7 その後
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初めて告白された。
心臓がうるさいくらいにドキドキしている。
嬉しい。菅原先輩のことは好きだ。
でも、その好きは異性としての好きとは違う気がした。
優しくて、一緒にいると楽しくて、頼りになって。もし先輩がお兄ちゃんだったらいいのにな、なんて思ったこともある。
憧れに近い気持ち。
だからきっと恋愛とは違う。
「嬉しいです。でも……私の中では先輩は先輩なんです」
言葉を選びながらそう伝えると先輩は少しだけ目を伏せた。
「そっか」
短い返事。
気まずくなって足元を見る。
どうしたらいいのかわからず黙り込んでいると、不意に頭をぐりぐりと撫でられた。
「ちょっと! 髪ボサボサになるんですけど!」
「ははは! なんか気まずそうだったから」
顔を上げると、先輩はいつものように笑っていた。
その笑顔に少しだけ安心する。
「なんとなくそうだろうなって思ってた。でも伝えたかったんだ」
見つめてくる目は優しい。
だけど、その奥に少しだけ寂しさが滲んでいる気がした。
私がそうさせてしまったんだと思うと胸が痛む。それでも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「俺ってやっぱり、いい人止まりなんだべな」
冗談っぽく言う先輩に、慌てて首を振る。
「そんなことないです! 先輩かっこいいですし! 私、勝手に王子様みたいだなって思ってました!」
「王子様?」
先輩は目を丸くしたあと吹き出した。
「ははっ! マジで? じゃあこれから王子って呼んでいいよ」
「いいんですか?」
「そこはツッコむところだから!」
思わず二人で笑う。
さっきまでの重たい空気が少しだけ和らいだ。
「あー、王子からの告白はダメだったけど、これからは友達ってことで」
「友達?」
「えっ、そこは受け取ってほしいんだけど!」
先輩が大げさに肩を落とす。
「だって王子と町人ですよ? 友達っていうより……尊敬です。先輩は私の中で憧れなんです」
「それは嬉しいけどなぁ」
先輩は苦笑して、それから大きく息を吐いた。
「よし。切り替えるべ! 気まずいのやめよう。また連絡して。勉強も教えるし」
「本当ですか?」
「おう。俺、教員目指してるから。その予行練習ってことで」
「先輩、教えるの上手いですもんね」
「ありがとう」
そう言って笑う先輩は、いつも通りだった。
駅で別れて家に帰る。
部屋に入って携帯を見ると、先輩からメールが届いていた。
『ちゃんと家着いた?』
思わず小さく笑う。
本当に優しい人だ。
ベッドに寝転びながら携帯を見つめる。
告白は断った。
それなのに胸の奥はまだ落ち着かない。
初めて告白されたからだろうか。
異性として意識していたわけじゃないのに、これからは少しだけ意識してしまいそうだった。
そして何より。
これまでみたいに話せなくなったらどうしよう。先輩との距離が少しずつ離れてしまうかもしれない。
そんなことを考えると、少しだけ寂しかった。
学年が上がり、高校二年生になった。
相変わらず部活中心の毎日だったけれど、勉強も続けていた。
最初は菅原先輩に言われたから始めただけだったのに、いつの間にか机に向かうことが習慣になっていた。
それに、前ほど頻繁ではないものの、たまに先輩からメールが来る。
『勉強してるか?』
『テスト近いべ?』
そんな内容を見るたびに、少しだけ笑ってしまう。
本当に面倒見がいい人だ。
菅原先輩がお兄ちゃんだったらな。
……絶対ブラコンになる自信がある。
ソフトボール部は楽しかった。
楽しいだけじゃなくて、続けているうちに勝ちたいと思うようにもなっていた。
もっと上に行きたい。
もっと強くなりたい。
そう思って練習していた時だった。
怪我をした。
診断結果は全治二か月。
痛みを我慢すればできるんじゃないかと思ったけれど、顧問にも医師にも止められた。
「休みなさい」
そう言われても納得なんてできない。
地区予選でもいいところまで行っていた。
だから余計に悔しかった。
運が悪かった。
そんな一言では片付けられない。
何が悪かったんだろう。
何が足りなかったんだろう。
ただがむしゃらに頑張るだけじゃ駄目なんだと初めて知った。
怪我の治療で通っていた病院で、リハビリの帰りに院内で迷ったことがある。
近くにいた白衣姿の人を見つけて声をかけた。
「あの、先生──」
すると相手は少し困ったように笑った。
「医師じゃないので、先生と言われるのは…」
その時初めて知った。
病院には医師以外にもたくさんの職種がいることを。白衣を着て働く人は医者だけじゃない。
それが少しだけ面白かった。
高校三年生になった頃には、進路を考えるようになっていた。
文系科目は昔から苦手だった。
漠然と理系かなってくらいにしか考えていなかったけれど、怪我で病院での経験を通して医療系の仕事に興味を持つようになっていた。
医師になるほど頭が良いわけじゃない。
でも、白衣を着て働く姿はかっこいいと思った。
きっかけなんてそんなものだったのかもしれない。
少し憧れて。
少し興味を持って。
そこから将来を考え始めた。
勉強も続けていたおかげで、国公立大学を目指せる成績にはなっていた。
卒業式の日。
後輩から言われた。
「先輩、卒業なのに何でそんな飄々としてるんですか?」
私は即答した。
「まだ合格発表されてないから!」
後輩が目を丸くする。
「卒業どころじゃないの。不安しかない!」
言った瞬間、どこかで聞いたことがあるような気がした。
──あれ?
これ、前にも似たようなこと言わなかったっけ。
そんなことを思いながら笑った。
無事に合格し、私は大学の保健衛生学科へ進学した。
そして入学してすぐ思った。
忙しい。
大学生ってもっと遊ぶものじゃなかったっけ。ドラマとか漫画とかだとキラキラしてるじゃん。
おかしい。
私の大学生活、全然キラキラしてない。
課題…実習…勉強…課題…勉強
たまに友達と遊べたらラッキー。
バイトをする余裕もあまりない。
「学部間違えたかな……」
本気でそう思ったこともあった。
そんな生活の中で見つけた趣味が筋トレだった。
やればやるほど面白い。
そして気づけば、人の筋肉まで気になるようになっていた。
ある日、大学構内を歩いている時だった。
前を歩く男子学生の背中が目に入る。
思わず視線が止まった。
……なんだろう。
あの筋肉の付き方。
どんなトレーニングしてるんだろう。
普通ならそこで終わる。
でも私は終わらなかった。
気になったら聞きたくなる性格だった。
不審者だと思われる可能性を無視して声をかけた。
「あの!」
振り返った相手は驚きながらも立ち止まった。
筋トレの話をすると、逆に聞かれた。
「どこ鍛えたい?」
──同士だ!
そう確信した。
声をかけた彼はアスレティックトレーナーを目指していた。
短髪で鍛え上げられた体をしていて、いかにも体育会系という雰囲気だった。
だけど話してみると不思議と居心地が良かった。
女の子だからと特別扱いすることもない。
かといって冷たいわけでもない。
ただ自然に、一人の友達として接してくれる。
男友達と話すような感覚。
それが心地よかった。
私は昔から女の子だからと過剰に気を遣われるよりも、同じように接してもらう方が好きだったから。
気付けば彼と話す時間が少しずつ増えていた。
「苗字! 飲んでるか?!」
「飲んでます。だから一先輩はもう水飲んでください」
差し出したグラスを見て、岩泉先輩は不満そうな顔をした。
「俺は酔ってねぇー」
「はいはい」
そう言いながら半ば強引に水を持たせる。
筋トレ仲間として知り合ってから数年。
今ではこうして一緒に飲みに行くくらいには仲が良かった。
ただ、この人はお酒が弱い。
弱いくせに豪快に飲む。
毎回こうなるのだから困る。
……でも、そんなところも好きだった。
岩泉一先輩。
かっこよくて、真面目で、面倒見が良くて。
私は先輩が好きだった。
最初は女の子扱いされないことが心地良かった。
でも今は違う。
異性として見られていないことが少し苦しい。
先輩はきっと、もっと女の子らしい子が好きだ。
たぶん………
少なくとも筋トレの話で盛り上がるような女じゃない。
コップを持つ自分の腕を見る。
しっかり筋が浮いている。
うん。
仕上がってる。
でも、女子力は仕上がってない。
「そろそろお開きですよ。帰りましょうね」
「うー……」
立ち上がった先輩はふらふらしながら私の肩に寄りかかってきた。
可愛い返事をしないでほしい。
かっこいい人の可愛さは心臓に悪い。
意識しているのがバレそうになる。
私は平静を装いながら肩を貸した。
駅へ向かって歩く。
すると先輩が突然鼻をひくひくさせ始めた。
「なんかいい匂いする」
「焼き鳥屋の匂いじゃないですかね」
「違う」
そう言った次の瞬間。
先輩の顔が私の髪に近づいた。
「苗字の匂いか。すげぇいい匂い」
「セクハラです」
即座に返したものの、心臓はもう限界だ。
近い。
近すぎる。
私はこんなに意識しているのに。
先輩はきっと何も考えていない。
そう思うと少し腹が立つ。
先輩は私の腕を掴み、そのまま手を取った。
「小せぇんだよな」
「手の大きさは筋トレじゃどうにもなりませんからね」
「そういう意味じゃねぇよ」
先輩は握った手を見つめたまま呟く。
「……可愛いな」
息が止まりそうになった。
「お酒入ってるから変なこと言うんです。やめてください」
「変なことじゃねぇだろ」
「一先輩、私のこと女の子として見てないじゃないですか」
「はぁ?」
心底不思議そうな顔をされた。
「女だろ?」
この人は本当に……
無自覚なのか天然なのか。
もし他の女の子にも同じことをしているなら絶対嫌だ。
そう思った瞬間、自分でも驚くほど嫉妬していることに気付いた。
でも待て。
先輩がこんな距離感で接している異性って他にいたっけ。
考え込んでいると頭上から声が降ってくる。
「何考えてんだよ」
「一先輩には分からないナイーブな悩みです」
そう言うと先輩は不服そうに頬を膨らませた。
はい。
可愛い。
本当にやめてほしい。
「ナイーブって好きな男とかのことか?」
「そうですねー」
「そいつ変な奴じゃねぇんだろうな」
「かっこいい人ですよ」
「そっか……」
少し黙り込んだあと、先輩が低い声で言った。
「会わせろ」
「はい?」
「見極めてやる」
「……酔ってますね」
苦笑しながら答える。
そしてつい口が滑った。
「……鏡見ればすぐ会えますよ」
先輩の足が止まった。
あっ…やばい。
言ったあとで気付いた。
でも先輩は酔っている。
どうせ明日には忘れている。
そう思って歩き出そうとした瞬間、
先輩に手首を掴まれた。
振り返る。
先輩が真っ直ぐこちらを見ていた。
その瞬間、私の中で何かが切れた。
ずっと隠してきた。
好きだとバレないように。
距離を壊したくなくて。
必死に我慢してきた。
それなのに、酔った勢いでそんな顔をするなんてずるい。
「水飲め!」
思わず怒鳴った。
先輩が目を丸くする。
「もし少しでも! 本当に少しでも私を異性として見てるなら!」
言葉が止まらなかった。
「酒の力借りるな!」
胸が苦しい。
悔しい。
好きだから。
好きなのに。
「好きな人がダセェ男になるとか、幻滅させんな!」
言い切った瞬間、自分でも何を言ったのか理解した。
沈黙。
やばい。
言ってしまった。
完全にヤバイ。
でももういいや。
どうせ私も酔ってる。
考えるのは明日にしよう。
そう思った瞬間、逃げるように家に帰った。
翌日、大学へ向かう途中で私は足を止めた。道の真ん中に岩泉先輩が仁王立ちしている。
怖い。
雰囲気が怖い。
でもその道を通らないと大学へ行けない。意を決して近付くと、挨拶した瞬間に手首を掴まれた。
「ちょっと来い」
そのまま人通りの少ない校舎裏へ連行される。
……決闘かな。勝てる気はしない。
身構えた瞬間、先輩が勢いよく頭を下げた。
「苗字! すまなかった!」
酔っていても覚えているタイプか。
正直、気まずくなりたくなかった。
片想いでもよかったし、今の関係が壊れなければそれでよかったのに。
「先輩、昨日は酔ってましたし……。記憶があっても無かったことにしませんか? それでチャラってことで」
我ながらずるい提案だと思う。
でも距離を置かれる方が嫌だった。
ところが先輩は首を横に振る。
「それは無理だ」
即答だった。
こんなところで男らしさを発揮しなくていいのに。
頭を乱暴に掻きながら、先輩は言葉を探している。
私はそんな姿を見ながら、こういうところも好きなんだよなと思った。
しばらく黙ったあと先輩がぽつりと口を開く。
「知ったから言うのは打算的だよな。でも、いつか言おうとは思ってた。こんな形になってかっこ悪ぃけど……」
そして真っ直ぐ私を見た。
「好きだ」
一瞬、意味が分からなかった。
「謝罪で告白ですか?」
「だから違ぇーって!」
先輩が顔を真っ赤にする。
「うまく言えねぇけど好きだ! 察しろ!」
頭が追い付かない。
マジか。
本当にマジか。
「それって……私たち恋人ってことでいいんですか?」
「ばっ……!」
さらに顔を赤くする先輩。
「恋人とか改めて言うな!」
「違うんですか?」
「違わねぇけど!」
思わず笑ってしまった。
告白されたのに馬鹿って言われて……まあ先輩らしい。
「それなら昨日、既成事実作っちゃえばよかったですね」
「女が既成事実とか言うんじゃねぇ!」
校舎裏に先輩の声が響く。
大声で既成事実って叫ぶ方が恥ずかしいと思う。
それから私たちは付き合い始めた。
でも周りにはほとんど言わなかった。
先輩は絶対恥ずかしがるし、私もわざわざ言うのが照れ臭かったから。
大学卒業から五年後。
岩泉一は日本代表のアスレティックトレーナーとして働いている。
私は病院ではなく検査センター勤務。生活リズムは違うけれど、変わらず付き合い続けていた。
久しぶりに大学時代の友人たちとの飲み会兼同窓会に誘われる。
社会人になっても私はあまり変わらない。
職場はネイルもピアスも禁止だし、久しぶりに会った友人には開口一番「変わんねぇな」と言われた。
失礼な。
そう思いながら腕まくりをして鍛えた腕をドヤ顔で見せる。
アスレティックトレーナーの彼氏を持つ私の筋肉を舐めてもらっては困る。
久しぶりの飲み会は楽しくて、少し飲み過ぎた。
駅へ向かう途中、友人に肩を借りながら歩いていると前方に見覚えのある姿が立っていた。
彼だった。
飲み会には来られないと言っていたのに、なぜか不機嫌そうな顔をしている。
「迎えに来た」
そう言うと友人を引き剥がすように私の肩へ手を回した。
「お、久しぶりだべ」
友人が声を掛けるが、先輩はむすっとしたままだ。
「○○は俺が連れて帰る」
その場の全員が固まった。
私は嬉しくなって先輩に抱きつく。
「お迎えありがとう〜」
「酒の飲み過ぎはやめろ」
先輩はため息を吐いた。
「昔やらかした俺が言えねぇけどな」
歩き出した瞬間、後ろから悲鳴のような驚きの声が飛んでくる。
「いつからだよ!」
「言えよ!」
私と先輩は顔を見合わせた。
「「7年前から」」
声が綺麗に重なる。
一瞬の沈黙のあと
「ええええぇぇぇ!?」
盛大な叫び声が夜道に響いた。
「言ってなかったのかよ」
呆れたように先輩が言う。
「そっちこそ」
周りはずっと仲の良い友達同士だと思っていたらしい。それが妙におかしくて笑ってしまう。
すると先輩がじっとこちらを見る。
「そんな顔、あいつらにも見せてたのかよ」
「どんな顔?」
私はわざと変顔をしてみせる。
すると軽く頭を小突かれた。
二人きりの時の甘い空気も好きだけど、こういう何気ないやり取りも好きだ。
にやにやしていると、先輩が小さく呟いた。
「その顔も可愛いんだよな。クソが」
褒めているのか悪態なのか分からない。
でも可愛いって言われたから、それでいいか。
そんなことを思いながら、私は先輩の隣を歩き続けた。
〈終〉
心臓がうるさいくらいにドキドキしている。
嬉しい。菅原先輩のことは好きだ。
でも、その好きは異性としての好きとは違う気がした。
優しくて、一緒にいると楽しくて、頼りになって。もし先輩がお兄ちゃんだったらいいのにな、なんて思ったこともある。
憧れに近い気持ち。
だからきっと恋愛とは違う。
「嬉しいです。でも……私の中では先輩は先輩なんです」
言葉を選びながらそう伝えると先輩は少しだけ目を伏せた。
「そっか」
短い返事。
気まずくなって足元を見る。
どうしたらいいのかわからず黙り込んでいると、不意に頭をぐりぐりと撫でられた。
「ちょっと! 髪ボサボサになるんですけど!」
「ははは! なんか気まずそうだったから」
顔を上げると、先輩はいつものように笑っていた。
その笑顔に少しだけ安心する。
「なんとなくそうだろうなって思ってた。でも伝えたかったんだ」
見つめてくる目は優しい。
だけど、その奥に少しだけ寂しさが滲んでいる気がした。
私がそうさせてしまったんだと思うと胸が痛む。それでも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「俺ってやっぱり、いい人止まりなんだべな」
冗談っぽく言う先輩に、慌てて首を振る。
「そんなことないです! 先輩かっこいいですし! 私、勝手に王子様みたいだなって思ってました!」
「王子様?」
先輩は目を丸くしたあと吹き出した。
「ははっ! マジで? じゃあこれから王子って呼んでいいよ」
「いいんですか?」
「そこはツッコむところだから!」
思わず二人で笑う。
さっきまでの重たい空気が少しだけ和らいだ。
「あー、王子からの告白はダメだったけど、これからは友達ってことで」
「友達?」
「えっ、そこは受け取ってほしいんだけど!」
先輩が大げさに肩を落とす。
「だって王子と町人ですよ? 友達っていうより……尊敬です。先輩は私の中で憧れなんです」
「それは嬉しいけどなぁ」
先輩は苦笑して、それから大きく息を吐いた。
「よし。切り替えるべ! 気まずいのやめよう。また連絡して。勉強も教えるし」
「本当ですか?」
「おう。俺、教員目指してるから。その予行練習ってことで」
「先輩、教えるの上手いですもんね」
「ありがとう」
そう言って笑う先輩は、いつも通りだった。
駅で別れて家に帰る。
部屋に入って携帯を見ると、先輩からメールが届いていた。
『ちゃんと家着いた?』
思わず小さく笑う。
本当に優しい人だ。
ベッドに寝転びながら携帯を見つめる。
告白は断った。
それなのに胸の奥はまだ落ち着かない。
初めて告白されたからだろうか。
異性として意識していたわけじゃないのに、これからは少しだけ意識してしまいそうだった。
そして何より。
これまでみたいに話せなくなったらどうしよう。先輩との距離が少しずつ離れてしまうかもしれない。
そんなことを考えると、少しだけ寂しかった。
学年が上がり、高校二年生になった。
相変わらず部活中心の毎日だったけれど、勉強も続けていた。
最初は菅原先輩に言われたから始めただけだったのに、いつの間にか机に向かうことが習慣になっていた。
それに、前ほど頻繁ではないものの、たまに先輩からメールが来る。
『勉強してるか?』
『テスト近いべ?』
そんな内容を見るたびに、少しだけ笑ってしまう。
本当に面倒見がいい人だ。
菅原先輩がお兄ちゃんだったらな。
……絶対ブラコンになる自信がある。
ソフトボール部は楽しかった。
楽しいだけじゃなくて、続けているうちに勝ちたいと思うようにもなっていた。
もっと上に行きたい。
もっと強くなりたい。
そう思って練習していた時だった。
怪我をした。
診断結果は全治二か月。
痛みを我慢すればできるんじゃないかと思ったけれど、顧問にも医師にも止められた。
「休みなさい」
そう言われても納得なんてできない。
地区予選でもいいところまで行っていた。
だから余計に悔しかった。
運が悪かった。
そんな一言では片付けられない。
何が悪かったんだろう。
何が足りなかったんだろう。
ただがむしゃらに頑張るだけじゃ駄目なんだと初めて知った。
怪我の治療で通っていた病院で、リハビリの帰りに院内で迷ったことがある。
近くにいた白衣姿の人を見つけて声をかけた。
「あの、先生──」
すると相手は少し困ったように笑った。
「医師じゃないので、先生と言われるのは…」
その時初めて知った。
病院には医師以外にもたくさんの職種がいることを。白衣を着て働く人は医者だけじゃない。
それが少しだけ面白かった。
高校三年生になった頃には、進路を考えるようになっていた。
文系科目は昔から苦手だった。
漠然と理系かなってくらいにしか考えていなかったけれど、怪我で病院での経験を通して医療系の仕事に興味を持つようになっていた。
医師になるほど頭が良いわけじゃない。
でも、白衣を着て働く姿はかっこいいと思った。
きっかけなんてそんなものだったのかもしれない。
少し憧れて。
少し興味を持って。
そこから将来を考え始めた。
勉強も続けていたおかげで、国公立大学を目指せる成績にはなっていた。
卒業式の日。
後輩から言われた。
「先輩、卒業なのに何でそんな飄々としてるんですか?」
私は即答した。
「まだ合格発表されてないから!」
後輩が目を丸くする。
「卒業どころじゃないの。不安しかない!」
言った瞬間、どこかで聞いたことがあるような気がした。
──あれ?
これ、前にも似たようなこと言わなかったっけ。
そんなことを思いながら笑った。
無事に合格し、私は大学の保健衛生学科へ進学した。
そして入学してすぐ思った。
忙しい。
大学生ってもっと遊ぶものじゃなかったっけ。ドラマとか漫画とかだとキラキラしてるじゃん。
おかしい。
私の大学生活、全然キラキラしてない。
課題…実習…勉強…課題…勉強
たまに友達と遊べたらラッキー。
バイトをする余裕もあまりない。
「学部間違えたかな……」
本気でそう思ったこともあった。
そんな生活の中で見つけた趣味が筋トレだった。
やればやるほど面白い。
そして気づけば、人の筋肉まで気になるようになっていた。
ある日、大学構内を歩いている時だった。
前を歩く男子学生の背中が目に入る。
思わず視線が止まった。
……なんだろう。
あの筋肉の付き方。
どんなトレーニングしてるんだろう。
普通ならそこで終わる。
でも私は終わらなかった。
気になったら聞きたくなる性格だった。
不審者だと思われる可能性を無視して声をかけた。
「あの!」
振り返った相手は驚きながらも立ち止まった。
筋トレの話をすると、逆に聞かれた。
「どこ鍛えたい?」
──同士だ!
そう確信した。
声をかけた彼はアスレティックトレーナーを目指していた。
短髪で鍛え上げられた体をしていて、いかにも体育会系という雰囲気だった。
だけど話してみると不思議と居心地が良かった。
女の子だからと特別扱いすることもない。
かといって冷たいわけでもない。
ただ自然に、一人の友達として接してくれる。
男友達と話すような感覚。
それが心地よかった。
私は昔から女の子だからと過剰に気を遣われるよりも、同じように接してもらう方が好きだったから。
気付けば彼と話す時間が少しずつ増えていた。
「苗字! 飲んでるか?!」
「飲んでます。だから一先輩はもう水飲んでください」
差し出したグラスを見て、岩泉先輩は不満そうな顔をした。
「俺は酔ってねぇー」
「はいはい」
そう言いながら半ば強引に水を持たせる。
筋トレ仲間として知り合ってから数年。
今ではこうして一緒に飲みに行くくらいには仲が良かった。
ただ、この人はお酒が弱い。
弱いくせに豪快に飲む。
毎回こうなるのだから困る。
……でも、そんなところも好きだった。
岩泉一先輩。
かっこよくて、真面目で、面倒見が良くて。
私は先輩が好きだった。
最初は女の子扱いされないことが心地良かった。
でも今は違う。
異性として見られていないことが少し苦しい。
先輩はきっと、もっと女の子らしい子が好きだ。
たぶん………
少なくとも筋トレの話で盛り上がるような女じゃない。
コップを持つ自分の腕を見る。
しっかり筋が浮いている。
うん。
仕上がってる。
でも、女子力は仕上がってない。
「そろそろお開きですよ。帰りましょうね」
「うー……」
立ち上がった先輩はふらふらしながら私の肩に寄りかかってきた。
可愛い返事をしないでほしい。
かっこいい人の可愛さは心臓に悪い。
意識しているのがバレそうになる。
私は平静を装いながら肩を貸した。
駅へ向かって歩く。
すると先輩が突然鼻をひくひくさせ始めた。
「なんかいい匂いする」
「焼き鳥屋の匂いじゃないですかね」
「違う」
そう言った次の瞬間。
先輩の顔が私の髪に近づいた。
「苗字の匂いか。すげぇいい匂い」
「セクハラです」
即座に返したものの、心臓はもう限界だ。
近い。
近すぎる。
私はこんなに意識しているのに。
先輩はきっと何も考えていない。
そう思うと少し腹が立つ。
先輩は私の腕を掴み、そのまま手を取った。
「小せぇんだよな」
「手の大きさは筋トレじゃどうにもなりませんからね」
「そういう意味じゃねぇよ」
先輩は握った手を見つめたまま呟く。
「……可愛いな」
息が止まりそうになった。
「お酒入ってるから変なこと言うんです。やめてください」
「変なことじゃねぇだろ」
「一先輩、私のこと女の子として見てないじゃないですか」
「はぁ?」
心底不思議そうな顔をされた。
「女だろ?」
この人は本当に……
無自覚なのか天然なのか。
もし他の女の子にも同じことをしているなら絶対嫌だ。
そう思った瞬間、自分でも驚くほど嫉妬していることに気付いた。
でも待て。
先輩がこんな距離感で接している異性って他にいたっけ。
考え込んでいると頭上から声が降ってくる。
「何考えてんだよ」
「一先輩には分からないナイーブな悩みです」
そう言うと先輩は不服そうに頬を膨らませた。
はい。
可愛い。
本当にやめてほしい。
「ナイーブって好きな男とかのことか?」
「そうですねー」
「そいつ変な奴じゃねぇんだろうな」
「かっこいい人ですよ」
「そっか……」
少し黙り込んだあと、先輩が低い声で言った。
「会わせろ」
「はい?」
「見極めてやる」
「……酔ってますね」
苦笑しながら答える。
そしてつい口が滑った。
「……鏡見ればすぐ会えますよ」
先輩の足が止まった。
あっ…やばい。
言ったあとで気付いた。
でも先輩は酔っている。
どうせ明日には忘れている。
そう思って歩き出そうとした瞬間、
先輩に手首を掴まれた。
振り返る。
先輩が真っ直ぐこちらを見ていた。
その瞬間、私の中で何かが切れた。
ずっと隠してきた。
好きだとバレないように。
距離を壊したくなくて。
必死に我慢してきた。
それなのに、酔った勢いでそんな顔をするなんてずるい。
「水飲め!」
思わず怒鳴った。
先輩が目を丸くする。
「もし少しでも! 本当に少しでも私を異性として見てるなら!」
言葉が止まらなかった。
「酒の力借りるな!」
胸が苦しい。
悔しい。
好きだから。
好きなのに。
「好きな人がダセェ男になるとか、幻滅させんな!」
言い切った瞬間、自分でも何を言ったのか理解した。
沈黙。
やばい。
言ってしまった。
完全にヤバイ。
でももういいや。
どうせ私も酔ってる。
考えるのは明日にしよう。
そう思った瞬間、逃げるように家に帰った。
翌日、大学へ向かう途中で私は足を止めた。道の真ん中に岩泉先輩が仁王立ちしている。
怖い。
雰囲気が怖い。
でもその道を通らないと大学へ行けない。意を決して近付くと、挨拶した瞬間に手首を掴まれた。
「ちょっと来い」
そのまま人通りの少ない校舎裏へ連行される。
……決闘かな。勝てる気はしない。
身構えた瞬間、先輩が勢いよく頭を下げた。
「苗字! すまなかった!」
酔っていても覚えているタイプか。
正直、気まずくなりたくなかった。
片想いでもよかったし、今の関係が壊れなければそれでよかったのに。
「先輩、昨日は酔ってましたし……。記憶があっても無かったことにしませんか? それでチャラってことで」
我ながらずるい提案だと思う。
でも距離を置かれる方が嫌だった。
ところが先輩は首を横に振る。
「それは無理だ」
即答だった。
こんなところで男らしさを発揮しなくていいのに。
頭を乱暴に掻きながら、先輩は言葉を探している。
私はそんな姿を見ながら、こういうところも好きなんだよなと思った。
しばらく黙ったあと先輩がぽつりと口を開く。
「知ったから言うのは打算的だよな。でも、いつか言おうとは思ってた。こんな形になってかっこ悪ぃけど……」
そして真っ直ぐ私を見た。
「好きだ」
一瞬、意味が分からなかった。
「謝罪で告白ですか?」
「だから違ぇーって!」
先輩が顔を真っ赤にする。
「うまく言えねぇけど好きだ! 察しろ!」
頭が追い付かない。
マジか。
本当にマジか。
「それって……私たち恋人ってことでいいんですか?」
「ばっ……!」
さらに顔を赤くする先輩。
「恋人とか改めて言うな!」
「違うんですか?」
「違わねぇけど!」
思わず笑ってしまった。
告白されたのに馬鹿って言われて……まあ先輩らしい。
「それなら昨日、既成事実作っちゃえばよかったですね」
「女が既成事実とか言うんじゃねぇ!」
校舎裏に先輩の声が響く。
大声で既成事実って叫ぶ方が恥ずかしいと思う。
それから私たちは付き合い始めた。
でも周りにはほとんど言わなかった。
先輩は絶対恥ずかしがるし、私もわざわざ言うのが照れ臭かったから。
大学卒業から五年後。
岩泉一は日本代表のアスレティックトレーナーとして働いている。
私は病院ではなく検査センター勤務。生活リズムは違うけれど、変わらず付き合い続けていた。
久しぶりに大学時代の友人たちとの飲み会兼同窓会に誘われる。
社会人になっても私はあまり変わらない。
職場はネイルもピアスも禁止だし、久しぶりに会った友人には開口一番「変わんねぇな」と言われた。
失礼な。
そう思いながら腕まくりをして鍛えた腕をドヤ顔で見せる。
アスレティックトレーナーの彼氏を持つ私の筋肉を舐めてもらっては困る。
久しぶりの飲み会は楽しくて、少し飲み過ぎた。
駅へ向かう途中、友人に肩を借りながら歩いていると前方に見覚えのある姿が立っていた。
彼だった。
飲み会には来られないと言っていたのに、なぜか不機嫌そうな顔をしている。
「迎えに来た」
そう言うと友人を引き剥がすように私の肩へ手を回した。
「お、久しぶりだべ」
友人が声を掛けるが、先輩はむすっとしたままだ。
「○○は俺が連れて帰る」
その場の全員が固まった。
私は嬉しくなって先輩に抱きつく。
「お迎えありがとう〜」
「酒の飲み過ぎはやめろ」
先輩はため息を吐いた。
「昔やらかした俺が言えねぇけどな」
歩き出した瞬間、後ろから悲鳴のような驚きの声が飛んでくる。
「いつからだよ!」
「言えよ!」
私と先輩は顔を見合わせた。
「「7年前から」」
声が綺麗に重なる。
一瞬の沈黙のあと
「ええええぇぇぇ!?」
盛大な叫び声が夜道に響いた。
「言ってなかったのかよ」
呆れたように先輩が言う。
「そっちこそ」
周りはずっと仲の良い友達同士だと思っていたらしい。それが妙におかしくて笑ってしまう。
すると先輩がじっとこちらを見る。
「そんな顔、あいつらにも見せてたのかよ」
「どんな顔?」
私はわざと変顔をしてみせる。
すると軽く頭を小突かれた。
二人きりの時の甘い空気も好きだけど、こういう何気ないやり取りも好きだ。
にやにやしていると、先輩が小さく呟いた。
「その顔も可愛いんだよな。クソが」
褒めているのか悪態なのか分からない。
でも可愛いって言われたから、それでいいか。
そんなことを思いながら、私は先輩の隣を歩き続けた。
〈終〉
