屋へ入り、二人で飲むことになった。
仕事の話をしているうちに、気付けば私は愚痴ばかりこぼしていた。
「どうせ私は要領悪いですよ。」
「知ってる。」
即答だった。
「でも、がむしゃらに頑張れば評価してもらえるって……。」
そう言うと、国見さんが珍しく顔をしかめた。
「俺、『がむしゃら』って言葉嫌いなんだよね。」
静かな声だった。
「無駄があるのに、それを正当化してる感じがする。」
その言葉が不思議なくらい胸に落ちた。
この人は努力が嫌いなんじゃない。
努力する方向を間違えることが嫌いなんだ。
だから、あちこちに力を使って空回りしている私を放っておけなかった。
「国見さん。」
顔を上げる。
「これからは、もう少し肩の力を抜いてみます。ちゃんと頑張るので……嫌いでも見捨てないでください。」
国見さんは目を丸くした。
「はぁ?」
それから呆れたように息を吐く。
「嫌いな人の手伝いなんかしないけど。」
少しだけ間を空けて続けた。
「まぁ……元気になったならいいや。」
そして照れ隠しみたいに視線を逸らす。
「笑ってる顔の方が似合うし。」
その言葉が嬉しくて、思いきり笑う。
すると国見さんは、また大きくため息をついた。
……似合うって言った本人がため息つくの?
やっぱり腹立つ。
それからは自分の仕事で残業することはあっても、人から頼まれた仕事は自分ができる範囲までしか引き受けないようにした。
あからさまに不機嫌そうな顔をする上司もいたけれど、私は笑顔で受け流す。
自分のデスクへ戻ろうとすると国見さんと目が合った。
小さく頷かれる。
私は「やってやったぜ」と言わんばかりににやりと笑う。
すると国見さんは吹き出し、笑いを隠すようにそっぽを向いた。
苦手だったはずなのに、そんな関係になってからはいつの間にか国見さんと話す時間が増えていた。
たまに仕事帰りに夕飯を食べに行ったり、休日には仕事の勉強を見てもらったり。
相変わらず毒舌で、イラッとすることも多い。
でも私が落ち込んでいるときは何も言わずにフォローしてくれるし、気まずそうにしながらも、さりげなく気を遣ってくれる。
仕事の先輩と後輩というだけじゃない。
そんな関係になっている気がして少しだけ居心地が悪かった。
きっと国見さんは空回りばかりしている後輩だから放っておけないだけ。
そう思った瞬間、胸が苦しくなった。
……私、国見さんのこと好きなのかもしれない。
関係が気まずくなるのは嫌だった。
でも、一度自覚してしまうともう駄目だった。
呆れた顔をされても。
ため息混じりに毒舌を吐かれても。
最後には必ず手を差し伸べてくれる。
そんなところばかり目で追ってしまう。
顔に出やすい性格だから気付かれないよう少し距離を置くようにした。
なのに国見さんは気にした様子もなく、いつも通り隣へやって来る。
帰り道ばったり彼と会い、会釈で通り過ぎようとすると後ろから声をかけられた。
「悩みでもあるの? 俺から距離取ってるよね?」
「別にないです。」
「嘘でしょ。顔に出過ぎ。」
その一言で頭が真っ白になった。
「バレてた!? 好きかもってバレた??」
思わず口に出してしまい、すぐに両手で口を押さえる。
……終わった。
「…………」
国見さんは何も言わない。
「一方的なのは分かってるんです。でも、この気持ち抑えようとしても無理で……。なんか、すみません。」
大きなため息が聞こえた。
やっぱり引かれた。
こんな形で伝えるつもりなんてなかったのに。
でも、もう取り消せない。
そう思っていると国見さんがぽつりと呟いた。
「やっとか。」
「……え?」
意味が分からず顔を上げる。
その瞬間、国見さんが私の手を握った。
「えっ、手……掴んでますよ?」
「無意識で繋がないよ。」
少し照れたように視線を逸らしながら続ける。
「俺は、苗字が『好きかも』って思うより前から、ずっと好きだったけど。」
「なんでですか?」
「理由いる?」
少し困ったように笑う。
「俺も知らないし……。好きでもない人の仕事に付き合って残業なんてしないし……。」
歯切れの悪いその話し方がいつもの国見さんらしくなくて、聞いているこっちまで恥ずかしくなってくる。
たぶん私は、嬉しさが全部顔に出ていた。
「表情出過ぎ。でも、そのくらい分かりやすい方がいい。」
「国見さんも嬉しそうですよ?」
そう言うと、繋いだ手を少し強く握られた。
「痛いです。」
抗議すると、国見さんは子どもみたいに「べっ」と舌を出す。
歩き始めても手は離れない。
横顔は少しだけ赤くなっていた。
嬉しくて
恥ずかしくて…
繋いだ手をぶんぶん振ると、
「疲れるからやめて。」
呆れたように言われる。
それでも国見さんは、最後まで手を離さなかった。
職場恋愛なんて自分がするとは思っていなかった。
好きだと自覚したのもつい最近。
付き合うって何をしたらいいのかも、まだよく分からない。
やりたいことより目の前の目標ばかり追いかけてきた私を、国見さんは好きだと言ってくれた。
その理由は、まだ分からない。
でも、繋いだ手は離れない。
だったら私もこの手を離したくないと思った。
まだ始まったばかりの関係だけど。
これからも、一緒に歩いていきたい。
「これからも、よろしくお願いします。」
そう言うと
繋いだ手を国見さんが小さく握り返してくれた。
〈終〉
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